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2025/10/19

デジタル嫌いを増やしている3悪

私がコンピューターというモノを知ったのはマイコン時代からパソコン時代に代わっていったような時代。そのころから非常に興味を持ち、コンピューター大好き人間になった。その頃からすれば凄く出来ることが増えている。もっと便利になるべきだとずっと思っている。

しかし誤ったデジタル化方針によってデジタル嫌い、デジタルアレルギーを招きかねないことが最近目につくようになってきた。
私からすれば本当に許しがたい。

デジタル化というのは本来人間がつまらないことは全部デジタルに押しつけて楽をするものである。
かえって面倒を起こすのなんて私からみれば許されないのだ。
意味不明な言い訳をしてごり押ししようなどというのはまったく許しがたいのである。

その中で3大悪と言えるものをあげつらっていきたいと思う。

マイナ保険証

日本政府がやっているから質が悪い。
既に(ネット上では)論議が尽くされているが、本来やる姿は簡単である。
従来の保険証は維持しつつ、ヘビーユーザーなどデジタル化の恩恵を受けやすい人はマイナ保険証(スマホ連携を含む)を利用申請してつかえるように誘導すれば良いだけ。
そもそも「保険に加入したのだから保険証を発行しろ」というのは当然の要求でしかない。それを出し渋るとはどういう了見なのか。

それなのに保険証を廃止して・・・なんてやったものだから世間や医療機関は大きく混乱をしている。

結果として「マイナ保険証と資格証明のお知らせ(だっけ?)を持っていてください」ということになっている。
従来は「保険証」だけだったのに持つものが増えているではないか。

よくある「不正利用ガー」は、そもそも不正利用なんて本当に少額であることがバレている。少額でも許さないというのなら不正利用できないような制度を作るのが本論であり、こんな社会混乱を起こす方が問題であろう。偽造・偽証を防ぐ手段などいくらでもあるのだから。

これは制度設計の間違いであり、デジタル化の問題では無いのに、「マイナ保険証はデジタルディバイド」とかいう論議になって本当に腹立たしい。
後述する2悪はある程度やむを得ない事情というのはあるのだが、これについては全く情状酌量の余地が無い。

メリットがある、といわれる点についても多くの人、少なくとも私には全く利点がないものばかりだ。
せめてお薬手帳代替えについては即時反映するシステムにしないとダメだろう。少なくとも翌日には反映は当然だろう。
現行のお薬手帳は薬を渡される時点で情報アップデートされるのだから、それに劣るのはダメだろう。

セルフレジ

本来はセルフレジの問題であるが、キャッシュレス(電子決済)の問題とごっちゃになっている。

レジというのは店舗の接客の中でも重要な位置を占め、結構難しいものだ、それを客にやらせようというのだからトラブルは起こって当然である。
今はバーコードを読み込ませるだけ、とはいうが、バーコードを見つけるのもなかなか難儀するし、商品によってはスキャンしにくいところにある。バイトでやれば数時間もすれば慣れてくるだろうが、逆に言えばそれだけかかるという話である。
「一億総レジ係」化である。

窃盗・詐欺に類する犯罪行為を誘発(誘惑)するし、単なるミスも誘発する。

これもデジタルがどうこうではなく、レジ処理が大変、面倒臭い、客にさせるんじゃねえ、というのが本質的な議論だろう。
それを老眼が進み、細かい作業も不安になっているシニア層にさせるのか、という点での問題であり、デジタルディバイドの問題では無いのだ。

キャッシュレスに関してはシニアでも全く問題は無い。デジタルや家事は全くダメ、という後期高齢者のうちの父親でも結構前からSuicaを使って電車に乗っている。スーパーでもSuicaで払うこともあるそうだ。別に難しくも面倒でもないという。慣れでつい現金を出すことが多いしチャージが面倒臭いだけの問題らしい。小銭を探さないですむから楽だな、とも言っていた。東日本、Suicaでは電車に乗るときタッチして改札を通る。これは21世紀になってからずっと慣れてきた。これに「デジタルディバイド」なんて議論はほぼなかった。切符を買う方が面倒だし、切符切りと切符をやり取りする方が面倒だったからだ。

よく混乱した議論の中で出てくる、スマホ決算、とりわけQRコード方式はダメだろう。私だって面倒臭いから一切やっていない。単に面倒というだけのことだ。デジタル化すると難しいとか言われたくない。そもそもが決済までの手順が多すぎる。システム的にアウトだ。業者側の都合で投資が少ない方式であるのは理解できるが、客には関係ない。比較対象は財布からカードを取り出しタッチする、である。

QR方式(PayPay)に関して兄弟は大好きだったが、それは単にポイント大盤振る舞いに釣られていただけで、最近は面倒臭いのであまり使わない、という。単に「面倒臭い<お得」の境界点(臨界点)が違うだけの話だったのだ。私はQR方式は徐々に廃れていくだろうと思っている。超巨大企業ソフトバンクGrのPayPayは完全には消えなさそうだが。

Windows11

Windows10サポート切れに伴い、11への移行が言われている。
使い勝手とか、UIの違いとか、そんなものは慣れの範疇なのでどうでもいい(もちろんこの設計考えた奴はバカじゃねえのとは思うが)。

私はPC複数台あるが、無料アップデートでもあり、ほぼ問題は無かった。移行時の不安はあったがバックアップを取って備えるのは今始まった話ではない。
問題なのは10年ほど前からCPUが変わっていない「一番高かったPC」である。高くて高性能であったが故に今でもスペック的には全く問題が無い。静音化も詰めていていじるのが嫌だということもある。
スペックは現在でも申し分ないのに、古いが故に「Winsows11に非対応」とされてしまっているのが問題なのだ。

TPMというモジュールが必須とされているのだが、当然そんなものは無い。PCIスロットは有り余っているのでそこに後付けして対応できるのなら買っても良いのだがそうでもないらしい。

仮にできたとしてもCPUが非対応ということなので、CPUを交換、つまりマザーボード、メモリも交換という連鎖が発生する。
さらにたしか電源もCPU電源がない時代のものだし、ストレージ以外は全交換という奴だ。
一般的な人はPCごと交換なのだから自作PCはまだ救いがあるとは言われるが、残るのがケースとストレージだけというのも嫌な話だ。

懸念するのはこういう所業によってPC嫌い、脱PCが加速するだろうということである。
多くの人には「意味不明なことを言われてPCの買い換えを強要されている」としか映らないだろう。

今まで以上に新Windowsへの移行が進まないのは当然と言える。
従来はWindowsのアップデートが有償、もしくは新しいWindowsを買う、となっても数万円程度の話である。
ところが今回は10万円近く、人によっては数十万になる話なのだから。

PC市場は好景気だと言うが、それが過ぎ去った後には大幅な市場縮小となっているのではないのか。
スペックが足りない、メモリが足りない、ストレージが足りない、というのなら物理的に分かりやすいので納得感がある。
多かれ少なかれ不満を感じながら使っていた面もあるから、良い機会と考えることもできる。

今回の話はセキュリティリスクが高い、という最もユーザーが分かりにくい、自分事では捉えづらいことだから問題なのだ。

負担額が高く、問題点が分かりづらい、これが大問題であるといえる。

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2025/10/05

自動運転バスを待つ必要はない。準自動運転バスを進めたら?

自動運転バスの実用試験があちこちで進んでいる。
さて、本当にできるのか、まだまだ時間がかかるのか、評価がまちまちなのが現状のようだ。

この観点で私が不思議に思っているのが「バスの運転手は運転だけじゃない」問題はどうなっているのか、と言う点にある。

バスの運転手の業務は余りにも広く、酷いということがよく言われており、これがバス運転手のなり手がいない問題といわれている。
昔は運転手と車掌さん(バスガイド・添乗員等)の二人態勢だったのに、いつの間にかワンマンが当たり前になった。
別の言い方をすればワンオペである。

乗車客側の問題も悪化している。クレーマー体質の人が増えたこと、身体機能の低下がみられる高齢者が増えたこと、ながらスマホで周囲や自分の危険察知が弱い人が増えたこと。いずれも自分の身を自分で守ろうとしない、守れない人が増えてしまって”事故”に繋がりやすくなったことである。

単に運転に限っても最近の運転手の質の低下はよく言われることだ。これも自己中人間やながらスマホが後を絶たないことと無関係ではない。

そんななかでどんどんバスの運転手への”責任転嫁”は悪化する一方になった結果という側面は否定できないだろう。

このような状態の中で自動運転による”事故”の責任はどこに行くのだろうか。
普通自動車はもとより、タクシーの運転手よりはるかに”事故”の確率は高い。
タクシーは着座でシートベルトも着装できる。ところがバスでは立ったまま掴まりもせず、スマホ+イヤフォンしっぱなしという輩さえいる。

完全自動運転時には運転手たる機械への責任転嫁は不可能だろう。どうするのだろうか。

準自動運転バスとは

それらへの提起として「準自動運転バス」を考えるべきだ、という話である。

簡単な話で、運転手は人間だが、完全に乗客と切り離して運転だけする、という想定で実用運用してみよ、という話である。
なぜか運転以外の自動化の論議は一切ないので、おそらく簡単にできると踏んでいるのでしょう?
もう少し具体的に言えば運転以外は現在の技術でも全て自動化・機械化・リモート化できるのならやってみろ、という話である。

イメージとしては運転席を客から完全に物理的にも隔離して運転業務以外は一切不要とする。
客側の対応は全て自動化・機械化・リモートで行う、という運用を行う。”これだけの簡単な話”である。

バスの運転手不足問題というのは、これらの業務の多さと事故時の責任転嫁の酷さに対して賃金が見合わない、という指摘が私は妥当だと思う。コンビニ人材不足問題と同質で、あまりにも業務が煩雑かつ多忙な割に安いと見られているのだ。昔からコンビニバイトのリピーターは少なく、常に「初心者歓迎」状態だった。ところがさらに業務が煩雑化する一方で、かつSNS普及でコンビニバイトを一回もやったこと無い人にもバレてしまった。だから今は「外国人歓迎」になってしまったのだ。(そのうちこれも同じ結末になるだろう)

だからこそ、運転以外はやらなくてもいいよ、となれば少しは応募者が増える可能性がある、という理由もある。

乗降客の対応、扉の開け閉め、運賃の回収、車内アナウンス、注意喚起、車内掃除、車内点検、ざっと思いつくだけで運転以外に運転手が担ってきた”業務”がたくさんある。
自動運転化する、ということは、これらを運転手ではなく客かセンター側(機械といってもいずれかがトリガー)で行わなくてはならない、ということだ。例えば扉の開け閉めを客が行うという発想も可能だ。実際、地方路線の一部の電車では客が扉の開け閉めを行っている(理由は冷暖房の節約のようだが)。
もしくは車掌を復活させるのだろうか?まさかね。

これらは客側の場合はいわゆる”社会のコンセンサス”という話になる。もちろん外国客も含まれてくる。
事業者側の業務再編も必要となってくる。自動運転特有の問題も起きるのだから、まだ運転手という人がいるうちに、それ以外の問題点の洗い出しと体制づくり、必要な設備を整えるなどをやっておく必要があるのではないのか。

もっとも、今の状況を見ていると自動運転というのは世間の批判の目をそらすための時間稼ぎであって、そのうち事業者は雲散霧消するのではと思えて仕方ない。実際地方の事業者なんて「もう無理」「設備投資なんて無理」と思っているところばかりではないのか。トップも「自分の代で畳むか」ぐらいの感覚でいるようにしか思えない。「補助金クレクレ」で溢れかえり、賛否渦巻くのではと思われるが、まだそれでも続ける気があるのはマシな方だ、ということになるかもしれない。

 

さて、運転手は雑事から解放するがいい加減で良いわけではない。
もちろん運転の評価は行う。ドライブレコーダーは周囲画像、アクセル、ブレーキ、ステアリング等の操作はすべて記録し”無謀”な運転か、運転手側の過失について合理的・客観的に評価を行えば良いだけのことだ。
自動運転時代を考えて、理不尽なまでに運転手に責任を転嫁してごまかすようなことをしない、そういう前例を積み重ねるべきだろう。
これらは繋ぎの”準自動運転バス”での運転手の確保にも繋がる。

こういう想定をすると現在の道路交通法事態の問題も浮き上がってくる。いかに「完璧な運転をしても自車が動いていると過失はゼロにはならない問題」である。また圧倒的な歩行者保護や理不尽なまでの”前方不注意”や”注意不足”といった運転免許を持っている人間なら誰もしも理不尽さを感じているかと思うこの問題が顕著になる。
これに加えて、正に「業務上」で「不可避」なのにバスだからこそ乗客を怪我させてもアウトという理不尽さがあるのだ。この辺の法整備も必要ではあるが、ここではこの程度に留めておく。

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