国のやり方恐ろしい…意見交換会欠席の双葉町長 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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検索で調べてみるとどうやら朝日新聞系のみの報道のようだ。 朝日新聞の記事にも「関係者によると」という形の記載もあることからリーク情報・スクープのつもりに見える。 一方で町長もややヒステリックになってしまっているように思える。 責任は朝日新聞にあるのであって、政府にそれをみるのはどうかと思う。欠席の理由について井戸川町長は、中間貯蔵施設の用地を国が原発事故前の実勢価格で買い取ることを検討していると、事前に一部報道されたことなどを挙げた。
そして私のような論調があちこちで出るのが町長の言う「事実かはっきり分からないが、世論が判断してしまう恐れがある。」ということなのだろう。
別に政府の方も「一方的に決めて説明する」と限ったことでもあるまい。
欠席して聞く耳ももたない、という姿勢は町長の立場としてどうかと思う。
まずは感情は押し殺して話し合いの場に臨み、もし一方的に推し進めようとしたらならば机を叩いて退席をすれば良いだけのことだ。
中間処理施設云々は除いても、どう考えても地域によっては除染は不可能であり国もしくは東電による買い取りとならざるを得ないのは冷静に考えれば致し方ない。
科学的・物理的に撒き散らされた放射性物質がその放射能を失うのにはとてつもなく長い時間がかかる。
仮にそれを除染してもまた周囲の森林などから降りてきてしまい汚染されてしまう。
住民の感情をどう推し量ってもそれは覆らないという冷酷な事実・現実なのだ。
朝日新聞の報道も不用意と言わざるを得ない。
こうなることが予想できなかったのか。他の新聞はそれができたから報道は伏せたのかもしれない。
国が買い取りの検討というのはむしろ今までそれをしていない方が無能というレベルで、なんで一年になろうとする今まで放置されてきたのか、無策にもほどがあるというくらいだ。
だから事前に検討という報道があっても感情的には我慢できなくとも、現実的な方向性としてそういうことはあっても致し方ないとまずは押し殺すのが長としてのあるべき姿勢では無いのだろうか。
今日、テレビで浪江町の子供達の様子が報道されていた。
未だに仮設住宅暮らし。
学校は過疎合併があったのだろうか、隣町の学校に通っている。
浪江自体もだし、その隣町でも避難した子供達がほとんどで学校には殆ど残っていない。
浪江に戻りたい。そう訴える声が痛ましかった。
それを見てもなお、いや見たからこそ、こういう生活は少しでも立ち切って欲しい。
友達と別れるのはつらいと思う。
だからこそなおさら新天地で少しでも早く普通の生活に戻って欲しいと思う。
普通のサラリーマンの子供だって親の都合で転勤になって友達と別れ、別の地に移り新しい友達を作る。
愛着のある土地を離れ友達と別れるのは一時はつらいが世間的に見てもさほど冷酷な話では無いと思う。
今回の原発によって愛する土地を奪われたのは非常につらいことだと思う。
そのことに関しては私も非常に憤りを感じている。
このブログでたびある毎に東電や原発を叩いているのはその感情も原動力として否定できないくらいだ。
しかし、それよりも仮説住宅で、親が農家だとしたら耕す土地も無いか、よそ者として借りている日々を送る方がつらいのでないか。
一刻も早く新天地で新生活を始めた方が良いのでは無いか。
もちろんそれには大前提がある。
金銭的な補償は当然十分になければならない。
住宅家財は当然ながら、農地があればその分の補償も必要だ。
今回の震災前の価格評定で買い取りというのはごく当然の処置である。
強制移動なのだからその分の上乗せも当然のことだ。
ダムに沈む村や区画整理による立ち退きと同程度の措置というのはこれも当然のことであろう。
おそらく莫大な金がかかるだろう。
しかしそれは原発を運営してきたこと、結果として事故をおこしたことに対するペナルティだ。
決してこのことで軽んじられるのでは無く、むしろ重くのしかかっていく。
いや、いかないとおかしい。
ここは税金でまかなうのは断固反対である。
まずは税金で肩代わりせざるを得ないが、後で東電から回収するのが当然である。
原発というのは一端事故をおこせばこれだけのペナルティを払わなくてはならないという事実が残るのだ。
今回の事故は痛ましいが、それを解決するのは現実として金しか無い。
どんな事故も解決する手段は最後は金でしか無い。
原状回復は現実に不可能な地域はどうしてもでてしまう。
一年経っても原子炉からの放射能漏れが一時期より減少しただけでいまだに止まっていないことからみてもどうしようもないことだ。
感情論として現実を直視したくない気持ちはわかるが、長として少しでも住民の生活において先に話が進むように協議して欲しいと思う。
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あちこちで原発再稼働という話が出ている。のど元過ぎればなんとやらなのか。
あまつさえ北海道電力では再開が訴訟沙汰になって「事故は起こりうるもの。飛行機だってクルマだって・・」などと述べたという。
飛行機でさえ考え得る最悪の事故が起きても会社が債務超過になるほどにはならない。
東京都内につっこめば別かもしれないが、そういうことは理論的にあり得ず最悪でも海に突っ込めるからだ。
クルマもたいがいは「無制限の人身補償」はある程度乗る人なら基本の保険プランだろう。
そうすれば交通法規をきちんと守っている限りは破綻することは無い。
しかし原発は同様の事故を起こしたら会社が破綻するのだ。
感情論では無くて経済的に現実として起きていることなのだ。
それを直視せずに「原発を再開すべき」と論を張れる感覚を疑う。
もし今回の様なことや一連の国による補償を「国がやって当然」と思っているとしたら非常に腹立たしい。
1会社がおこした不祥事をなぜ国が税金で補償しなければならないのか。
以前、細野大臣が除染を最後までやるなどとリップサービスを出したのには驚いた。
あれは撤回したのだろうか。
感情論では良いことだが、それは現実的・科学的・物理的に不可能なことだ。
金銭的にもそれこそ天文学的な金がかかる。
絶望というのはこういう時に使う言葉なのだろう。
j
除染は絶望であれば現実の落としどころを探るのが科学的・論理的な姿勢である。
およそ補償問題ではできうる限りの誠意ある原状回復の上で、最後は金で双方の妥協点を探るのである。
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