東日本大震災からはや2年。
マスコミでも特番など組まれているが皆の意識はだんだんと薄くなっては来ているのだろう。
特に原発はまだ何も進展していないに等しいにも関わらず、容認論をかざす自民政権になってしまい、安倍内閣では慎重な言葉を選んではいるが基本は容認の方向だ。
例えば除染の問題も取り上げられる。
一度除染してもまた数値が上がってしまうと言う。
それはごく当たり前のことである。
そこよりも濃度の高いところがあればそこから流入する。水が高いところから低いところに流れるくらい自然の事象である。
高いところとはなにか。
福島辺りならごく普通にある森や林であり、荒れ地である。
除染対象外(まあそこに手をつければかかるお金が何桁もあがるわけだが)となっているからであり、しかし手をつけなければ居住区もいたちごっこ状態が続くというジレンマを起こしている。
そしてなにより原子力発電所において未だに超高濃度の放射性物質がほぼ野ざらし状態で放置されていることである。
これもなにも怠惰では無くて高線量過ぎてそこに建造物作業ができないためで封鎖のための囲いを作れないのである。
前者はお金の問題であり、後者は高濃度放射性物質を取り扱うが故の制限である。
低濃度では人体への影響は意見が分かれるが、原発敷地内は確実に人体の影響があるというレベルでの危険が存在しているのが現実なのである。
要するに前者は原発を運用している電力会社が責任を持ってそのお金を出せば事が済むのであるから、原発再開するのならそのお金を担保する見通しを持つ必要がある。
というのが理論的な道筋なのだが、なぜか誰も言い出さない。
その財力が無いのならそのシステム自体を運用する資格が無い。
お金というのは今回の場合で数百兆円位という試算があるが、だから国が担保するという論理は自由経済主義の日本ではおかしな論理だ。
例えば火力発電所でも爆発など事故を起こしても電力会社がきちんと賠償して後始末ができるだろう。水力でもなんでもそうだった。
原子力だけやらないでいいなどという理屈は無いのに、なぜか原子力だけは国が担保したりと金銭上の責任すらきちんと問われないという奇異な状況なのが問題では無いのか。
後者も、原発推進者は放射能汚染で人が死んだりはしなかった、というが、それはその通りではあろう。(直接という意味では)
しかし作業者を含めれば放射線で傷害を受けた人は確かに存在をしている。
そして傷害を受ける危険性があるから作業ができない現場が存在しているのも紛れもない事実である。
例えば、処理後汚染水の海への放出である。
事故前なら論外だった放射性物質の濃度レベルでの放出となりそうな感じである。
ただ、この記事では全く分からないわけで問題は処理して放出する濃度と単位期間あたりの総排出量がどの程度かというのが最重要である。
希釈して放出という言葉もあるが、今までの様々な公害から学んでいないのか。
ひとつは生物濃縮というメカニズムを忘れてはいけない。
単体で化学変化などで有害性が変化しない物質については、上位生物にいくほどその毒性が濃縮されていくという危険性がある。
有害物質をまずプランクトンが体内に取り込み、それを食べる小型生物、そしてそれを食べる大型生物へと有害物質が濃縮されていくのだ。
これは机上の空論では無く、有機水銀の工場からの流出で実際におきてしまった公害が現実にあり、この生物濃縮だったのだ。
それが今度は放射性物質で起きないという理屈はないだろう。
なによりも問題なのはいままで陸上に置き続けていたタンクが満杯になったから海に放出するという論理であって、一時的流出ではないということだ。
要はこれから継続して海洋に放射性物質を流出し続けるということであり、それはメルトダウンして制御不能状態の炉を冷やし続ける限り続くということであり、核燃料を取り出す数十年後まで継続することになるということである。
論理的にそうとしか考えられないのだから、そこまで取材ではきちんと追求すべきであり、記事でもきちんと書くべきであるがごまかしている。
きちんと認識すべきはこのように福島の原子炉は冷やし続けないと駄目な状態が依然と続いているという現実だ。
報道ではがれきの山が映し出されているがそんなことは本質的な問題では無い。
事故の総括どころか、このレベルですら、まだ事故現場は片付いていないというのが現実なのである。
原発再開論議をするのなら、このあたりもきちんと直視して、また起きないようにする、という論理だけではなく、起きたらどのようにだれが担保するのか(金をどうやって出すのか)、事故処理をどうするのかをきちんと技術的論理的に議論した上で再開をしていただきたいと思う。
賠償問題も国の解決センターでは処理しきれずに裁判沙汰が増加しているそうである。
まず福島発電所が2基爆発しただけで会社が破綻したのも事実である。
きちんと賠償する以前に会社破綻という論外な展開だったのが事実なのである。
それは東電が元々経営不安定だったからか。どこも似たようなレベルでは無いのか。
そうならないような経済的な担保をしてからでないと原発運営は認められないというのが当然の論理では無いのか。
今回の事故での教訓は色々あろうが、原発において事故を起こした場合に電気会社はその責任を負い切れずに破綻(普通なら倒産)すること、その結果血税が投入されること、そして日本国レベルで内外に不安を与えること、さらに二年経っても原状回復からも程遠いほどに解決が進まないこと、これらが現実となって判明したことであろう。
そしてこのような展開に二度とならないよう仕組み作りをすることが重要ではないのか。
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