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2024/01/27

あれ?もう電気自動車オワコン?(3)

さて、2つの記事でさんざん電気自動車をこき下ろしたが、別に今の電気自動車を全否定している訳でもない。

なんでも適材適所があるわけで、使用ケースによってはピッタリハマル場所がある。
単に「全てのクルマを電気自動車にする」とことに対して、そこまでの性能・汎用性を持ち得ていないという話でしか無い。

いくつかの事例が考えられるが、私が最も卑近に感じるのが、集落(過疎地)での足である。

一番近いガソリンスタンドは、隣の村で数十km走らないとない。そこも寂れていていつ無くなるか心配だ。
ガソリンが無くなるとそこにいくのだが、ガソリンスタンドに行って帰るだけで何リットルか使うのも馬鹿馬鹿しい話だ。

もちろん電気は来ているから充電はできるし、なんなら太陽光パネルを車の置場にも使っている納屋(といっても都会の一軒家よりでかい)に上げても良い。
そこそこの農家なんで税金対策でやってもよさそうだし。

まあ、普段は田畑を見に行ったり村の中を走るだけだし、病院とかたまの買い物とか、大きい町まで出られればいいし、別にいざとなれば他のクルマ(軽トラ)もある。遠出するなら子供に連絡すれば連れて行ってくれるかもしれないし、町まで出ればレンタカーもある。そもそもそんなに村から出ないし。

こんなユースケースだったら小型の電気自動車があればピッタリだ。日産のサクラはピッタリと当てはまる、というか上記のような想定で企画発売したんじゃ無いかと思うぐらいだ。

電気自動車を買った人の話でも「セカンドカーならいいんじゃね」という話もある。
家充電だけでほぼ通勤にだけ使っているという人もいるようだ。まあ数十kmなら確実に夜中のうちに満充電になる。給油する必要も無いのは気楽でいい。家族旅行など遠出をするのは別のクルマだから長い航続距離はどうでもいい。

いわゆる見栄とかを抜きにすれば、これからの過疎、高齢者多数時代に即して、時速30kmか50km程度までしか出ないような電気自動車もあり、というか必要だと思う。

近所のスーパーや病院、といっても遠くは10kmくらいはある、となると歩いては無理だし、公共交通機関はない。
タクシーはなかなかこないし高いし、やっぱり自分で思いついた時に自由に行きたい。
バイクは冬に風が冷たくてつらい。夏はヘルメットがすごく熱い。
まあ、わがままかもしれないが、こういう理由で老いても免許返上せずに自動車に乗りたいという人は多いだろう。

そういう人のためにはガソリンエンジンは有り余るから電気自動車が上手く嵌まりやすい。
この速度なら事故を起こしても大事になる確率を抑えられる。

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あれ?もう電気自動車オワコン?(2)

技術的に「今の」電気自動車がダメな理由を書いていこう。
先の記事は電気自動車以前の問題点の指摘であったので、今度は電気自動車だからこその問題を書いていく。
私は将来に亘って電気自動車がダメとは思っていない。しかし今のは明らかにダメだ。

その理由について書いていこう。

一番ダメなのはリチウムイオン蓄電池を使っていること。

いうまでもなく電気自動車の要は電池である。現在、値段が高いことを含めて本質的な様々な問題要因となっている。

ご存じのようにリチウムイオン蓄電池はスマートフォンを始めたくさんの携帯機器に使われており、性能が高いことが知られている。
しかしこの性能の高さは従来の乾電池やニッカド電池等に比較しての話であって、自動車のように悪条件で馬鹿でかい電力を使うことには向いていない。
エネルギー密度というが、重量あたりに持っているエネルギー量が、ガソリンと比較すると全く低すぎる。
電池というのはガソリン車の場合はガソリンタンクに相当するが、ガソリンタンクなんて軽いものだ。タンク自体の値段なんかしれているだろう。ガソリンは40リットルいれても40kg程度。
一方では電気自体は重さはゼロだが、電池そのものが重すぎる。空でも満タン状態でも重さが変わらない。

これが値段の高さと車体重量という形で問題となってしまう。
スマホ程度、手のひらサイズでも数千円もするのである。自動車を動かそうとすればトン単位の電池が必要となり、値段が数百万オーダーになるのは極当然の結果である。

そしてさらに問題なのは廃棄時の問題。スマホは日本では電池は本体と共にキャリア業者(ドコモ等)が責任を持って回収することになっており、その他の携帯機器でも業界で協会を作り、店頭等で回収し、回収費を負担している。
このことから、リチウムイオン蓄電池の処分においてそこから資源を再回収する(独立採算可能)などというレベルでは全くなく、金をかけないと処分ができないということは明白なのだ。(これはニッカド電池等でも同様)

果たして、テスラやBYDはそういう負担をしているのか。
回収システムを作っているのか。これはどうも「検討中」ということだから存在していないという無責任状態なのだ。
テスラやBYDはまだ責任をとってくれるかもと期待はできるが、あっという間に潰れて破産、今まで売った電池のことなんか知らない、となっても全く不思議でも無い。
現在中国では有象無象の会社が電気自動車を作っては潰れ、大量に放置ー廃棄されているという噂がある。電気自動車墓場というような写真も出ているがフェイクかどうかは分からない。まあ、中国だから今までの前例からして否定できる余地はほとんどないよなという話ではある。

もちろんこれでは「環境に良いどころが重大な環境の悪化を招いている(重金属汚染)」ということである。
これは電気自動車の本質的な責任では無いとごまかす輩もいるが、結果として招いているのだから否定するのは間違いだ。

「じゃあ、他に代替え案があるのかよ」というかもしれないが「ない」。
「ない」からこそ、まだ電気自動車は時期尚早だ、という話なのである。

他にも重大な問題がいくつもある。それは動作温度が5℃~45℃であること。
普通に使えるのがこの温度範囲内で、これ以上や以下だと極端に性能が落ちるという意味である。

温度が低いと内部抵抗が高くなり、そもそも動作しない場合もある。
寒い場所に置いておいたスマホの電源を入れると、さっき充電したばかりのはずなのに、電池が残り僅かになっている経験がある人も多いかと思うが、まさにこの現象である。内部抵抗が高いと電圧が下がってしまい、電池残量が無いと同じ状態になってしまうのだ。
また、使えても内部抵抗が高いと電池内部で電力が無意味に消費されてしまうため、距離辺りの電力量が増えて走行距離が減る。
プリウスなどでも寒い地方では燃費が悪化するという話は良く聞くが、これは暖房要因ももちろんだが、電池そのものの性能が落ちてしまうことも大きいとされている。
電気自動車では致命傷となるので、これを回避するために電池を暖めるヒーターがついている機種も多いそうだが、当然暖めるにも電力が必要となる。

一方で温度が高くなると自己放電や性能の劣化が起きる。
自己放電とは特になにも使っていないのに勝手に電池残量が減っていってしまうという意味である。
性能の劣化というのは電池の寿命が短くなるということ。充電できる量が減ったり、最終的には壊れるという意味である。
最悪発火などを起こすことでさらに温度が上昇し大炎上することも起きえる。

これはスマホでもクルマのダッシュボードで炎天下に晒していたりして実際に時々起きており、また粗悪なモバイルバッテリーで発火、炎上を起こすというのは時々ニュースや動画でも出るから見たことがある人もいるだろう。

問題なのはこの動作温度である。繰り返すが5℃~45℃である。
これはスマホや携帯機器等では、まあ、妥当である。なぜならこの温度で普通は生活しないからである。
一方で自動車の部品としてはどうか。冬に零下になっても不思議でもないし、夏の炎天下で45℃以上になっても不思議では無い。
これを回避するには青空駐車など論外で、少なくとも屋根はもちろん、締め切ったガレージが必要で、場合により冷暖房すら必要であろう。
そんな駐車場、大金持ちかド田舎の裕福な農家かよ、って話であり、行き先で安易に駐車することすらできない。
しかし電気自動車というのは、実はこういう代物である、というのが事実なのだ。

これらの欠点を克服するものとして全固体電池があげられている。
まだまだ未知のものであるから全く評価ができない。
もちろんより自動車に適した特徴を持ったものではあるようだ、程度の話である。
宣伝されている話を信じるのであれば、先に挙げた重大欠点である、エネルギー密度の問題、劣化問題、発火問題、充電速度の問題などかなり克服されているので、電気自動車としてかなり改善されたものになることは言えるだろう。

ついで電池の寿命も問題だ。

いわゆる「スマホの寿命」というのは殆どが電池が持たなくなったからというのが多いようだ。電池の交換をすれば実はもっと使えるのだが、電池交換は高いし機種変の方が安いという話である。
そしてこれが5年とかそういう感じで10年も使っている人など殆どいない、つまりそれまでに電池が使いものにならなくなる。
その程度の寿命なのだ。
一方で自動車が10年寿命と仮に言ったりすると「もう少し乗りたい」と思う人も少なくないだろう。
特に日本車に乗っている人などはそうだろう。

ところがリチウムイオン蓄電池はそこまで寿命はまずない。これはメーカーも言っている話だ。
寿命を公表しているが、よく読むと、到底あり得ないような条件設定、での数字でしか無い。
当然その条件より悪ければより寿命が短くなる。類推すれば5年持てば良い方じゃ無いか、という数字にしか見えない。

じゃあ、交換してくれという話をすれば、かかる費用はスマホと同様に、下手をしたら新車を買った方が安いという話になる。
これは故障で自腹修理(電池交換)となった人の顛末からも推察される。

そもそも例えば10年後に同じ電池を交換部品として存在しているかも怪しい。
もっと突っ込めば、それが未使用品だったとしても何年も前に造られたもので新品同様からは程遠いかもしれない。
仮に新車同様の金を払って交換してもあっという間に使いものにならなかったら話にもならない。

こういった状況のどこが「環境に良い」のだろうか。
ガソリン自動車なら丁寧に大切にメンテナンスしたり、オーバーホールして数十年乗っている事例だっていくらでもある(他の人が乗り継いでいるのも含めて)。製造や廃棄にかかる環境負荷を低減しているのだから、こういうほうがよほど環境に良いと言える。

次に充電費用やインフラについて考える。

インフラはこれから充実していけば良い、等という楽天家も多いようだが、そもそもそこから破綻していることに気づかないのだろうか。

まず、無料充電設備。
こんなものは最初は広告効果込みでやっているところもあったが、どんどん閉鎖されているのが現実だ。
壊れたから終わり、というところも多いらしい。壊れたまま放置というところも良く聞く。
統計上の充電設備は増えるどころかどんどん減ってさえいるそうだ。これはほとんどが無料充電設備なのだろう。

一方で高速道路やディーラーでの充電設備はきちんと増えている。一時期どさっと増えた設備に比較すれば数が少ないから全体としては減っているだけ、という見方もできる。そもそも無料で維持できるわけが無いのだから持続可能性の観点からは健全化しつつある、と言っても良いだろう。

自宅で充電設備を持って家庭電気料金で充電するというのが基本となる。
そうでないと割に合わない。また、契約プランも見直して最適化するのは最低限の話だ。

既に買った人のレポートによれば、街中にある充電設備で充電するのはガソリンと比較しても高くつくのが現実のようだ。
これは充電した電力量では無く、接続した時間単位で課金される、という点も大きい。
ガソリンでいえば何リットル入れたからいくら、ではなく、10秒入れたらいくら、という感覚である。
「じゃあ、チョロチョロしか出なくても同じ値段なのかよ」と言いたくなるが、その通りである。

やや技術的に言えば、自動車側の規格と充電器側の規格の間で最適な方法で接続し給電される、ということのようだ。
見ていると、この最適方法を探るのに自動車側と充電器側で通信を行っているのか、電気的特性を探り合っているのかをしているようで、”運が悪い”とお互いに最悪、つまり低電力でしか充電をしないということも当然起きえる。

単に払うお金の問題だけならまだいい。(いやいや良くは無いだろとは言いたいだろうが)
問題なのは、ほぼ一回で最大30分の時間制限での充電であり、しかも”満タン”には程遠い。
実車のレポートは高速道路でのものが多い(まあ、わかりやすいからね)が、概ね100kmを1時間走って30分充電すると走行距離が100km伸びる、という塩梅である。
つまり、走行プランとして100km1時間走ったら必ず30分の充電休憩はほぼ必須である、と言って良い。
もちろん家を出るときは満充電が必須である。帰りも高速に乗る前にこまめに充電して満充電にしておかないと怖い。

さらにこの30分は厳守である。少なくとも一辺自動車まで戻ってこなくてはならない。なぜなら次の順番待ちの自動車がいるかもしれないからだ。もっと休憩したければいったん普通の駐車場に移動してから休憩の続きをする。
その時点で充電量がどうにも足りなければもう一回後ろに並んで、というのが人として当然のマナーであろう。

こんなので果たして走行プランが成立するのだろうか。私にはどうにも耐えられない。約束があれば数時間は余裕を持っていかないといけない。渋滞が予想されるのならさらに余裕を持つ必要があろう。

上記の話は、比較的好条件での話と考えた方が良い。
大抵のレポートは東京、名古屋大阪辺りだから良いが、これがその他地域だったらかなりヤバイというのは容易に想像がつく。
関東ならまだしも、東北や山陽、山陰、中央、北陸等でもガソリンスタンドすら激減しているのに充電設備など期待ができる由も無い。

ちなみに料金も先ほど書いたように「運不運」にも大きく左右されるが、ざっくりリットル20km相当でガソリン換算するとリットル300円~500円と言った感じになるようだ。
さらに付け加えると高速道路の充電設備を使うには「会員」になる、つまり使わなくても払う基本料金が必要となる。
年に数回しか高速をつかわないよ、という人には画面できる出費なのだろうか。
もちろん「ゲスト扱い」もあるようだが、当然、単価は上がる。

家での充電が必須だ、と言ったのはこういう意味もある。
高い電気自動車を買うのは、ガソリン代(燃料代)を下げたいから、だろう。その額が上がってしまったら割に合わない。
多くの人が高いハイブリッド車を買うのは燃費向上で元が取れそうだから、である。

自宅や、運が良ければ旅館等で安く充電できるかもしれないが、そうでないかもしれない。

さらに追い打ちをかけるが、暖房でのエネルギー消費の話もある。

冷房はまだ良いのだが、そもそも暖房というのは思ったよりもコストがかかる。
冷房は、室内26℃とすれば外気温が35℃としてもその差はたった9℃である。
ところが暖房は室内22℃としても外気温0℃ならその差は22℃もある。

温度差があればあるほど、その温度に到達するまでのエネルギーはもちろん、出入りする熱量も大きくなるから維持するエネルギーも必要となる。
ガソリン車が有利なのはエンジンが発する熱も流用して暖房をしているというところにある。
ヒーターやヒートポンプ(エアコンと同じ)とのいわばハイブリッド暖房となるが、元々捨てるつもりのエンジン熱の流用分だけ、暖房に使うエネルギー量は減らせる。

一方で当たり前だが電気自動車では100%電気で暖房しなければならない。
それどころか、先に書いたように電池の温度が低いと性能が悪くなるため、電池を温めなくてはならない。
つまりガソリン車比で原理的に多くのエネルギーが必要としてしまう。

冷暖房の使用有無で燃費が大きく変わることはガソリン車に乗っていれば当然ご存じであろう。特に寒冷地の方は。
これは走行距離の低下はもちろんのこと、燃費も悪化させてしまう。

そしてもう一つ問題となるのはその重量である。

ハイブリッド程度ならさほど必要なかった電池も、電気自動車では走行距離と電池の量は比例するので、客の要望に応じるようにどんどん電池をたくさん積んでいった。
SUV等ではそもそも重いので、より一層多くの電池を積むことになる。
そのあげく酷い話になると、あるSUVでは4トンを超えるそうで、同格のSUVガソリン車なら2トン程度だという。
つまり電池だけで2トン近くもあるという話になる。ここまでくると呆れるが、セダンだって何百キロも重いので同罪だ。

重量税、というのがあることから分かるように、自動車にとって重量というのは非常に重要な要素である。
燃費の悪化を軽減するために余分な荷物は下ろしましょう、なんていうくらいだが、それだって100kgもない話だろう。
人によってはガソリンの重さから来る燃費を気にしてガソリンを満タンにしないなんて病的な人までいる始末だ。

それなのに数百kgやトン単位で電池のために重くなる、なんて馬鹿馬鹿しいにも程がある、と思わないだろうか。
同じ距離の走行に余計にエネルギーを使うことは当然ながら環境に良いわけが無い。

重量税というのは車重による道路への負荷を考慮し、重ければ重いほど、道路整備のための負担をより多くすべきだ、という観点から重税を課している。
ざっくり言えばアスファルトならそれを余計に削ってしまう、破損を加速してしまう、修繕がより頻繁に必要ということである。
自動車側もタイヤの減りは速くなるし、減ったゴムは粉塵となって環境汚染となる。

一言で言えば、車重が重いことは環境負荷の観点からも百害あって一利なし、ということだ。
これはガソリン税でも重いSUVやデカいクルマに乗っている人への非難として言われてきたことだが、そのまま電気自動車にもあてはまってしまう話なのだ。

 

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あれ?もう電気自動車オワコン?

日本はガラパゴスだの、日本自動車産業衰退(滅亡)だの、散々煽っていたのに、もう電気自動車旋風は終わりなのだろうか。
もう少し持つかと思ったのに。生温かい目で見ていたのに。

まあ、無理筋過ぎるのもそうなんだが、プレイヤーも大概だったのも悪いんでしょうけど。

まず、米国テスラ。欧米中国でそこそこなのに、日本では全くダメ。
なんでアメ車は大概日本でダメかって言えば単純にデカいから。
もう何十年も前から言われているのに、いい加減学習しろよって話。
駐車場に入んない。電気自動車云々以前の話なんだよね。

もちろんディーラーも無い。
欧州車がまだ日本でそこそこ売れているのは自前で持ったり、欧州車全般を受けたり、日系メーカーのディーラーと提携したりで修理・サポート体制を整えているから。
アメ車はそれをやっていないからダメなんだよ。
日本人ドライバーは殆どが自前でメンテすらまともにやる気が無くてディーラー丸投げが基本なの。
米国人はDIYが当たり前だけど、日本人はその点がグータラなんでしょうがない。
ウィンドウ洗浄液やワイパーの交換すらディーラーに投げるんだから。米国人には信じられないだろうけど。

2番手が中国BYD。
これも同じく電気自動車以前の問題。
ディーラーがないことと、中国設計ってだけで拒否感が出るよね。
いかに電気自動車だからといって中国製で400万とか1000万とか、あり得ない。100万でだって買いたくない。
それでも買った人が評判良かったらまだしも、ファーストインプレッションで「まあ、並かなあ」ってレベルじゃあダメ。
日本車はバリエーションが豊富すぎて目が肥えちゃっているから、相当良いか、目に引くものがないとダメ。

しかも故障・事故・不具合が多発。そして対応でも酷い対応、しかも不具合(対応も悪い)やリアル炎上とか聞いたら、「ああ、やっぱりか」で終わり。
あ、不具合対応の酷さや炎上はテスラも同じか。

そして修理費がバカ高い。これはテスラもBYDも同じ。
電気自動車の値段の殆ど(値段が高い原因)は電池によるものということは常識だろう。
そして故障・不具合は電池周りがやっぱり多発するそうだ。それでも保証が効けば良いけど、大概は「それは保証外です」とか言われて自費修理。そうなるとほぼ新車価格の額を取られるだろうと容易に予想がつくが、その通りだそうだ。
お話にならない。
それなら「ざけんな、ガソリン車に買い換えよう」となるに決まっている。

まあ、中国製は壊れたら捨てる、それでも安いから買う、が日本人が中国製品に対して長年学習した結果だからそれに沿っているとは言えなくも無い。だから100万でも高いって感じるんだよね。

あとは些末なメーカーしかなく、大手はまだまだ電気自動車に対して本腰では無い。つまりまともなクルマが無い。

日本はガラパゴスといえばその通りで、自動車の楽園である。
政治で税金をふんだくられまくるのは世界有数の酷い国であるが、一方で日本には多くの優秀な世界的トップ企業が存在する。

「10年で10万km走る」のがみんな当たり前だと思っている。

こんな楽園で贅沢な国はそうは存在しない。だから目が肥えてしまっており、電気自動車なんてカスで使えないクルマを買おうと思えないのだ。

とまあ、非技術的でざっくりとした話はこのぐらいにしておく。
次の記事では技術的な話を中心に電気自動車を評価していこうと思う。

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2024/01/20

派閥”解散”という茶番

派閥解散などと言う性善説に基づいた安易な手法で誰が納得するのであろうか。

そもそも派閥(政策集団)というのは法的にどのような位置づけなのか、これを考えればやるべきことは明白だ。

派閥(政策集団)は、ただの「お友達の集まり」ではない。
「政治団体」という立派な、いわば法人格が与えられているのであって、これが問題であると言えよう。
今般の問題も、このような位置づけだからこそ、「派閥との金のやり取り」というものが法的に成立し、責任が曖昧にされてきている。
「会計責任者」なるものが存在して「会長」などとの責任問題が曖昧になっているのもこの点である。連座がどうのとかの話ではない。

政党も政治団体であるため、多くの自民党議員は、政策集団という政治団体にも属している、ということになる。
そもそもこのような複数の政策集団に属していると言うこと自体もおかしいと考えるべきでは無いのか。
いやいや複数の政策集団に属してもおかしくはない、というのなら、複数の政党に属する議員がいてもおかしくはないのだが、あなたはそれを許容するのだろうか。また自民党において複数の政策集団(派閥)に属することは実質的に排除されている。この実態をどう説明するのか。

つまり、政策集団というものを政治団体として認めない、と法改正(法文的には対象から削除)すれば良い。
ただ、無党派(無所属)で当選した議員が集まって政策集団という形を取りたい場合を考慮すれば、政党と政策集団の両方に属することは禁止すると明文化した法改正するほうが妥当かもしれない。

派閥解消や是非論として「教育組織としての」「政策研究の集まりとしての」「自然と集まるものだから」とか色々いう人達がいる。
だからこそこのような法改正が妥当なのである。

別に議員個人が勝手に集まって勉強するのを制限するものでも無いし、その集まりを「○○会」等と名乗るのも勝手だ。
しかしその集団として金銭管理するようなことはできない。できるのはあくまで個人がやることの延長である。これは個人か法人格かという違いと同じ話だ。
教育だって個々の議員同士で面倒をみたって構わない。まとめて新人教育をやるのならそれこそ党としてやればいいだけだ。
もちろん党の教育部会が複数あったって、専門部会があっても構わない。あくまで党として行う建て前だ。

派閥(政策集団)は「政治団体」格を得ることによって「政治パーティ」をする権利も与えられる。よって政治団体の資格を与えなければそもそも「政治パーティ」を行うことはできない。もちろんパーティができないわけではなくて、普通に一般人(民間人)が行うパーティと同等のものに過ぎない。勉強会なども同じ話である。
もちろん利益を上げれば課税対象となる。勉強会なら収支ゼロ(集金した額が会場代や講師への支払、軽食等で消える)ならば課税対象にもならないだろう。百歩譲ってそこで収支報告、領収書や議事録を添付して申請すれば免税控除が受けられる等の配慮はあっても良い。(もちろんその対象の場合は一般公開が必須である)。これこそ一般民間人とのやりとりがある(支払をしている)のだから、きちんと適格請求書を取って控除申請すべきである。

そもそも、各国会議員には政策研究に十分なお金が与えられているはずなのに、一方で政策集団として集金したり資金の調達や運営するという合理性がない。

不足しているというのなら、党や国会組織に請求できる仕組みを作るべきだ。
それがいわゆる文書通信交通滞在費であって、それを拡大して基本無制限にしても構わない。
もちろん請求書(場合により明細)は最低限でも必須である。また、研究した成果はすべからく公開しなければならないとする。
政策というのは国に資するものであって、(国家機密に属するもの以外は)隠す必要など微塵も無いのだから、当然の理である。
国家機密に属するものであっても一定の期限をもって公開とする。

改革とか刷新というのにこの程度の素人アイデアの話すらでないのかと思うと落胆を禁じ得ない。

 

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2024/01/05

羽田空港事故~ペット客室持込問題~

羽田空港における衝突事故という過酷事態が起きた。
日航機側の乗客においては最悪で入院や怪我程度で済んで本当に良かった。日航乗務員の日頃の訓練の賜であろう。
また乗客においても概ね落ち着いた行動により滞りなく避難が行われたようである。

その中でペットが2匹亡くなったと言うことで議論や署名が沸き起こっているという。
貨物扱いに対しての日頃の鬱憤も出ているのだろうか。

航空機と他の公共交通機関の違い

電車などでは客室に同乗できるのになぜ航空機はダメなのかという疑問意見が見られる。
これは事故後における行動に対する想定による違いと考えるのが妥当だ。

今回の事態もそうだが、航空機事故では事故発生後に一分一秒も無駄にせずにその場から脱出しなければならない、というケースが多い。
揮発性やエネルギー密度も高い燃料への引火・発火リスクというものを航空機は常に抱えている。
今回の様に着陸時の事故が多数だし、飛行中の事故であっても、まずは不時着をしたとしても、いずれにしろその時に発火するリスクはある。これは地面との摩擦熱や火花による引火や燃料系統からの漏れが不可避だからだ。
今回の事故もこの範疇に入る。
一分一秒を争い、生死に関わる危機から緊急避難すべき事態では人命優先であることは論議の余地が無い。

一方で電車の地上を走行するものではそのようなことはまずない。大概は事故が起きた瞬間でほぼ生死が決まる。
怪我の状態が悪く一刻も早く病院へ、とか、このままでは高所から落ちてさらにという事態もゼロではないが、レアである。
事故現場からの回避においては、その場所へいても事態は変わらないので、移動するという意味合いになる。
この場合は可能な限り手荷物を持って降りても問題は無いし、もちろん犬猫のケージを持ってもらっても支障は無い。
避難と言うよりは移動という方が適切である。

なぜ赤子は良いのにペットはダメなのか

泣く(鳴く)という点では同じと言うが、赤子は意外とすぐに泣き止んだりする。すぐに泣き疲れるからだ。
一方で犬猫は1時間でも鳴き続ける。これは単純に体力差にかかっている。
赤子は何も考えずに全力で泣くのですぐに疲れ果てるが、犬猫は適度に力加減をしたり休みながら鳴き続ける知能はある。
また人間と動物の違いというのももちろんある。これは動物の特性上、異種の鳴き声に過剰反応するのは当然だ。

緊急事態での対応について考える。
まず手荷物、特にケージのような大きく硬いものを持って避難行動するのは許されない。
一分一秒を争う中では生死を分ける行為になることが経験上分かっているからだ。
狭い航空機の室内においても邪魔になるし、怪我の要因となる。

なによりも脱出時の滑り台を傷つけることで空気が抜けて使えなくしてしまう可能性が高いからだ。

これはハイヒールすらも禁止である。
滑り降りるときにはバランスを崩して転がり落ちることも当然ある。
硬い突起物や金属製のもの、中にいるペットを含めキログラム単位のケージを持っていたら当人はもちろんのこと、周囲の人間にも一生残るような怪我、または致命傷を負わせてしまう可能性もある。
バランスを崩して転がり落ちる中、これを自分自身で抱えきれるほど、一般人の力は強くは無い。

転がり落ち、最後は頭から地面に落ちればそれで命を落しても不思議ではない。航空機の出入り口の高さを考えれば容易に分かるだろう。
階段での上り下りでも私は怖いが、あれを滑り台で降りるのは恐怖だ。

赤子を抱えながらでもこのリスクはある。だから、赤子を連れての飛行機搭乗に異を唱える人だっている。
それでも”人間”であるから許容されるべき、また、将来ある子供に対して許容すべきという論も一方にある。
しかしそれをペットが同様という論議には全くならない。

持ち込み許容論

客室内持ち込みに関してすら様々な論議がある。
仮に持ち込みができたとしても、緊急脱出時にはケージを持つことは許されない。ましてやケージを開けることもダメである。
万一にも逃げ出したら機内がパニックになるから当然である。
つまり置き去りにするしかない。選択肢は無い。

当然ながら、今回の機内映像を見るまでも無く、機内は火であぶられ温度が上昇、煙や臭いが充満しつつあり、周囲の人間達は恐怖心を感じている。
繊細な犬猫がこのような中で平常・平静でいられるわけが無い。
生半可な飼い主が抑え込んで抑えきれる道理が無いのだ。
成人男子でも、成猫やチワワのような小型犬ですらパニックを起こして暴れているのをきちんと押さえ込めている図を想像できない。
ただの散歩で、小さい犬、若い成人男子、リード付き、これ以上簡単な条件はないのだが、これですらきちんと犬を制御できていないのをいくらでも見かけるから信用ならないのだ。

一方で赤子は暴れてもたかがしれている。そもそも逃げ出さない。周囲の状況を完全には理解できないのもある。
犬猫は周囲の状況を把握し、自分の身の危険を理解しているからこそ、身体能力の限界すらを超えて暴れる。その差は大きい。

高度に訓練された介助犬であれば許されるだろう。しかし、ただの、いや、まっとうにしつけをされていることすら不明な犬のケージを開けるなど論外である。

ここで譲歩するなら、一定の訓練を受けた犬であれば許可する、という考えはある。
犬の愛護団体で認定基準を作り、準国家資格基準まで認めさせることができれば私も許容できると思う。
通常の「ペット」レベルでは程遠い話である。犬どころか飼い主の教育すらまっとうにできていないのが日本のペット事情の実態である。
その状況を大幅に改善してさらに越えたところにこの話はある。仮にいまから取り組んだとして何十年後の話だろうか。

ペット愛好家達の持ち込ませてほしい、という言葉には全く説得力が無い。
「災害、非常時には、モノとしてでは無く家族として、最善を尽くす権利を。」などと言う意味不明で全く抽象的な言葉で言われてもまったく理解・納得が出来るわけが無い。
最善って何ですか?ケージは動かせない、開けるのも不可。その制約下で何をしたいんでしょうか。自分は脱出するのは最後で良いのでお別れを言う機会は与えてほしい、というのなら理解はできます。でも、最後に機長が脱出する前には一瞬の躊躇も無く終わらしてもらわないと困ります。その程度しか論理的・物理的に不可能です。

いささか非常識ですが、このような考えもしてみます。
ケージから出さない、つまり初めからケージに入れずに赤子のように抱きかかえ続ける、これで機内持ち込みするという考えです。
機内乗り込みから到着し降りるまで、それが1時間なのか2時間なのか、その犬猫を紐などであなたの体に括り付け、抱きかかえながらずっとその状態を維持するのです。
もちろんその犬猫を絶対に暴れさせてはなりません。鳴くのは原則として禁止です。少なくとも鳴き続けさせるのは禁止です。
なお、脱出時でかまいませんので、手足に袋をかぶせ、口には猿ぐつわをしてください。牙や爪で滑り台を傷つけるのを避けるためです。
それならば緊急時には抱きかかえながら一緒に脱出することを、私は許容できます。
なお、万が一管理不備で逃げたら緊急着陸となり、それに対する損失・賠償は飼い主に全てかかるのは至極当然のことです。

さて、こんなことできますか?無理ですよね。最大限譲歩しても無理な方策しか出てこないんです。

航空機はかなり一般的になりましたが、ほんの50年前ですら、航空機による海外旅行は一般庶民には遠いものだったのですから。
空を飛ぶという特殊性故に、まだまだ制約が大きいのです。

あくまで人命優先

仮に求めるものがあるのなら以下の話になります。
まずは人命救助、つまり全員の脱出が大前提です。
その次に助けるべきなのは貨物室に入っていた動物たち。次善として彼らを助けるために貨物室の入り口を開け、荷物よりも優先してケージを出し、安全なところに移動させる。これにおいて最善が尽くされる体制か、この点です。
これを求めて行く、というのならまだ話の筋としては妥当です。

今回のケースで言えば、避難完了から2分後には全体に火の手が回っていたという点、それ以前に火の回りのせいで8箇所中一番前と一番後方の3箇所にしか避難口が確保できなかったこと、貨物室の出入り口がどこなのかの詳細は不明ですが普通に考えて真ん中に近いだろうという点、これらを考えると安全を確保してそこに入ってケージ2つを持ってくるのは不可能と考えるのが妥当でしょう。

そもそもいつ爆発するかわからない、燃えさかっている機内に入る、目的が人命救助ならまだしも誰かのペットだなんてないです。億単位の大金を積まれたならまだしも、普通は嫌だと考えるのが普通の人間というものです。

権利には対価を

例えば機内持ち込みはファーストクラスなら可にしても良いのでは無いでしょうか。
さらに言えばファーストクラスより上位で他の人に迷惑がかからないよう、防臭・防音・防飛散毛等の配慮をした完全個室(閉鎖空間)を作ってもらう。これならペットと自由に遊びながら旅行ができますね。

これでも緊急時避難はできないので、対策として専用の脱出口を装備してもいいでしょう。
やればやるほど価格は跳ね上がっていきますが、需要があれば供給があるのが自由経済社会です。
権利をと言うのならその対価をキチッと払っていただければ、その権利は提供可能かもしれません。
そういう方向で要求を出せば通りやすくなるのは当然のことです。
当然ながら現在のファーストクラスの数倍になるのは間違いないでしょうが。

それでも権利というのなら言ってもらうのは構わないと思います。
そのための署名というのも別に自由でしょう。
数万人規模の人が、年一回は利用するという需要を示せば、航空機会社や航空機製造会社も動きますよ。
(なにせ超ファーストクラス=高収益ですからね)

その程度の覚悟も無いのならただの戯れ言でしかないです。
「ペットは家族です」という気持ちを私は否定しませんし、尊重もします。
ただし、それは趣味の領域であり、その気持ちは尊重すべきというだけですから。
人権のように根源的なものであり、無償で配慮すべきものとは程遠いです。

海外では客室持ち込み可能・・・だから何?

海外では持ち込み可能な航空会社もある。
そのことを言って同様の対応を求める声もある。
あたかも対応していれば今回の事故で助かったかのような言い方をしている人がいる。おかしな話だ。

現実はその各社においてもペットは「持ち込み荷物」。
また国内の航空会社の中にも同対応はあるが緊急時にはペットは置き去りにする旨が明記されています。
海外各社は明記していないから勘違いしている人もいるようだが、緊急脱出時には荷物持出し禁止はグローバルスタンダードなので、結論として一緒に旅ができても、緊急時にはペットと共に脱出はできないのは至極当然。
国内会社が明記しているのは多くの日本人はこういう当たり前の推定ができないから書いているのだろうと容易に推測できる。

つまり、今回の事故において仮に持ち込み可だったとしても、ペットの生死の結果は同じということになる。
持ち込み可にしても「緊急時にペットを助けたい」という想いはなんら解決しないのです。

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2024/01/04

ダイハツ不正問題について

年も越して色々なことがでてきた。

まずは第三者機関での認証の結果、対象の車種はいずれも安全性には問題がなかったという結論のようだ。
私はそれだったら生産の再開、流通や販売、納車なども行っていけば良いと思う。
しかし世間(?)ではどうも「それでは許さん」的な空気があるようで私の肌感覚とはズレがある。

体質改善とか反省とか、そんな抽象的な話はどうでも良いと私は思っている。
そんなのは会社のイメージ的な問題であり、聖人君子や清廉潔白などこの世には無いのだからどうでも良い。
ここで重要視すべきは「その製品がきっちりと決められた安全確認をしているか否か」だけである。
「その確認している安全性に問題がある」のならそれを決めている国土交通省に対して矛先を向けるべきである。
不正を行った会社の製品なんか買いたくない、というのは別に買う人の感情論であって、売ってはいけないという理由にはならない。

もちろん「ダイハツの安全認証が信じられない」という声は否定できないが、これの解決策は至極簡単である。
当分の間、ダイハツ以外で安全認証をすれば良い。
第三者機関で認証してもかまわないし、なんなら国土交通省にお任せしても良い。
そうするのが本来であり、それは国土交通省の負担もあるので各社でやっても良いよ、というだけなのだから。
また第三者に出さないのは単純にお金を外に出したくない(内製化したい)、という理由だろうから、緊急時、一時的と言うことで外に出してもなんら問題は無い。親会社のトヨタにやってもらうのも手だろう。
別に車種毎に上記の色々なところに出しても構わない。受けてくれるところに突っ込んでいけば良いだけのことだ。

 

では、体質改善の話に行きたいと思う。

第三者委員会による報告書から見える問題であり、品質管理、公的認証という立場から見て私には不可思議なのは以下の点である。
矢印の次が私の突っ込みポイントなので予め言っておく。

「すべてうまく行く前提のスケジュール」→まあ、うちの認証日程は守りますよ。きちんと試験に関する前提(必要な台数を揃えて持ってくるとか)をクリアしてもらえれば。むしろ他の車種の日程とブッキングすると大変なんでスケジュール厳守で持ってきてください。万全の体制でお待ちしておりますので。

「工程進捗の死守が要求される風土」→死守は当然。これは否定されるべきではない。ただし崩れたら再設定すべきなんですけどね。まあ、頑張ってください。もちろんうちは守りますけど。え?短くしろ?時間工数が決まっているんで不可能ですね。人を増やすか外に出すかしかないですね。

「前工程のしわ寄せをすべて最終工程に」→まあ、予めの日程は厳守しますけど、遅れたらその分だけ遅れるだけですよ。まあ一発合格のために事前にチェックできるところは可能な限り協力しますけど。(「しわ寄せ」というのは節目管理で遅れを生じているということ。この時点で工程進捗管理を幹部がしていないのが大問題。また節目での遅れを幹部にキチンとやっていない中間管理職の大問題。それを知ろうともしない幹部連中の怠慢。まさか節目管理すらしていないとしたら内部統制が全くなっていないということ。困ったもんですね。)

「試験は一発勝負で、不合格は許されない雰囲気」→試験は一発勝負なのは当たり前。試験は偶然合格するまで何度もやるものじゃない。問題点をクリアしてから再試験をするもの。当たり前じゃないですか。(え?そういう意味じゃないって?)不合格が許されないのはうちの問題じゃない。不合格のものを合格にできるわけがない。不合格なのはその製品が不十分だっただけであって、開発設計や製造部門が頑張ってくれ。うちがどうこうできる問題じゃない。

まあ、こんなところだ。なんか自分勝手で無責任に思えるのなら、その方が感覚が狂っている、と思った方が良い。
認証試験や品質保証に関する試験というのは公的試験ともいえるものもあり、品質部門がやっても、他の第三者機関や公的機関や、他社がやっても同じ結果がでなければおかしいのだ。だからあくまで物理的現象を測定して判定しているだけだから論理的であり科学的であることが最優先で「他人事」のごとく対応しなければならないのだ。だからトップがどう言おうと結果を覆すことは不可能。(もちろん社内規格レベルで僅かな不合格ならトップの判断で合格とみなすことはある)

一番の問題点としては、試験者が不合格判定を下した結果を上司に報告したとき「で?」(オレに不合格と上に言えというのか?言えるわけないだろ)というような反応。そういう社風になっていることが間違いである、と断言できる。
「で、レポートは?」と言ってその内容を精査し、問題(ミス)が無いことを確認した上で上申する。それだけのことだ。
最終的にはそれが会社のトップまで行く。そして不合格となった点に責任がある部門に雷が落ちる。それが当然の会社組織だ。
(もちろん根回しで雷が落ちる前に落ちそうな部門にも結果や情報は渡すぐらいはもちろんするのだが)

会社の組織図では品質部門は独立性が高いという位置づけのようだが、幹部レベルの認識がそうではなかったのが問題なのだろう。
幹部は「知らなかった」などとほざいているようだが、お門違いのところに雷を落していなかったか、猛省すべきである。

品質部門のトップも問題である。当たり前だが、最終的には品質部門と開発部門、製造部門との空気は悪くなる。
だから品質部門と開発・製造部門のトップ同士の仲は決して良くないのは当然である。というか、そうでなければならない。
品質部門に「しわ寄せ」が来そうな時点で遅らせた前部門(つまり開発・製造部門)に文句を言わなくてはならないのだ。
開発の遅延は色々な節目で見えるものだ(見えなければそれを節穴というのだ)。品質部門はそれを監視してそれを会社のトップに報告(チクる)ぐらいはしなければならないのだ。当然開発部門が快く思うはずもない。
品質管理というのは警察役、と表現する人もいる。憎まれ役上等なのだ。

そしてその仲の悪さを取り持つのがその上の会社のトップの役割である。

もちろんこの仲の悪さというのは組織上の役割の話である。
特に担当同士はお互いに仲が良かったり情報を交換している。でも最後の一線は守る。不合格は不合格。
お互いにプロのエンジニアなら理解できる。
「役職」とはよく言ったもので業務上の「役」に過ぎない。ドラマの役と本人の本性なんか真逆だって不思議じゃない。そういうものだ。

 

では、私の考える解決策。
当分の間は第三者認証に頼る。従来の部門はそこへの窓口部門となる。
徐々に自部門でもやるように移行していく。
体質が変わるまでは第三者認証も何車種にひとつかはランダムに(自分達以外は分からないように)行う、と宣言する。
それだけである。もし定着し空気が変わったらそっと第三者認証はやめれば良い(これはわざと宣言はしない)。

こうすることで品質部門がまず「他人事感覚」を醸成すること、他の部門も、もちろんトップもそれが当然であると認識すること。これが体質改善である。
第三者認証する会社に不合格に対する文句を言っても無意味なのは誰でも分かることだろう。
いくらバカでも文句を言ったらどんな返答が帰ってくるかぐらいは分かるだろう(分からないなら辞職したほうがよい)

第三者認証会社の代わりに社内でやっているだけなのだ、とすれば頭の悪い幹部や仲南管理職も理解も容易であろう。

厳しい日程厳守とか、厳しい環境とか、そんなものは簡単には変わらない。営利企業なのだから。
しかし、最後の締めを間違えてはならない。終わりよければすべてよし、である。
もちろんむちゃくちゃな日程で犠牲となるものは多い。しかしそれは製品の魅力の低下だったり質の低下だったり、労務的には人材を失ったり集まらなかったりするが、それは不正ではない。結果としてその会社の魅力が落ちる、それだけのことに過ぎない。そこまで干渉する義理立てもない。
今回の問題は不正という越えてはならない一線を越えて、それを隠し続けていたことが判明したことが問題なのだ。

 

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