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2026/05/31

【マイクラ】ゴーレム発生条件(統合版)

統合版の話なのでJava版を求めている方はこの記事は違います。
PC版での話でゲーム機版なども同じかは不明です。

発生条件と発生しなくなった場合の要因と対処も合わせて書いています。

ゴーレムについては統合版とJava版はかなり異なっているようです。
記事や特にAIによるまとめはこの辺がかなり情報が混乱・混同状態にあるようで注意が必要であり、私も随分と苦労させられました。

まず、これに関して調べた発端は「鉄分が足りない」です。鉄道を作りたくなった。
鉄不足解消には鉄鉱脈を掘り当てるか、ゴーレムトラップが定番です。
鉄鉱脈なんて結局偶然で掘り続けるのも退屈なので、そろそろトラップもやってみるか、と思った次第です。

もちろん、そこいらのゴーレムトラップ記事を見て作るのでは面白くありませんし、美しくありません。
ごくポピュラーとも言える天空トラップすら美しくないので結局使っておらず(もう壊してもいいけど壊すのも大変なので放置、まあ天空建築物としては面白いとは思う)、効率を多少落してでも見た目は普通の建物にして”日常の中”に取り入れています。

一見普通の村ですが、地下にゴーレムトラップを仕込んでいる、そんなイメージを私は発想しました。
まあ、普通の村というのは大変です。一応普段の取引用に小さな人口村を拠点近くに作っており普段より少しずつ拡張しておりましたのでそこを活用して一気に拡げるのも兼ねます。

さて、本論に入ります。

まず注意点。

一般的なゴーレムトラップの記事は見たことがあるのが前提です。
動画・ブログ他いくらでもあるでしょうから私が書く必要は感じません。
私自身も基本的な処理部分は流用しているのでそこの説明は一切省きます。
むしろ、そういう記事をいくつか見た前提でお話をします。

村の定義というのはそもそもありません。バイオーム(biome)でもなく、構造物(structure:洋館・寺院・神殿の類)でもないのです。
村は自動的に作成されますが、一方で村人がある程度いれば村となり、プレイヤーが作ることができるといえます。
システム的には定義がなく、村人は存在しますが、村というのはプレイヤー側が認識しているだけ、という側面もあります。

村人と密接な関係があるのがベッドと職業ブロックです。村人はベッドとリンクし、職業ブロックとリンクして職業を持ちます。
基本的に1対1であることが必要です。

そのため、「結構離れた村人達やベッド・職業ブロックとリンクしてしまう」問題が発生すると厄介です。
概ね100ブロックぐらいとされています。村人は当然かなり動き回りますので十分に余裕をもって”隔離し管理”する必要があります。

それらを踏まえてゴーレムに関する要件を書いていきます。

・ゴーレムは村人10人あたり1体

10人以上で1体、20人以上で2体、30人以上で3体、といった具合です。
ゴーレムトラップ的に効率を上げたければ村人が多ければ多いほど良いとなります。
もちろん村人が増えると”メンテナンス”が大変になりますので多くて30人程度が適当(限界)でしょう。

・発生場所は村の中心から・・・

村の中心というのは、短絡的に言えば、ここを中心にゴーレムがスポーンする範囲が決まる、と考えてください。
ちなみに鐘の位置というのはJava版の話で統合版としてはガセです。私もAIに騙されました。
私も自分で確認したところ全部のベッドの枕の場所の幾何学的平均(平たく言えば中心)というのが正しいと考えて良いようです。
もしかしたら鐘も一つのベッドの効果程度はあるのかもしれませんが、少なくとも鐘でどうこうできる話ではありません。
最初は鐘が中心ならかなり自然な村っぽくできそうで、集会場・会館風にしようと思っていたのですが、結局”ベッドの館”となり避難所みたいになってしまいました。

範囲についてはそれを中心として19×15×19の範囲、という説など色々とあります。

スポーンして欲しいところは、穴を3×3として、水流で流すのが縁から8なので19ブロックとなり良い具合です。
しかし実際やってみると中心から23の位置にもスポーンします。いわゆる湧き潰しすべき範囲はそこまであるということです。
まあ、いわゆるトラップ装置の多くはそこはなにもない空間なので影響がなく、言及する人も殆どいないのでしょう。
この辺はバージョンにより変更があると考えても不思議ではありませんので余裕を持って設計することが必要なのでしょう。

これを書いていて気がついたので未検証ですが、もしかしたら中心から一番遠いベッドの枕の位置も関係しているのかもしれません。
中心を検証しているのは私も含めて中心としたい位置からみてベッドを最短で配置しがちと思われるからです。
実は23の位置には「スポーンし出した」という印象があり、それはベッドを増やした後、つまり配置したベッドが中心からより離れてから、なのかもしれません。

・スポーン条件

まず発生するには幅2×2で高さ3の空間が必要です。これはゴーレムのサイズから妥当な条件です。

また発生するには不透過ブロックの上である必要があります。
ここも諸説あり、色々と試してみたのですが、どうやら透過ブロックと不透過ブロックの区別が妥当のようです。
湧き潰しの定説であるガラス、階段ブロック、ハーフブロック等は透過ブロックであり、土、石、板材は不透過ブロックです。
土は不透過ブロックですが、舗装したり耕した状態は透過ブロックです。

発生場所、逆に湧き潰しにはこの条件を使っていけば良いようです。あと少なくとも高さ3ならカーペットも湧き潰しになるようです。
土の場所に発生しだした時は困りましたが、舗装することで対処できました。同範囲の場所は農地の部分もありそこには発生していません。
上付きハーフブロックについては諸説ありますが、私が実験的にやった感じでは発生しませんでした。

例えばガラスの広間にはスポーンしませんが、その上に作業台(非透過ブロック)を置く(高さはあるとして)。この場合、作業台の上にスポーンします。実際に目の前で見ました。
面白い現象ですが、意図せず同様のことは起きがちなので、湧き潰しの際には注意しましょう。

・村人のベッド紐付け

ゴーレムスポーン条件としては後述の職業も含め、かなり厳しく取られます。
スポーンする数が減るのではなく、全くスポーンしなくなります。
紐付けされるべき数については70%説などがありますが、私が検証した感じではほぼ100%に見えます。(反映遅延があるだけかもしれません)

ベッドの紐付けは厄介です。基本的に村人はベットの数が余っていて、バンなどを十分持っていれば子供が産まれます。
従って必ず紐付けはされるのですが様々な理由で崩れるときがあります。

対応としては全員が寝るはずの時間まで待って空いているベッドを一度壊してもう一度設置することで治る(余った村人が寝る)場合があります。それで治らない場合もあり、一度全部壊してもう一度設置することで治ることもあります。

・村人と職業の紐付け

村人は職業ブロック(職業毎に決められた機能ブロック)に触る(近くにいる)ことで職業を得ます。
農民ならコンポスターとなります。

これも村人のほぼ全員が職業に就いている必要があります。子供も含めての話で、要は子供がいるとゴーレムは発生しません。

一つの職業ブロックに紐付く村人は一人です。従って全員を職業に就かせるにはその数の職業ブロックを、その村人が触れる位置に置く必要があります。
さらに常に紐付けされた村人がアクセスする(仕事をする)ところに置いておく必要があります。どの程度の間隔かは不明で一日に一回説などがあるようです。

これも壊すと紐付けが消えます。
厄介なのは紐付けが消えてしまった村人が誰なのか判別がつきづらいということがあります。
これも夜中まで待つと、いつまでも寝ようとしない村人が怪しいです。(ベッド紐付けは対応済みとします)

近くに新たに職業ブロックを置いても反応がない場合は最終手段として処分するしかありません。
実際にそれによってゴーレム発生しだすこともあったので関係性はあるのでしょう。

もう一つ、いつまで経っても職業に就かない村人も発生します。目の前に色々職業ブロックを置いても全く反応しない場合です。この場合も最終手段を執るしかありません。”空いている”職業ブロックに一定時間見つけられなかった場合が考えられますが、はっきりした理由は不明です。

これも村人が多すぎるとトラブル解決が難しくなっていく要因のひとつです。

 

余談:ゴーレムトラップに関連して猫のスポーンについて

村なのでゴーレムと一緒に猫もスポーンします。猫も一緒に流されてどんどん焼け死ぬのを見てあまりにも忍びないので救済策をとりました。
ゴーレムは所詮はゴーレム(動く人形)と割り切れるのですが、猫はやっぱり友好的生物です。自分ルールの中に「無益な殺生はしない」があるのでここは取るべき対応を理論上限界までやるのが私のプレイ流儀としています。(ちなみに私はビーガンではないので全く殺生しないとはしていません)

まずマグマは一層だけにします。これによって生存率が高くなります。
ボタンやカンバンによるマグマ止めでは、ホッパーまで落ちた後にホッパーの穴にはまる場合があるので感圧板にします。
消火のために水に飛び込ませたいのですが、段差などがあると意外と避け回って焼けてしまいます。
色々と試したのですが、結局以下のようにしました。
まず、ホッパーと同じ高さの周囲に水(水源)を置いてそこに下付でハーフブロックを置きます。そうすると猫はそこに飛び込みやすくなり、水を浴びて消火し、生き延びる確率が非常に上がります。水流だと嫌がったりそこから動けなくなったりするので良策ではありません。
あとはそこから「普通の場所」に行くような動線を作ってやれば良いだけです。

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2026/05/23

為替介入に対する批判内容がおかしい

最近、円安を受けて為替介入が行われている。
その事実はやっているひとしか知らないが「通帳に入金があるからあやしい」という観測から来るものらしい。
これは財務省・政府筋は否定はしていない。彼らは決して肯定はしないので、事実上の肯定であると考えるのが妥当。

おかしいのは、殆ど報じられないことと、あってもその一部の評論家連中が「税金を溶かしている」という表現をしていることだ。
なぜこんな基本的な話も理解できないのか、不思議で仕方ない。

そもそも(外国)為替介入とは何なのか、言葉が難しくそれだけで逃げる人ばかりで、財務省界隈は「シメシメ」と思っているのだろう。

この話はとても簡単だ。日本においてはこの話の場合、ドルと円の話だろう。海外旅行に行った人なら簡単に分かる。

例えばほんの十年ほど前だが1$が100円だった時があった。その時に100万円を換金したら一万ドルになった。
結局それは使わずにそのままになっていた。
今後ドルも使わないだろうと思って換金したら150万円になった。(手数料は考えない)
庶民感覚で言えば「50万円儲かった」。儲かったという表現が妥当かは人それぞれだが、損したとは思わないだろう。

為替介入も大して変わらない。
日本はたくさんのドルを持っている。その額たるや1.4兆ドル。今のレートで200兆円超という国家予算の倍もある。
円安への介入という実態は、これを少しだけ売っただけに過ぎない。

もちろん売ったら円が入ってくる。それが「5兆円」という話なのだ。どこが「溶かした」なのだろうか。

問題なのはこの売ったドルは元々いくらで買ったのか、であるが、だいたい110円~120円の時代だろう、と言うのが過去の為替レートを考えれば妥当なところと言われている。つまり「110円で買って150円で売ったのだから、儲かった」という事になる。

次に問題なのは、この「儲け」はどこにいったのか、ということだろう。
まず、ドル資産を売ったことで使える円が増えたのだから定期貯金の取り崩しと考えるか、全額収入と考えるかは人それぞれだろう。
安易に全額浪費して良いという話ではない、と考えるのも、いや使っちゃえよ、と考えるのも人それぞれ。

それでも5兆円手元に残ったということはざっくり1.4兆円ぐらい「儲かって」いるのは事実。
ところがその「使い道」は全く追求されない。

問題なのはこの点だ。

円安によって利益を得たのだから、円安に苦しんでいるところに配る、という国家の「所得の再配分機能」を発揮するのが妥当。

要は「この1.4兆円を全国民に配ります」というのが妥当。
国民一人あたりでいえばざっくり一万円。

ところが「どこに行ったのか?」。この点を明らかにしないのが問題ではないのか。

たった一回(実際は細かく数回に分けているようだが)の介入でこれだけ儲かるのだ。そして介入が問題なのはそれで行きすぎてしまうことなのだから、あっという間に戻っている。問題にすらならない。これを「効果がない無駄金を使っている」と批判する人もアホ。さっき言ったように「金(円)は使っていない」し、むしろ入金している。普通は一回やれば介入不要になってしまうのだが、現状況は何度でもできそうだ。

この状態を高市総理は「ホクホク」と(特に財務省界隈に言わせれば)うっかり口を滑らしてしまったわけだが、私は「やっぱそうじゃん」としか思わなかった。
私は「だったら我々国民に分け前をよこせ」と思っただけのことだ。

もしかしたら高市総理もその辺は分かってからかもしれないが、ガソリン・軽油補助金、備蓄石油の放出、夏の電気・ガス代補助などを次々に打ち出している。既に計上している予備費で賄えている程度の額だし、さっき言ったように「たった一回で兆円規模儲かる。しかも殆ど影響なし」のだから「効果が出る」までやり続けることが可能だ。

為替介入で口を出してくるのはアメリカ大統領を筆頭にアメリカ政府筋なのだが(だからズルズルとバカみたいにドル為替を積み上げているわけだが)、もうトランプは既に引退モードに入っていて私腹を肥やすか”レガシーを遺す”ことしか興味がなくなっているのか、何か言ってきているという話が出てこない。(行きすぎたらまた関税でやればいいと思っているのかもしれない)

ドル為替の積み上げがどの程度悪かと言えば”企業の内部留保”と同じ程度悪と私は捉えている。企業の内部留保が一定額必要なのは言うまでもない。ドル為替も”外貨支払準備金”と表現されるように一定額は必要だ。しかし過剰には必要ないし、害悪になっているのはよく言われていることだ。企業の内部留保を批判するなら同じように過剰な外貨積立金も批判するべきではないのか。そして過剰と言われる円安の今が正に適正化する一大チャンスだ。
もし反対する人がいるなら、それは「今の円安はまだまだで、これからまだ安くなる。それが正しい。」と見ているからだと推察できる。

補助金の額においても。現在のホルムズ海峡閉鎖ー原油供給不安による物価高が一時的なものであると考えるのなら、この程度の金額はまだまだ少ないぐらいだ。だからこそ「消費税を一時的に減税しろ」というのも当然といえる。

最近は「財源ガー」はさすがに少なくなった。物価高で税収アップは隠せない事実だし、物価高になれば自然と消費税税収は高くなる、国民負担を考えれば(税収が同額になる程度に)税率を下げろと言うのも当然だ。食料品ゼロというのは食料品は8%をゼロにしてもまだ高いだろ、というもの当然の意見だ。

 

 

 

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2026/05/17

立入禁止区域は救難しなくて良いのでは?

閉山中の富士山に強行突破して遭難し、救助を求める。
危険な堤防で釣りをして波にさらわれて、救助・捜索・遺体回収を求める。

こんなものは拒否するように法的整備をすべきでは?

どうやら「閉山」というのは非常に曖昧な概念なので「立入禁止区域」と定義すれば良い。
富士山の例で言えば、登山口は閉鎖し要所にはフェンスを張って立ち入ることが出来ないようにしている。「立入禁止区域」とも掲示してあるはずだ。もちろん「閉山」という曖昧な言葉ではなく、「立入禁止区域」指定という公知・宣言も重要だが、そんなにコストが掛る話でもあるまい。

フェンスなんか無駄という意見には「ふらっとうっかり入ってしまった」という言い訳を出来ないようにしているだけ、が私の考え。
身長より高いフェンスを「うっかり乗り越えて入った」なんてことないですよね、ということ。
「立入禁止」の看板がなくても、そんなの乗り越えないと入れないところに入って良いわけないですよね、ということ。

富士山で言えば登山登録、許可申請を出してOKが出たらその限りではない、というのも当然のこと。
建物とかでも立入禁止区域というのは「許可者は入って良いよ」というのが普通。(関係者以外・・とか書かれている場合もあるが書く必然はない)

少し話が逸れる。

そもそも閉山中は登るなと言う法はないし私もそうは思っていない。人の行動を完全に制限できればこんな簡単な話はない。

単に「公的救助者に救助拒否させるべき」という考えでしかない。彼らだってクソ寒くて命の危険を感じるような暴風雪の中、救助なんか行きたくないのが本音だろう。単に行かなくて良い、という”選択の自由”を与えてあげたいというだけのことだ。

心底から行きたいと考え、家族も同意しているのなら私は止めはしないが、殆どの人は「職務だから」ではないのか。もしかしたら「そこに配属されたから仕方なく」という人もいるのではないか。彼らの組織の位置づけ、公務員という職種を考えると、そういう人がいても不思議でもない。ある程度本人の希望は汲まれるものの、それに反することも多いのはどこの組織でも起こりえることだ。

話を戻そう。

その上で、万一の対応のために、公的機関の救助が対応できるのか、民間救助に手を回しておくべきなのか、その費用はどうするのか(保険加入等)等々を検討した上でやればいいだけの話である。登山で言えばこんなもの登山計画の一つの課題でしかない。

この話は費用の問題だけでは無い。救助者の2次災害のリスクを考えての話だ。
訓練を受けているとは言え、彼らだってただの人間だ。

対応しかねるから「立入禁止区域」なのだ。もし遺体回収して欲しいのなら解除する時期で待ってくれ、というだけだ。
しかも領域は明確に決まっている。領域外なら今まで通りだ。
反論としてよくある「夏山登山でも助けないのか」「自動車運転で事故っても助けない、有料というのか」についても全く当たらない。

こういう議論で問題なのは、日本人の悪い癖で「そうはいっても・・・」という甘い考えが出てくることだ。
富士山問題で言えば明らかにハイリスクであり、そんな甘い考えをする輩はリアルを知らないとしか思えない。
私だって冬の富士山は知らないが、初冬の冬山(麓はまだ秋空)くらいは経験しているので他の経験も重ねて推し量れる。(一緒に行った登山経験豊富な友人に言わせれば「余裕の想定内」というのも含めて)

派生した議論でいえば、これを原則としつつ、憲法上の懸念(違憲立法)というのなら、「日本国民」かどうかで区別すればよい。
そういうとおかしな人達が文句を言い出す、事なかれ主義の外務省筋が文句を言うかもしれないが、それは筋違いだ。
日本国民を優遇するのは当たり前だ。

公務員なんだから税金で食っている。国民が支えているのだから国民に対しては対応するが、それ以外は拒絶して良い。
そこで有料論は出てくる。
様々な会員サービスではでは会員だと無料だが、非会員だと有料というサービスはいくらでもある。自動車関係で言えばJAFが分かりやすい。
どこの国でもある話だから頭のおかしい国、国民以外は理解可能だろう。

 

話は飛び火するが、憲法改正のうち「緊急事態条項」を性急にやろうとしていると伝えられる(このことも真偽不明だが)。こんな不条理な法律を放置しておいて、憲法論なんか出来るわけが無い。それは「外国人とは誰か」「日本人とは誰か」という議論も含まれるからだ。在住者なのか国籍なのか納税者なのか、両論とも突き詰めればそういう議論が不可欠だ。

仮に日本人は行動制限されるが、多くいる”外国人”には行動制限されないとしたら実効性がないどころか混乱しか招かない。
どうもうわべだけの条文を作ろうとしている節もあるが、それなら大反対だ。ある程度は法整備や制度設計まで想定してから憲法を作らないととんでもないことになることを想像できないのだろうか。(まあ憲法改正していないからわからないというのかもしれないが、事前予知できないのは愚としか言いようが無い)

 

 

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2026/05/16

中教審「算数」やめて「数学」に統一報道

マスコミの記事をみると「なにやってんだ中教審」とかいう感覚に陥る。
ヤフーではコメント欄に批判の声が溢れる。いつものパターン。

私は「いや、まて、本当にそうなの?」と思いとどまり、AIに色々と調べてもらって考えを整理できた。
その内容の一部を書いていきたいと思う。

まず、結論を言えば、マスコミ報道はミスリードに限りなく近い。
名前の変更などは「わかりやすい」話だが、中教審はそこはどうでも良いことと考えている。(変える中身の結果で決めるだけ)

それどころか、中教審の案の一つは、私が子供のころからですら思っていた問題点を解決するような案だとが分かった。
印象が真逆である。

大きく分けて3つほど案があり、2つが有力となりつつあるようだが、その中で私が最も「推す」のは次の内容である。

「小6ぐらいでそれまでの算数を総ざらいする。そして中学の数学に繋げる」

算数から数学となることは「具体的な数値で計算手法」から「汎用で抽象論」への転換である。
「身近に使う計算」から「一見何に使うか分かりにくいが、いろんなところに応用が利くこと」を学ぶ。

10歳ぐらいから数学で重要な「抽象的思考力」が芽生え発達する(12ぐらいまでが最も発達するらしい)という学説がある。

「出来る子」は「総ざらいをする」ことで「全体を俯瞰」し、抽象化することができる。教師は無理に「抽象化」を教える必要は無い。賢い子は、総ざらいという行為で自然に(勝手に)抽象化・整理されて深く定着していくものだ。総ざらいというのは人生トータルで見ればコスパ・タイパ最強と私は断言する。どの学問に共通することで経験がある人が多かろう。私はこの効果に気がついてからは習慣づけていて、もうどんなことでも自然とやっているぐらいだ。

例えば資料などでも「まとめ」を最後に置くことで理解を深める役割を持つ。。この「まとめ」をきっかけに全体を俯瞰しつつ中身を思い出し記憶に定着させる効果を持つ。

「出来ない子」は総ざらいをすることで「自分が躓いたところ」を発見できる可能性が高い。理系科目の特徴はいつの間にか躓いていて気がつくと理解できなくなっているケースが殆どだろう。
「よく分かる」ところまで一旦戻って改めて理解をしていき、躓きポイントをもう一度やってみると意外とあっさりクリアできることもある。「なんだ、こんなことだったのか」と。そのあとはどんどん理解できて「出来る子」に変身することすらある。こういう経験こそが後々非常に重要になる。

実際に「補習系学習塾」ではまずは総ざらいをして躓きポイントを発見し、その周辺を徹底的にやり直すことで学力を上げている。驚くほどそんなことで変化する子もいる。学習に魔法など無く、原因を見つけて取り除いただけ、ということでもある。

子供というのは気分のムラが大きいものでたまたまその時は理解できず、それをずっと引きずることも起きえる。文系科目は問題は少ないのだが理系は致命的になりやすい。そのことに気づかない、親も理解できない場合が実に多いということもある。「一度転んで、しっかりと立ち上がった経験」はしたことの無い人には分からないだけであり、それを半強制的にやるというのは本来は算数だけでは無く全教科でもやるべきとすら思うのだが。まあ実際問題としては算数ー数学が最も致命的であり、小学レベルでは理科もさほど致命的では無い。だからこういった方向性はやるならまずは算数というのは合理的でもある。

「教師」の新たな負担増は皆無に等しい。

「総ざらい」だから新しく教師として覚える事項は無い。重点は「飽きさせず、諦めさせずさせること」。おそらく「総ざらい」は生徒にとって初めての体験だからその効用・効果を知らない。言葉で言っても難しいだろう。真に出来る子は直感的にその意味を理解するものだが、特に生半可に「出来る子」ほど反発しがち(サボりがち)なのは容易に想像できる。大変さがあるとすれば正にそこだ。

まあ、サボったことで致命的にはなりにくいから別段害でもない。サボったことで中学で多少苦しい程度で済むかもしれない。「出来なかった子」に追い抜かれる可能性がいくらでもあるし「本当に出来る子」との差が大きく広がることは間違いない。それだけといえばそれだけなので、キチンと明言してから始めると良いのではなかろうか。それを聞くか聞かないかが「本当に」と「生半可」の違いになるだけのことだ。

同様に自分が頭が良いと勘違いしている保護者からは反発すら予想される。最近は塾やSNSなどの悪影響もあって「どんどん先の項目に進むのが正しい」と勘違いしている人が増えて悪化しているようだ。SNSでは「うちは小4でもう中1のことをやっている」といった(当人にとっては)自慢のたぐいが挙げられる。それを勘違いして「うちも」とか考えるのは愚の骨頂だ。「子供がこづかいの中から自分で教科書・参考書を選んで買ってきて面白くてどんどんやっていたらそうなっていた」なら別段害はないが、親を含め自慢することでも無い。私自身も似たようなことはしていた時期もあったが、どの道、後年やるんだからコスパ・タイパが悪い、今習っていることを徹底的に固める方が良策と気がついてやめた。一方で自発で無いのなら害でしかない。私からみればどちらに転んでも「恥ずかしい発言」にしか見えない。

「無用に先に進む」ことの失敗政策としては小学校の「プログラミング」「英語」が挙げられる。利害を比較したら利より害の方がかなり大きい結果となった典型例である。

話を戻すと「初めての体験だらけが小学校」ゆえに、これはむしろ小学校教師としての本領発揮とすら言える。

数学の橋渡しというが「抽象的概念」をこの時点で教える必要は全く無い。やるべきことは「全生徒に算数をしっかりと定着させる」ことだけ。この「しっかり」が難しいと言えばその通りだが、再度言うがそれこそ教師の本分である。

なお、なにをどう復習させるかは国・文部科学省が検討して指針:学習指導要領を出し、教科書検定する。だからその通りにやる、という最低限でも構わない。そういうやる気の無い教師にとっては別に負担は増えもしないし減りもしない。
しかし「教師の本分」が問われているというのは、教職として本望では無いのか、と考える。

つまり「出来る生徒」「出来ない生徒」「教師」の三方得なのだ。

理系科目というのは「地道に基礎を固める」ことは極めて重要であって、少しでも「穴があったり傾いている」と簡単に倒れるような建物になってしまう。だからこそ理系が得意な人ほど基礎固めを重要視して、整地・地盤固め・基礎作りに呆れるほど時間をかけているはずだ。

こういうと「小6でおさらいをしている暇なんかあるのか」という反発は容易に想像できる。

実は「小学算数は小4ぐらいから時間を持て余し気味」という感覚がある。これは私の実感もそうだったが、中教審においても指摘されているそうだ。
本来、算数の範疇としてはそもそも小4程度でも「社会生活的にはこんなもんでもういいだろ」になっている。これは算数が不得意でも実感としてあると思う。そのころから変に抽象的だったり色々と変則的なことを妙なところでちょいちょい入れてくる傾向がある。
これは算数が得意だった人ほど意識して実感しているはずで、一方で苦手な人にとっての小4の算数の壁といわれるものの本質だと私は考えている。壁というよりちょいちょい地雷が埋まっていたり竹槍トラップが出てくる感覚だ。そしてテストで唖然として壁を感じてしまう。

具体例をあげると、私は「鶴亀算」で躓きそうになった。こんなものなくても中学で習う「連立方程式」で極めて単純に解けるのだから明らかに害ですらある、と今だに根に持っている。まあ、数学の発展の素晴らしさを示す目的や、和算の類を嗜むみたいな歴史的ノスタルジーなら否定はしないが算数の学習課題としてやることではない。

中教審案でも論議でもこの辺の認識は前提としているらしく、教えるべき項目を整理整頓すれば「総ざらい」の時間は十分取れると見ているらしい。私も直感的に同意できる。

仮に小6と書いたが、どこからになるのかまだ弾力的ではあるようだ。細かく詰めていった結果と区切りの良さ、やりやすさも考えての結論になるだろう。まあ小6から一年間使って、というのが妥当というのに異論は無い。

 

それにしても私を含めて理系・算数数学は好きだった人間なら、このような内容で報道があれば諸手を挙げて賛成になると思うのだが、なんで全然違う印象の報道になっているのだろうか。不思議で仕方が無い。

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2026/05/14

「裁量労働制」なにいってんの?

読売新聞によると、経団連いわくこういう提言をするらしい。

・実際の労働時間にかかわらず一定時間働いたとみなす「裁量労働制」の適用対象を拡げるよう求める提言を発表した

・柔軟な働き方を推進することで、企業の生産性向上を図るのが狙いだ。

なにをバカなことを言っているんだ?

フレックス制度ですらまともに運用できていない下等会社が「業務評価による給与支給」なんて高等なことが出来るわけが無いだろう。

この制度はまさに柔軟な働き方を推進するために、コアタイムを守ればいつ出勤退勤してもよく、一ヶ月で辻褄を合わせれば良いという非常に簡単で分かりやすい制度だ。
しかしこれが下等な連中のために実質潰されていく。

コアタイムはどんどん拡がって「9時から16時」なんてバカな提言すらあったらしい。最初は10時から14時だった気がする。それでも長いが。

現在は「フレックス制度はあります」的なアリバイ工作のために、制度は禁止していないが「部門長の許可制度」+「下等で事なかれ主義上司が絶対に許可しない」のコンボによって完全に破壊されている。それでもまっとうな上司は許可を出していたそうだが、部門長の集まりなどで散々嫌みを言われたり評価にマイナス(もちろん表向きはそんなことは言わない)されて気持ちが折れる人が続出したらしい。

タイトルに「ほぼ活用されていない」って、お前らが自分で潰してきたんだろう。

フレックス制度が活用されていた時代、連日の残業が祟って体調も悪く、それでも9時半頃に出勤した人がいた。その日の朝からよりによって大トラブルが起きた。それでその人がいないのが原因として大混乱になり、かなり上にも話が行ったらしい。もちろん”その人”が問題を起こしたわけでもなく関係すら無い。他の人が引き起こした問題だったのだが、”その人”しか問題解決(問題収拾)が出来ず(そういう優秀な人であって、他の連中がクズばかりなのが真因)、”その人”が出社して体調の悪い中、解決するまで大騒ぎだったらしい。それにも関わらず”その人”がなにか悪いような話になり、それがきっかけでフレックス制度も大幅縮小に向かったらしい。

本当にアホな話だ。

スキルが極端に高い人と低い人が平気で混在し、それでも同じ年齢なら給与が同じようにしかならない給与体系である。それ故に改善できない属人化が起きる。まずは平素から平均で見て倍の成果を上げていたら倍給与を払うようなことをやってみろ。話はそれからだ。

多くの人がコメントで書いていたが「定額働かせ放題」をしたいだけの下等な連中の戯言というのは明らか。

こんなゲスなものに乗るようなアホ政権であれば即刻潰すべきだ。

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2026/05/10

戦略17分野へのリスキリング策発表に呆れる

バカじゃ無かろうか。なにをしたいのか全く意味不明だ。
殆どがいわゆる高度技術人材であり「リスキリング」などという軽いもので出来る話では無い。

やるのなら前途明るい学生達にお金をあげろ。

「これらに関する大学・大学院の学生に(給付型)奨学金を大盤振る舞い」するぐらいのことをやれ。
「とりあえず今後10年は維持する」宣言ぐらいやれ。

大盤振る舞いというのは普通ならオールAじゃないともらえないところを、A/BであればOKとするぐらいのことをいう。
Cなんかある奴にあげる必要は無い。(うっかり1個2個そうなってしまうぐらいは勘弁してもいいかもしれない)
奨学金があるんだからバイトせずに勉強に励め、だから単位数も最大数に近いものを取れ。
この程度で十分だ。全然ハードルは高くないだろう。

また、大学院は生活を含めて保障するぐらいの奨学金を出せ。国が雇うぐらいの気持ちで出せ。

奨学金目当てで入学したっていいじゃないか。その中で有用な人材が出てくるかもしれない。奨学金目当てで目指す人をむしろ出すべきだ。だから10年は維持するという約束が必要なのだ。

また、国公立大学はもっと授業料を下げろ、補助金を突っ込め。私立でも優秀なところには金を突っ込め。これはもっと恒久策に近い。

これらをやったからといってうまく行く保証は全くない。しかし宝くじだって買わなければ当たらない。当たる確率は非常に低いが、それでも当たれば国を救う話だ。

 

ノーベル賞を取ったiPS細胞で有名な山中伸弥さんですら、いまだに金策にあえいでいる。
あれだけ超有名人となり、様々な貢献が目に見えてきているのに、それでも苦しい。
恥ずかしいと思わないのか。

 

さて、ここからは私の愚痴だ。

私はIT系には人よりも詳しいし、電子回路もプログラミングもプロレベルで出来る。これは自負とかでは無く事実でやっていた。

しかし現在はすっかり”干されて”いる。業務上のITによる効率化やシステム導入の補助や他社員のITの面倒やらそういうものの役割は回ってきている。しかしそれらは全く業務として評価されてない。むしろ「ITが出来る人」というのは私を含めて”人間的に問題”がありがちなのでマイナス面にしかならない。表面上の尊敬しているようには接されているが、結局良いように使われるだけ、そんな印象しか無い。彼らだって私から拒絶されれば損するからそういう行動を取っているだけだ。
勉強した方が損と感じるのなら、それをやる奴なんかいるわけが無い。私は楽しいから損得勘定無しでやっているだけ。

もちろん私だけでは無い。そういう人は少なからず見てきている。
IT部門の人ですら、私が一目置く優秀な人(珍しく私と専門用語の配慮無く話せる人)がいたのだが”雑用で潰されて”辞職した。
IT部門といいながらIT化という名目で会社制度の歪みのまま、理不尽にもその解決を押しつけられているだけが実態なのだ、

その一方で会社では「IT人材が足りない」などとほざいている。仮にもIT部門を設置し、その現状すら把握していないのか、とうんざりする。

私なんかはもうどうでもいいのだが、去年も職場の優秀な新入社員が辞めた。凄く優秀だったのだがそれ故に上司とあわなかったようだ。辞める寸前に私のグループに移ってきた(退職までの厄介払いである)のだが話してみると実に優秀で理不尽が嫌いな性格と私は見た。それが”災い”したのだろう。

そしてこれらは私のいる会社だけでは無い。SNSやコメントを見ていれば似たような話はいくらでも転がっている。

はっきりいう。こんな現状の中で「リスキリングで習得してきました」なんて奴が社内に入ってきて、案の定使い物にならないレベルだったら間違いなく私はブチ切れる。

必要なのは小手先の技術・知識では無く、”地頭”だ。論理的思考能力、技術や知識をキチンと効率よく吸収できる習慣、整理立てて説明できる能力。これらがあれば十分だ。しかるべき環境に置いてやれば技術や知識なんていつの間にかついている。学校教育ではこういうことができる人間を目指すべきなのだが、現実を見ればこれができる人なんてはっきりいって職場に殆どいない。だから優秀な人間は見切りをつけて逃げる。ただそれだけの簡単な話なのだ。

 

もうひとつ、消費税に絡めて言う。

たかが消費税を0%にするような簡単なレジの改修に1年もかかるような「クソIT企業」が存在しているということに危機感を感じないのか。
そもそも消費税率なんかいくらでも変更があり得て、これまで何度も消費税変更、さらに二重税率すら変更があったのにも関わらずである。
そういった3社が全て「東芝、日電、富士通といった超有名大手企業」であることに危機感を感じないのか。
さらにそんなことで政策がねじ曲げられることに危機感を感じないのか。

もう一つ。ろくに消費税の仕組みを知らないやからがどれだけマスコミを含めているのか。本当に呆れる。
報道の問題では無く、基礎知識、前提知識の欠如問題である。そしてそれらから論理的考察をする能力欠如である。
これらはIT・AI技術を学ぶ以前の当たり前の能力であり、欠如していればお話にならないレベル。
それなのに平然と”ウソ”がまき散らかされている。論点が全くずれていたり、話の起点から間違っている。

この辺をたたき直すにはどうするのか、まずはそこからだ。小手先でどうこうなる話では無い。

これらの欠如が平然として蔓延しているのが、日本が落ちぶれて言っている真因ではないのか。

 

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2026/05/09

新潟県の高校、部活遠征死亡事故

酷い話だ。事故の状況が明るみに出てくるに従い、唖然とする話ばかりだ。

学校側の体制、部活管理、校長、顧問、いずれも「アウト」だ。

送迎バスを依頼されたバス会社も、会社の管理体制、直接関与した営業、いずれも「アウト」。

営業から話を受けた知人、そしてその知人として運転手を請け負った人も「アウト」。

全てにおいて、あまりにも杜撰でプロ意識がなく、いや、人間性としてすら疑うレベルで唖然とする。

もはやいちいち突っ込む気力さえ起きない。

 

そして根底にある最も大きな問題は「部活動」という曖昧な形態だ。
それを歪ませるさらに根底は学校と生徒、その保護者にある。
保護者も「被害者」であると同時に「加害者」であることを意識すべきだ。

もちろん、未だに是正されない、部活動に対する教育委員会や文部科学省の曖昧な姿勢も問題である。これは管理者としての責任だ。

部活動の安易な「遠征」への問題もある。すぐ「全国レベルだから強くなるには県外試合が必須」とか安易に考える。
私には「やってる感を出したいだけ」にしか見えない。
そもそも私は「たかが学校教育範囲で全国大会なんか不要」論者なのでそもそも遠征なんか不要論者になる。

今回の件は遠征の費用負担が大きいので「ケチった」という論もある。(これはまだ不明で憶測に過ぎない)
そういう憶測になるのはどこでもそういう話があるからだ。
遠征ありきで考えるからそういう話になる。これも学校教育範囲で考えたら過剰な費用負担になるからだ。

たとえば「遠征積立金」を部員(の保護者)が出せる人が出せるだけで建てていき、バスチャーター金額に届いたら遠征を行う、という形態だって考えられるだろう。部員やその保護者からは「遠征が少ない」という文句すらでることもあるらしいが「言うならお前がもっと出せ」で終わる。こういうのが「半強制的」に行われるから大問題であり「負担を減らすため」の行動に繋がる。
遠征なんかいらない派の人もいるだろうし、がんがん遠征させてやりたいという人もいるだろう。それは個々の判断だ。遠征奨励派において熱量は金額であり、多数であれば、たくさんのお金が集まるから遠征の回数も増えるし、そうでなければ少なくなる。それ以前に金持ちが有利になるのはなんでも同じ事だ。こういうシステムで考えれば良いのにこういうのを「浅ましい」とか言って逃げる。だからダメなのだ。

以前にも記事で書いたが、本当に全国レベルならプロ、セミプロとして成立させるべきだ、と考えている。
全国大会をしたいのなら観客から金を取って、各都道府県大会トップの選手をお金を出して招聘する。そして大会を行う。それは良いことだ。
そうでなければせいぜい「県内トップクラス」というような称号で十分だろう。

この事故は「氷山の一角」であるという指摘もみられる。
一介のアマチュアである保護者が「他人の子供の送迎」を行っているという話はいくらでもある。
今回の案件は関係者があまりにも杜撰なので結果として大事故に至った、とみるのが妥当だろう。

直接の原因は運転手だろうし、その非も大きい。しかし、そんな人間に依頼し、チェックなしだったという非も同じぐらい大きい。
直前であっても分かっていたら制止すべきレベルである。

 

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2026/05/03

憲法 改憲か護憲かというくだらない論点

憲法記念日になると「改憲だ!!!」「護憲だ!!!」とくだらない集会が行事となっている。

再度言うが、どっちもくだらないし意味が無い。

法律で言えば「法律改正」や「新規立法」なんて日常茶飯事でないのか。
というか、それが国会の仕事、国会議員の主たる業務である。
よく「議員立法」などという言葉があるが、全くイミフである。
議員による立法が当たり前で、行政である、政府や省庁から法律案が出てくる方が本来は特例であり、「内閣立法」「省庁立法」等と称すべきものである。

そして成すべき立法において「違憲」になりかねないものになったのならば、今一度法律がおかしいのか、憲法の方がおかしいのか、そういう観点を持たなければならないはずだ。
そして「改憲」のために日々検討するのも国会議員としての職務であるのは当然のことであろう。

結果としてその「改憲案」が国民が喜ぶのか、受け入れられるかどうか、だけの話である。

国民投票をしなければならないのだから、軽々に発議して貰っては困るが、何年かに一度くらいやってもいいものだろうし、経費的な考えで言えば選挙時に国民に諮るのが最善だろう。

私がやや護憲論者側になるのは、最大政党である自民党の草案があまりにも馬鹿馬鹿しいほどに酷い条文ばかりだから、に過ぎない。
はっきりいえば「全部が改悪」である。(細かく説明をうければ譲歩できるものもないとはいわないが、少なくとも彼らがメインとしていると目される条項についてはどれも全く話にならない)

改憲案があるのならどんどん国民に問え。マスコミでもSNSでも何でもいい。まずは自分達の支持者からやるのも良いだろう。こういう方向性でやるので支持お願いしますという形で公約にするのも良いだろう。
与野党問わず、どこの政党がやろうが構わない。

護憲派と呼ばれる人々は「今の憲法には改善の余地は無い」と考えているのだろう。
その考えも分からないでもない。例えば現在高市総理が提示している4つの案など、「憲法として」必要と思えるものは2つだけだ。もちろん「自衛隊問題」と「緊急事態宣言問題」へのものだ。「自衛隊問題」については改正の理由は理解するが、改正案が未知で判断不能だ。「緊急事態」については「緊急事態とはなにか」の定義が最重要課題になるのが普通の考え方だろうが、それが全く話に出てこない。

こういう体たらくでは「護憲派」のほうが納得性が出てしまう。もっとまともにやってほしいものだ。
別に今回の件だけでは無く、自民党はずっと似たような低いレベルだったから、自民党が「改憲」といっても「アホか」扱いなのだ。

まあ、そもそも「保守」が「改憲」というのだから全くイミフなのだが。

彼らの言う「保守」「愛国」とか言われるものすら、どうも明治時代を至高とする観念だからそれへの回帰を目指している。そう考えないと整合性がとれないし、実際、それを自称している方々の発言から心の声が漏れている。それなら「保守」なのに「改憲」すべきだという論は整合性がとれる。形式上は「改憲」だが、それは「明治憲法に戻す」ということなのだから。

 

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