余った電気は捨てる時代が来るのでは
電気を“捨てる”時代
正確には“各家庭で作って余った電気は捨てる”時代である。
いずれはそういう時代になるだろう。
この発想がでてきたのは、農家さんの生活からだ。
農家ではよく野菜とかの農作物は“捨て”られる。
売りものにならなくて自分や家族親戚やご近所さんでも食べきれないものは、まあ、捨てる。
だからちょっと痛んでいれば(家に持っていく方が面倒なので)畑に放り投げる。
厳密には肥料となって土に戻ったりではあるが。
最近は農家関係が様々な視点で取り上げられるようになったので、こういう風景はご存じの方も多いかも知れない。
農家出身や親戚友人が農家の方はいうまでもないだろう。
私は両親の家系・親戚が農家であり、子供の頃からよく遊びに行って畑仕事も手伝ったりしていたので、別に珍しい景色でもない。
最初は抵抗があったがすぐに「マヒ」する。どうせ食い切れないのである。
家庭の事情にもよると思うが、その家の場合は野菜クズとともに休耕田で育てていた鯉のエサになっていた。
基本的に良いところしか食べないので本当に良く捨てる。
スイカなんか買っても都会と桁が違う安さ(もちろんキズ品だが)なのでちょっとでも白いところはもう食べない。
ご近所さんにあげると、お返しに色々また貰う。
「農家のひとは食べ物の大切さをよく知っている」「食べ物を大事にする」なんてある意味、大嘘である。
なんでもモノというのは、ふんだんにあって売ったり使ったりしきれなければ捨てる以外にはない。
ある番組で「0円食堂」なるコーナーがあるが、あんなに手間暇なんか馬鹿馬鹿しくてかける必要がないのだ。
「余分ならそもそも買わない」「もったいない」と思うのは都会人的発想であり、自分で作ったモノで腐ったなら捨てるしかない。
それでも足りない分は買う。
メイン作物があって、自宅用野菜は家庭菜園程度にやっているのであるような農家の場合は、一部は買うこともあるだろう。
周囲が野菜農家ばかりだと、肉や卵、牛乳などは買うことになる。
太陽光発電は基本設備になる時代
「太陽光発電は高い。導入コストがかかって元が取れない。」
最近は「固定価格買取制度がないと維持できない」
未だにその“神話”は生きているようだが、どんどん状況が変わってくるのが見られる。
最近、とある建築会社の投げ込みチラシで建て売り受託の宣伝があったのだが、デカデカと「太陽光パネルプレゼント」という文字が躍っていた。
冷静に考えれば家を建てるのは1千万は越える話だし、実際にはパワコンやら配電設備などは別料金になるわけで、会社としては“プレゼント”しても“釣りエサ”としては十分元がとれる話ということなのだろう。
そうだと理解しても「うーん、ここまで来たか」と思うようなインパクトがある話だ。
最近はパネルを屋根に上げたり(高所作業である)、場合により補強工事をしたり、配線設備をする(電気工事士がいる)ための人を呼ぶのに金がかかる、つまり工事設置費の方が問題になってきているらしい。
これらは家を建てる時(全面リフォームもだろう)ならば、一工程増えるだけ“ついで”の工事程度なのだという。
柱を組んで板を張り、屋根瓦を葺くのなら、初めから強度を考えて設計しておけばパネルを乗せるのなんか“ついで”レベルとなる。
配線も電気工事士を呼んで屋内配線(コンセント設置)は必須なんだから、これも“ついで”である。
配線は壁や天井を這わせるのが面倒なわけで、壁を打つ前ならなんてことはない。
屋根から配線するのだって普通はどうせテレビアンテナ工事もするのである。仮にアンテナは別にしても配線はしてもらうものだ。
もちろん追加料金にはなるが、その為だけにプランを立てて人を集めて作業するよりはるかに安いのは当然である。
太陽電池の開発競争はまだまだ世界規模で進んでいくだろう。
発電効率も上がっていくわけだし、価格も下がっていく。
デバイスとしても、であるし、大小入り乱れての製品開発競争になるのは必至だ。
住宅発電向け、事業発電向けに限らず、一般民生用製品も含まれるから“強い”。
売電・蓄電は必須なのか
まあ、売れるなら売るに越したことはないが、面倒なら売らない。
元が取れれば別に売る必然はない。それだけのことだ。
この話では固定価格買取制度なんか関係ない。
一家庭の消費電力量は間違いなく下がっていく。
太陽電池パネルやパワーコントローラ、蓄電設備等も下がっていく。
原発を再稼働しようがどうなろうが、どちらにしろ電気代(単価)は上がっていく。
結果、太陽光発電(自家発電)設備を入れる敷居はそれにつれて下がっていくのは必然だ。
蓄電は発電できない夜は買えば良いんだから別に必須ではない。
考えてみれば、一家庭で電気料金ゼロを無理にする道理はない。
電気代を減らすために発電をするレベルでも良いはずだ。
夏場の天気の良い日なら自己消費と釣り合うぐらいにしておいて不足分を買っても良いだろう。
(パネルが安くなればそんな“ケチな真似”しなくても良くなっていく。)
もちろん蓄電が安くなれば設備を入れて夜間も電気代ゼロを目指せば良い。
太陽電池で購入する電気をコストが合うレベルで減らせればそれで十分だろう、という発想である。
充電池はこれからもどんどん安くなる。
電気自動車の増加は紛れもない方向だし、スマホやタブレット等電池製品がなくなることはない。
しかも長期寿命や小型化もどんどん進むわけで、安くなっていくのは必須だ。
現在でさえ日産の電気自動車「リーフ」に積まれている電池で、一般家庭で二日ぐらいは持つ電力を貯められるという。
これと同じレベルの一般家庭向け充電設備より、リーフの方が安いという訳の分からない状態だという。
これは補助金のたまものの結果もあろうが、競争原理が働き出すとコストはぐんぐん下がっていく。
まあ、時代時代で選択肢があり、後付けで充電をつけても良い話だ。要は費用対効果の問題である。
個人へこういう行動を規制する術は無いし、そういう需要形態に応えるのも供給者の仕事である。
なんか蓄電設備は必須みたいに煽るが、個人家庭向けにおいては妙な話である。
別の観点ではコジェネなどで夜間動かす発電設備を併設というのは一つの考えかも知れない。
これからもまた別の観点で家庭発電奉仕が出てくるだろう。
妙な法律を作って邪魔だけはしないで欲しいものである。
マクロ的に見れば
マクロ的に見れば、各家庭で電気を作るようになれば、日中、特に昼間の電力需要はどんどん下がっていくことになる。
家庭のみならず民間企業だってこういう動きが出てくるのは当然だ。
「電気料金の上昇」というのは経営者にとって経営リスクである。
多少高くても自力供給や購入量低減が経営リスク低減と考えても不思議ではない。
当然、全体を見れば年間を通してのピーク量も下がることになる。
電力設備はこの需要のピークに合わせて作られるから、電気会社の設備も減る。
これは電力会社にとっての“危機”である。
なぜなら電力会社の利益は“総括原価方式”と言って設備の量に応じて設定されるからだ。
必要な設備が減る=利益が減るという図式になる。
そのうち、需要量が昼夜逆転するかも時代が来るかも知れない。(その前に蓄電が進む気がするが)
夏場は発電量が上がるので「夏場の電力不足」なんてなくなり、むしろ需要量が減る可能性もある。
たぶんこれは節電の効果が大きいのだとは思うが、今期は電力逼迫の兆候すらでてこない。
「頑張って火力発電で賄っている」というのは、私には空々しい嘘にしか思えない。
原発事故以来、確実に年々消費電力量は減っている。
事故後最初の夏の最大で6000近くまで跳ね上がった。
今年は最大で4500程度が良いところではなかったろうか。(あまり見ていないが、特に暑い日だけみてこうである)
今日は比較的涼しく休日だからだろうが、3200程度である。(東京電力:単位は万kW)
仮に発電設備が6000とすれば、その半分程度使っていないか、発電して捨てていることになる。
全体が減っているから夏場に増える量も少なく逼迫していない。
今は夏場の方が要求量が多いが、冬の方が増えるぐらいかもしれない。
さらに長期的に見れば人口は減る一方だし、産業も代わっていく。
産業は電気をモノに変えるような産業(鉄鉱や製造)からITやサービスに移動している。
電力需要量は落ちるのは必然だ。
つまり電力業界自体が既に斜陽産業になりつつある、ということなのだろう。
小売り自由化やらは、それらの業界変動への必然なのかも知れない。
地方は余るほど自家で発電され、首都圏では発電所や地方で余った電気に頼る生活というのが起きるのではなかろうか。
もちろんこの世界では固定価格買取制度なんかとっくになくなっている。
そういえば現在でも事業者によって“余った”電気はガンガン“捨て”られている。
事業者は常に需要を予測して発電を行っている。
ほぼ一日単位で変えているようで、つまり一日のピークを予測して昼夜関係なくその目標の分、発電をしている。
大概昼間がピークだが、真夜中も同じ発電量なのでその差の分は“捨てられて”いる。
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