消費税下げたら年金カットという恫喝
それなら年金保険料を上げるべき
そもそも消費税等の税金で年金を補填しているのが大間違い。
年金は国民あまねくという制度ではあるが、大原則は保険なのだから掛けた人以外から徴収すべきでは無いのは当然。
しかし不足しているから補填している訳で、その原資がなくなれば年金を払えなくなるのは必然。
その場合「年金カット」つまり支給を減らすというだけを言うのは恫喝。ネットで「恫喝」という刺激的な言葉を使われているのはあるが、議論となっていないので恫喝という言い方で反発を招いているのだろう。
議論すべきなのは「年金カット」か「保険料を上げる」のかの選択を迫ることである。
なぜ「保険料を上げる」を言わないのか
簡単な話で、保険料というのは各個人の給料から天引きされているのと同時に同額を会社側が払っている。
つまり保険料を上げるということは、個人(家計)の負担が上がると同時に、会社側の負担も増えてしまう。経営者にとっては不満でしかない。
自民党と商工会議所などの経営陣とは蜜月関係というのは言うまでも無いわけで、自民党議員はそんなことは言えない。
自民党は「消費税」そして「年金」が選挙の焦点になるのが怖い
自民党以外は全ての政党が「消費税減税」なので与野党のの対立軸は当然「消費税」に集まる。
そして自民党が怯えるのが、「消えた年金問題」が吹き荒れ、自民党が政権与党から落ち民主党政権が生まれた13年前の(自民党にとっての)”悪夢”である。
そこで細かい議論になるのを避けて「年金カット」という至極判りやすい恫喝をかけた、のではなかろうか。
「シルバー民主主義」の中でこの言葉はシルバー世代に直感的に、感情的にひびく。
「うっかり消費税減税に乗っかると年金カットされるかもよ」という流布が起きるのを期待しているのかも知れない。
なぜ恫喝という言葉を私が使うかと言えば、冷静な議論を避けてあえて感情が先に出るような言葉を発したからである。
保険料が上がってもいいのか
ここで重要なのは、そもそもあなたは消費税をいくら払っているのですか、ということ。
保険料が上がったとしても、それ以上に払っている消費税が減った方がおトクでしょう、ということ。
例えばあなたがたただの会社員などで年収400万円ぐらいなら、おそらく年間200万円は”消費”しているだろう。
だとしたら8%減税を考慮しなければ年間20万円くらい払っていることになる。
それならば消費税がゼロになれば、あなたが払っている保険料は年間20万までなら上がってもおトクである。
年間20万なので保険料が月に1万上がっても問題ない。そういう損得勘定をすれば良い。
ここで先にいった「会社が半額負担」が効いてくる。
”あなたの分”だけを考えれば消費税がなくなって減るのは20万円。
それを補填するために上げる保険料は会社が半分の10万円を払うので、あなたが払う分は実は10万円で良い。
つまり「消費税を廃止して年金保険料を上げる選択肢の方が、多分、あなたにとっておトク」になる。
当然そのとばっちり(痛み)は誰かが食うのだがそれは「あなたに給料を払っている会社」である。消費税減税というのは実は企業にとっては増税も同然である。それを「あなたは容認するのかどうか」ということである。
消費税・年金問題への選択も当然問うている選挙
あなたが会社の経営者とかで誰かを雇っている立場なら「消費税減税・保険料上げは勘弁してくれ」であろう。当然だ。
年金生活者や自営業(つまり自分が経営者)も同様だろう。
あなたがただの会社員、雇われ側なら「保険料は上がっても消費税減税のほうがトクなので賛成」となろう。これも当然だ。
生活保護やら給与が低くて保険料の減免を受けている人も当然生活が楽になる。
こういった各々が持つ立場、意思を示すのが「選挙」なのである。
年金生活者が多いだろう「シルバー世代」の投票が多ければこの恫喝も容認となってしまう。
雇われ者が多いであろう若い人達の投票率が低いのを見透かされている、のかもしれない。
要するに投票率が低い層は損をし、高いほど得をする、ということ。民主主義というのはそういうものだ。
「シルバー民主主義」「若者の意見が無視されやすい政治」は、老年層の投票率の高さ、若年層の投票率の低さという数字の結果だ。
それを覆す方法は単純でただひとつ。若者が一人でも多く投票に行く以外に方法はないし、投票さえすれば投票率という数字は上がる。
年金問題を持ち出したのは「悪手」だったのでは?
消費税減税に関して適当にはぐらかしていればよかったものの「年金」というキーワードを持ち出したのは私には自民党としては悪手としか思えない。
私が上で述べたような話は以前から問題視されてきたものである。
それらがこの選挙でクローズアップされるのは困るのでは無いのか。
選挙に絡めて最後にひとつ
「自分が選挙に行っても行かなくても何も変わらない」という。
全くその通り。そもそも考えてもみて欲しい。あなたが一票をどちら意見に入れるか(一存)で政治(住んでいる世界や制度)がガラリと変わったとしたらそれこそ恐ろしい。なにかラノベの空想物語のようだ。
誰か一人の意見で世の中が変わるのは専制政治、独裁政治の世界であり、ましてや一般市民の「あなた」が左右できるわけがない。
nなので「何も変わらないので行かない」というのはそもそも意味不明である。
あなたは日本国民であり、あなたの意見は有権者数千万人分の1でしかない。
しかし、それらの微々たる一人一人の意見が集約され、積み上げられて多数の意見とみなして動くしか無いというのが日本という大人数が住まう国の国家運営である。
その微々たる1に加わるのか、自分は0となり傍観して誰かに委ねるのか、それを選ぶのも自由ではある。
「選挙に行かない」というのは「自分はどうでもいいので誰か適当にやっといて」という態度であり、政治やら行政に関して不平や文句をいうのはおかしな話になる。
民主主義でやっているのだから、自分の意見が最終的に通る通らないは関係なく、まず意見を持つ。単なる自分にとっての損得勘定でも良いし滅私で「世界平和を願って」という気持ちで考えた結果でも構わない。投票に言って”言う”ことが、実効的にできる基本となる手段であり、その上で不平や文句を言うべきである。
それも難しいというのなら、まずは「自分はここにいる」ということを示すために投票するだけで良い。そもそも「変わらない」のならば誰に入れたって同じと自分で言っているでは無いか。ともかく自分の世代は投票に行っているんだという意思だけでも示せば、なにもしないよりはずっと良い。
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