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2026/03/29

マイナポータルへの公金振込マダー?

マイナカードの公金振込口座登録。一体どうなっているのだろうか。
昨今の物価高などに対する生活支援で今回もまた議論に上ったらしいが、やっぱり消えたらしい。
「マイナカードの普及率がまだ十分じゃないから」らしいが、現状じゃあ、時間だけ待っても何十年経っても変わらないと思うよ。

私がその一人だから。

なぜマイナカード作らないかと言えばメリットがないから。

マイナカードというものが世に現れてから、戸籍抄本等が必要になったことがない。印鑑証明はあったが、5年に一度より頻度が低い。
マイナカードの電子証明書更新が5年に一度だからそれよりも頻度が上がらなければ、都度役所に行った方がタイパが良い。

そもそも「マイナカード」という電子証明であるべきもので、世界的にも前時代的な「ハンコ」の証明を取るっておかしくね?
世界中で唯一日本だけがいまだにやっている「ガラパゴス」的2大悪制度が、この「ハンコ」による証明(いまだに「有印文書偽造」という法が放置)と、強制的夫婦同姓制度だよ。(ガラパゴス的ではない悪制度としては消費税制度があるけど。これもさっさと欧州同等に名実ともに付加価値税にすべき。食料品消費税0議論の中で、悪制度による様々な歪みが噴出している。「だから消費税0はできない」ではなくて「消費税自体が制度としておかしい」という議論にならないとおかしいのにマスゴミの報道もおかしい)

よくマスゴミやエセ評論家が言う「口座把握=収入・資産把握されるから口座登録はヤだ、という意見がある」とかいうのは全く理解できない。別に給与振込口座や貯金している口座に紐付けろなんて誰も言っていない。ネット銀行の新口座でも作って登録すればいいだけじゃん。「政府の信用」なんて元々ない。「めんどくせえ」からやっていないだけだ。

公平不公平なんかどうでもいいから「原則、今週末ぐらいまでにマイナ公金口座に振込みます!」で「漏れる人は身分証明書持って役所に直接行ってください」でいいでしょ。それでもマイナカード要らんって人もいるだろうし、それはそれでほっとけばいい。「役所にいくのめんどくせ。マイナ作って口座振込してもらお」に誘導するのが筋だろ。

それよりも今回の生活支援金は各自治体に交付金という形で渡して配れ(例のお米券絡みの話)としたわけで、その方がよっぽどヒドい。
各自治体だって負担がある。東京みたいにアプリのポイントでばら撒くならまだしも、地域買物券なんかの額面割り増しとされても私に取っては面倒くさい。買物券を買いに行けるような「暇な奴が得をする」システムでムカツク。
その点を置いても、私は色々と面倒な状態なので多分恩恵は受けられない。
すでに「不公平」は起きているのだ。

それなら「マイナ公金受け取りで配ります!」って言ってくれた方が「しゃあない。今回は諦めるか」で諦めもつく。(どうせ大した額じゃ無い)もし今後も頻繁にやってくれるなら「しゃあない。マイナカード作ってやるか」という気になる。
1万も行かないようなのじゃあダメだが、それが何度もあったりコロナの時みたいに「10万円配ります!」ってなら流石に重い腰も動かそうと言う気になる。

だって「マイナポイント最大2万!」でも動かなかったんだよ。それ以上出さなきゃ動くわけ無いじゃん。

 

マイナカードと言えば保険証もあったが、別に保険組合から紙の証明書(?)をもらったのでどうでもいい。病院行くときはこれ持ってけばいいだけだし。
そもそもが「保険強制加入」なんだから徴収しているところが「保険証」を発行するのも強制的な話でしょ。
なんでマイナカードが出てくるの?意味分からない。別に医療制度のIT化に反対なんかしてないよ。IT化したいなら欧州みたいにICカードで保険証を発行すればいいだけでしょ。クレジットカードと同じレベルで対応してくれってだけの話。

しかも利用時に暗証番号とか顔認証とか。百万円レベルの金を扱うクレジットカードでそんなこと求めてないじゃない。対面対応とタッチで終わりだよ。感覚がおかしいんだよ、根本的に。

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2026/03/28

AI時代とプログラミング

私が子供の頃にプログラムを書き始めてからもう半世紀になる。
今もなお新しいプログラム言語を覚えたり、仕事の補助プログラムをちまちま書いたりしている。

最近、AI時代とかプログラミングを学校で、とか、色々おかしなことをいっているひとが多くて困惑する。
はっきりいう。「中途半端にプログラミングなんか覚えたって害悪でしかない」

少なくとも今やっている、ビジュアルプログラミングなんて遊び、ゴミでしかない。あんなのは「とあるツールの使い方を覚える」でしかない。

では、学校では何を教えるべきか。1番重要なのは国語である。

しかし今の国語教育の殆どは(プログラミング、IT、AI教育の観点からは)ゴミである。

まず、文章の話になる。これは放送大学のある授業の一つによれば
文章には次の4つの分類をすることができる。
・感想文(読書や体験で感じたこと)
・意見文(ある問題についての意見)
・報告文(出来事について5W1H)
・説明文(ある事柄が何であるか)
上二つは「主観的文章」であり、下二つは「客観的文章」である。

今の国語教育では上二つに偏重している。「情操教育」が重要らしい。
いうまでもなく「IT」に関しては下二つが非常に重要であり、上二つなどほぼ意味を成さないゴミであり邪魔ですらある。

ITどころか、よく言われる「日本の生産性が低い、非論理的な意見がまかり通る」などもこのことが大きく影響している。
よく言われる「属人的」とは「主観的」と同義に近い。業務を客観的に見ることができず、主観的で「俺様理論」に基づいた業務判断がまかり通ることを属人的といい、属人化した業務という。
下二つに長けていれば自らの業務を文書化(マニュアル化)する/できるので属人化は起きづらい。

AIについても「上手く使えない」連中というのは「俺様理論」を振りかざす奴らである。
客観的に話をできない、威圧感とかそういうことで話をつけるから、それがAIには通じない(笑)。
「話が通じないと放り出す」または「AIに従属する」。「AIに従属する」は「上司に媚びる、へつらう」と根っこが同じ。
「ハルシネーション」もそのまま呑み込んでしまう。

AIをちゃんと使えている連中は、上司にも是々非々で対応するし、必要なら反論する。その上で最終判断が「上司判断」ならそれに従う。職場を見ていると本当にくっきりと違いが見えて面白い。
AIの起こす「ハルシネーション」に対しても「あれ?」と思って突っ込むので問題が起きない。

子供については幼少期というのは前者である。精神的、論理思考が未発達なので当然。
AI隷属が起こりやすいのは当然の結果。逆に子供はそうでもないと「大人の言うことを聞かない」から教育しづらいし成長しづらくなる。

ここまで言えばどうすれば良いかは言うまでも無いだろう。
国語教育できちんと「報告文」「説明文」を書くことも重要視して訓練すべきである。

別に上二つをやるなとは言わない。バランスが重要で、年齢が上がるにつれ「報告・説明」を重視していけば良い。
特に大学では後者を徹底的にやるべきである。「論文」を書くのは大学にいる者としての重要なスキルの一つだから当然。
これをやらないから、例えば会社等で「報告・説明」を求められてもできない、不十分な奴が多い。教育ではなく個人的なスキルに依存しているからダメなのだ。「次は就職かもしれない」中学後半から高校では既に比重は後半が殆どになっているべきである。

これらの文書を書こうとすることが基礎となり、論理的思考力が育まれる。論理学に相当する部分を「なんとなく」でいいから頭の中で積み上げていくことが重要となる。
これはまさしく日々の積み重ね、習慣ですらあるので足りない人は「今日からやる」べきことである。

学校教育で変更すべきところは「感情重視から事実・論理重視への転換」である。

国語教育でわかりやすい事例としては「日記」があげられる。

なぜか日記において感情や情緒あふれる「子供らしい」「微笑ましい」文章が求められる。
そういう表現力も必要だろうが、妄想すら入っていそうな文章に反吐がでる。
私は子供心に「こいつらなんなんだ」と思っていた。読書感想文もそうだが。

淡々と「朝6時30分に起きた。朝食は目玉焼きにサラダ、御飯がおいしく2杯食べた」が「客観的文」である。
しかし学校教育でこのような淡々とした文書は×をくらう。
必ず「感想」や「情緒」を求められる。こういう教育をしているからダメなのだ。
補足しておくと「おいしく」は主観的な感情表現にも見えるが、「私はその時おいしく感じていた」という自身を俯瞰的・客観的な見方をした事実を述べ、「普段より多く2杯食べた」という行動結果の理由付けをしていると捉えられる。体調・感情面も良好だったという事実推定も付随される。

こういう教育の顛末が「出張報告」ですら
「朝、出張先会社に出向き、会議を2時間前後行った」程度のものになってしまう。
「9時に出張先到着、9時15分に打合せ開始、11時15分終了し退社。打合せ要点は以下。成果は・・・」みたいに具体的な事実を適度に記すことが重要、ということすら理解していないし、書けない。「出張報告書」の目的は「その出張が妥当であったか」「その成果はなにか」等の問いへの回答である。
相手の意図を汲んで報告する。この基本すら理解していないのか、書けないのは、明らかに国語教育における訓練が足りないのだ。

AIに対することでも同じ。

AIへの質問が抽象的で何を言っているのか分からない。
質問を読んでみると、その人の背景もある程度知っていて、人間の私が読んでも分からないのだからAIが適切な把握をして回答を出来るわけが無い。AIがダメなのはそれでも最大限汲み取ろうとしてうまくいかないのに、人間の高評価を期待して”適当な”返答をしてしまうことにある(これがAIがハルシネーションを発生させる本質だと私は理解している)。私なら「何言ってんだか分かんねえよ」と返す(もちろんもっとやんわりと言うが)が、AIは決して否定的に返さない。どんなにダメな質問でも質問で絶対に返さない。両方ともうわべだけで滑りまくって頓珍漢なやり取りが発生する。(これは人間同士でも、特にメール上で起こりえることだが)

まずはこの点を国語教育、学校教育の長い期間できちんと育成すべきではないのか。

それなのに文部科学省はバカなのか意味不明な迷走をする。数学能力(特にAI=「行列式の復活」には苦笑した。あまりに浅はか過ぎる)。ましてや英語能力などその後だ。プログラミング遊びなんか要らない。

AI以前にメールでのやり取りだけで完結するような文書による説明能力ぐらいが前提だろう。頓珍漢なやり取りが続くとCCに入っている上司が「いいから直接会って話をしてこい」と言うぐらいで文書力を重視していない(まあそういう上司も文書ではレベルが低いのだが)。

これは「リモートワークがうまくいかない」理由の一つでもある。メールやチャットでのやり取りでは自分の意図を伝えられない文章力だから、直接会わないと伝わらないだけの話。「直接会って話す」のは生まれ落ちて以来、ずっと育まれてきたスキルだから問題が無い人が多いため(私はむしろ苦手だったりするが)、結局「出社しろ」になるわけだ。私の立場としては「まあ、一朝一夕には身につくものでも無いからしょうがない」。

やっと、プログラミングの話になる。

この客観的文章を作れる国語能力があってプログラムの「仕様」「要件定義」ができれば良い。
国語教育ではまずは「必要なことをもれなく頭の中から絞り出して箇条書きするスキル」を習得させて欲しい。「もれなく」とは「後から思い出したとか思いついたとか言って一旦書いたこと(条件)以外は一切文句は言わない」という意味だ。

このスキルは「校則問題」にも通じる。「校則」を通じてルールに関する論理的思考力も育んで欲しい。「ブラック校則」はもちろん、「教師による俺様運用」「部活における監督・コーチ・上級生による俺様ルール」は論外であり、これらが自然と崩壊するような論理的思考能力を在校生徒全体で持つべきなのだ。逆にこれらの放置・強要が続くと「論理的思考」の放棄に陥る。いわゆる「体育部活系バカ」はこの傾向がある。

プログラム言語なんかは後回しでいい。義務教育なんかではやらないでいい。ムダになる確率の方が高い。

IT業界においてもプログラミングしか出来ない奴は「コーダー(プログラムコードしか書けない奴)」として蔑まれる。いわゆる人員工数だけの「IT土方」である。
客の要求を聞いて「仕様」「要件定義」が最低限キチンと出来て「SE」「SI」「プログラマー」を名乗れる(と私は思っている)、

「リスキリング」とかで「教育訓練で何とかひとつプログラム言語覚えました!」では単なるIT土方を一人増やしただけで、利するのはそれを使い捨てしているIT企業だけ(まあ、はなからそれが目的の政策だったのだろうけど。いかにも企業献金自民党らしい)。それこそAI時代であっという間にお払い箱になる。もしくはAIより安くいいように使い捨てできるとしか思われていない。

逸話を一つしておこう。昔、経理畑の母親から「経理をIT化しろと社長から言われてるんだけどどうしたらいい?」と聞かれた事がある。
私は「業務の棚卸しをして、部下に引き継ぐつもりで自分の知っていること、やっていることをIT担当に丁寧に説明すれば良いよ」と答えた。
「え?そんなこと?」という感じだったが、実際、それでうまく行ったらしい。IT担当(外部業者らしいが)も経理システム関係の経験が豊富で一般的な経理専門用語も理解できたので説明も比較的楽にだったらしい。母は長年の経理のプロで小さい会社だが一人で税制・法令対応等も含め勉強して回していたようだから、社内ルールを作るほうだし、社内の金の流れは全部把握している。プログラミング・IT技術なんかどうでもよくて、対象物を熟知し、それを文章化する能力・説明能力の方が重要、ということだ。ちなみに母の「ITスキル」は「ワープロで文書は作れる」「PCで年賀状をなんとか作れる(場合により私の補助が必要)」レベルだ。

AI時代でプログラムをAIが書いてくれる、と言っても「仕様」「要件定義」などがキチンと出来てこそ、である。
私もAIでプログラムを書かせてみているが、指示が曖昧なほど、思っていたものとは違うプログラムを出してくる。AIが勝手に考えて作ってしまうのだ。
逆に要件、条件をきっちりと細かく書けば書くほど、思った通りのものが出てくる。いくら注意してもお節介体質で余計なものも入れてくるが、まあ、後で使うかもと思って放置しても良いレベル。言語の特性まで考慮して内部仕様的なところまで指示すればそれも反映してくれる。
さほど評判の良くない汎用AIであるMicrosoftのCoPilotですらこのレベルなのだから特化AIならもっと効率的で良いのだろう。(エージェントを作成して色々と前提条件を予め組み込んではいる)

いわゆる「プログラミングの勉強」も、プログラミング言語に共通の総論的なところをキチンと学ぶことは必要だろう。その際に何か一つの言語をキチンと覚えて書いてみるというのも有効な勉強方法だと思う。

なにか言語をキッチリとマスターすべきか、色々な言語を覚える必要があるか、というとそういう時代では無くなってきているかと思う。
最終的に動かす言語がPerlだろうがRubyだろうがJavaScriptだろうがPythonだろうが、「仕様」「要件定義」さえキッチリとしていれば、あとは「Perlで書いて」とするか「JavaScriptで書いて」とするかという違いに過ぎない。

それぞれの言語において「こういう雰囲気で書く」ぐらいを把握しておけば良いと思う。細かい言語規則などは不要でちょっと教本をめくる程度の話になる。あとはそれをテストするプログラムや手段をどうするかを考える話になってくる。

プログラムを作ることと、ちゃんと動かすことはまた違ったスキルになってくる。この辺も基礎教育としては大差ないので割愛する。

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2026/03/22

SNS広告詐欺に引っかかった人がすべき行動

テレビの番組で顛末などが放送されていたのだが、本当の被害者は、その製造元とされた会社だろう。

全然無関係でつまらない対応をさせられて、偽計業務妨害、名誉棄損レベルの話である。

私が理解できないのは”詐欺に引っかかった人”が製造元とされる会社に連絡するのか、という点であった。

お店で買ったものは買ったお店に文句を言うのが筋である。
なのでまずは購入したそのオンラインショップ(?)に連絡するのがまず第1となるのが筋。

おそらく連絡が取れない、という人もいるだろう。詐欺なら商品が届く頃には逃げている可能性は高い。
状況を見て「詐欺(犯罪)だ」と判断したのなら、警察に届けるのが筋となる。
消費者センターに届けるのもありで、警告を出してくれる可能性があるので、同じ轍を踏む人を減らす可能性がある。

それでも収まらないのならその広告を発信している運営会社(SNSの話なのでTikTokなりXなりInstagramなり)に文句をいうのが筋。

運営会社に「責任取れや」といって賠償請求しても筋としてはおかしくない。
たぶん「うちはそのまま載せているだけ」などと逃げるのだろうが、その広告を出した”人”からお金を受け取っているのは間違いないのだから、無関係なんて言える話ではない。いわば共犯者、共謀者となっているのだから。
さて、それなのにシラを切り続けるようなところのサービスをあなたは受け続けるのか?そのことに神経を疑う。

広告は委託しているとかいうが、まずはあんたが責任取れ(損害賠償しろ)、となるのが筋だろう。そのあとに委託会社とどうしようが別に関知しない。
最近は「委託しているから」とかいうのを言い訳に使う風潮が酷いが、そんなもの言い訳になると考える方がおかしい。
個人の暴走であれば社員だろうが委託先の社員だろうが関係ない。むしろそれなら仕方が無い。でも組織として普段業務をしている中で犯罪行為が生じる隙間があるのなら、それは普段業務自体がおかしい、ということ。そんなところに委託しているのは委託している会社も悪い。

まあ、買った当人の方にもそもそも騙されないための単純な防御くらいはしておくべきだろう。とりあえず買う前に連絡先の国がどこだか確認するぐらいは最低すべきで、中国だったらほぼ詐欺だと思えば正解だろう。
それが国差別、言い過ぎだというのなら、言い換えよう。詐欺の場合は泣き寝入りとなっても構わない場合のみ購入すること。国内案件ならともかく、警察は国を跨いで数十万円程度の事件で動くわけが無い。どこの国であろうが他国になると大きな話になる。特に中国は自国民の犯罪者の引き渡しはまずしない。これは差別云々ではなく単なる実績であり事実だ。また、中国はことある毎にいちゃもんをつけてくるような非友好的な国であることを基本として認識すべきなのは当然。

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Windows→Linuxの状況整理

Linuxはいつまでも代替えにはなれない、と言われてきた。
それが崩れつつある感じをもっている。そのことについて書いていきたい。

Linuxが改善されたからではない。他の環境がどんどん変わってきたからである。

最初に言っておくが、“初心者”含め一般の人達は既にWindowsがどうこうとかではなく、スマホやタブレットに移行している。
とっくの昔にMacやLinuxではなく、iOS(iPhone)かAndoroidに移行している。

企業の人達も企業活動の道具として会社丸抱えでWindowsを入れているのだから話の外になる。Microsoftで丸抱えしてもらってやっているのだから論議する意味すら無い。周辺機器まで含めて上げ膳据え膳が基本なのだから。よくいわれるMicrosoftOfficeも含めての話で、総合的にサポートできるのはやはりMicrosoft社ぐらいしかないのも実情。

その前提で残るのは趣味人も含めた「それでもPCが必要な人達」になる。

Microsoft Office

Microsoft Windowsが使われる大きな理由の一つがいうまでもなくOfficeである。日本でも官公庁発行資料がこれのファイル形式なのだから現状どうしようもない。
互換性ソフトも結局は100%信用は出来ず、100%が求められる企業にはやはり受け入れられない。トラブルがあっても吸収できる範囲になってしまうし、併用するとトラブルしか生まない。結局は全部MS製にするのが最小コストになるのが現実だ。

ところがオンラインを基本とするMicrosoft Office 365(Microsoft365)サービスの開始で風向きが変わってきた。
そうはいってもデスクトップ版アプリが便利なのだが、基本はWebベースで完結可能。問題があるのはVBA・マクロで全く動作しない。
Edgeが推奨ブラウザだが、エンジンはGoogleChromeのものを使っているのだから原理的にChromeで問題はまず起こらない。(ネットでもEdgeで使っていてトラブったらとりあえずChromeでもやってみろ、といわれるほどだ。そこから原因切り分けが始まる)

ChromeはLinuxでも人気であり、また、多くのディストリビューションで基本ブラウザとして出てくる。

MicrosoftはMacを始め他のデバイスでも使ってもらいたいからWebベースで使えるようにしたのだが、その恩恵はもちろんLinuxにおいても同じことになる。Web技術の進展も寄与している。(ちなみにAndroid派生のKindleHDですらM365が入っている。もちろんライセンスは買えだが)

印刷環境・スキャナ環境

次に懸念となる問題は印刷・スキャンだろうか。ある時点からダムプリンタと言って印刷の雑多機能をプリンタドライバに集約(負担を集中)するというコストダウンが流れとなり、プリンタドライバが膨大なものとなり、Windows依存となった。言い方を変えればLinuxで使うのが難しくなったのである。
極有名で人気のプリンターしかサポートされないのが普通となって移行の妨げとなった。もしくはサポートされるプリンターを購入することになった。
それはプリンターという機器自体がどんどん廃れていっても却って悪化しかしていない。複合機への集約も悪化でしかない。安いとは言え、複合機なんだけどプリンター機能のみ使えます、というのはやはり精神衛生的に(笑)よろしくはない。

世の中ペーパーレスの空気があったり、スマホ・タブレットで実際に紙に印刷する場面が激減したのも事実。その一方で「やっぱり紙は必要」「でも年間数十枚も印刷しないんだよね」という相反する状況となっていく。そんな中でコンビニプリントというサービスが台頭した。最初はいわゆるモバイルオフィスでどこでも印刷できるビジネスマン向けという位置づけだったのかもしれないが、これを単なる個人として使っている人も多いのではないか。

近年は目の敵にされるUSBメモリにPDFファイルをぶち込んでコンビニでプリントアウトできる。便利と言うほかは無い。
カラー印刷などもできる。個人でカラープリンタを維持するのはかなりコストが重い。インクジェットはインクがダメになるし、カラーレーザーなんか高くて手が出ない。本当にたまになのでコピー同等のカラー数十円/枚、白黒で十円/枚程度で印刷してくれるのはとてもありがたい。

どうせこの程度の頻度である。Linux環境でPDF印刷(ファイル出力)さえできればそのあとは別に同じ手間でしかない。

スキャンも同じ。コンビニでスキャンしてPDFで持ち帰れば良い。複合機は会社で使っているから違和感でいえば全くない。問題なのは極たまにしか使わないから、使い方を忘れていて都度説明書きを見ることぐらいだろう。

さらにこのご時世、USBメモリを持ってるだけで犯罪者扱いされそうだというのもあろう(実際、私の勤務先では認可外のUSBメモリ所持禁止令が出ている)、ネットワークプリンタサービスもある。専用のクラウドフォルダにコピーすれば、コンビニの複合機でそのフォルダを参照して読む込めるというシステムである。これもWebベースなので悩む必要は無い。

ゲーム環境

ゲームと言えばパッケージを買ってきたり、ダウンロードして、インストールして実行。だが、最近は状況が変わりつつあり、Steamというプラットフォーム(アプリストアというほうが近いか)が牛耳るようになった。まあ、こういうのも善し悪しだが現実はそういうことだ。
Linuxでは Ubuntu LTSを正式サポートということらしい。全部のゲームが遊べるわけではないが、Windows版と比べてさほどパフォーマンスが落ちるわけでもなく遊べるということらしい。
ちなみに有名なMineCraftというゲームは単独インストール型でJava上で動くものだが、Linuxで遊んでみても特に違和感はない。Steamのも憶測だがまあ大丈夫だろうという感触はもてる。

昔はグラフィックカードがWindowsに特化してドライバチューニングしてとかでLinux用ドライバでは遊べるレベルにならないとか上手く動かないとか色々あったのだが元締めが動作保証してくれるとありがたい。

まあ、グラフィックカード自体もnVidia一強で、プラスAMD(元ATI)の状況だからサポートする方もある程度楽と言えばそうなのだろう。
むしろnVidiaじゃないとパフォーマンスがでないとか、その逆とかなんてこともあったから、PCやOSがどうこう以前にグラフィックボードのチップが支配していた時もあったわけでカオスだった。

どうしてもWindowsでないとダメというのもあるかもしれないが、そうでもなくなってきた、というのも現実だろう。
ゲーム業界もPC主導ではなくてスマホ関連のほうが市場自体はデカいから(金額規模は疑問だが)PCのWindows版にキリキリチューニングしてもコスパが悪いという話にもなるだろう。
もちろんOSがどうこうではなく、グラフィックの話なのでむしろフレームワークがどう対応するかという動向に左右されるだろう。
もはやフレームワーク無しでゲームは作れない(プログラマーが対応できないという意味)になっているのだろう。

 

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2026/03/21

Google Pixelのデスクトップモードというものがあるらしい

以前から聞いてはいたが、あるネット記事で「実際に執筆活動に使えるか」というものを見たので感想。

一言で言えば「まだAndoroidがアホなので使いものにはならん」ということ。

全面否定するものでは無く、文字通り「まだ」なので今後には期待できる、化ける可能性もあるということ。
わざわざその機能を求めてPixelを買ってまでやるようなものには程遠いということ。

記事では、アプリ側の対応の問題、としていたがそれもOSであるAndoroid側の問題に過ぎない。また、マーケットとしてデスクトップモードを使う人(使う可能性なる人)が増えること、つまりデスクトップモード対応のスマホ(タブレット)が激増することが必須となる。
そうでないと無料奉仕精神、興味本位、趣味で対応する人ぐらいしか出てこない。
つまり「にわとりたまご」のパラドックスに陥る。それを解決するために動くべきは、鶏であるOSやスマホ提供側としかいいようがない。

ポイントとなるのはアプリ間連携(作業フィールドの連携)である。ある程度勝手に「共有」をOS側でフォローしてくれればオブジェクトを渡すだけ、またはオブジェクトを投げてもらえる、ぐらいならアプリ開発側も「まあそんぐらいならやろうか」となる。

iPhone(iOS)における、その名前どおりの「共有」はそういう機構なのだろう。Windowsのドラッグ&ドロップも一つのやり方だが、それを操作しづらいタッチ操作主導で画面の狭いiOSデバイスでは良い手段だ。(もちろんベストとは断言しない)
アプリのインストール時にOSに対して「こういう窓口を用意していますよ」と通知して接続する。インストール後には他のアプリから「共有」を望んだときに選択肢に現れるようになる。「共有」したらデータを渡してアプリを起動する。そういう感じだ。操作する人間から見ると大分雰囲気は違うが、アプリ側から見ればドラッグ&ドロップとあまり変わりが無い。

別にこれは「デスクトップモード」関係なくあれば便利な機能だ。別に他の方法でも良いから連携がきちんととれるようにOS(Andoroid)が仲立ちをすれば良いだけの話だが、まだ未熟であるのが現状。もっともiOSの共有もまだ進化途中という感はある。どこまでおせっかいにするか、うざいと思われないか、つまりどこでポップアップするべきか迷っているようにも見える。いや、それはiOSのアップデートと必ずしも一致していないので私の反応に応じて変化しているのかもしれない。いずれにせよ迷っているのは確かだ。

もうひとつはスマホモードのタッチ操作と外部画面モードのマウス&キーボード操作の相違だろうか。
本質的に操作感、手順が変わってしまうためにユーザー側に混乱が生じる(気持ちの切替えに時間がかかる)ということが大きい。

これらを含めてユーザー側の解決策としてはいっそ「全部Web(クラウド)サービスで完結する」という考えもある。
データのやり取りもクラウドストレージで行う。汎用のストレージサービスでも良いし、同一サービス群でオブジェクトとして扱っているかもしれない。
そこはGoogleの強みだろう。いわゆるOffice群を持っているのはMicrosoftとGoogleぐらいでWeb化においては後発だったが故に進んでいる(依存している)。

記事の筆者は普段ノートPCで記事を書いているようで、普通にアプリを使っているように見える。
Gogoleアプリを使って全部やっているような人なら多分、スマホで大画面+マウス&キーボーででも悩まないだろう。
単にWebブラウザを全画面表示さえできれば全部同じ環境になるのだから。

まあ、それをいったらミモフタモナイ。でもGoogleが狙っているのはそこなのかもしれない。経営資源としてもGoogleにおけるOfficeシリーズを豊かにすることに専念すれば良い。

私はスマホなどには依存していないが、Windowsについて不審を持ってきているので脱Windows、Linuxへの移行。それに当たって困るのはゲームとその他の作業アプリになる。
アプリ群がWebベースになり、ゲームがSteamベースになり、それで済めばWindowsは要らなくなる。

残りのレガシーと化したいくつかの名残惜しいWindowsアプリを切り捨てられるかということになる。
いくつかのアプリはCUIベースなものは特にLinuxでも動くマルチOS化は多い。GitHubの拡がりやオープンソースの流れも助けになっている。オープンソースによってLinux対応化が進むこともある。
あとは気持ちの上で捨てられるかどうかという感情論が残る。

ノートPCにおいても、ディスプレイ側にマウスとキーボードをUSBで繋いであり、画像はUSB-Cで伝送できるので、PCとディスプレイをUSB-C一本で繋げば良い、ということは大分前にできている。充電もUSB-C経由でできるのでACアダプタすら繋ぐ必要が無い。
これはコワーキングスペースやビジネスホテルなどで用意してくれているととても楽ちん。飛行機や電車、長距離バス、船舶などでもやってくれるとありがたいし、高級クラス向けからどんどんやる流れになるだろう。

タブレットやスマホもそれに乗っかる、という形は当然想定しているだろう。あとはソフトウェアだ。
先頭を切ったGooglePixelはおそらく期待通りにはならず大コケする。
でも先頭を切ったものは失敗するのは当然と考えて、次々に投入していって欲しい。必ず必要になる。

AI化が進むとさらに「スマホで十分」となる可能性も高い。エッジAIではなくクラウドAIを主体に使う人ほどそうなる。
どのみちノートPCで処理能力不足となるAI活用をしていればクラウドに頼る。もしくはデスクトップPCでエッジAI活用しながら外部から繋いでスマホから指示するという形も考えられる。その際に負担少なく大きな画面で指示できる方が良い。人間、楽ば方が好きだ。

作業も指示も実質的には大差は無いが、「作業」と言える単純さはどんどんAIに置き換わる。その代わり判断要素である「指示」をする密度が高くなる。それがAI化の本質だと考えている。一方で先端はそうなるし、依然、作業も残るのも当然だろう。そのためにスマホがなにができるのか、それを模索してビジネス面を含めて技術の進化をどうするのかを考える段階に入っているのだろう。

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2026/03/20

外国人 経営管理ビザに関するおかしな報道

マスゴミの偏向報道とはよくいわれるが、今朝のニュースバラエティも酷かった。

インドカレーの店(ネパール人経営・従業員)を取り上げて「存続の危機」とか煽っていた。
酷いものだ。

まず資本金3000万円問題。例えば東京都内で飲食店を開こうとすれば、こぢんまりとした店でも、店舗開設にこぎつけるだけで2000万程度は軽く飛ぶだろう。今からやろうとすればもっと高いかもしれない。
それに加えて仕入れやら、始めは知名度がないので赤字続き必須だし店員の給与も含め回転資金もいる。1000万程度は軽く飛ぶ。

資本金3000万円というのは当然ながら現金で持っていろとなんて言う話ではない。それを元に商売を始める、という意味なのだから現金として持っているものなんて本来は殆ど無い。殆どは初期投資に消えて残った運転資金でゴマカシながらモノの売買で回転させていく。

厳しくなるのは資本金が少なくて良いもの、IT系やコンサルト業など、ともすれば「虚業」と言われるようなサービスのみを売る会社だ。
しかしこれらの業種ではわざわざ日本に会社を構えてやる必然はなく、個人レベルなら起業しなくてもできる。フリーランスと言われるものは結構曖昧である。その範疇である。厳密にいえばアウトだが、クライアントとどうしても会うために旅行ビザで来日して会うことだってあるだろう。個人事業なんてそんなものだ。
ある程度規模が大きくなったら日本法人をおけば良いだけで、そうであれば従業員やら事務所開設費用等で結局お金は必要となる。それに日本法人設立の名目で自国においた本社から資金を分ければ良いだけの話で、日本の銀行に置いておくだけで名目だけである。

外国から来た人においては「裸一貫で飛び込んでもらって、ダメなら潰れる」では困るのだ。ダメでも最悪ちゃんとキレイにしてからお帰りいただく、というのが成熟社会となってしまった日本で求められること、ということだ。3000万円程度無いようならわざわざ日本に来て起業などするるな、ということである。

そこは日本国民として生まれた人に求められるものとは異なる。番組で「そんな高額の資本金をもっている人は日本人でもそうそういない」と??士の人が言っていたが、そういう発言もおかしいのだ。

従業員の不安を話にしていたが、それもおかしい。
従業員は「経営・管理ビザ」ではなく「就労ビザ」になる。
今回の議論とは別になる。就労ビザは当然資本金(資産)という考えはないし日本語能力規定も緩い。日本で生活することに不自由のない程度の日本語ができればいいだけだ。

日本語要件が経営管理ビザで厳しいのは、日本のビジネスルール、団体、各役所への申請等を日本人同等程度の対応でやってもらわないと困る、というだけの話である。これは正に「ビジネスライク」な話なので当然と言えば当然だ。日本人の補佐をつけても構わないようなので(むしろ条件にいれている)重要な局面で「ワタシニホンゴワカリマセン」は通用しない、というだけのことだろう。

まあ、それらよりも本当は「実業をやっているのかきちんと審査する」のが重要なのはいうまでもない。事業税や社会保険料の納付実績ももちろんである。(なにせ日本人同等の国民皆保険制度が使えるのだから)
今回の厳格化でもその辺は抜かりないようなので別に文句はない。

 

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2026/03/15

現金回帰

コスト増の中で店側が「電子マネー全面依存」を見直す動きが出ているようだ。

大きいのがPayPayが還元率を下げた(というか異常な高さの還元率を辞めた)のも大きいようだ。
このことにより、もとより使いづらい(めんどい)PayPayを使わなくなったという動きもあるらしい。実際、私のきょうだいでも以前はなんでもPayPayだったのに今は使うのをやめたと言っていた。

ただ、時々見かける意見で、災害時のことを出してきて「現金必須」とするのはおかしい。
さて、災害時に使えなくなるのは次のうちどれか。
・現金
・クレジットカード
・Suica等の交通系電子マネー
・PayPayなどQRコード系電子マネー

これを考えれば、現金必須に飛ぶのはおかしいことがわかる。

まず災害時にダメになる要素、逆に言えば使えるために必要な要素は4つある。
・客側の都合、スマホが電池切れなどなく正常に使えること。
・客側のスマホが通信できること(キャリア側、通信基地局や回線が問題ないこと)
・店側の通信ができること(有線か、無線なら客側スマホと同じ話)
・店側で電気が使えること(電子レジ・決済端末が使えること)

これを考えるとこれら全てを満たす必要があるQRコード系やスマホに依存したタッチ決済は最も災害に対して弱い。
Suica等では2つの条件だけで良い。
クレカも同様に2つの条件か、または、どれも必須では無い。
現金はもちろんどれも必須では無い。

昔はクレカは電子決済ではなかった。今もそれは変わらない(はずだ)。
もとよりクレジットカードはカード自体(+署名)が「信頼(クレジット)」であって、客は代金の請求に対してカードの提示と署名を持って決済=店頭での支払としていた。
電子決済しかしたことないよ、という店ならともかく、コンピューターもろくに無かった時代からクレジットカード決済をしていたところなら問題ないはずだ。
もちろん私自身も大手家電量販店やホテル、車のディーラーなどで電子決済ではないクレジットカード決済はいくらでもやったことがある。

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2026/03/08

選択的夫婦別姓制度の論議

自民党がパスポートなどの公的証明書などにおいても“旧姓”単記を認めるような案を出してきたという。

実際のニュース映像を見るとどうも腑には落ちないが、パスポート・運転免許証・各国大使館が本人確認などで参照する情報において不整合が起きなければ私は「戸籍」などはどうでも良いと考えている。

理由は簡単で、国内なら国内法でいくらでもコンセンサスを得ることができるが、海外では不可能、ということにある。
その狭間で困る(ごく僅かな)人をきちんと困らないようにすべきである、という観点である。
「ごく少数の人の不便を解消することは不要。そいつらが我慢すればいいだけじゃないのか」と言う人がいるが、私は「少数だが世界的に見てあまりに理不尽な不便を強いるのはおかしい」という観点に立っている。このことは「世界を渡り歩くぐらい超優秀な人」が被るのだから社会的不利益とさえいえる。

「強制的夫婦同姓」などという制度を持っているのは先進国どころか、世界各国で日本しかない。
だからその常識を持っている各国やそこの組織・国民が理解できないのはごく当然ということになる。
よく言われる「日本の常識は世界の非常識」であり「世界の常識にはない日本だけの非常識」の一つになっている。
(これは強制的夫婦別姓制度を取る国も含めての話であり、その是非はまた別の話)

海外に行ってのよりどころはパスポートである。これはただでさえトラブルの元になる。旧姓併記なんて理解されない場面が出てくる。
運転免許証はその国における”外免切替”の時に当然提示が要求されるわけで、パスポートと表記が違えばトラブルの元になることは誰でも想像できる。
大使館への身元照会などはいうまでもないだろう。万一にでも大使館から「該当者なし」とかいわれたら絶望してしまう。だからこそ戸籍との一致が望ましいのだが、それを制度上問題発生リスクを同等にできるのであれば許容される。

国内だけならどうでもいい。現在の通称使用レベルでも概ね大丈夫なんだろう。これは国内法や通達で徹底すれば良いだけの話だから。
家族の一体感なんていうが、夫婦間は納得済だろうし、子供は戸籍なんて、結婚や就職に至って初めて自分の戸籍を見た、なんて人も多いのではないのか。銀行口座の名称とか「まだ独身の時につくった通帳の名前を面倒くさいからそのままにしてるだけ」とでも言っておけばいいだけ。

ただ懸念なのはこの無理筋とも言える制度変更で制度がグチャグチャになって複雑化し、”想定外”のトラブルが出ないのかという点である。
だから根源である「戸籍」を「選択的夫婦別姓」を導入した制度にすれば楽なのに、と私は思っているだけである。(「戸籍がなくなる」という論を張っている人がいるが私には何を言っているのか分からない。夫婦別姓だからこそ、家族関係を公的記録した戸籍が重要になる)

あえてイバラの道に行きたいのなら私は強硬に反対はしないが、きちんと制度を整理していただきたい、と思うだけである。

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2026/03/07

学校の部活動について

教師・教員の”働き方改革”に伴って部活動に関する議論をたびたび見かける。

そもそも小・中・高でまったく性格が異なるものだし、文化系と運動部系でまったく性格が異なる。
そういうものを無視して論議しているのがそもそもおかしいということは始めに書いておく。

それでも粗雑な議論であえていえば、いまの部活動や”加熱しすぎ”である。

私の意見・感覚では「部活動の部外展開は反対」である。やるなら学校でやればよいし、廃止なら廃止でもいい。廃止なら各家庭・子供が自主的にやれば良いだけの話にすべきだ。
「部外展開・移行」の議論は単なる利権誘導になるのが目に見えているし、実際、経産省は動き出しているらしい。

ではどのようにすべきなのか。部活動は課外授業なんて中途半端なものではなく、きっちりと授業の一枠にすべきだろう。
教室単位ではなく、部活動単位の授業枠にするだけである。
実際にはあくまで枠であってもう少し緩くて顧問の教師も監視はするが口出しはしないで事務仕事をしていても良いぐらいでもいいかもしれない。

一日に長くても数時間。夕暮れ前には全員帰宅は必須である。朝練の類ももちろん禁止。土日などもっての外である。
それでも足りない人は自主練をすれば良いだけの話。朝夕に走ったり、基礎トレをすることを禁止するものでも無い。そんなのは個人の勝手である。運動部・文化部とも同じ話である。

教師の過重労働として特にいわれる「全国大会」などは一切禁止。せいぜい地方大会、県大会(政令指定都市なら市大会)までとする。
ただし人気があり、産業化できる全国大会であればそれは事業者運営として許容しても良い。観客がきちんと観戦料を払い、収益を大会運営・設備・人件費等の運営にあてる。参加者には弁当代程度の参加費と交通宿泊費は満額配当(もしくは運営側手配)を原則とする。少なくとも教師には引率者としての役割のみで金銭・労働負担を一切求めてはならず、引率者としての対価と前述の経費を払わねばならないとする。
学童教育に関する事業だから公益法人運営として収支はガラス張り(ネット公開必須)にするなどの配慮は必須。まさに利権を生む温床となり得るからだ。

いうまでもなく男子高校野球やサッカー、バスケなどは事業化可能だろう。
寄付の扱いは微妙だが、これもガラス張りとして寄付者は全員公開を必須とし、代行団体での代替えは禁止とすべき。そこまでやらないと絶対に無言圧力による徴収の隠れ蓑になる。

それでも土日に交流試合をしたい、という話もあるかもしれない。その場合は学校に「対外試合許可」=「休日出勤許可」を申請して行う。もちろん教師にはその分の給与を支給する。予算がなければ対外試合禁止である。交通費が発生すればその分も学校側が支払う。これは場合によるだろう。高校生で”現地集合”とすれば教師だけの交通費で済む。

私は必要というなら平日に授業を休んで交流試合に行っても良いと思っている。
裏には「本当に授業を休んでもそのほうが得るものが多いのですか?」という問いかけがある。

また、表面的にも学科授業を休むことで学力の低下が懸念されるから「一定以上の学力を維持」を条件に許可する、というも当然だ。
授業を休んだ分、自分(別に教師や友達が協力しても良い)で取り戻せれば問題は無い。
私は病弱でたびたび学校を休んでいたが、その程度で学力に影響があると思ったことはない。要領が良ければ、前後関係+自学習程度でほぼ充分取り戻せる。
今でも赤点を取った人は試合に出さない、という部活動方針もあるようだから今更の話でも無い。

・・・・と制度設計をしてみたが、これらは全て机上の空論である。

こんなものは「私公格差」のもとで容易に破綻する。

事実上規制がなくやりたい放題の「私立学校」と、少ない予算で公的教育を全うしようとする「公立学校」との格差が拡大するばかりだ。
部活動を宣伝部隊とし「広告費」として莫大な金銭を使える私立に対し、金もなく制約も厳しい公立には対抗する術など無いのが現実だ。
とうの昔に男子高校野球では圧倒的な「私立学校優位」になっている。

どんな規制・基準をもってしてもその格差を埋めることは不可能。なぜならその規制が『私立の存在意義の否定」になりえるからだ。
それでも私立学校の「授業料や諸経費」の高額さが抑制力となってきた。

しかし「私立高校授業料無償化」政策によってこの抑制効果が大幅に減退し、格差の拡大は加速していく。ぎりぎり保ってきた公立学校が破綻・破壊されていく。
「機会均等」などと美辞麗句を並べているが、私立に掛る全ての経費を公立並みに国が丸抱えしない限り「本当の貧困層」にとっては「機会均等」にはならず悪夢でしかない。もちろんそれは公立の否定であり矛盾を隠せなくなる。

私は本当に「機会均等」というのなら、高校生全てに同額の支給金をすべきと考える。それを私立授業料に充てるもよし、授業以外の上乗せで書籍を買ったり塾や習い事、なんなら趣味に当てるもよし、大学に備えての積み立てをしてもよし、とすれば良い。それが「機会均等」、公平党言うものだ。
「そんな財源はない」などというのならはじめからそんなことするな、である。

国がやりたがっていることは見え透いている。公立はどんどん潰して国の負担を減らしたいだけだ。限定的な「授業料無償化」をしたほうが公立を全廃した方が楽で安上がりと考えている。国としては負担が減る。逆に言えば、日本国規模で家庭全体としてみれば結果的にその方が負担は増えるということに気がつかないのが不思議で仕方が無い。その手始めとして義務教育ではない高校からなのだろう。

 

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2026/03/01

カタログギフト問題

マスコミ含め、問題点がずれていてイライラする。

合法・違法の問題では無いという点はその通りだが、論点がずれている。
私が問題とすべき「事実」は「奈良県支部」から「自民党員全員に配られた」ということだと考える。

問題とされている総理自身が世間一般になぞらえるのであれば、会社になぞらえてみよう。

株式会社JMは全国規模の会社だが、実業は県ごとに子会社を持っており、東京に本社がある。
(名称は支部だが実態は個別の政治団体なので、独立採算を取っている子会社になぞらえるのが適当。)
そして高市さんは、「株式会社JM社長 兼 株式会社奈良JM 社長」である。
兼任自体各県子会社の中から社長が本社社長を兼任する慣習であるというだけで何ら問題は無い。

この会社は商品の性格上地域密着型であり、地元名士が社長となる場合が多く、時々癒着がいわれることすらある。取り引きにおいては取引先が無理を呑むこともある。それでも有形無形のメリットもあるので我慢もしながらも回っている。会社のイベントではお互いに協賛金を出したりもしている。まあ、これも別に地方の会社同士でよくある話だ。

その上で今回やったことは、株式会社奈良JMがあげた売上の一部を持ち出して、株式会社JM社長の名前で、全国のJM社員に「ねぎらいの臨時ボーナス」を配ったことに相当する。

そのことが問題なのかどうなのか、という点である。

子会社から親会社に「本社費用」という「管理費」の類を集めるのは普通だ。また、本社が子会社を含めた全社員に一律「ねぎらいの臨時ボーナス」を渡すのも特段問題は無いだろう。

しかし、一子会社から親会社の全社員に出すお金の流れというのはどうにも腑に落ちない。

このような形のお金の流れは税法上問題ないなのか、というところも疑問になる。問題ないとしても税処理上、お金の流れの不透明性という観点から指導や注意が来ても不思議ではないように思える。税処理という言い方をしたが、正に政治資金問題で求められている、お金の流れの不透明性、妥当性の欠如という観点である。

そして法的問題よりも、問題なのは「株式会社奈良JMの社員と取引先会社」の気持ちである。

少なくとも私が株式会社奈良JMの社員や取引会社の社長・社員であれば激怒ものである。

自分達があげた売上をなぜか社長が持っていって全社社員に配った。それを納得いくかという点である。
取引先会社の問題もそうだ。自分達が苦労して若干損してでも協力して出したお金が奈良JMのためならともかく、全国の顔も知らない社員に配られているのである。

さらにここまで考えると別の疑問が出てくる。それは「実態としてこのような懸念は当たらない」ということにある。
実は「取引会社」は地元だけであるというのは違っていて、全国規模での会社であり、奈良JMへのお金の流れをとりながら実は全国規模での便宜を期待できる状態になっている、ということである。
端的に言えば、奈良JMの実態はただの「隠れ蓑」「迂回団体」である、ということであれば、このようなことをしても誰も問題とはしない。

今回の問題を問題視しない、ということは各地方支部は資金的に「隠れ蓑」「迂回団体」であることを自ら吐露しているという結論にしかならない。

そのことが大問題であり、考えなくてはならないことである、と私は考える。

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