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2020/10/31

携帯電話料金値下げ議論

一律で何割、いくらといった形で値下げを迫る方向は、政府のやること(政策)としてはアウトではないのか。
それでは社会主義、共産主義国家のやり方である。

そういう声が大きくなったのか、幾分優先順位を下げて転換をしつつある。

料金プランがわかりにくい、という声にこたえて是正を求めるという方向は私も大賛成である。
これは公正・公平な競争経済活動として当然のことだからだ。

実際に私が数年前にPHSからメジャーキャリアの携帯電話に移行しようと検討した際に、三つともホームページで検討したことがあるが、実に判りにくいことがわかった。
専門用語をキチンと理解している私ですら、料金説明が理解できないのだ。
あれで一般人が理解できているのであろうか。

多くの人は「結局いくらなのか」を知りたがる。私もそうだ。
店頭でもまず結論ありきで説明をする。
私などは明細を知りたいので聞いたが、余りにも多く複雑すぎて途中から疲れてしまう。
テレビのコメンテーター(芸能人なども含む)の中では「実価格」と「割引料金」をキチンと分けて書いてくれているのにそれが却って判りにくい様なことを言う人がいる。端末料金も分けて書いてあるからそれも批判されることにもなっている。

この状態ではキャリア側も丁寧に説明しても、逆に結果だけ書いても批判されることになりかねない。

そもそも携帯料金は高いのか

不可思議なのは高いと言っている人が月に1万数千円もかかっているとかいう「街の声」である。
考えて見て欲しい。三大キャリアの音声を含め無制限プランを利用しても1万円には届かない。
彼ら(彼女ら)が口にしているのは問題としている「携帯電話料金」ではなく、それも含むが携帯電話料金と一緒に払っている料金ではないのか、ということである。
具体的に言えば端末代金の分割払い、有料コンテンツ料金、関連する電子マネー料金もあるかもしれない。
いくら「電話料金」を下げてもこれらを使ったら払う金額は高くなる。
心理的に「今月払う料金」を気にしながらこれらを使うのだから、料金が下がっても結局払う金額は変わらない。
結果的に不満は変わらないということになる。
キャリアとしても料金を値下げしてもコンテンツ収入が増えればほぼトントンらしいので問題はないという考え方もあるようだ。

要するに政治的資源を費やしても結果は何も変わらないということになってしまう。

ベンチマークを早く示せ

議論でイラッとするのは「世界各国の電話料金比較グラフ」をどの報道でも根拠として示す。
しかし一方で「各キャリアの電話料金比較グラフ」をどこも示さない。
これを胡散臭いと思わないのだろうか。
世界各国の比較ができているのだから、算出根拠はあるはず。
単純にそれに沿った国内各キャリアの料金もグラフとして示せるはずである。
むしろそれを積極的に示すことで、各キャリア間の競争を促すのが正しい行政としてのやり方である。

例えば自動車の燃費。国土交通省が決めた特定の走行パターンで測定した値を出している。
このルールが国民全ての実際の走行条件とピッタリ一致していると思っている人なんかいない。
しかしこれを気にして購入する人は多い。
例えばテレビやビデオ、冷蔵庫やエアコンなどの年間消費電力。これは経済産業省が決めたルールで計算している。
「省エネ性能の☆」や電気代換算金額として店頭表示され商品の優劣の一つに見せている。

目標をどこに置くのか

政治的な目標をどこに置くのか。国民が値下げ感を得られるようにする、とすればそれは不可能だ。
定量的でないし、上記した様々な要因が混じり合って霧消してしまうからだ。

何割下げる、という目標もダメだ。料金体系が複雑化している現状では、結局どこかで辻褄合わせがされるだけだから。

料金を明朗会計に

このところ目にする酷い料金表示としては「月々2980円~」。
下限だけ表示している例である。
要求によって(サービスを増やしていくことで)値段が上がっていくのなら許される。
しかし実態は様々な割引条件を全て満たしたときにこの料金になるのだからこれは悪徳商法に近い。

まず是正すべきはこのような表示ではないのか。
正しい表記は「月々~5980円」である。
割引条件無しをまず表記し、様々な割引で下がる余地があることを示している。

問題は話のスタートとなるべきこの5980円をホームページで見つけ出すのが非常に困難であるということもある。
いわゆる見積もり操作をして初めて判明する。これではダメだろう。
「安いですよ~」と引いておきながら、実際に見積もると最初よりも高い金額が出てくる。これではボッタクリバーである。(実際には払うわけではないが構造としては同じだ)
余談になるのだが、携帯電話料金提示がこういう構造だから悪い(ズル賢い)見本として同様の手口をやる業者が増えている。
大手キャリアは法的裏付けを取りながらギリギリの線を狙っているのだろうが、褒められた話ではない。
社会的規範の意味から行政が苦言を呈してでも早急に是正すべきであると考える。

前述したように人によって明細が欲しいのか、明細はややこしいくて判りにくいと言われるのかは個人の好みになるのだろう。

私はまず条件が必要な割引の一切無い価格を提示すべきで、そこから条件を付記した割引料金を並べて最終価格を提示すべき、と考える。
契約時の提示はもとより、月々の請求書についても同様だ。
そういうのがウザイと思う人もいるだろうから、紙ならシンプルな結果だけの明細なしか、明細ありの好きな方を選べる、電子ならワンタップ(クリック)で切替えられるようにする、で良いでは無いか。

高いのは端末料金。キャリア販売から分離せよ

今でも携帯電話料金に端末の分割払いも合わせて請求されているのが通常だ。
最近はようやく明細で別れていたり、一括で買える選択肢もできるようになった。昔はごちゃ混ぜになっていたのだ。
販売促進費用により値引きされたり、違約金による回収も絡んでもうグチャグチャだった。

根本にあるのは端末が高いということにある。
端末=タダの認識が広まってしまったのがそもそもの大間違いである。
テレビもオーディオもデジカメも要らない、という背景は、タダでもらえる最新機器でまかなえるからという歪んだ構造にある。
端末は実際は安くとも数万円、ハイエンドでは10万円を超える。当り前だ。
それをタダ同然で配るから、そのしわ寄せが電話料金から転嫁されていたに過ぎない。

普及期、成長期にはある程度いたしかたなかったところもあろう。
携帯電話のような全く新しい商品の便利さを知ってもらうため、まずはタダ同然で配る、赤覚悟で売るというのはよくあるやり方だ。
それに依存するライフスタイルに染め、離れられなくする。
今は正にそれを実現できた状態になっている。生活必需品で、無いと職探しすらできないとまでいわれている。

そろそろ端末料金の分割だけではなく、キャリア販売からの分離を明確にすべきではないのか。

既にiPhoneを筆頭としてキャリアではなくメーカー名が先に立っている機種が殆どで、3キャリアに同じ端末を卸しているところも多い。
キャリアに卸しているから高値が維持されてしまう。独占禁止法にかかるような話だ。
例えば家電量販店扱いで販売できれば価格競争は自ずと働く。(今の大手家電量販店のキャリアブースは各キャリアに場所を貸しているだけだからそういう話ではない)
同じ機種の家電でも店によって値段が異なる。だから安いところを探したりする。同じ話である。
これにより販売店からメーカーへ値下げ努力も求められる。ここに競争原理が働いて、結果的に安くなる。

もちろんこれはSIMフリーの話にも繋がってくるので簡単ではないが、最終的に目指すべき道ではないのか。

昔は技術的制約や各キャリアのサービスの特殊性などもあり、キャリア専用端末が必要だったが、現在のスマホではキャリア依存は存在しない。「ケイタイできるパソコン」ともいわれるように汎用性が非常に高くなっている。
それは国内のみならず、海外キャリア(海外での使用)への対応も含めて汎用性が高いモノにしなくてはならないという背景もあろう。
5Gではもっとそうなるだろう。

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2020/10/19

福島 トリチウム水海洋放出の簡単な方法

政府のやり方が酷すぎる。

安倍政権下でゴマカシ続けていたくせに、「もう決めないといけないから」といって強行しようとしている訳で許されざることである。
政権下で海洋放出できるようにきちんと全国民に説明を尽くしてきたのか。

ハッキリいってトリチウム水はきちんと薄めていれば別段危険でもなんでもない。そのことは化学をそこそこ分っている人なら誰でも判ることだ。しかし、その「化学をそこそこ分っている人」が極めて少ないということにある。
「トリチウム」がなにものかということも理解できない人が殆どだろうということだ。
テレビなどではテロップで説明が出たりするが、それは「教科書」の説明で、それを理解できる前提がある人が極めて少ないという現実があるのだ。

だからこそ「風評被害」が生じるのだ。
福島の漁師さんの口ぶりからすると、彼らはトリチウム水についてきちんと理解している。
それでも「風評被害」は生産者でしかない彼らにはどうしようもないのだ。
それをなんとかできるのは政治家でしかない。しかしそれをサボり続けていたのだ。

では、どうしたらよいのか。橋本元大阪知事は大阪湾へ海洋放出するという提案をしていた。全国の海に流して福島に押しつけないという考えを示した。それも一つの考えだろう。

私ならもっと単純なアイデアがある。それは「今、稼働している原発の真横で海洋放出しろ」である。
これなら地元住民の反対や風評被害も出ようがない。
なぜか。

原発はそもそも稼働中には冷却水を放出しているが、その水は放射線の影響を受けてトリチウムを含んでいる。
普段から放出している冷却水より少ないトリチウムしか含まない水しか放出しないのに、何が問題なのか?
福島の水の放出が問題だというのならば、原発の冷却水のほうがよっぽど問題である。

ごく単純な理屈である。

もとより原発反対している周辺住民(もしくは原発反対者)ならともかく、概ね賛成しているその地元住民からの反対は起こりようがない。
それにそもそも地元住民の方々は放射性物質についてはきちんと勉強されている方も多いので納得してもらえる率は極めて高い。

理解力の弱かったり、知識の無い人間に話すにはいくら理屈を言ってもダメ。
一番理解を得やすいのは、従来例に対して比較でものを言うのが一番理解されやすいのだ。

 

それとも「トリチウムという放射性物質が普段から放出している冷却水に含まれている」ということを大々的に喧伝するのが問題だったりするのだろうか。
こんなものは原発問題の基本中の基本なのだが。

 

懸念は「トリチウム」だけではなく他の放射性物質が取り切れずに残っているのでは、という点もある。
これが真実であるのなら、現在の報道、政府の説明について大問題であると言わざるを得ない。この点も十分な説明が必要だろう。

ちなみに長らくに亘って汚染水は保管されてきたわけだが、最初の方は浄水器を上手く使えておらずきちんと取り切れていないという話もある。つまり福島原発敷地内にある汚染水は一括りにはできない、という点も注意しなければならない。

こういった事実をきちんと説明せずにゴマカシながら強行しようという姿勢は全く受け入れがたい。

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2020/10/10

日本学術会議の任命拒否は総理大臣が行っていない

なぜかマスコミはこの点について言及していないのがわからない。

総理大臣は拒否した6名の名前がリストに載っているのをみていないという。
つまり6人の拒否は総理大臣は行っていない。だからといってこの問題は収束しない。
むしろ大問題なのはこの点ではないのか。

様々な議論が迷走しているが、どんな理屈があろうと、ここがおかしいことを認識、追求すべきだ。
「総理大臣の一存で任命しなくていいし、説明も不要だ」という点すらもはや是非論の意味が無い。
そもそも総理大臣が意味不明の弁解をしているが、そもそも総理大臣はこの6名の拒否を行っていないのだから弁解すら不要だ。

問題は推薦者たる日本学術会議が提出したリストが「推薦者または任命者以外の誰かの手によって」変更され、任命者である総理大臣が受理し、任命が行われたということ。
これは総理大臣自らが説明したことから推定される事実である。

任命権は総理大臣にあるのだから、推薦者リストから勝手に権利者以外が外すと言うことは越権行為であり、違法行為ですらある。
それは日本学術会議から受け取り、総理大臣にリストを渡すに至る、その間にいた「誰か」である。
問題とされるべきは、その人間(組織)ではないのか。
推測されるのは内閣府の誰かでであるが。

“エラい人”が決済する前に手を患わせないでその部下達が審査してから上申するというのが常識的で実際的だろう、とうそぶく人もいるかもしれないが、法律上はそうなっていないのだからダメだ。「内閣が」ならまだしも「内閣総理大臣が」なのだから。
仮にそれが常態化、常識化しているというのなら、そこから“改革”すべきだろう。
もしそれが適切であるとしたいのであれば明文化(法改正)すべきである。

さて、問題はそのこととも絡んでくるがいわゆる「解釈変更」問題を指摘しなくてはならない。

現在の任命形態を規定した法律制定時に当時の中曽根総理大臣が「拒否しないでそのまま任命する」と答弁している。
そして法文を「まっとうに」解釈すればその義務はない、当然だ、解釈変更などではないと現総理大臣が述べている。
このこと自体が大問題であると指摘せねばならない。

これは特に安倍政権時代に政府与党は物議を醸した法律をいくつも成立させているが「法文が曖昧だから明記すべきだ(要するに法文を変更してから再採決すべき)」という野党などからの指摘に対して、総理大臣や所轄大臣が「○○と解釈するものであり、指摘のようなことではない」として法律を通してきた。
当然野党は「今の政権では大丈夫かも知れないが、何十年も経って別の政権になれば法文自体が解釈の対象になるからダメだ」と述べてさらに追求している。しかし結論として「大丈夫」と押し切ってきた。当時の菅官房長官も改めて問われてこのような答弁を何度もしている。

自分達が法律を制定するときはきちんとした法文を作らずに法文通りでは問題があるにも関わらず「解釈答弁」で押し切ってきた。
一方で過去の法律に対しては、曖昧な法文に対して解釈答弁を附帯せず、自らの解釈をもって「法律の範囲内」とする。
要するに菅氏という国会議員は自分の都合の良いようにものごとを解釈して強行する、筋の通らない政治姿勢を持っている酷い人である、ということを露呈している。

菅総理が仮に「必要なのは法文通りの解釈のみであり、答弁は意味を持たない」というのなら、今後の法制定においてイバラの道を歩むことになろう。
また、再度強行するような法制定・改正をしようものなら、マスコミ、民衆、国会議員(特に野党)の方々はこの点を挙げて追求すべきだ。
おそらく今までの議員はこのようなことになるから過去の法的決議における答弁(法的主旨説明や解釈)を大事にしてきた。

菅総理はそれを良しとしないということなのだろうか。

このような姿勢というのは間違っていない、いや、正しい姿だ。庶民政治家ならではの間隔として褒めるべき事かも知れない。
しかし実際の政治運営においてはイバラの道。今後の政権運営(特に法制定)においてどうなるのか、注目せざるを得ない。

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