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2026/06/13

富士山冬山登山禁止論

地元自治体が冬山登山禁止の動きがあるらしい。
何をバカなことをしているんだろうか。
いくら「禁止」と叫んだって冬山に登る奴は登る。山は莫大な広さがあるのだから禁止なんか出来るわけが無い。

ただやれることはある。この話の元になったことも解決する。それは

「冬山の富士山は危険領域と定義し、その領域での公的救助活動を禁止する」

公的機関の行動制限なので自治体が十分に制御できる。
”遭難者”が警察・消防に救難・救助要請を出しても「禁止区域なので行けません」で終わり。
それを明確に合法化することが重要。公務員は法律絶対を叩き込まれているので破る奴はいない。

登山は禁止しないので登りたい方はご自由にどうぞ。トレーニングをしたい方もご自由にどうぞ。
万一の遭難を考えて各自で民間の保険や救難団体や自分らの仲間などに予め契約をするのも自由。
民間団体の救難部隊が立ち入るのも自由。

対策を打たず遭難したら諦めて自然に還って下さい。
それが自然の厳しさです。
運があれば文字通り骨ぐらいは拾ってもらえるでしょう。

冬山富士山なんか「うっかり入ってしまう」領域ではないし「普段歩いているところ」でもない。
「必要に迫られて行く場所」でも「行かないと不便なところ」でもない、
多かれ少なかれ”覚悟”を持って立ち入るところだろう。だからそれでいいではないか。

「人命ガー」というのは自ら危険領域に入っていく人、その本人に言ってくれ。そんな輩を救う義務までは負っちゃいない。

なお、「登山禁止」というのはただの前振りで「禁止と言ったんだから当然助けないよ」というのが本論なら賛同する。

 

余談になるが、日本国内でも捜索・救難・救助の類がされない領域はある。
「富士山の樹海」は有名だろう。昔は「コンパスが役に立たないから」といわれた領域だ。
山で言うと「屋久島の山々」がある。行方不明になっても捜索されない(できない)と現地の人から聞いた。年に何回かそういう話は聞くが実際に捜索はされた話は聞かない、ということらしい。
定番のヘリがないし飛ばせない。屋久島は、特に山の方は四六時中雨が降って視界が悪く、原生林に近いところも多く、開けているところが少なく、傾斜がきついのでヘリ捜索・救助が無理、ということらしい。
本土の山に比べたら傾斜がキツくあちこち断崖になっているので迷ったらまず助からない、ということも大きい。屋久島は鹿児島のさらに南なので温暖と思われて油断している者も多いが、実際は海風がきつい吹きさらしで、高度があるから日が落ちればかなり冷える。そういうこともあるという。

まあ、自然というのは厳しいものだ。人間の情だの一切知らないのは当然だ。如何に現代社会が甘えに傾いているのかがよく分かる。

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2026/06/06

【マイクラ】(追記)ゴーレム発生条件(統合版)

仮説ではあるが追記する。

非常に難しい「発生場所」の問題。
腑に落ちないところがあったのでその後もいくつか実験を続けてみた。

これはあくまで仮説ではある。

中心はベッドの枕の幾何学的中心であるということは同じ。

中心からの距離は固定ではなくて、その中心から最も遠い枕までの距離に依存するのではないか、という仮説だ。

やったことはいくつかのベッドをあえて別のところに移動させたこと。具体的には西の方に20ブロックほど離れた別の家に移動させた。
これで中心は西にいくつかズレるだけのはず。もともとは32個のベッドがあるところから6つ移動させただけなので大きくはズレない。

実際に起きたことは、トラップ外のより西の方にスポーンすることは当然だが、南の方にも発生するようになった。
(北の方はすぐ崖=空間なのでスポーン出来ない。)

この事実から範囲が西にズレたことだけではなく、範囲も広まった、と考えざるを得ない。

仮にそうであれば、記事によって範囲にバラツキがあるという事実も致し方ない。
人によってベッドの”寄せ方”は違うこと。トラップという観点からなるべくスポーン範囲を管理しやすく狭めたいということ。こういうトラップ構成にしたらばスポーン範囲はこうなったという事実に基づいているだけということ。
これらの”思い”から結果としてバラツキが生じるのは当然と言える。

私のように「ただのトラップ装置では美しくない」「見た目自然なトラップ装置を作りたい」とこだわる人ぐらいにしか参考にならないと思うが、後人のために書いておく。(私はこういうことにこだわること自体が楽しいと思うのですがねえ)

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部活動問題。やるべきは本来の姿に戻すことでは?

遠征移動中の死亡交通事故で部活動の在り方も問われたりしている。
かねてよりの教員働き方改革もあって部活動による超過労働も問題視されている。
地域移行もほとんど成果が出てきていない。

私はかねてから学校の部活動というものに疑問を持っていた。自らが生徒だったときからだ。

解決策はただひとつ。本来の部活動にすべき、実情としては”大幅制限”をすべきだ、ということにある。

制限というのは言葉がきついが、スポーツで言えばルール、レギュレーション厳守という事に過ぎない。
何でもありというのならそれはただの殴り合い、スポーツじゃない、という事に過ぎない。
私が特に最近思っているのは「ただの殴り合いにどんどん近づいている」という事だ。

”本来の姿”について具体的に述べていこう。

まず、活動時間は放課後になるが、教師の”退社時刻”に間に合うように部活動を終了して生徒は帰宅することが最低条件。
教師は生徒の帰宅を見届けてから学校を出なければいけないのだから、ごく当たり前の話だ。(そうでないという保護者はいないだろう)
「みなし残業時間」は残務処理に充てるべきでここで使うものでは無い。

朝練や休憩時間の活動は一切禁止。まあ、ランチミーティングはギリギリ認めても良いかもしれない程度の話だ。
それだって生徒によっては苦痛で昼飯が喉を通らなくなったら大問題だから認めたくはないのだが。

いうまでもないが学校が休みの期間も部活動は禁止。

以上だ。

これはレギュレーションなので、必ずしも守る必要はないとする。自由を尊重するのはあたりまえだ。
その代わり「公式大会」の参加は認めない。言い方を変えれば、公式大会(全国高校○○大会等)を名乗るのは禁じる。参加資格がこれらの遵守とする。ウソがばれたら出場停止や成績の剥奪。マスコミも大会に関する報道をする際にはこの公式かただの私的大会なのかはきちんと区別して報道する必要がある。

もちろん「○○杯」とか私企業、個人主催の大会を禁じるものでは無い。これも自由だ。

高野連等がどちらを選ぶかは彼らの勝手である。私学なども含めて彼らが欲しいのは「公式大会での上位成績」なのだからこれらは効くだろう。

そうすると必ず反発が上がるだろうが、これらだけで「本来の部活動の主旨」は全うする。その点で異論があるのだろうか。
毎日数時間程度あれば「クラス以外の友人・交友関係の拡がり」「授業以外での社会活動・団体行動等の学び」などは十分に達成できる。
というか、殆どの、特に文系部活動なんてこんなものなのである。スポーツ系部活動の多くが異常なだけである。

もちろん、その友人と土日祝日に遊んだり、部活動に近いことをやったりもするのは当然であり、そこは全く関与しない。
スポーツ系で言えば自主練というやつも含まれてくるだろう。個々人が自己研鑽することは良いことだ。
部活動と何が違うかと言えば「学校は一切関与しない」という事に過ぎない。
もちろん「土日とかどういう勉強の仕方をしたら良いか教えて」と聞くのと一緒で「土日とかどういう練習をしたら良いか教えて」と顧問教員に聞くのはありだろう。具体的に教えてもいいし、オススメの本を紹介するとかすればよい。フォローも不要。日頃の練習(試合)で結果だけ見れば良い。せいぜいその程度である。

そんなんじゃ強くなれない、というが、高校レベルでは所詮は才能のある奴が勝つのである。いくら努力したってオオタニにはなれないって現実をもっと直視するべきだ。偶然生まれた才能ある奴が、才能ある親に育てられ(財力も必要だ)、才能ある指導者に恵まれ、努力研鑽を積み重ねるという偶然が積み重なってオオタニショーヘイが生まれるのである。

そんな不公平な現実の中で、誰もがトップになれる可能性(公平性)を実現するための手段が「レギュレーション」という考えである。

一例を考えてみよう。

問題となっている「対外試合遠征」について。遠いところと対外試合をたくさんした方が強くなる、だからどんどんすべきだ、と言う。
この理屈を是とすれば「金持ちほど強くなる」という理屈になる。今の流れで「遠征はプロ依頼のバスに限る」「個々でバスを持ち専任やそれに準ずる人をつける」と仮になったら金持ち有利はさらに強まる。
では仮に「対外試合は一切禁止」にしたとしよう。これによって「金のあるところもないところの差が減り、公平さが増す」となる。

 

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