「原発稼働ゼロ」見直し、首相がオバマ氏に伝達
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安倍首相は、2030年代に「原発稼働ゼロ」を目指すとした民主党政権での政府方針について、「ゼロベースで見直す」と説明した。
「米国とは原子力協定のパートナーとして、緊密に連携していきたい」とも要請した。オバマ大統領は「両分野で日米間の協力を進めていきたい」と応じた。首相はまた、割安な米国産天然ガス「シェールガス」の対日輸出の早期承認を要請、オバマ大統領は「同盟国としての日本の重要性は念頭に置いている」と述べた。
なにやら禅問答でわかりにくい。
結局は米国のご機嫌取りに終始したようにも見えるがまあこんな記事ではわからない。
米国の原子力産業が世界の趨勢(中国など一部を除く)では減少に向かっている中で厳しい。例えば最大手のGE(ジェネラルエレクトリック)自らが語っているのだから疑いようも無い。
その中で原子力発電所を減らすというのは三位に落ちたとは言えGNPトップグループの日本でやられては困るのが現実だろう。
そんな大手企業の都合で政府が動かされているという一面は否めない。
米国自身がシェールガス革命によって原子力にとって変わられる流れなのもある。
なにせ従来のガス価格の数分の一の価格で生産できるのだからしょうがない。
しかもそれでも加熱しすぎてだぶついて困っているところもあるくらいだそうだ。
しかも二酸化炭素削減の協定については排出量の二大巨頭であり、それと並ぶ中国とともにそっぽを向きつづけているのだから、日本のように排出削減が火力発電への懸念材料にもならないのである。
逆に言えば二酸化炭素排出量削減にご執心な(嫌みでいっている)日本すらが原子力をやめて火力にシフトされては米国としては商売あがったりで困るのである。
そもそも全世界の電気生産総量からすれば原子力発電などはわずか2%程度のものなのだそうである。
つまり世界規模の発電事業としてもみれば原子力関連はマイナーであるといえる。
日本では原子力が沖縄を除く全地域で数割、5割を占める地域もあってそれからみると驚くような数値にみえるが、むしろ日本の方が世界から見れば珍しい国なのである。
良く、世界を見えていない日本(企業)みたいな言われ方をするが、実は発電産業でみても日本はいつのまにやら世界の平均から外れたところにいたのが実態なのである。
それが米国の原子力産業のお得意様だったのが現実では無いのか。
しかも日本は安全規制が全世界的に見ても緩いために低コストで発電所を作ることができたわけだ。
地域の過疎地域の状況と交付金をうまく使って危険なコストを地域住民に押しつけることができていた。
実際に事故が起きれば交付金の渡るその市町村だけに留まる問題では無いのに、その市町村への割増し交付金だけで済ませてきた。
それが低コストの発電というまやかしを生むことができてきたと言える。
ちなみに最近近代化(電化)が著しいアフリカ諸国では地熱発電が人気だそうである。
一度作ってしまえば燃料代は要らないし燃料に対する難しい取り扱いも必要が無い。
初期コストが比較的高いのがネックといわれるが、作るにあたっては先進国の支援や国際的な金銭等の援助も受けやすいのだろう。
一度投資してしまえばあとは人的コストや定期的メンテナンス、これは別にどの発電所でも必要であるしその額が多少高いとしても燃料費ゼロから考えれば構わないだろう。
原子力は国際政治的な問題も絡むので政治的に不安定なところも多いアフリカでは人気がないというのは容易に予想ができる。
さて、日本はこれからどうするのであろうか。
原子力というのは実は初期建設コストがかかりランニングコストが比較的安い、という再生可能エネルギー型の発電所と似ている構造を持つ。
つまり一端作ったら減価償却するまで運用しないと赤字になるのだろう。
異なるのは発電所を廃止して原状回復するコストや燃料として使ったあとの廃材の処理に莫大なコストがかかる(それゆえに処理の先送りを続けている)ところである。
だから現在の殆どの発電所の稼働ゼロとして廃止して原状回復することは事業者としてはありえないことなのである。
福島の原状回復コストをだれがどう負担しコスト換算するのか。
今は災害復旧コストに組み込んでうやむやのうちに税金で処理しようとしている。
それが許されることなのか。
原子力発電のコストをどう見積もるのか。
規制委員会がいままで出してきている規制案だけでいちいち事業者側は「過剰だ」「コストがあわない」などと反論しているようだ。
まあ、とりあえず反論するのはタダなのでやっているのだろうが。
さらに社会的コストをどう組み込んでいくのか。おそらく莫大な額になろう。
たった一カ所の原発事故で東電は経営破綻した。
次はそんなことがあってはならないのでそれを回避するための保障体系をどうするのか。
保険を掛けるとして果たして人口密度の高い日本国で割に合う額になるのか。
そういう議論やコンセンサスなしに再稼働は無いだろう。
規制委員会が出した条件のクリアだけで再稼働OKみたいな空気になっているがそれもおかしな話だ。
規制委員会の出した条件のクリア、は最低限の発電所の満たすいわば技術的要件だ。
万が一再度事故を起こしたときの補償体制の構築を求めることもきちんと議論すべきでは無いのか。
まあ、それらの構造が解決したとしても「ゼロ」にはならないだろうなというのはアリかもしれない。
政治的にゼロにするのではなくて結果としてゼロに近づくのは「ゼロ見直し」に相当する。
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