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2022/10/23

雇用調整金不正に関する労働局不作為の問題

TBSの報道特集で旅館の不正請求問題が取り上げられていた。
トップ~幹部あたりまでの関与は闇の中だが、この点ははっきりいってどうでもいい。

いわゆる「社内の空気」「忖度」色々な言葉があるが、これらを総合して実行者がやっただけなのだから。

それよりも大問題なのは労働局の不作為である。

休業した本人が、労働局に自分に関しての休業補償を会社に払ったか、ということは守秘義務だから教えられないという。

全く理解できない。

テレビの絵面としては電話で聞いて答えが得られなかった訳だが、それは仕方ないだろう。本人確認できないのだから。
しかしテレビの取材で、かつこの非開示で取材が長引いたというほどなのだから、当然本人確認の上の開示という話はしているだろうから、そこはツッコまない。

思いたくは無いが労働局は何らかの社会的に不適切な動機で伏せることにしているのではと疑わざるを得ない。
その理由として「守秘義務」等と言う一見まともっぽい理由をつけているだけである、と言わざるを得ない。

前提として元々労働局は任意に事後調査を行う、と宣言している。
会社への訪問や社員へのインタビュー等を行うと具体的に示している(労働局のホームページ等)。
理屈は不明だが、社員へのインタビューという時点で労働局が遵守したい守秘義務はどこかに消えているようだ。

ともあれ、まずは本人が会社の不正を疑って労働局に連絡をしている。これは告発である。
社員(社員に限定されないが)の告発を受けて、労働局は調査を行うとその場で決めてもなんら問題はない。
なぜなら元々無作為抽出でやるべきものだから、その告発が真偽不明であろうが、その会社を即調査しても全く問題は無いはずだ。
そして労働局は「あなたの休業補償はこれだけ払われているのですが、あなたの認識とあっていますか」と、問い合わせてきた人にその場でインタビューすれば良い。

ここで問題なのはこの守秘義務とやらで当人にすら情報開示を拒むという姿勢が、不正受給を助長しかねないということである。
たまたま報道されただけで、はなから犯罪としてやっている界隈では”常識”だったとしても不思議では無い。
詐欺を行う人達は大抵頭が良いので、この程度は頭を回して事前に調査(ためしに電話をかけてみる程度のことだ)しても不思議でも何でも無い。彼らはちゃんとリスク計算ぐらいはするからだ。
せめて「電話ではお答えできないのでご本人が(本人証明を持参の上)来て下さい」というのならまだ抑制がかかる。しかしハナから応じるつもりが無い、こともあろうか「守秘義務」「企業の情報保護」を出して拒否するのだから、不正を行う側からしては、「これならバレるリスクは少ない」と思って当然で、「これはカモ案件」と思う訳だ。

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2022/10/22

高額献金問題。家族による取消し要求は違憲?

複数野党の共同案において、家族による取消し要求条項を提案しているが、自民党は否定的だという。

不可思議なこともあるものだ。あれだけ「家庭」を強調している自民党がなぜ否定的なのだろうか。
それは自民党が「家庭」は大事にするが「家族」はどうでもいい、関係ないと考えているからだろう。
自民党が「家庭は大切」を持ち出してきた時には要注意という良い事例である。

高額献金によって、家庭が崩壊するというのは客観的ではないが、高額献金によって扶養家族に十分なお金が回らず、憲法で保障される「健康で文化的な最低限度の生活 」すら怪しい事態が起きていれば明らかに問題であろう。

曖昧な規定である「財産権」を持ち出し問題視して、一方で憲法で明記され、かつ生活保護認定で具体的事例が積み上げられている「最低限度の生活」の棄損を問題視しないのは明らかにおかしい。
ここは様々な意見がありそうだが「財産権」というものは主旨としては「国家などによる剥奪(接収)」を禁止しているのであって(だから公共の福祉という制限、補償が必要と書かれていると考えられる)、個人の財産の処分の自由を直接保証している話ではないだろう。

今回の条項の話に戻れば、あくまで家族同士の話し合いがまず前提にあって、どうしようも無い場合に公的機関に裁定を求めるもの。別に公的機関がいきなり介入するような話ではない。民事裁判や離婚調停などと同じ話である。

特に今回の事例で言えば、「本当に当人の財産なのか」が怪しい事例が多いのではなかろうか。

具体的に考えてみよう。

まず、今回の発端となった安倍元総理を殺害した容疑者の家庭の場合。
献金したのは彼の母親。彼の父親はエリートサラリーマンで持ち家とされ、その状況を考えれば財産の殆どは父親が稼いでいたと想像される。
一般家庭でよく言われる「家にお金を入れていた」形で家庭を維持、子供を育てていたと推定できる。
その中で貯金をしていたのも普通にあろう。
このような状況下で、母親の”独断”で高額献金することが「個人の財産処分の自由」に相当するのだろうか。

「家にお金を入れていた」というのが「譲渡」なのか「預託」なのかというところは法的には曖昧な話だろう。
家族の銀行口座というものは普通にある話だ。法的には個人の口座だが、二人が共用して使っていることはよくあるし、銀行も違和感なく受け入れているのではなかろうか。その結果、よく離婚時の財産分配で揉める要因として良く聞く話だ。
このように曖昧で当事者同士ではお互いの主張が折り合わず、公的機関による第三者裁定が必要ということだろう。
例えば、このような裁定を行えば、寄付したいとしている1千万のうち、当人のものと認められる(自由にできる)のは2百万なので、自由に寄付できるのは2百万、という裁定もありえるだろう。よって8百万は償還請求ができるという話になる。

また祖父も金持ちで、多額の遺産を相続した(それも献金した)と伝えられている。
法的に言えば相続した母親の資産ではあるのだろうが、世間様から見れば「彼女の資産」などと言えたようなものでは無い。
遺産は通常、子供(相続権はない孫のためも)に遺したものなのだから。

単純に言えば「母親が自分で稼いだお金」を母親が献金するのは自由かもしれないが、それ以外を勝手にどうこうすることには疑問を持たざるを得ないというのが社会的通念ではないのか。

別の事例を考えてみよう。
実際のいわゆる2世の意見である。
親が有り金全部寄付してしまい、今もお金がなくて困っている、と言う。
親が自分の老後資金が全くない状態になっており、将来、その親を扶養する「私」の身にもなって欲しい、という意見である。
これを「親(個人)の自由」で片付けて良いものだろうか。

貧乏でも懸命に働いて育ててくれた親に対してはその老後を扶養し面倒を見たいというのは当然の心情である。
しかし、十分に稼げていて普通以上の生活ができるはずなのに、親がとんでもない高額献金で貧乏暮らし、いくら注意しても聞かない親に対してはその心情がわくだろうか。成人したら親子の縁を切ってしまいたくなっても自然だろう。

自民党は「親の老後は子供が見るべき」的な姿勢が強いが、それならば親子の縁を切ってまで逃げたくなるような行動を加速するような事態は避けるべきではないのか。
まったく政策がちぐはくであると言わざるを得ない。

「家庭、家族の絆が大事」「子供が親の面倒を見るのは当然」というのなら、こういうところだけ「個人の自由」を振りかざして全否定するのではなく「家族の意見も尊重すべき、それでもダメなら第三者を入れても家族の意見を調停すべき」とすべきである。

繰り返すが自民党の「第三者が個人の財産に口を出す」のは問題だ、という主旨で否定的な見解とするおかしい。違憲というのも拡大解釈に見える。
認識不足か、何かしらの意図でねじ曲げて解釈しているのではなかろうか。(旧統一教会的な発想ですらある)
あくまで「家族が第三者裁定を求める場合は、公的機関がそれに応えることができる」という規定である。
法律で明示することで「こういう道もある」と明示することも、法律として重要な役割の一つではなかろうか。

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2022/10/09

Googleレンズで宿題

Googleレンズという便利機能で宿題に関して賛否両論あるらしい。
まあ、賛否両論であるのは当り前だ。

なぜなら、この問題は永遠の論議の話題である「なぜ勉強するのか」に集約されるからだ。

少し違う言い方をすれば、人によって「なぜ勉強するのか」「なぜ宿題が必要なのか」という視点・見解が様々だから、それに従って勉強・宿題に対する取り組み方が十人十色となる。
今回のGoogleレンズの仕組みが判っている/いないという問題も更に意見を食い違わせる要因となる。

仕組みに関して簡単に説明をしておこう。

Googleレンズでの宿題、という機能に関して言えば、要素が大きく分けて2つある。

1つは撮影(写真)および写真に対する文字認識機能。
もう1つはその文字(文章)に対する回答機能(検索機能)。

前者はGoogleフォトというアプリであった機能で、撮った写真に対して文字認識をしてテキスト(文字列)に変換できる。
もう一つはGoogle検索において、例えば数式なら回答を、英文なら翻訳を行う機能(?)である。
Googleレンズを使わなくても普通にGoogle検索で「3X=6」などと打ち込めば「X=2」と回答してくれる。

この2つを合体させてスムーズに行うことで”宿題回答機能”を実現しているだけのことである。

 

さて、この機能を使って宿題を終わらせることによる賛否だが、私はやりたきゃやればいいんでね、と思っている。
別にこんなのは昔からよくあった「友達の宿題を写させてもらって終わらす」の「友達」が「Google」になっただけ。
この件も「IT時代」「AI時代」とかそんな論点で話をしたってなんの意味も無い。

「写すとき」にある程度考えて納得しながらやるのか、いわゆる「丸写し」をしているのかは知らない。
「こんな簡単なことくだらないからやりたくない」「数学で人生無駄にしたくない」とか色々思いもあるだろう。
そんなのただの人生観の違いなんだから、人それぞれ違って当り前。論議したって何の意味も無い。

 

さて、ここからは私個人の見解(スタンス)を書くが、別に他人に押しつけるつもりは毛頭ない。
そんなもの聞きたくも無いのならここで読み終えていただきたい。

私は宿題というのは要る要らないの論議すらどうでもいいと思っている。
そんなものなくても、勉強するからには、それ以上の「練習」を「自主練」でやって当り前と思っていたからだ。
宿題なんか自主練の最初のウォーミングアップのひとつでしか無い。

押しつけられるのが良い悪いは感情論でしかないのでこれもどうでもいい。
単純作業が余りに多いと感じるかもしれない。もっと高等なことをしたいというかもしれない。
でも、たかが宿題に出る程度の単純作業なんぞ簡単にこなせないでどうするのだろう、と思う。
社会に出ればいつの時代でも「単純作業」は結局なくなるものではない。
人にとっては単純作業でも、AIにとっては単純作業で無いことは多々ある。
今のAIの延長線上では「意味の理解」が原理的にできないのでそこが限界となる。

まあ、そんな高度な話でなくても、ちょっと試せば今ですら簡単に答えられないものが出てきてしまう。
例えば「X2(エックスの2乗)+1=0」すら「実数解はないので回答不能」と出してくる。
「実数解なし」であって虚数解は存在する。参考に虚数解の答えも書いていれば良いのだが、今のところ出てこない。
中学生数学なら対応できるが、高校生数学には対応できない、ということだ。
数学は積み重ねなので、機械に頼って楽をしていると、いきなりハシゴを外されることになる。
まあ、わからんでもない。虚数は概念の難しさもさることながら、その文字列処理も一段複雑になってしまうからだ。
それでも所詮は一段程度だろうから乗り越えてきても不思議では無いが。

もうひとつ、「いや、回答のヒントをもらっているだけで実際には自分で解いている」とうそぶく人もいる。
これも昔からある話で、友達と勉強していて分らないからヒントをもらって「解けた」と喜んでいる類である。
なぜこれがダメなのだろうか。

数学においては「どの公式をどのように適用するのか」「この問題でどのように式を組み立てるのか」が重要な要素、というか、そこが数学を”勉強”する意味そのものと考えている。
つまり肝心なところを「ヒント」と称して教えてもらってしまい、あとはただの単純作業をしているに過ぎないので問題を解いているとは言い難い、殆ど意味が無くなってしまっているということなのだ。
これもこういうのが慣習化していると急に壁にぶち当たった様に感じるときが来てしまう。

次に英語の話をする。

仕事でGoogle翻訳を日常的に使っているのだが、まあ、まっとうな日本語/英語は出てこない。
下手をすると間違った意味で伝わりそうな代物がでてくることもある。

つまりGoogleレンズ(結局はGoogle翻訳)で出てくるものを完全に信頼してはダメである。
宿題の解答で使えるような代物でも無い。

「おい、さっきGoogle翻訳を使っているといってるじゃないのか」というのは良いツッコミである。

完全に信頼はできないが、そこそこは信頼できるから機械翻訳を使っている。
ああ、こういう意味、こういう単語があったな、と辞書を調べなくて済む。
おおよその意味を掴むことはできる。その上で精査する。
ここはちょっとちがくね?と思ったらそこは辞書を検索する。
ここの「精査」には英語・日本語をきちんと勉強していることが前提である。

特に、例えば英日翻訳というのは英語→言いたいこと→日本語であって、英語→日本語という単純作業では無い。
AIによって単純置き換えでは無くなってきたが、まだ大分怪しい。
世の中の数多の日本語・英語を読んで学習はしているのだが、肝心の”意味の理解”が原理的にできていないので、どうしても怪しい。

よく言われる、Google検索で
「おいしいイタリアンを教えて」でも「クソまずいイタリアンを教えて」でも同じ結果が出るという話と同じだ。
Googleが抽出できているのは「イタリアン」だけで、その検索結果の店に対してスマホの位置情報を元に近くにある店(両者の距離を計算して近く)から表示しているに過ぎない。
その後にこういう批判が出るとそのうち「おいしい」と「まずい」を抽出して加味するようになるかもしれない。
でも、この辺は際限が無いのでやれるだけ個別にやっているのであって限界がある。

一方で、例えば文法的に正しい言葉で書かれている「看板の文字」やらはかなり正確に変換できる。
単語や簡単な文章だけのメニューやらもそうだ。だからGoogleレンズを観光に使うというのは非常に便利な機能である。
そもそも機械翻訳と理解して使っているから多少おかしくても常識で補正する。

先般テレビでウクライナ人と日本人の両方がお互いの言葉は分らないが、Google音声翻訳で”会話”をしていた。
ウクライナ語が分る人なんてそうはいないので、通訳者なんかみつからない。だからそういう場では無いよりは遙かにマシなのだ。
日本語は明らかにおかしかったし、多分ウクライナ語も変だっただろう。
しかしお互い少しでも気持ちを通わせたい。それが目的である。なにもないよりは遙かに有用なものだと言える。

でも「宿題の問題に対する答え」は違う。必要としているのはGoogleの出した答えでは無く、あなたが考えて書いた答えである。
そこを勘違いしてはいけない。

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2022/10/02

井上喜久子17才です「おいおい!」


声優さんの自叙伝、エッセイです。
井上喜久子さんは声優さんの中では有名人の一人でしょう。(大御所とか言われるのは嫌でしょうから)

「おいおい」「はいはい」が既に定着しつつあったころ、たまたま秋葉原の駅前広場でなにかのイベントに出くわして、ちょっと見ていたら生で「井上喜久子17才です」を聴けたのをいまだに鮮烈に覚えています。

私から見ては年齢差からしてリアルに「お姉ちゃん」で、同世代を生きてきた方でもあります。
井上さんがご自分の経歴を語ると私にとってもたくさんの作品を見ていた自分の歴史を振り返るようで、懐かしくもあり、そのころのことを思い出して涙が出そうになるところもありました。
昔の歌謡曲(懐メロ)を聴くと泣けてくる、それと似たような感情なのだと思います。

才能に溢れ、キラキラ輝いていた声優さんの一人と思っていたのですが、実は苦しんでおられたというのが意外でもあります。
一流の仕事となれば苦しいのは当然とも言えてしまいますが、その結果として私たちを楽しい思いにさせてくれていたのですね。

最近は文字を読むのも億劫になっていたのですが、あっという間に読み切ってしまいました。
(比較的文字が大きくて行間が広いというのもありますが)

値段が高めなのは撮り下ろしグラビアが入っているからでしょう。
フリフリのワンピース、女子高生制服、メイド服、宣伝で出ているラウンドガール、選挙ポスター風。
あと幼少時からの写真や身の回り品、特技が華道ですがその作品も写真で入っています。

堀江由衣さん、実の娘さんの井上ほの花さんとの対談が入っています。
ほの花さんとの対談では親子関係がとても良くてほっこりしてしまいます。
(本全体を見ても)一番印象に残ったのはこのくだりです。

「お祭りがあるから塾を休んでいい?」
「ほっちゃん、塾よりもお祭りの方が大切だよ」

”最優先事項”がなにかを気づいていないとなかなか言えないでしょう。

子どもの時のお祭りのキラメキ、トキメキ、それが大切な事はみんな知っている、覚えているはずです。
でも忘れてしまったりしているんです。そのことを。
覚えていても気づいていないんです。塾に行くのが当り前、と言うことでそれを奪ってしまうことを。

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