朝日新聞、任天堂記事問題
リンク: 全文表示 | 朝日新聞、今度は過去のインタビュー「でっちあげ」が発覚 任天堂社長の発言、ネット動画から「編集」 : J-CASTニュース.
吉田調書や慰安婦問題は複雑で色々な憶測ができてしまうが、このようなシンプルな顛末だとわかりやすい。
また謝っているのか、というのは皮肉としてはかまわないが、こういう事例があると朝日新聞の内部がよりわかりやすく見えてくるのではなかろうか。
記事自体は問題は無いだろう
要約したものをみると、意図的な改変は感じない。
むしろ意図はきちんとくみ取った上で、文字数制限を考えれば妥当だと思う。
インタビューはできなかったので動画から書き落としました、と明記していれば読者には問題ないだろう。
読者としては「動画記事」を「インタビュー記事」として提示されたわけで、その点で騙されたということだからだ。
内容としては任天堂社長が言ったことということでは良いが、前提条件が違うのでその点では問題ではある。
許諾が得られないまま記事として掲載云々が問題なのは、単に対・任天堂の話であって、読者への謝罪という意味では関係ないといえる。
問題はやはりソースの扱い
これの重要な点は、動画から書き落とした記事がいつのまにか「インタビュー記事」として扱われ、新聞にはインタビューとして載った、ということだ。
その文章は動画から落したのか、インタビューから落したのか。
そういうポイントを曖昧な扱いで記事にしたのが、吉田調書問題と共通している。
そのインタビュー記事が妥当かどうかの判断は、インタビューならその内容の記事メモなり、音声なり、会話から起こした全録記事なりが存在し、それと照らし合わせてインタビューでの会話が適切に反映されているか、ということになる。
吉田調書問題では、吉田調書から抜粋したのだから、その原文を持って適切に要約されているのかを確認する必要がある。
そういう切り口で見ると、普段の仕事の流れ、いわゆる“体質”が見えてくるのでは無かろうか。
つまりこういう事実関係の積み重ねが“とばされて”いるのではないか、ということだ。
よく言えば現場の記者を信用している、悪く言えばチェックシステムが弱く正確性において管理できていない、ということだ。
一分一秒を争う鮮度が重要な事件記事ならともかく、両方とも別に明日に延ばしたって構わないような記事である。
一方で、その報道の内容が会社の業績、ひいては従業員の生活に影響を与えかねないような内容である。
つまり一分一秒を惜しむより確実性を重視すべき記事である。
そういう重さがあるものにおいて、記者が書いた内容(記者の意図が大きく入る)が、事実関係(調書原文の内容やインタビューか動画か)すらも参照されずに、新聞に載ってしまう(そういう結果になっている)ということが問題である。
多かれ少なかれ、なんらかの事実が新聞に掲載される時には、様々な事実が選別され、要約されてから載ることになる。
それは当然だ。逆に言えばそうでなくては新聞の存在意味なんか無い。
どこで記事の元が「動画」なのか「インタビュー」なのか(出自という奴だ)というごく基本的な「事実」が消えたのだろうか。
インタビューを取り付けられなかったのを記者が隠蔽したのか、そのことは些細なこととして処理したのか、インタビュー記事で構成しようとしたのは誰なのか、インタビューの中に動画引用を含めること自体の論議はあったのか、疑問点は沢山出てくる。
思い込みで仕事をしている
驚くのは「了解が得られたと思い込み記事にした」と書いてあることだ。
その了解は記事の掲載の可否に関わる重要な事だろう。
それを「思い込み」で可と判断したと言うことになる。
思い込みでOKを出すと言うことは、口先だけで軽い気持ちで仕事をしていると同じ事である。
電話の口頭で了解をとったとしても、何年何月何日何時何分に誰から架電にて了解あり、等のメモは残すべきことだろう。
それはメールでも良いしFAXでも正式文書で無くても良いかもしれない。
そういう事実を持って積み上げていけば間違いは起らないし、最悪でも大問題とはなりにくい。
慰安婦問題も「吉田氏の取材が正しいと思い込み」ということを言っている。
自社記者ではない取材を掲載するのはリスクがあるはずだ。
ただしその正誤を確認するには独自取材しか無いから、裏付け取材をしてからかその前に公表してしまうかはどちらにしろリスクだ。
しかしそこをリスクときちんと捉えて動けば良いという事に過ぎない。
公表すると同時に裏付け取材もきちんとやって万一間違っていれば即座に訂正する。
最低でも他から指摘されればまずは疑って確認する。
私は別に誤りをなじっているのではなくて、そういう基本的な仕事の姿勢に対して疑問を感じているだけのことである。
思い込みで仕事をするのは楽だし、ろくに確認もしないでというのも流されてやってしまうことは多かれ少なかれないとはいえない。
しかし押さえるところは押さえないとという危機感を常に忘れてはいけない。
システマティックに行うためのシステム作り、同時にそれに付随する組織全体(もちろん上位者ほど重要)の意識改善だ。
言うのは簡単だがとても難しいことである。
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