« 国政選挙の格差がなくならないのは | トップページ | ネット選挙解禁で考慮すべき脅威(前編) - CNET Japan »

2013/04/19

実名が発言に責任を持つことになるのか

よくインターネットの発言での無責任さは実名でないから、という論理があるようだ。
どうもマスコミや書籍などの実名・匿名とごっちゃになっているのではないだろうか。

例えば“毎朝新聞の記者の鈴木一郎”であれば特定は可能だろう。
つまりここに実名での責任が存在しうる。

書籍でも、出版社から出版できる人はかなり限定されるからこれも特定が可能だろう。

しかし、Twitterで名前が“鈴木一郎”だとしたら果たして誰か特定できるだろうか。
いうまでもなく否である。
どう考えても数十人、もしかしたらこの世に数千人とかいるのではないだろうか。

テレビの討論番組で、非実名でなりすまし云々の話題になり、政治家の高市早苗議員が「なりすまし被害を訴え」ていたが、果たしてそのTwitter(みたいな話だったが)での「高市早苗」さんは本名であってもなんら不思議はない。

これは漢字ではないからもあるが、たった数万人程度ともいえる大企業では姓名によるメールアドレスが多く、そのダブりは珍しくない。
“一人目”は姓名を“.”(ピリオド)で区切るが、二人目はマイナスだったりアンダースコアだったりのようだ。

このように実名=本名は問題を抱えているのだが、なぜかその点を指摘する人は少ない。

私がよく例に出すのだが、「野球選手の鈴木一郎」と言っても多くの人は「誰それ?」なのだが、野球選手と前置きすらせずとも「イチロー選手」といえば殆どの日本人(と野球好きのアメリカ人)はよく知っている。
いうまでもなく「イチロー」は実名ではない。
Twitterでいえば「鈴木一郎」の名前で顔写真も出さずに発言をしてもいぶかしがられるだけだろう。

例えば「蒲池法子」とは誰だろうか。
これも日本人なら知らない人がいないであろう「松田聖子」の(結婚前の)実名である。
芸能人の多くは本名でないことが多い。

作家やアーチストも別名を使うことが多い。
芸名を持ちながら作家活動をするときは別名を使うことは珍しくもない。
例えば作家では100冊を超えるシリーズ作「グインサーガ」を産み出した「栗本 薫」などがいる。
あまりに有名な話であると思うが「中島 梓」の作家名である。
「中島 梓」も芸名であり、本名は「今岡 純代」という。

つまり重要なのは「実名」かどうかではなくてどうやって「固有名」を定義するかではないだろうか。
インターネットは日本どころか世界規模で国境が無い、つまりコミュニティの境界線が非常に広いために名前の重複が容易に起きてしまう。
よほど珍しい姓でも無い限り固有性を保つのは不可能だと思われる。
「東国原」は非常に少ない姓だそうだが、逆に「伊藤」「鈴木」「佐藤」などは数の多さで上位の常連だろう。
そうなると名のほうで他者との一致を避けることは殆ど不可能と言えよう。
姓はもちろんのこと、名も殆どが親がつけるもので本人意思や変更はまず無理だ。
親だって近所親戚知り合いでかちあわなければ良い程度の固有性しか思わないだろう。

つまり実名で固有性を決定することは不可能だし、固有性を決定づけられないのにそれをもって「責任性」を生じさせるのも無理な話だ。

|

« 国政選挙の格差がなくならないのは | トップページ | ネット選挙解禁で考慮すべき脅威(前編) - CNET Japan »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 実名が発言に責任を持つことになるのか:

« 国政選挙の格差がなくならないのは | トップページ | ネット選挙解禁で考慮すべき脅威(前編) - CNET Japan »