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2007/10/08

津田大介さんに聞く(前編):「ダウンロード違法化」のなぜ ユーザーへの影響は (1/3) - ITmedia News

リンク: 津田大介さんに聞く(前編):「ダウンロード違法化」のなぜ ユーザーへの影響は (1/3) - ITmedia News.

じゃあなんで日本レコード協会がこれを強く要望するのかというと、「ファイル交換ソフトからの違法楽曲ダウンロードや、違法着うたダウンロードも違法行為ですよ」とプロパガンダできる。そのための法的根拠が欲しかった、ということだと思うんですよね。
別の言い方をすれば「脅し」ということでもある。
違法行為の抑制というのは刑罰とのセットでないと実効性を帯びないというのはいうまでもないわけであるが、それでも違法行為であるといえば小心な人であればそれなりに効果はあるかもしれない。
が、そんなひとがそもそもやるのだろうか。
実際のところ、今回ダウンロードが違法とされ、その後数年経っても、違法な動画や音楽が全然減らないという状況があったら、次は「刑事罰つけよう」とか「著作権侵害を非親告罪化しよう」なんてことにもなり得ると思うんですよ。
これへの布石であると考えたほうが妥当だと私は思う。
いきなり刑事罰をつける法律を制定しようとすると抵抗感が強いし、深い論議を行われてしまう可能性が高い。
まずは「刑罰はなしでいきましょう」といって一度法律を作ってしまってから「やっぱり刑罰もつけましょう」としたほうが抵抗感が少なくて済む。
そして確実に減らないと私は考える。
違法のアップロードというのはほとんどが「無償の行為」として行われているものを指しているのではないか。
つまりダウンロード数とかそんなものを指針としてその行為が行われているかいないかが決まっているわけではない。
さすがにダウンロード数0となったら考えてしまうかもしれないがそんなことは現実的に起きえるとは思えない。
そもそも違法とはいえ刑事罰はないのだから、違法だって気にしないでダウンロードするとしか思えない。
さらに仮に刑罰がなくても自分は捕まらないと信じきってダウンロードする人だっているだろう。
刑罰があったって別に軽いからかまわないと考える人もいるだろう。さらにいえば自分は未成年だからと考える人もいてもおかしくはない。
結果といえば若干は減る傾向が見えるかもしれないが、観測誤差の範囲内、というかコンテンツの人気による差の中に十分に収まるような差しか出ないと思われる。

つまりは刑罰なしではなんの実効性もなしで終わるわけだ。

刑罰なしだからいいではないか、という論点で法律制定を容認することは極めて危険なことだと考える。

よくいわれることであるが、法律というのはかならず作用があり、副作用がある。
完璧な法律文章というものを作るのは極めて困難であるので、間違った運用をされてしまう可能性を常に持つ。
作った人間(法案提起者)と可決した人間(国会議員)は現実には同一ではないし、それを運用する人間(一般人や弁護士、警察官など)と法律を元に判決を行う人間(裁判官・判事)は勿論同一ではないのだから本質的に危険性は伴うのだ。

法律は決して私物化して濫用すべきではないのだ。

本文中で述べている津田氏の「いやな感じ」について私は強く共感を持つ。
そもそもなにか筋が間違っているようにみえる。
さらにいえば消費者団体の人もそれに巻き込まれてしまっているように見える。
消費者の論点に自分の論点をあえて絞ってしまい、一般人としての意見、論点や危惧などをあえて抑え込んでいるようにも見える。

この法律ができたら周囲にどのような影響を与えうるか、その副作用はなにがあるのか、について津田氏が考察しているのは非常に好感が持てる。
というか、むしろその他の人たちがそこまで考察していないということに反感を持つ。
法律を作ろうというのはそこまで考察して行うべきではないのだろうか。

私がこのような危惧を大いに持つのは実は実際の法律制定までの過程のひどさにある。
ほとんどの人は国会議員が議論をして法律が制定されると思っているのかもしれないが、それは大きな間違いである。
極めて重要な法律であればそれもあるが、現実にはこの著作権問題のような非常に瑣末な問題に関しては間違いなく適当に流される。
このような小委員会を開いて議論をしているのはまだましなほうで、例えば一部の省庁の役人が作り上げてそのまま国会に提出され可決されてしまうことだって決して珍しくはないようだ。
役人だけならまだいい。問題は一部利権団体と役人が結託して法律が作られた場合だ。
天下りのキーワードを出すまでもなく一部企業と役人が結託することは決して不思議ではない。
国会議員も内容もろくに知らないで可決することだって珍しくはないらしい。もちろん可決の前にあたって主旨説明があるようだが、作った役人が説明するわけで自分たちの都合の良い法律文をつくっておきながら主旨説明ではいかにも公共性があるかのような、議員に受けの良い言い方をすることも十分に可能なわけだ。
そして彼らはその点についてはプロであることはいうまでもない。
さらにいってしまえばいちいち法律文を吟味するほど国会議員は暇ではないらしい。

その結果、実際に関心を持って論議を持つ国会議員というのはごく僅かでしかない。
私がバナーを張っている「輸入CD規制」問題では国会での流れをかなり詳しく見ていたが、国会での可決というのはあきれるほど形式的なものなのである。
小委員会での結論をもってしてそのまま可決という流れになるのはかなり確率が高い。
党のお偉いさんや内閣閣僚がなにかしら懸念を持ちでもしない限り流れは変わらない。

さらにこのことを加速するのは「党議拘束」というシステムである。
要は党が是非を決め、党員はその数として賛否を挙手しなくてはいけない、というシステムである。
これに逆らった場合、さまざまな党内ペナルティがあるということである。
例えば代表質問に立たせない、党内役職からはずす、この2つだけでも国会議員としては致命的とも言えることである。
党議拘束があるのならばそもそも自分の意見をもっても仕方ない、法案を検討しても意味がない、と考えても至極当然のことである。

このようなことを踏まえて考えれば、小委員会での方向性というのは極めて重要な意味を持つ、ということを意識していないといけない。
ある意味この後ろには歯止めがないのだから。

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