中教審「算数」やめて「数学」に統一報道
マスコミの記事をみると「なにやってんだ中教審」とかいう感覚に陥る。
ヤフーではコメント欄に批判の声が溢れる。いつものパターン。
私は「いや、まて、本当にそうなの?」と思いとどまり、AIに色々と調べてもらって考えを整理できた。
その内容の一部を書いていきたいと思う。
まず、結論を言えば、マスコミ報道はミスリードに限りなく近い。
名前の変更などは「わかりやすい」話だが、中教審はそこはどうでも良いことと考えている。(変える中身の結果で決めるだけ)
それどころか、中教審の案の一つは、私が子供のころからですら思っていた問題点を解決するような案だとが分かった。
印象が真逆である。
大きく分けて3つほど案があり、2つが有力となりつつあるようだが、その中で私が最も「推す」のは次の内容である。
「小6ぐらいでそれまでの算数を総ざらいする。そして中学の数学に繋げる」
算数から数学となることは「具体的な数値で計算手法」から「汎用で抽象論」への転換である。
「身近に使う計算」から「一見何に使うか分かりにくいが、いろんなところに応用が利くこと」を学ぶ。
10歳ぐらいから数学で重要な「抽象的思考力」が芽生え発達する(12ぐらいまでが最も発達するらしい)という学説がある。
「出来る子」は「総ざらいをする」ことで「全体を俯瞰」し、抽象化することができる。教師は無理に「抽象化」を教える必要は無い。賢い子は、総ざらいという行為で自然に(勝手に)抽象化・整理されて深く定着していくものだ。総ざらいというのは人生トータルで見ればコスパ・タイパ最強と私は断言する。どの学問に共通することで経験がある人が多かろう。私はこの効果に気がついてからは習慣づけていて、もうどんなことでも自然とやっているぐらいだ。
例えば資料などでも「まとめ」を最後に置くことで理解を深める役割を持つ。。この「まとめ」をきっかけに全体を俯瞰しつつ中身を思い出し記憶に定着させる効果を持つ。
「出来ない子」は総ざらいをすることで「自分が躓いたところ」を発見できる可能性が高い。理系科目の特徴はいつの間にか躓いていて気がつくと理解できなくなっているケースが殆どだろう。
「よく分かる」ところまで一旦戻って改めて理解をしていき、躓きポイントをもう一度やってみると意外とあっさりクリアできることもある。「なんだ、こんなことだったのか」と。そのあとはどんどん理解できて「出来る子」に変身することすらある。こういう経験こそが後々非常に重要になる。
実際に「補習系学習塾」ではまずは総ざらいをして躓きポイントを発見し、その周辺を徹底的にやり直すことで学力を上げている。驚くほどそんなことで変化する子もいる。学習に魔法など無く、原因を見つけて取り除いただけ、ということでもある。
子供というのは気分のムラが大きいものでたまたまその時は理解できず、それをずっと引きずることも起きえる。文系科目は問題は少ないのだが理系は致命的になりやすい。そのことに気づかない、親も理解できない場合が実に多いということもある。「一度転んで、しっかりと立ち上がった経験」はしたことの無い人には分からないだけであり、それを半強制的にやるというのは本来は算数だけでは無く全教科でもやるべきとすら思うのだが。まあ実際問題としては算数ー数学が最も致命的であり、小学レベルでは理科もさほど致命的では無い。だからこういった方向性はやるならまずは算数というのは合理的でもある。
「教師」の新たな負担増は皆無に等しい。
「総ざらい」だから新しく教師として覚える事項は無い。重点は「飽きさせず、諦めさせずさせること」。おそらく「総ざらい」は生徒にとって初めての体験だからその効用・効果を知らない。言葉で言っても難しいだろう。真に出来る子は直感的にその意味を理解するものだが、特に生半可に「出来る子」ほど反発しがち(サボりがち)なのは容易に想像できる。大変さがあるとすれば正にそこだ。
まあ、サボったことで致命的にはなりにくいから別段害でもない。サボったことで中学で多少苦しい程度で済むかもしれない。「出来なかった子」に追い抜かれる可能性がいくらでもあるし「本当に出来る子」との差が大きく広がることは間違いない。それだけといえばそれだけなので、キチンと明言してから始めると良いのではなかろうか。それを聞くか聞かないかが「本当に」と「生半可」の違いになるだけのことだ。
同様に自分が頭が良いと勘違いしている保護者からは反発すら予想される。最近は塾やSNSなどの悪影響もあって「どんどん先の項目に進むのが正しい」と勘違いしている人が増えて悪化しているようだ。SNSでは「うちは小4でもう中1のことをやっている」といった(当人にとっては)自慢のたぐいが挙げられる。それを勘違いして「うちも」とか考えるのは愚の骨頂だ。「子供がこづかいの中から自分で教科書・参考書を選んで買ってきて面白くてどんどんやっていたらそうなっていた」なら別段害はないが、親を含め自慢することでも無い。私自身も似たようなことはしていた時期もあったが、どの道、後年やるんだからコスパ・タイパが悪い、今習っていることを徹底的に固める方が良策と気がついてやめた。一方で自発で無いのなら害でしかない。私からみればどちらに転んでも「恥ずかしい発言」にしか見えない。
「無用に先に進む」ことの失敗政策としては小学校の「プログラミング」「英語」が挙げられる。利害を比較したら利より害の方がかなり大きい結果となった典型例である。
話を戻すと「初めての体験だらけが小学校」ゆえに、これはむしろ小学校教師としての本領発揮とすら言える。
数学の橋渡しというが「抽象的概念」をこの時点で教える必要は全く無い。やるべきことは「全生徒に算数をしっかりと定着させる」ことだけ。この「しっかり」が難しいと言えばその通りだが、再度言うがそれこそ教師の本分である。
なお、なにをどう復習させるかは国・文部科学省が検討して指針:学習指導要領を出し、教科書検定する。だからその通りにやる、という最低限でも構わない。そういうやる気の無い教師にとっては別に負担は増えもしないし減りもしない。
しかし「教師の本分」が問われているというのは、教職として本望では無いのか、と考える。
つまり「出来る生徒」「出来ない生徒」「教師」の三方得なのだ。
理系科目というのは「地道に基礎を固める」ことは極めて重要であって、少しでも「穴があったり傾いている」と簡単に倒れるような建物になってしまう。だからこそ理系が得意な人ほど基礎固めを重要視して、整地・地盤固め・基礎作りに呆れるほど時間をかけているはずだ。
こういうと「小6でおさらいをしている暇なんかあるのか」という反発は容易に想像できる。
実は「小学算数は小4ぐらいから時間を持て余し気味」という感覚がある。これは私の実感もそうだったが、中教審においても指摘されているそうだ。
本来、算数の範疇としてはそもそも小4程度でも「社会生活的にはこんなもんでもういいだろ」になっている。これは算数が不得意でも実感としてあると思う。そのころから変に抽象的だったり色々と変則的なことを妙なところでちょいちょい入れてくる傾向がある。
これは算数が得意だった人ほど意識して実感しているはずで、一方で苦手な人にとっての小4の算数の壁といわれるものの本質だと私は考えている。壁というよりちょいちょい地雷が埋まっていたり竹槍トラップが出てくる感覚だ。そしてテストで唖然として壁を感じてしまう。
具体例をあげると、私は「鶴亀算」で躓きそうになった。こんなものなくても中学で習う「連立方程式」で極めて単純に解けるのだから明らかに害ですらある、と今だに根に持っている。まあ、数学の発展の素晴らしさを示す目的や、和算の類を嗜むみたいな歴史的ノスタルジーなら否定はしないが算数の学習課題としてやることではない。
中教審案でも論議でもこの辺の認識は前提としているらしく、教えるべき項目を整理整頓すれば「総ざらい」の時間は十分取れると見ているらしい。私も直感的に同意できる。
仮に小6と書いたが、どこからになるのかまだ弾力的ではあるようだ。細かく詰めていった結果と区切りの良さ、やりやすさも考えての結論になるだろう。まあ小6から一年間使って、というのが妥当というのに異論は無い。
それにしても私を含めて理系・算数数学は好きだった人間なら、このような内容で報道があれば諸手を挙げて賛成になると思うのだが、なんで全然違う印象の報道になっているのだろうか。不思議で仕方が無い。
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