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2021/04/11

ワクチン報道に関する違和感

ワクチンが手に入らない。

常識的に国民の数割程度ワクチンを打てば、感染リスクは十分に減る。
集団免疫と言われるのが5割とか7割とかいわれるが、ここまでくれば激減、撲滅レベルとなる。
これは他の経験している感染症からいわれているし、今回の事例でも実証されつつある。

しかし、日本では未だに1%足らずであり、何割かに達するのはオリンピックどころか年内も難しいような空気感だ。

海外から入ってこない、というと、なんで国内開発が・・・とかいう理想論的話の展開になったりする。
そんな議論をしても全く意味が無い。これは国家100年の計レベルの話である。

問題なのは「国内開発できるか」ではなく「国内生産できるか」すら怪しいという話ではなかろうか。

ものづくりの基本として、大別して「研究開発」と「生産」という2つの過程に分けられる。
様々なものが「メイドインチャイナ」や「メイドインベトナム」となっているが、これは「生産」が中国やベトナムという意味である。
研究開発(試作)は日本で行われ、品質管理などは日本で行っているが、実際に作っているのは中国などであるというものが多い。
(もっとも開発まで中国に任せる(丸投げしている)事例も増えており、日本のものづくりの本当の危機はここにあるのだが、それは今回は置いておく)

ワクチンにおいても同じ事が言える。
基礎研究や開発には膨大な資金が必要で、製薬どころかワクチンという特殊事情を考えれば日本企業には難しい。
国家体制・安全保障・予算枠組みなどを考えての話だから個々の企業の問題とはいえない。
そもそも数年でなんとかなるような話では全くない。

問題点は、それでも製造工場ぐらいはなんとかならなかったのか、ということではないのか。
この点を指摘する番組(コメンテーター)を見ないのは残念で仕方が無い。

研究開発できる会社から製造ノウハウを含めてライセンスを買う。
単純に言えば金で情報を買う話だ。それを理解して製造するぐらいの技術力はさすがに日本にはあるだろう。
日本で製造すれば「欧州が個別に輸出許可をするから云々・・・」ということで出荷制限を受けるリスクはない。
もう少し言えば、原料を買ってそれを調整・瓶詰めして出荷する、という形もあるようだ。

どうやらアストラゼネカ社のワクチンについては、製品の輸入(購入)に加えて、ライセンスを受けて国内工場を立ち上げ、生産をするという動きに出ているようだ。
テレビでは見かけないが新聞にはでている。もっともその動きは今年に入ってからの話で、今急ピッチでという話だし、「年内には・・」という時間感覚での話で実に心許ないが。ないよりはかなり良い。

ここには国家からの補助金・資金注入が必須だから、つまりは政府(安倍政権)の初動の遅さのツケがここにも出ている。

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飲食店の時短という愚策

飲食店時短という愚策

いい加減、飲食店の時短などと言う愚策に固執するのはやめろ。
これによって無駄な税金がどれだけ垂れ流されているのか。そのツケを払うのは我々国民であり、特に割に合わないのは地方の者達だ。

そもそも飲食店を利用できないという効果に加えて、心理的効果、実際に飲食する総時間が減ることによる減少、などはあるだろう。
しかし時短という変則自体に適応し出せばその効果は薄れていく。
閉店前に時間をずらして同じ行動を多くの人達が取り始めれば、結果は同じになる。当然の結果だ。

やるべきは飛沫対策であり、客同士の隔離措置であるのは明らかである。

具体的に言えば、ひとつは個々の客同士の距離を取ること。
マスクをしてさえ、最低でも1m、通常で2m程度は必要だとあれだけ言っていたでは無いのか。
僅か数分待つような行列でもこういう距離を取っているではないか。
そして学校、つまり子供達に強制してきたし、会社でも机を離しているのではないのか。
マスクを外す機会すらあり、着席して長時間滞在する飲食店でなぜ距離をとらないのか、その方が理解に苦しむ。

ましてや現在拡がりが止まらないイギリス型は感染力が高いのだから更に距離を取る必要がある。

もうひとつはアクリル板などによる個々人の隔離である。
これも学校や会社等でも行われている。
いまだに店内の様子を撮影した映像を見ても、ろくにやっていない店のほうが多い状態である。
近所の店をのぞいても(高さや幅が十分かなどを含めて)きちんとやっているところは殆ど見かけない。
無知なのか、なめているとしか思えない。
なお、設置には国が経費を出せば良い。店は領収書をつけて経費請求すれば良いだけだろう。

最低でもこの2つを愚直にやれば、そもそも「会食」などと言うものが成立しない。
喋らないからマスク会食なども必要ない。別に酒類の提供有無も関係ない。

いうまでもないが、客の着席は店側の裁量によって感染防止の観点から制御し、距離をとり、客同士の会話を抑止する。

一部のバカコメンテーターがいうような法的根拠なんか必要ない。
これらの裁量(店内のレイアウト)は個々の店の自由裁量だ。着席も今まででも個々の店の裁量ではないか。
店内は店の私的所有領域である。客に問題があれば退去を求めることができる(最終的には警察力を要請できる)。

その上でこれらに対して審査を行い地方自治体が「適合店」「優良店」のお墨付きを与える。これも地方自治の裁量の範囲だ。
お墨付き店には時短を要請しないという考え方もある、という論理展開をするまっとうなコメンテーターももちろんいる。
別に営業取り消しを執行する訳ではない。どこに法的根拠が必要なのだろうか。

これらはどうしても守れない、廃業しろというのか、という超小規模店に対しては従来のような協力金(補償金)で対応すれば良い。

マスク会食という愚策によるモラルハザード

言われたことを守る。それは自主的行動である。
そこに「どう考えても無理」なことを強制しようとしている。それがマスク会食なる愚策だ。
言われた事を全部頑張って守ってきたところに、無理難題を押しつけられると、ハザード、破綻を起こす。
人間の心理として、それが起きるとそのこと自体だけではなく、色々我慢してやってきた他のことまで守れなくなる。

ありがちなのが、無理なダイエットでこの心理が働き、ダイエットをやめてリバウンドを起こしてしまう事例だ。
科学的に言って、たかがショートケーキ一個食べたところで、一月に一回程度なら影響なんか無い。
しかし「ああ。誘惑に負けてケーキを食べてしまった。もうダメだ」などと意味不明な破綻宣言をして元に戻してしまう。

ただの言い訳に使っているのか、本当に絶望してやめてしまっているのか、内心なんか判らないが、結果は同じだ。
どっちにとっても、言い訳を与えてしまっている時点でアウトなのだから。

それをあたかも「名案、今回の有用な打開策」であるかのように得意げに言っている人がいると、もはや呆れるしかない。

変異株を言い訳にするな

従来より感染力の強い変異株のせいで、爆発的に感染者が増えているような言い訳じみた報道が多い。
確かに変異株が原因だろうが、それならば、感染力が強い事に対してどのような対策をするのかきちんと説明すべきだ。
「要するに従来通り基本的な対策が必要ということですね」などという番組(コメンテーター等)は明らかに程度が低い。

マスコミもそうだし、国や地方自治体も同じだ。

具体的には、すぐにでも「会食は人数関係なくやるな」ぐらいはいわないとおかしい。
明らかに感染要因のトップは会食になっているのに、なぜか最近は要因をきちんと報道しない。
代わり映えしないから言わないのか知らないが、改善されないのなら変わらず警告を出し続けるべきだ。

きちんと最初の緊急事態宣言時と比較すれば問題はいくつもあがるのではないのか。
ひとつは明らかに満員電車状態が元に戻っているという事実。
このことは「リモートワーク」の徹底が緩んでいるということを示す。
会社内の感染リスクや電車内の感染リスクの低減効果が弱くなっていることになる。
ランチやアフターなどの社員同士の会食による感染、接待による感染、これが家庭内感染に繋がっていると考えるのが自然だろう。

変異株による影響はあるだろう。しかしそれ以前に「従来の感染防止策の徹底」がされていないという事実を無視するのか。
「いや、こういう事情があるから」などという言葉で片付けて良いのか。
そんな事情はウィルスにとっては全く関係ない。事実として怒っている結果に対して、自然に結果が出ているだけだ。

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2021/04/06

聖火リレーというか聖火パレード

聖火リレーってなんだろうか。聖火をリレーして東京に届ける、という意味だろう。
リレーなんだから、まあ、走るか、歩いて届けるものだろう。
「スポーツの祭典」において(裏方はともかく)表向きは車なぞを使って移動するなんてことはありえない。

私はごく最近までそう思っていた。

ところが、東京オリンピックではそれが公然と行われているのだから、噴飯物である。
現代オリンピックというのはそこまで腐りきっているのかと絶望すら感じる。
コロナ禍で反対があるのにそれを強行しているのだから、賛否両論になるのは当然の話だろう。

コロナに関係なく、以下のことはそれ以前(2018年の記事にも同様の記述がある)から決まっていたようだ。

オリンピック正式ホームページで公表されていることだが、一日あたり80名から90名で一人あたり200m。
日程は121日なので、計算すれば、どんなに頑張っても2200km弱しか移動できない。
(更にツッコむと121日には「移動日」なる不可思議な言葉が入っている。その移動とは自動車による移動だろう)

つまり、どうやろうが、聖火を「リレー」しながら日本を巡るなんて、それどころか、福島を出発して東京に戻ってくる、なんて全く不可能であり、そんなことははなから計画していなかった、ということ。

2200kmというのはどの程度の距離かと言えば、鹿児島県の鹿児島中央駅から、青森県の新青森駅まで新幹線で移動すると、ほぼ同じ。つまり全都道府県を全て通るなんて不可能な距離。

だからコロナ禍で東京や大阪を「トーチが車で移動する」ことへの賛否両論なんて無意味。ばかばかしい。
(「ランナーが走っているのをみたい」だけの、聖火リレーの意味なんかどうでもいい一部の人達には問題なのだろうが)

意義について調べると、読むだけであちこちがむずがゆくなるような、読むに堪えないような言葉が並んでいる。
実態をみてみれば「(東京も含めて)おらが村にも走って欲しい」という話ばかりである。

まあ、出発点となった福島の駅前からして「寒々しいばかりの立派な駅舎」という空虚さが、東京オリンピックをまさに象徴しているという皮肉な状況にも見えてしまう。
ちょっと車で走れば、いまだに帰還困難地域があるような場所。
その周囲すら帰還がまだまだ途上であるような地域。
利用者がそこいらの無人駅と大差ないのでは?というレベルだろうに、都会にもそうはないような立派すぎる駅舎が寒々しく映る。

別に放射能汚染がなくても、まあ、地方の駅周辺なんか閑散としている。だから別に「数百メートルそこから移動したら人っ子一人歩いていない」なんて揶揄するつもりはないが。

まあ、それを差し引いてもそんな場所を出発点に選んでよくも「復興を印象づける」とか言えたものだ。
官製のパレードということなのだろう。そう思えばさほど腹もたなないか。

 

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