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2020/11/28

感染者急増とGOTOなんたら

GOTOトラベルと感染者判明数との相関についてマスコミでも論じられる。

開始時期と増加激増のタイミングの違いについてはズレを指摘する声もある。私はそれに懐疑的だ。

常識的に考えて、遠方に数万円の出費となる旅行を思い立って明日とか来週とかに行くだろうか。
行き先の選定やら他人との調整やらで、まあ、一ヶ月以上後になるのは常識的ではないのか。
更に潜伏期間である半月を考えれば、むしろ一致しているように見えるのは気のせいだろうか。

GOTOのせいではないというが、感染経路不明者が半数を超えている状況でなぜ否定ができるのだろうか。

一方のGOTOイートは即効性はある。ネット予約だけだし、食事会、呑み会などは即日決まってもおかしくもない。
だからタイムラグがなくても不思議でもない。

政府は直接的には因果関係は無いようなことを言っているが、私も直接的というのなら完全な否定はできない。
だからこそそういう物言いに腹が立つのだ。
しかし直接的にはなくとも、「ああ、旅行してもいいんだ」という意識を広めてしまい、GOTOを使わない旅行(移動)やそのほかの緩みに繋がっているのは否定できないだろう。
そこにGOTOイートも加わって「移動量の大きい場所での会食の容認」という状況を作り出してはいないのか。
問題なのはむしろそこであるのに、政府がごまかしているのはそこなのだろう。

会食禁止にせよ

私は旅行自体に問題があるとは思えない。十分距離が取れていれば公共交通機関での移動も問題があるとも思えない。
外食や飲酒自体にも問題があるとは思えない。
だから“お一人様”の外食(飲み屋で食べて帰る人も少なくないだろう)を止める必要は感じられない。

ここで問題なのはGOTOイートはなぜか予約前提なのだ。一人で行くのに予約するというのはどうしても抵抗感がある。
この制度も早急に見直すべきだろう。もっといえば不公平感の高い現制度はさっさと中止にすべきだ。

ともあれ問題はやはり会食だろう。

接待云々も否定はしないが、問題なのは感染する状況になりやすいという一点にすぎない。
そして感染防止策をとると「それは接待にならない」「意味が無い」とされることだ。
そんなことをいうなら接待は止めるべきだ。
今するべきは「感染防止」の一点だ。どんな理屈を言おうと、感染を拡げるような行動はダメに決まっている。

外食についても、テレビで見かけるような対面して座らせるようなのはどう考えてもダメだろう。
カウンター席のような顔を上げた先には誰もいないような座席構成にするのが基本だろう。
テーブル席でも透明のアクリル板でもなんでもいいから仕切りを作って飛沫拡散の予防をすべきだろう。
唯一の例外として子供などを含む普段一緒に暮らしている家族での来店で、その場合は仕切りを外すのは問題ないだろう。(それは会食とはいわないか)

お互いの声が通らないというのなら、音響的な構造で工夫するか、マイクやスピーカーなどを設置すればいいだけだ。
各テーブル間も区切って防音も施すなども必要かも知れない。
補助金・協力金をそういう改装費に使わせて営業させる方が恒久的ではないのか。

営業時間短縮すれば抑止になるというのは全く論理的ではない。心理的なメッセージの効果はあるだろうが、費用対効果としては愚策だ。

マスクをしての会食(食べるときだけ外す)とか、こんなことを真剣に考えている人はバカとしか思えない。
そもそもマスクが汚れる点で衛生面の問題がある。
マスクをヒモとはいえ頻繁に触るのも問題がある。
汚れ防止で頻繁になにかで口を拭うというのも衛生面、感染予防という点でも問題がある。
もちろんそもそもうっとうしくて食べたくなくなるのも当然だ。これが慣れの範疇なのか。
個人への負担を求めすぎているのではないのか。

原則として会食は禁止。会食をさせるのなら感染防止策の対応設備を整えた上での実施を徹底させるべきではないのか。
一度「感染防止ガイドライン」みたいのを作ったらしいが、それは会食による感染リスクを考慮しているのか。
考え直すのはそういうところではないのか。

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桜をみる会 安倍晋三問題

報道がなにか迷走している。公職選挙法と政治資金規正法に問えるかどうかというのはどうでもいい。
問題なのは、当時の総理大臣が虚偽答弁を国会で行ったという事実一点だ。
それはもちろん当時の官房長官をはじめ、擁護をしていた議員そのほかも同罪だ。

捜査がどうだとか、法律にかかるかどうか,、立件起訴されて有罪となるかなどはどうでもいいことだ。
虚偽の発言をするということは、法を作る国会において、法律にかかるかどうか以前の問題なのだから。
議員というのは信義の元に成立する。そういう存在ではないのか。

現総理大臣が「捜査にかかる話なので差し控える」などという発言は止めていただきたい。

あの胸糞悪かった佐川氏の逃げを思い出させ、再度イライラを募らせる。
これも法的云々ではない。不信感を募らせ、信頼感を失わせるものだからだ。
“一般民間人”となった時点の佐川氏ならともかく、国会議員の、しかも頂点である総理大臣が使う言葉ではない。

誰だってウソぐらいつくだろう、という問題でも無い。
常識で考えてあり得ないこと、何度も国会で確認を求められた重要な事、法律に抵触するという事、そして何度も修正が可能だったにも関わらず虚偽を繰り返したこと。これらを考えれば非常に悪質であると言わざるを得ないのだから。

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2020/11/23

選択的夫婦別姓の方が子供を守れるのでは

選択的夫婦別姓論者の中には子供への配慮とかいう人がいる。
私には論理的に全く理解できない。

まず子供が自分と親が姓が異なることに疑問を持つかという点である。
同じであることは社会的通念(もちろん選択的夫婦別姓が広まればそれすらなくなるもの)でしかないから、生まれたときからそうであればなんら疑問を持たない。家庭という狭い領域で育つ子供にとっては。
家庭の常識が世間の非常識だったなんてよくあることなのだから、この程度なんでもない。

「お父さんはお父さん」であり、小さいころは姓名すら意識しないし知らない。
例えば幼稚園なり学校という場では呼称は「○○くんのお父さん」であって姓名などどうでも良い。

仮にこのことに悩むとすればある程度の社会的常識を持ち始めるころだろうから、法的になんら問題ないと分かれば悩みもしない。
まあ、あるとすれば小さいときに友達が遊びに来て表札を見てなんか言われるぐらいだろうか。

それより問題なのは、今の制度では、子供の姓が本人の意向と関係なく強制的に変わってしまうことだ。
学校では姓名で呼ばれるわけだからこれは回避できない。
変わったことによって周囲も戸惑うし、好奇の目にさらされるかもしれない。もちろんいじめの種になるかもしれない。
もちろん呼ばれる本人にとっても少なからず負担になる。

変わった理由は離婚であっても子供の意思とは関係ないことだし、死別ということもあろう。
不可避な死別後に幸せな再婚をしても親の姓が変わったら、子供の姓も変わってしまう。
その回避のために親が子供を思って法的に不利な事実婚をとるとしたら不幸でしかない。

選択的夫婦別姓のオプション的な話になるが、子供の姓を固定できるとしたらその心配が皆無になる。
つまり子供への配慮という点でも良い方向になる。
夫婦は同姓にしても良いし、旧姓を維持しても良い。
子供本人が変えたいと言えば変えて良いし、学校の対応能力も鑑みて、それこそ家族で話し合って決めることだろう。

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