初めて聞いた時から違和感を感じた「イスラム国」という言葉。
今も何かしっくりとこない。
ネット上での議論をざっくり見てみると賛否様々な意見があるようで良いことである。
ただその意見を見てもどうにもしっくりとこなかったのである。
例えば「State=国」だからイスラム国で良いという論調である。
(イスラミックがイスラムなのは別に問題ないとは思う)
確かに英和辞典を読めばそう書いてあるのだが、それは学校英語レベルなら仕方ないが、呼称を考えるレベルでは短絡的にすぎる。
特にアメリカではStateといえば州の意味もある。アイダホ州とかテキサス州とかである。
これらの集まったもの、それがアメリカ合衆国、である。
アメリカ人は自国のことをあまりアメリカとは言わないようにも思う。
U.S.Aとも書くが、U.S.だけ、つまりUnited Statesと呼ぶことが多い気がする。(ここでStatesと複数形であることにも気を配るべきである。日本人は鈍感なことが多いが英語にとって単数と複数では意味すら変わることは多いぐらいだ)
この訳が正しいかどうかは逆引きをしてみると見えてくることがある。
日本人が「国」と聞いた時にどう感じるか、翻訳をするのならそこまで考えるのが基本である。
今度は和英時点で「国」を引いてみれば良い。
Stateもだが、Nation、Country、Provience、広い意味でLandやHomeも該当する。
もっといえば辞書によってもどこまで該当するかは変わる。
日本人のいう「おらが国」は阿波の国とかになるがこれはProvienceらしい。
「おらが国」の時代はお殿様がトップだったが、「国」としては時の幕府が担っていた形式をとっており合衆国に近いがもちろん完全に一致はしていない。
これは今件に限らず、日本語と英語を翻訳する時の難しさである。
例えば日本では「牛」に対して「雄牛」「雌牛」「仔牛」程度がせいぜいだが、米国では牛を指す単語が実に多い。
逆に日本では「出世魚」といって同種の魚に対して大きさや年齢によって呼び方を変えている。
つまり英単語と日本語単語は必ずしも一対一で対応するものではない、という、本来当たり前に考えなくてはいけないことがここで大きな問題として露見しているのだ。
日本の英語教育の問題の本質はここにもあるのだが、それは置いておく。
これは私の感覚なのだが、Stateというと(米国で言う)州なのだ。
私が英語といえば米国(例えば米国映画=ハリウッド映画やら)に染まりすぎ、のせいかもしれない。
そういった事情もあるのだが、単純に『「State」だから「国」で良いのだ』などと無説明でいわれると反感をもってしまう訳だ。
ISILやISISというのは自称している言葉の英訳らしい。(原語はアラビア語なので私には全く判断できないが)
それでも国連や主に米国がISILやISISを呼称に使うのは略語で呼ぶことである程度「State」の否定、つまり元の意味を消そうという感覚もあるように思う。
略語というのは便利(?)なもので心の中で「Islamic not State」と思っても構わない。
しかし日本語で「国」と言ってしまうとどうにも逃げられない。
その辺にどうにも違和感を感じてしまうのかもしれない。
ISILというのは米国だけだから云々というが、ではそれ以外の原語を使う各国の「国」に相当する言葉が本当に日本語の「国」単純に訳して良いものか、そこも判断できない。
単にISILの「State」の単純訳なのかもしれない。
日本でも英単語の省略文字で特定団体を呼称することは珍しくもない。
「ユネスコ」や「ユニセフ」も略語だし、「ILO」「NATO」「EU」なども略語である。
逆に本当の意味での国家だと失礼に当たると考えるのか英語の略語で称することは少ないように思う。
歴史のある国ほど昔からの呼称があるのでそれが引き継がれていることもあるし、漢字が割り当てられているものも多い。
私としてはISILとすれば良いと思っている。
英語による呼称の略記だと日本人的には何かの団体(集団)の呼称なのかと感じるのでは、という感覚だ。
これはISILを「国」ではなく単なる過激派集団としたいという考えに合致している。
「あいえすあいえる」は長いではないかというのはいくらなんでもひどい論だ。
カタカナ読みでも「アイシル」と読むのが一般的だ。「いすらむこく」よりも短い。
英語的に読めば「アィスィル」だろうか。最後の「ル」も「ウ」になる前に止めて良い。
もう少し流して言えば「アィスィゥ」ぐらいの感覚でも良かろう。
「ISILでは彼らの存在を薄める」ので「イスラム国」で良いという理屈も意味がわからない。
彼らを「国」と持ち上げるのではなく「ISIL」呼称は「アイシル」などと貶めるべきである。
変な悪影響を見ればむしろ薄めるべきではないのか。
この件は外国の言葉を日本語に持ってくるときの難しさというのを改めて感じた事柄である。
また「国」とは何か、「国」やそれに類する言葉やそれらの境界線とは何か、それに対する日本語の表現と英語の表現の違いの対応の違い、様々な事柄に思いを巡らせないと、少なくともダメだろうということを改めて感じたのである。
ここまで書いたのだが、今でもまだしっくりとこない。
やっぱり「イスラム国」であるべきだ、という論でも構わないとは思う。
ただ、他にも変な理屈でISIL否定しているのも目につくのが残念だ。
安倍総理がやっぱり米国寄り政治とか、米国の犬とか、それら憎しで彼らの使う「ISIL」否定をするのはどうかと思う。(そもそも自民党が米国の犬なのは今始まった話でない)
それでは坊主憎けりゃ袈裟までであり、非論理的である。
私の他の記事では安倍総理や政治における非論理性について叩いているが、この件については自民党や安倍総理の姿勢は「当たり前」ぐらいに捉えている。
「イスラム国」はやめてくれという外国はトルコ位だから、というのも変な理屈だ。
「イスラム国」の是非について判断するためには、この話が日本語で伝わって判断する人が日本語を知っていなければ無理な話しである。
しかしこれがその国の言葉に翻訳されて伝わった時点で「何が問題なのか」すらわからなくなるのはごく当然ではないのか。
それでも判断を求めるのならば、その語感などの背景含め事細かい解説をつけていなければ無理な話しである。
別の観点では「イスラム国」と「カッコ付き表記だから良いだろう」というがこれには首を傾げざるを得ない。
「いわゆるイスラム国」「カッコ付きでイスラム国」とでもいえばまだしも、発音するときには「カッコ」は発音しないのだからNGである。
文字媒体である新聞雑誌限定ならともかく、テレビやラジオではダメだろう。
マスコミでも一部の(自立心の高い)キャスターや解説員、ゲスト出演された「知識人」の中でも「アイシル」などで呼ぶようなことを散見するようになってきた。
ニュースなどのコンテンツでの原稿は「イスラム国」で統一とはなっているのだろうが、個々の発言までは「統制」や「指導」はされていないように見える。
まあ、別段「イスラム国」はダメだなんていう声高に言うようなレベルの話ではないのだろうな、というのが私の着地点である。
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