これ以上高機能なPCはいらない時代
リンク: 笠原一輝のユビキタス情報局.
私の感覚ももう高機能だったりやみくもに外でPCを使おうと思わなくなっている。
仕事・出張でPCを持ち運ぶことは多かったが、最近は必要性がなくなっている。
たとえばメール程度なら携帯電話で十分である。
出先でネットは普通に使える。自分のPCを使う必然もさほどないが現実。
どこでもPCがあるという普及が、逆にPCを持ち運ぶ必然性を減らしている。
自分のPCを持っていくのはそこにPCがないということが大きい理由だった。
今はネットカフェはどこにでもあるし、大型家電店があればそこでちょっとネットに繋がっている売り場のPCを拝借できる。これで調べものをすることができる。
携帯電話でも十分に調べ物が出来る。
私個人でいえばあとはザウルスで十分である。
移動中に文章だけは紡いでおく必要がある場合にはこれで十分であり、ネットでの調べ物もできる。
体裁は会社に戻ってから文字列を流し込んで整えれば良いのだ。
そんな状態ではむしろ軽く、安く、そこそこのPCがあれば十分と考える人が多くても不思議ではない。
実際にEeePCはセカンドとしてパワーユーザーが買っているそうだ。
品薄だとどうしてもそうなるだろうが、そもそもこのことに気がつくのはパワーユーザーである。
パワーユーザーほど使いわけをできるのでEeePCで使える領分というのを把握している。
また、まだうちの周りでは手に入らない。これではまだパワーユーザーしか買えないのが現実だろう。
本格的な普及というのはまずはどこでも手に入るようになる必要があるからだ。
まあ、なんにせよパワーよりも値段や不要なものをとりさったすっきり感、ごてごてしていないで割り切ったこと、割り切り方が納得がいくものであること。
このPCが使えるという使用シーンが意外とみんな描けているのではないだろうか。
そこで大きく占める要因はマシンパワーではなくそれ以外の何かである。
これはゲーム機でも起きている。
携帯ゲームで十分。PSPもDSもみてみればPS2ぐらいのグラフィックやサウンドを持っている。
PSPが基本的性能で、DSは2画面とタッチパネルというアドバンテージをそれぞれもっている。
据え置きもWiiで十分。PS3のでかさやXBOX360の五月蝿さ、もちろん値段の高さといったデメリットを、高機能が打ち消してはくれない。
逆に言えば高機能さはもうたいしたメリットではないのだろう。
右肩上がりだったPCやゲーム機も既に円熟期に来ているのだろうか。
もうカテゴリーというかパラダイムの変化がおきないと次はないのではないだろうか。
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