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2025/06/15

選択的夫婦別姓に関して

私は別に家制度まで破壊しろなんて微塵も思っていない。
そういう観念的・文化的なものは別に遺して構わない。
問題としているのは国が与える日本国籍であり、国が認めた(登録された)姓名に関する話でしかない。

夫婦別姓が当たり前の日本国以外の人々(その国の政府等も含めて)にとっては「生まれてから死ぬまで姓名は同じである」という非常にシンプルな話が常識だからである。
常識外のことをされれば誰しも「こいつ何言ってんだ」という反応をする。
それが通称併記のパスポートであり、様々な公的文書や、国際的に発表している様々な名前であり、会社における様々な書類における記名である。

もちろん海外にもペンネーム、芸名の類はあるだろうが、それはあくまで事業活動における別名である。
それらをパスポートに載せようなどと思う人、認められる人は希有であろう。

この原則が守られさえすれば別に「夫婦別姓・同姓の論議」なんかどうでもいいのだが、それを現民法が阻害しているのだから論議をせざるを得ない、というだけの話である。

家制度との話で言えばそんなに難しい話でもないのに反対する意味が分からない。

現在の考えとしては

佐藤家
A夫 B子

という形式になっているだろう。だからA夫さんとB子さんの姓が異なる場合、どちらかが変えなければならない。
別に家という枠組みを変える必要は全くなく、入籍時には

佐藤家
佐藤A夫 鈴木B子

という形にすれば良いだけでは無いのか。枠組みは全く変わっていないのだが、多分これでも噛みつく人はいるのだろう。

鈴木B子さんはそのままの姓名を保持し、もちろん佐藤家の「妻」という位置づけとして登録する。
もちろん入籍時点で「佐藤B子としたい」要望があれば改名も受け入れる。選択的改名であり婚姻に限らず従来でも合理的理由があれば改名可能な法律があり、婚姻は十分な理由とすれば良い。
これで希望者には各個人の正式な姓名は一生維持されるという世界的にごく当たり前、常識が担保される。
結果としてパスポートや免許証等々において、従来通り「鈴木B子」のままで変更申請など一切不要である。

話が面倒になるが「どうしても「佐藤」をいれなければまかりならん」というのなら「鈴木・佐藤・B子」もありなのかもしれない。ミドルネームが増えるというのは海外でも宗教的な理由で成長過程で増える場合もあるのでまだ理解はされる可能性はある。また普段はミドルネームは名乗らず、様々な書類の表記が「鈴木B子」であっても、正式名は「鈴木・佐藤・B子」だ、と主張するのはまだ受け入れられるように思う。
例えば「ドナルド・トランプ」とよく表記されるが、正式にはミドルネームがあり表記される(場合によって頭文字のみ等)。

現状の通称併記において問題なのは「鈴木B子(佐藤)」や「佐藤B子(鈴木)」といった表記が乱立することにあるという。
それなら正式名として「鈴木・佐藤・B子」と定義して使ってもらった方が良いのかもしれない。

問題なのは「鈴木を佐藤に変更しないのはどうしても許し難い」と主張する輩たちで、全く論理性がない。

次に、子供が生まれた(養子縁組等も含む)場合はこの佐藤の姓を冠することとする。

佐藤家
佐藤A夫 鈴木B子
佐藤C男

なお、鈴木B子さんは通称として佐藤B子さんと名乗ることも可とする。
夫婦別姓にして欲しいという人でも、普段生活はどうでも良くて「佐藤A夫の妻です」という人も当然いるだろう。そもそも名前を名乗らない人が多いし、名乗る必要もないのも実態だろう。結構A夫さんの方が「妻のB子です、よろしく」程度の説明で終わることが多いのではないのか。
「人権ガー」「個人の尊厳ガー」「アイデンティティーガー」という人も中にはいるだろうが、私はそういう輩はどうでもいい。

例えば学校のPTA参加の時や、ママ友には「佐藤B子です」と名乗れば良い。
別に鈴木B子と名乗っても良いわけで、それこそ個人の自由だ。強制的夫婦同姓の今でも鈴木B子です、と名乗ってそんな場面であなたの法的な姓名は云々なんて言う人はいないわけでやる人はやる。法的・制度的には関係ない話だ。私の感覚では面倒くさいから「佐藤B子」と言った方がC男君の親として認知されやすいので楽だろう、というだけの話である(面倒くさい親もいるだろうし)。法的にどうこうというレベルの話ではないが、法的に担保しておいた方が良いだろうが。

通称の公的な通称利用の拡大は別の論議として行えば良い。これはあくまで国内でのトラブル回避の話なので、国内法の整備、通達等で済む。
細かい話を言えばPTA名簿やら署名活動の時やらそういう名前は通称でも良いよ、となれば子供関係の面では通称で通せるから今までと全く変わらない。学校関係なら文部省通達で済むレベルの話だろう。

一生涯同一姓名を欲している人の論点はほとんどが、外国が絡んだ場合の面倒さのようである。
外国向けにはあくまで「一生涯姓名は同一」であるように見せねばならない。夫婦別姓だの戸籍制度など、外国の人にはそもそも何それ?なのだから。

「グローバル化」なんて言葉が出て、国もそれを推進しているはずなのに、そこからもう数十年も経とうが、それならば外国の目、日本人が外国に行ったり、国際的に活躍する際の障害、不便さをくみ取り、少しでも軽減してあげるのが筋ではないのだろうか。

それにもかかわらず「日本の伝統が」とかいって反対する輩は鎖国主義者レベルの時代錯誤(実際そういう輩と重なって見える)でしかない。

国内の”混乱”は国内法で済む話なのだからその方向で整備すれば良い。

維新の会のやり方が奇々怪々で全く理解が出来ない。彼らは「オレ達のが賢いやり方だろう」と思っているのだろうか。全くズレている。
困っているのは海外における公的や厳密な場面での「旧名と新名使い分けによる混乱」なのだから。
これを国内法でどのようにいじくったって全く解決しない。
夫婦のどちらかの姓を変えねばならない、という原則を変え、両方の姓を変えずとも戸籍や婚姻、家族というものを承認できるようにしない限りは解決できない問題なのだから。

論議を見ていて嫌になるのは「イデオロギー」や「~だろうから」とか「~と思います」が多過ぎなことにある。
また、本質がどこに違うのか不明だが、色々な造語が蔓延って、それが各人の定義が違うようで、議論になっていない。
(もちろん実際の方策定の段階では用語というのは非常に大事である)
なにより単なる想いのぶつけ合いだけになっているのが非常に醜い。

そもそも問題点がどこにあるのかすら理解しないで、その問題点を理解しようとすらせず「俺のポリシーに反するから反対だ」というレベルの、反論にすらなっていない言葉を吐くのを見るにつけ、こいつは国会議員失格とすら思える。

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