原子力存続の議論
私は原子力発電に関しては容認論者だったのだが今回の顛末で否定的になった。
誠に残念ですが。
・十分な安全性の確保が実はなされていなくそれが致命傷となった
具体的に言えば冷却システムの不備。
システムへの電力供給ができなくなったことで冷却が維持できなくなり、破綻した。
停止後処理の不備とか注入がどうのこうので国会でももめているが私の感覚ではそれは些細なことだと思っている。
小沢問題と同じレベルのことで、些細な問題で国会でもめて仕事をしているふりをしているのだろう。
海水注入の時期についても事後でどうこうはいくらでもいえるが、あの瞬間で正確な判断ができるかといえば無理だろう。
その責任がどうこうという議論は意味が無い。
それ以前の段階で、原子炉活動を止めるシステムに不備があった方が大問題だろう。
・事後補償が未だに皆無
正確には当事者による、ということ。
県や市区町単位では住民への仮設住宅やらのフォローはなされているが、当事者の東電や国からの金銭的補償が行われたという話がまだ皆無。
本来は東電が避難先の一時引っ越し先を用意すべき事。
東電自らがやらずとも金を出して誰かにやらせてもいいのだが。
出荷差し止めや風評を含めた被害に対する損害もやっと請求が始まった段階でお金が支払われたという話がでない。
農作物の作付けはできないし、そこで働いていた人たちへの補償も一切聞かない。
とりあえず避難してくれ。金の問題は後でといわれたままのようだ。
もう2ヶ月半はとうに過ぎている。
幸いにして地震の被害はさしてなかったのに非難を強いられた人たちも多い。
純粋に放射能漏れのせいで収入を閉ざされたのだからその補償は東電がしてしかるべきだろうに、無収入のまま放置されている。
せめて一端国が肩代わりして後で東電から取り立てればまだ良いのだが、それもなされていない様子。
国会の与党野党も注水がどうのこうのというくだらない話をしていないで、全く補償がなされていないことに関して論議をすべきだろう。つまり、さっさと金を払えと。
東電+国(与党が民主だろうと自民になろうと)で払わなければならないのは変わらないし、その総額は同じだろう。
負担割合やら責任がどこあって今後の政権をどうするとかそんなのはその後に決めれば良いことだ。
補償には実際にかかった金と、慰謝料的な意味がある。
前者は早急に一時金で対処して後者はあとで算段すれば良い。
どうせ被害者と加害者の温度差が大きい慰謝料的な部分は時間がかかるのだから。
グレーゾーンが難しいのは分かるが明確なところから着手していこうという感じさえ無いのがダメだ。
・補償遅延の再発防止は一切考えられていない
「安全性の確保の研究」はするそうだが補償体制の研究をするなどと言っている人が皆無だからだ。
絶対の安全がないといっているのに「安全性の確保」をすればいいと思っているのが根本的に間違っていることにまだ気づいていない、のか、気づいていないふりをしているのか。
それを修正する人が当事者たちとその周辺にいないということ。
そんな状態でまた発電所の推進などできるわけがない。
原子力発電自体の安全危険なんか、安全にしたいに決まっている。
そんなレベルでは無く、一端ことがおきたらこのような「惨状」がおきるのだ。
避難も地域差があり、マンションを借り上げてくれているところもあれば、体育館に押し込められてしまっているところもある。
単純に地方行政の力の差だろう。
要は責任者の東電や国レベルでは支援は無いのだ。
いままでは地方交付金の大増額でごまかしてきたが、これからは無理だろう。
それどころか現在の原子力発電所のある地域からも「この程度の額では納得がいかない」という反発が強まってもおかしくはない。
今回の事故を踏まえれば、発電所のある地域だけではなく、周辺数十kmの住民も多大な影響を受けるリスクを持つ、と考えた方が良いだろう。
つまり10km程度で「遠くだから無関係」とたかをくくってはいけないということだ。
それも考えるとその対策費は膨大になろう。
・原子力発電のコストの増大
これまで以上に安全性に配慮する、ということは安全性確保のための費用をこれまで以上につぎ込む、ということだ。
建設コストや既存設備の増強、ファイルセーフの強化、点検期間の短縮などが起きよう。
地方交付金の大増額もおきればそれも本来はコストになってくる。
当たり前だが交付金で隠れていたものがきちんと暴かれてこなければウソだ。
この辺はマスコミに期待したい。
本来は予算の中で分離すべきだ。
もはや国家予算は破綻の危機と言われている。
破綻するかどうかは論議があるが、支出を抑えるべきだということに異論のある人はいない。
支出を抑える第一歩は支出の精査だ。
どんぶり勘定が許されるのは、収入が支出を大きく上回っている時だけ。
今回の件で言えば原子力関係でどれだけの国家予算が使われているのか精査する必要があろう。
原子力はコストが安く、太陽発電などは高い、といわれるが、これらの隠れコストも含めて徹底的に論議されなければおかしい。
もはや国民感情や安全性の確保云々では無く、コスト的に原子力は無理だろうということではないだろうか。
・自然エネルギーはどうなのか
原子力はダメ、火力も増やせない、となればあとは自然エネルギーが最も実用に近い。
自然エネルギーが理想云々では無く、曲がりなりにも実用性で一番近いモノを進めて行かざるを得ない。
太陽光は既に海外でもメガソーラーといって発電所規模で建設されている。
家屋の上に建設できるのも利点だろう。
水力発電もある。
いわゆる水車のような形態である程度大きな河川での落差を利用しての発電。
渇水期でもなければ安定して発電ができる。
上下水設備に組み入れるという考えもあり実用にしているところもある。
これは比較的安定して発電ができる。
地熱や風力はむしろまだこれからという感じがある。
設置場所の限定条件が厳しいというところもある。
これらは塵も積もれば山となるという発想に近い。
地産地消的なところもある。
・利権構造の打破はできるか
自然エネルギー開発がなぜ実用段階でなかなか進まないかというとたくさんの利権が絡んで面倒だというのが大きいらしい。
役所の縦割り行政で様々な省庁の許認可や各個人法人の権利が絡んで面倒になっているそうだ。
例えば農水路に小型水車を作ろうと思えば農水省が自分の権利を主張する。
そうなるとエネルギー行政の中で許認可の一本化という必然がでてくる。
一本化と言えば消費者庁の設置が最近あったが、同じようにエネルギー庁でも作って窓口を一つにすべきではないのか。
もちろん関連法律の整備も必須になってくる。
そのなかで新庁をつくるまでもなければそれはそれで良いのだが。
民主党もくだらない政権闘争やっていたり自民も仕事をしたふりばかりしてないで、これらの推進をきちんとやればポイントは非常に高いと思うのだがどうだろうか。
管政権も、総理自ら自然エネルギー推進をぶちあげたのだから、もし仮にきちんとこれらをまとめ上げたらそれだけでも歴史に名を残す立派さだと私は思う。
まあ、間違った脱官僚をしてしまい官僚を使いこなせない菅総理では難しいかもしれないが。
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