憲法改正論議におもう
最近憲法改正論議がマスコミで取り上げられるがどうにも不可解である。
わからないときは原点に戻れの原則から憲法文章を見てみる。
わからないときは原点に戻れの原則から憲法文章を見てみる。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。○2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
1.各議員の総議員の2/3以上の賛成で、国会が発議する
2.国民がその提案を受けて承認をする。
3.承認とは国民の直接投票で過半数の賛成とする。
というところか。2項は形式的な手続きと見なせる。
ただ「憲法と一体を成すものとして」となるから、米国のように「修正条項」ではなくてすげ替えてしまうというにみえる。
米国では変更履歴が見えるごとく憲法修正をしたときには修正条項が憲法条文として残っていく。
私は非常に良いシステムだと思うのだが、なぜ押しつけた米国はそれに倣わなかったのかが不思議である。
この文章で未定義な言葉に見えるのは「国会が発議」という言葉である。
憲法内の他の条文には国会の発議どころか発議という言葉すらない。
普通に考えると「議員の2/3以上の賛成で・・・」ということは普通の法律なら成立の手続きと同レベル、つまり採決を取って国会として決定をするという意味と考えられる。
その決定は他の法律等なら事務的に後は発布され施行となるわけだ。
しかし憲法改正では国会の決議だけではなく、まだ「国民への発議・提案」段階にすぎず国民投票にかけられるだけだ、というところが違う。
一方でテレビで議員がいわれるには国会で発議することすらされないという話があった。
どうもこの辺がごっちゃになっているようにみえる。
国会に発議というのは、なにか法律を作るとかのためにその法律が必要なことを法案としてとりまとめて(通常は委員会を経て)国会に発議し、国会で決議することである。
「国会が発議」と「国会に発議」とは全く意味が違う。
これは弁護士という法律の専門家職である日本維新の橋本氏すら勘違いしているのではと思われる発言がテレビであった。
彼がどうこうではなく、他の議員でも勘違いしている人が多い可能性が高いのではと思ってしまう。
つまり国会で憲法改正を発議するのは少数政党だって構わないわけだ。
(もちろん決議段階にすらいくかどうかは全く別問題だが)
2/3もの賛成が必要だからかなりの見込みや根回しがないと国会での決議に至らないだろうが、委員会等で決議前段階まで詰めて他の政党も巻き込んでいけば良いだけのことではないのか。
半数ぐらいにしないと今の国会では何も通らない、それは党議拘束システムがあるからだ、などという人もいるようだ。
それなら党議拘束なぞ廃止してしまえば良いではないか。
私は党議拘束という考え自体が全く理解できない。
憲法どころか法律にもない。おそらくは党規約にはあるような手前勝手な規則なのだ。
しかも党議拘束を破っても執行部のさじ加減で罰見送りすらできるようないい加減なものだ。(党議拘束破りで議員資格停止すら聞くからほんとうにいい加減なものだ)
そんなものを憲法改正論議に持ち出してくるとは手前勝手すぎて全く理解ができない。
もうひとつ。この憲法96条改正の後にはなにがくるか。
マスコミはトーンダウンしているが、以前からいわれているように憲法9条改正。
議員についてはそれを隠している人は少なくて、むしろマスコミ側が見えにくいようにしているように見えるのは気のせいだろうか。
他の条項を改正しやすくするために、改正のための条項をいじるというのは、私の感覚からすれば気に入らない。
私は9条改正の議論は多いにすれば良いと思うし、国会に発議すれば良いと思う。
何度も国会で否決されながら洗練され同意を形成して決議されるべきだ。
そして何度も国会が発議して国民の否決を受けながらやっと採択されれば良いと思う。
憲法というのはそれだけの重みと多くの賛意が必要ではないのか。
そしてそういう経験を踏んで非常にデリケートな9条に行くべきではないかと思う。
私は損得勘定の理由で日本は現在の9条を維持した方が良いと思っている。
むしろ9条改正したいのは、この憲法を押しつけた米国自身に見える。
なにか国家主権とか国家発動とかいう理由で9条改正を唱える人がいるが、実は(特に最近になって)改正を言う人は米国の意向を汲んでいる人達ではないかとすら見えてしまう。
昔から9条改正を言う人は真っ正面から取り組んでいたと思う。
それを96条改正を絡めてきたというのは他の意図を持った誰かの入れ知恵ではないかと勘ぐってしまう。
なお、2/3による可決という数字は憲法上でもいくつかみられる。
よく知られているのは衆議院での再可決であろう。
衆議院で1/2以上で可決され、参議院で否決されても、衆議院で2/3以上の賛成で可決されれば成立する。
だからそんなに無茶な数字ではないし、それだけの重みが必要だと考えられている。
むしろ他の2/3条項より軽くするのか、というほうが整合性の面で不自然ではないのか。
2.国民がその提案を受けて承認をする。
3.承認とは国民の直接投票で過半数の賛成とする。
というところか。2項は形式的な手続きと見なせる。
ただ「憲法と一体を成すものとして」となるから、米国のように「修正条項」ではなくてすげ替えてしまうというにみえる。
米国では変更履歴が見えるごとく憲法修正をしたときには修正条項が憲法条文として残っていく。
私は非常に良いシステムだと思うのだが、なぜ押しつけた米国はそれに倣わなかったのかが不思議である。
この文章で未定義な言葉に見えるのは「国会が発議」という言葉である。
憲法内の他の条文には国会の発議どころか発議という言葉すらない。
普通に考えると「議員の2/3以上の賛成で・・・」ということは普通の法律なら成立の手続きと同レベル、つまり採決を取って国会として決定をするという意味と考えられる。
その決定は他の法律等なら事務的に後は発布され施行となるわけだ。
しかし憲法改正では国会の決議だけではなく、まだ「国民への発議・提案」段階にすぎず国民投票にかけられるだけだ、というところが違う。
一方でテレビで議員がいわれるには国会で発議することすらされないという話があった。
どうもこの辺がごっちゃになっているようにみえる。
国会に発議というのは、なにか法律を作るとかのためにその法律が必要なことを法案としてとりまとめて(通常は委員会を経て)国会に発議し、国会で決議することである。
「国会が発議」と「国会に発議」とは全く意味が違う。
これは弁護士という法律の専門家職である日本維新の橋本氏すら勘違いしているのではと思われる発言がテレビであった。
彼がどうこうではなく、他の議員でも勘違いしている人が多い可能性が高いのではと思ってしまう。
つまり国会で憲法改正を発議するのは少数政党だって構わないわけだ。
(もちろん決議段階にすらいくかどうかは全く別問題だが)
2/3もの賛成が必要だからかなりの見込みや根回しがないと国会での決議に至らないだろうが、委員会等で決議前段階まで詰めて他の政党も巻き込んでいけば良いだけのことではないのか。
半数ぐらいにしないと今の国会では何も通らない、それは党議拘束システムがあるからだ、などという人もいるようだ。
それなら党議拘束なぞ廃止してしまえば良いではないか。
私は党議拘束という考え自体が全く理解できない。
憲法どころか法律にもない。おそらくは党規約にはあるような手前勝手な規則なのだ。
しかも党議拘束を破っても執行部のさじ加減で罰見送りすらできるようないい加減なものだ。(党議拘束破りで議員資格停止すら聞くからほんとうにいい加減なものだ)
そんなものを憲法改正論議に持ち出してくるとは手前勝手すぎて全く理解ができない。
もうひとつ。この憲法96条改正の後にはなにがくるか。
マスコミはトーンダウンしているが、以前からいわれているように憲法9条改正。
議員についてはそれを隠している人は少なくて、むしろマスコミ側が見えにくいようにしているように見えるのは気のせいだろうか。
他の条項を改正しやすくするために、改正のための条項をいじるというのは、私の感覚からすれば気に入らない。
私は9条改正の議論は多いにすれば良いと思うし、国会に発議すれば良いと思う。
何度も国会で否決されながら洗練され同意を形成して決議されるべきだ。
そして何度も国会が発議して国民の否決を受けながらやっと採択されれば良いと思う。
憲法というのはそれだけの重みと多くの賛意が必要ではないのか。
そしてそういう経験を踏んで非常にデリケートな9条に行くべきではないかと思う。
私は損得勘定の理由で日本は現在の9条を維持した方が良いと思っている。
むしろ9条改正したいのは、この憲法を押しつけた米国自身に見える。
なにか国家主権とか国家発動とかいう理由で9条改正を唱える人がいるが、実は(特に最近になって)改正を言う人は米国の意向を汲んでいる人達ではないかとすら見えてしまう。
昔から9条改正を言う人は真っ正面から取り組んでいたと思う。
それを96条改正を絡めてきたというのは他の意図を持った誰かの入れ知恵ではないかと勘ぐってしまう。
なお、2/3による可決という数字は憲法上でもいくつかみられる。
よく知られているのは衆議院での再可決であろう。
衆議院で1/2以上で可決され、参議院で否決されても、衆議院で2/3以上の賛成で可決されれば成立する。
だからそんなに無茶な数字ではないし、それだけの重みが必要だと考えられている。
むしろ他の2/3条項より軽くするのか、というほうが整合性の面で不自然ではないのか。
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