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2026/03/07

学校の部活動について

教師・教員の”働き方改革”に伴って部活動に関する議論をたびたび見かける。

そもそも小・中・高でまったく性格が異なるものだし、文化系と運動部系でまったく性格が異なる。
そういうものを無視して論議しているのがそもそもおかしいということは始めに書いておく。

それでも粗雑な議論であえていえば、いまの部活動や”加熱しすぎ”である。

私の意見・感覚では「部活動の部外展開は反対」である。やるなら学校でやればよいし、廃止なら廃止でもいい。廃止なら各家庭・子供が自主的にやれば良いだけの話にすべきだ。
「部外展開・移行」の議論は単なる利権誘導になるのが目に見えているし、実際、経産省は動き出しているらしい。

ではどのようにすべきなのか。部活動は課外授業なんて中途半端なものではなく、きっちりと授業の一枠にすべきだろう。
教室単位ではなく、部活動単位の授業枠にするだけである。
実際にはあくまで枠であってもう少し緩くて顧問の教師も監視はするが口出しはしないで事務仕事をしていても良いぐらいでもいいかもしれない。

一日に長くても数時間。夕暮れ前には全員帰宅は必須である。朝練の類ももちろん禁止。土日などもっての外である。
それでも足りない人は自主練をすれば良いだけの話。朝夕に走ったり、基礎トレをすることを禁止するものでも無い。そんなのは個人の勝手である。運動部・文化部とも同じ話である。

教師の過重労働として特にいわれる「全国大会」などは一切禁止。せいぜい地方大会、県大会(政令指定都市なら市大会)までとする。
ただし人気があり、産業化できる全国大会であればそれは事業者運営として許容しても良い。観客がきちんと観戦料を払い、収益を大会運営・設備・人件費等の運営にあてる。参加者には弁当代程度の参加費と交通宿泊費は満額配当(もしくは運営側手配)を原則とする。少なくとも教師には引率者としての役割のみで金銭・労働負担を一切求めてはならず、引率者としての対価と前述の経費を払わねばならないとする。
学童教育に関する事業だから公益法人運営として収支はガラス張り(ネット公開必須)にするなどの配慮は必須。まさに利権を生む温床となり得るからだ。

いうまでもなく男子高校野球やサッカー、バスケなどは事業化可能だろう。
寄付の扱いは微妙だが、これもガラス張りとして寄付者は全員公開を必須とし、代行団体での代替えは禁止とすべき。そこまでやらないと絶対に無言圧力による徴収の隠れ蓑になる。

それでも土日に交流試合をしたい、という話もあるかもしれない。その場合は学校に「対外試合許可」=「休日出勤許可」を申請して行う。もちろん教師にはその分の給与を支給する。予算がなければ対外試合禁止である。交通費が発生すればその分も学校側が支払う。これは場合によるだろう。高校生で”現地集合”とすれば教師だけの交通費で済む。

私は必要というなら平日に授業を休んで交流試合に行っても良いと思っている。
裏には「本当に授業を休んでもそのほうが得るものが多いのですか?」という問いかけがある。

また、表面的にも学科授業を休むことで学力の低下が懸念されるから「一定以上の学力を維持」を条件に許可する、というも当然だ。
授業を休んだ分、自分(別に教師や友達が協力しても良い)で取り戻せれば問題は無い。
私は病弱でたびたび学校を休んでいたが、その程度で学力に影響があると思ったことはない。要領が良ければ、前後関係+自学習程度でほぼ充分取り戻せる。
今でも赤点を取った人は試合に出さない、という部活動方針もあるようだから今更の話でも無い。

・・・・と制度設計をしてみたが、これらは全て机上の空論である。

こんなものは「私公格差」のもとで容易に破綻する。

事実上規制がなくやりたい放題の「私立学校」と、少ない予算で公的教育を全うしようとする「公立学校」との格差が拡大するばかりだ。
部活動を宣伝部隊とし「広告費」として莫大な金銭を使える私立に対し、金もなく制約も厳しい公立には対抗する術など無いのが現実だ。
とうの昔に男子高校野球では圧倒的な「私立学校優位」になっている。

どんな規制・基準をもってしてもその格差を埋めることは不可能。なぜならその規制が『私立の存在意義の否定」になりえるからだ。
それでも私立学校の「授業料や諸経費」の高額さが抑制力となってきた。

しかし「私立高校授業料無償化」政策によってこの抑制効果が大幅に減退し、格差の拡大は加速していく。ぎりぎり保ってきた公立学校が破綻・破壊されていく。
「機会均等」などと美辞麗句を並べているが、私立に掛る全ての経費を公立並みに国が丸抱えしない限り「本当の貧困層」にとっては「機会均等」にはならず悪夢でしかない。もちろんそれは公立の否定であり矛盾を隠せなくなる。

私は本当に「機会均等」というのなら、高校生全てに同額の支給金をすべきと考える。それを私立授業料に充てるもよし、授業以外の上乗せで書籍を買ったり塾や習い事、なんなら趣味に当てるもよし、大学に備えての積み立てをしてもよし、とすれば良い。それが「機会均等」、公平党言うものだ。
「そんな財源はない」などというのならはじめからそんなことするな、である。

国がやりたがっていることは見え透いている。公立はどんどん潰して国の負担を減らしたいだけだ。限定的な「授業料無償化」をしたほうが公立を全廃した方が楽で安上がりと考えている。国としては負担が減る。逆に言えば、日本国規模で家庭全体としてみれば結果的にその方が負担は増えるということに気がつかないのが不思議で仕方が無い。その手始めとして義務教育ではない高校からなのだろう。

 

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