« 八王子(高尾駅周辺)自動運転事故 | トップページ | デジタル嫌いを増やしている3悪 »

2025/10/05

自動運転バスを待つ必要はない。準自動運転バスを進めたら?

自動運転バスの実用試験があちこちで進んでいる。
さて、本当にできるのか、まだまだ時間がかかるのか、評価がまちまちなのが現状のようだ。

この観点で私が不思議に思っているのが「バスの運転手は運転だけじゃない」問題はどうなっているのか、と言う点にある。

バスの運転手の業務は余りにも広く、酷いということがよく言われており、これがバス運転手のなり手がいない問題といわれている。
昔は運転手と車掌さん(バスガイド・添乗員等)の二人態勢だったのに、いつの間にかワンマンが当たり前になった。
別の言い方をすればワンオペである。

乗車客側の問題も悪化している。クレーマー体質の人が増えたこと、身体機能の低下がみられる高齢者が増えたこと、ながらスマホで周囲や自分の危険察知が弱い人が増えたこと。いずれも自分の身を自分で守ろうとしない、守れない人が増えてしまって”事故”に繋がりやすくなったことである。

単に運転に限っても最近の運転手の質の低下はよく言われることだ。これも自己中人間やながらスマホが後を絶たないことと無関係ではない。

そんななかでどんどんバスの運転手への”責任転嫁”は悪化する一方になった結果という側面は否定できないだろう。

このような状態の中で自動運転による”事故”の責任はどこに行くのだろうか。
普通自動車はもとより、タクシーの運転手よりはるかに”事故”の確率は高い。
タクシーは着座でシートベルトも着装できる。ところがバスでは立ったまま掴まりもせず、スマホ+イヤフォンしっぱなしという輩さえいる。

完全自動運転時には運転手たる機械への責任転嫁は不可能だろう。どうするのだろうか。

準自動運転バスとは

それらへの提起として「準自動運転バス」を考えるべきだ、という話である。

簡単な話で、運転手は人間だが、完全に乗客と切り離して運転だけする、という想定で実用運用してみよ、という話である。
なぜか運転以外の自動化の論議は一切ないので、おそらく簡単にできると踏んでいるのでしょう?
もう少し具体的に言えば運転以外は現在の技術でも全て自動化・機械化・リモート化できるのならやってみろ、という話である。

イメージとしては運転席を客から完全に物理的にも隔離して運転業務以外は一切不要とする。
客側の対応は全て自動化・機械化・リモートで行う、という運用を行う。”これだけの簡単な話”である。

バスの運転手不足問題というのは、これらの業務の多さと事故時の責任転嫁の酷さに対して賃金が見合わない、という指摘が私は妥当だと思う。コンビニ人材不足問題と同質で、あまりにも業務が煩雑かつ多忙な割に安いと見られているのだ。昔からコンビニバイトのリピーターは少なく、常に「初心者歓迎」状態だった。ところがさらに業務が煩雑化する一方で、かつSNS普及でコンビニバイトを一回もやったこと無い人にもバレてしまった。だから今は「外国人歓迎」になってしまったのだ。(そのうちこれも同じ結末になるだろう)

だからこそ、運転以外はやらなくてもいいよ、となれば少しは応募者が増える可能性がある、という理由もある。

乗降客の対応、扉の開け閉め、運賃の回収、車内アナウンス、注意喚起、車内掃除、車内点検、ざっと思いつくだけで運転以外に運転手が担ってきた”業務”がたくさんある。
自動運転化する、ということは、これらを運転手ではなく客かセンター側(機械といってもいずれかがトリガー)で行わなくてはならない、ということだ。例えば扉の開け閉めを客が行うという発想も可能だ。実際、地方路線の一部の電車では客が扉の開け閉めを行っている(理由は冷暖房の節約のようだが)。
もしくは車掌を復活させるのだろうか?まさかね。

これらは客側の場合はいわゆる”社会のコンセンサス”という話になる。もちろん外国客も含まれてくる。
事業者側の業務再編も必要となってくる。自動運転特有の問題も起きるのだから、まだ運転手という人がいるうちに、それ以外の問題点の洗い出しと体制づくり、必要な設備を整えるなどをやっておく必要があるのではないのか。

もっとも、今の状況を見ていると自動運転というのは世間の批判の目をそらすための時間稼ぎであって、そのうち事業者は雲散霧消するのではと思えて仕方ない。実際地方の事業者なんて「もう無理」「設備投資なんて無理」と思っているところばかりではないのか。トップも「自分の代で畳むか」ぐらいの感覚でいるようにしか思えない。「補助金クレクレ」で溢れかえり、賛否渦巻くのではと思われるが、まだそれでも続ける気があるのはマシな方だ、ということになるかもしれない。

 

さて、運転手は雑事から解放するがいい加減で良いわけではない。
もちろん運転の評価は行う。ドライブレコーダーは周囲画像、アクセル、ブレーキ、ステアリング等の操作はすべて記録し”無謀”な運転か、運転手側の過失について合理的・客観的に評価を行えば良いだけのことだ。
自動運転時代を考えて、理不尽なまでに運転手に責任を転嫁してごまかすようなことをしない、そういう前例を積み重ねるべきだろう。
これらは繋ぎの”準自動運転バス”での運転手の確保にも繋がる。

こういう想定をすると現在の道路交通法事態の問題も浮き上がってくる。いかに「完璧な運転をしても自車が動いていると過失はゼロにはならない問題」である。また圧倒的な歩行者保護や理不尽なまでの”前方不注意”や”注意不足”といった運転免許を持っている人間なら誰もしも理不尽さを感じているかと思うこの問題が顕著になる。
これに加えて、正に「業務上」で「不可避」なのにバスだからこそ乗客を怪我させてもアウトという理不尽さがあるのだ。この辺の法整備も必要ではあるが、ここではこの程度に留めておく。

|

« 八王子(高尾駅周辺)自動運転事故 | トップページ | デジタル嫌いを増やしている3悪 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 八王子(高尾駅周辺)自動運転事故 | トップページ | デジタル嫌いを増やしている3悪 »