私の「学校の部活動」論
学校の部活動については色々な意見がある。
それは各個人の経験に基づくモノで、誰もが「偏っている」。
そこを認識しないといつまで経っても、解決、収束するわけが無い。
それを踏まえて私の思うところを書き散らかしたいと思う。
まず、私の基本姿勢としては「部活動は廃止しなくて良い」
ただ「実質廃止論者と同じでは無いか」と思うかもしれない。そういう立場だ。
部活動に一定の効果は認められている。一方で教員の負担も論じられている。
そのバランスを取れば良いだけだと私は考えている。
活動時間問題
規則(原則では無い)として放課後2時間程度を上限とする。
もちろん「学校のある日」のみであり、祝休日や夏休み等も「部活動」は一切禁止する。
まあ、時間自体がどうこうではなくて、教員の就業時間内が基準なので夕方の5時迄程度になろうか。
大会はどうするかって?学校活動なのだから授業を休んでやればいいじゃないか。
学業よりも価値のあることなら許可すべきだけのこと。
大会をすべきかどうかの判断は個別に様々だろうから個別に論議すればよい。
顧問(引率教師)においても同じ判断。代替教師による「自習」になるのか影響と重要性の判断となる。
これらの判断を重ねて「大会の実施、参加の可否」が決まるのでハードルは激しく上がる。
よって現状の「夏の高校野球」はもちろんなくなる。多くの経済損失が起きるだろうが、そんなのは関係ない。
勝手に営利化して利権が形成されてきただけなのだから、それに配慮する義理はない。
夏休みでは無く、夏休み前に大会を終わらすという手段もある。
「プロへの登竜門がなくなる」論に対しては順次触れていく。
当然だが「部活動」ではなく部員やその家族同士が集まって練習なり試合を組むのは勝手にやれば良い。
足りないと思ったら自主練習をしても、チームを作っても、個別にどこかの団体に入ってもいい。
特に高校生レベルになれば「起業」する人がいるのだから、チームを作って運営するのも良い勉強にもなる(正に「マネージャー」を立てる)。そこで大人の指導者を雇うのも自由だ。
そんな各個人の自由まで禁止(制限)する必要は全くない。
もちろん学校(教師)は一切関知しない。それは各生徒やその親権者が管理(リスクヘッジ)すべき事である。
そこを勘違いするモンスターペアレント(校外の子供の非行行為を学校の責任になすりつける類の親)の存在がこの方向性の課題であるが、最後は「法的措置」になるのでその辺の文部科学省のガイドライン(国・教育委員会の立場の宣言)を含め、法的建て付けをしっかりやれば済むことだと思っている。もちろん事なかれ主義が多い文部科学省を筆頭に教育委員会や学校トップの姿勢も大問題である。
なお、私の場合は文系部活だったが、日曜日や祝日に勝手に部活動を通じた友達と遊ぶように部活動の延長をやっていた。担当顧問も話の端々から知っていたはずだが何も言われることはなかった。それでいいだろう。
教員の対応範囲
「顧問」はつける必要ある。学校施設の許可申請(相談)や緊急時に「大人が対応すべき」場面はある。
「もう帰れよ」と部員達に言って学校から追い出す必要もあるだろう(学校施設の管理として)。
一方で専門指導の義務は全くない。野球部なら野球の指導は必要ない。無論「危ないこと」を止める必要はある。
また部員同士のいざこざも割って入る大人は必要だ。それは「教師」もしくは「大人」としてすべきで、できる範疇を言う。
「学校生徒として守るべき事項を指導する」の範疇ということ、もちろんできる範囲で「よく知っている大人」として専門的な話(指導)するのは止めるものでもない。そういう大人に見られたくて勉強するのも別に止めるものでも無い。
なので基本的に部活動中にずっと見ている必要なく、職員室で自分の業務をやっていればよい。開始と終了と相談とヤバイと思った部員が先生を呼ぶ、ぐらいに対応すれば良いだけ。義務はこの程度にすべきで、原則は「教師(大人)としてできること」程度にする。
部活動指導を含めて教師が学ぶこともあるだろう。子供相手だが「人を見抜く力」を持って「その子に任せてみる」も必要なスキルだろう。これは教師に限らず一般会社員でも必要なスキルであり、管理職では必須スキルである。だから過剰な期待でも無い。例えば「キャプテン」を任命し育て顧問との信頼関係を築く。キャプテンに多くを任せてみる。キャプテンは他の部員の信頼を得て現場指示において色々と任せてみる。その中でうまく行かないので顧問とも相談してみる。こういう経験は今後の人生の中でも重要だ。これも部活動の中で期待されている教育効果では無いのか。結果として教師の負担は軽減し、生徒達も育つ。だから「廃止」は違うのではと思うのである。
むしろ今の「行きすぎた」部活動の中では「こういう活動」が棄損されているのではと私は危惧する。本当に優れた人を雇っていれば実現できているかもしれないがそんなのは「ごく一部の成功例」に過ぎない。多くの部活動ではコスパ、タイパを重視する結果、破綻レベルで動きが取れなくなっているのではと危惧する。
大会の成績なんか二の次で活動自体は「おままごと」レベルの部活のほうがむしろ望ましい。こういう「運営」を自分達で形成する経験を積ませることに主眼を置くべきでは無いのか。だから部活内容はどんなスポーツでも文芸活動でもなんでもいい。
極論で言えば少人数学校なら全員集めて「お前たち、何やりたい?」で話し合って「部活動」をやったらいい。集団スポーツだと人数不足で誰かが折れる必要があるかもしれない。でも「誰かにつきあってやっている」経験も悪くないと私は思う。「思ったより面白かった」になるかもしれない。「あいつらがいなかったら一生やらなかったかもな」も貴重な人生経験である。後々の人生でいい話のタネになるものだ(笑)。
そもそも部活動は、いわゆる「ガチ勢」の意見を聞くべきではない分野なのである。
そこを勘違いするから議論がおかしくなるのだ、と私は思っている。
抵抗勢力
部活動の縮小(規制)・廃止への抵抗勢力についても指摘しておこう。
まず多くの私学。私学においては「部活動の実績」がCM活動に大いに使われている。そのための県外生徒の誘致や寮制度等の投資に余念が無い。
そのため、上記の部活動の大幅制限をされることを非常に嫌がる。
「優秀な生徒を全国から集めて大会で優秀な結果を残した」ことと「優秀な生徒に育ててくれる」ことは全く異なる。
有名校というだけで勘違いして、その学校に入れようとする親、入ろうとする生徒もいい加減気がつくべきだ。
多様性と専門性
本来の教育目的の部活動ならば、むしろ「経験者お断り」にすべきではないのか、と私は考えている。
サッカー漬けだった生徒に例えばやったことのない野球をやらせる機会を与える。それが新しい経験である。その子の世界が拡がる。改めて野球の良いところに気がついて好きになるかもしれない。
例えば英語(外国語)教育は英語を学ぶことで日本語を改めて見直す機会という一面もある。
野球漬けの毎日であった生徒が、また高校で野球を続けることが本当に「成長」なのか。
プロ予備軍レベルならリトルリーグ(まさにプロの練習生)などで伸ばすべきである。そのレベルなら企業が集めて金を投資してそこそこの学業と練習に明け暮れれば良い。中学を卒業していればそのままプロ扱いだって良い。プロリーグが無いスポーツでも広告塔と見なして従業員として雇っても良い(中卒なら雇用契約しても法的に全く問題ない)。
それ以外の99%以上の子供達は様々なスポーツをやってみる方が良いのでは無いか。
専門性を高めることと、視野を広げること。有限時間の人生しかない人間にとって、この二つのバランスは永遠の課題だ。
そういう観点からも子供達の将来を見据えて、部活動というものを今一度考え直してあげる必要があるのではと思う。
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