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2007/07/21

ITmedia News:「あの貪欲さはもうない」 日の丸半導体の没落

リンク: ITmedia News:「あの貪欲さはもうない」 日の丸半導体の没落.

私なりの分析をしてみたいと思う。

この20年での半導体業界の遷移というのは、2つある。
ひとつはアナログからデジタルへの移項。
もうひとつは映像からPCへの移項。
2つは重なるところもあるがおおまかにいうとこの2つではないだろうか。
それがランキングには如実に現れている。
かつては絶大な力をもっていたナショナルセミコンダクターやフィリップスのランク落ちがそれを示しているのではいか。
アナログのテレビ時代には非常に技術力もあり高い支配力をもっていた。
モトローラも根幹はアナログ時代の通信機器にある。
現在も携帯電話では大きな力を持っているものの半導体としては1勢力になっているのだろうか。
日本各メーカーもその傾向が多分にある。

2006年のランクを見ればインテル、アドバンスド・マイクロ・デバイス(AMDといったほうが通りがよいのでは?)という2大CPUメーカーがあり、サムスン、インフィニオン、STマイクロ、ハイニックスというメモリメーカーが並ぶ。東芝もメモリメーカーの1つでもある。
むしろ異色なのはテキサス・インスツルメンツ。ランキングで唯一残っているのがこの1社であることは興味深い。
ルネサスとフリースケールは民生機器用のCPUとしてというところか。
正直フリースケールは意外である。

大雑把に言えば今日上位にいるのは、パソコンの潮流に乗った半導体メーカーということがまずいえる。
もはやパソコンはインテルにあらずばになった。Macさえもインテルになってしまったからだ。
他のアーキテクチャが台頭する余地がまったくみられない。
その一方で、パソコンというもの自体への懐疑心もだんだんとでてきている。
はたしてそもそもパソコンというものは必要であるのか、という観点である。
家電や携帯電話やゲーム機の高度化が背景にある。

インテルやAMDはもちろんそんなことはとうに承知済みで家電や携帯電話等にも目を向け始めている。
パワー競争一辺倒はやめて低消費電力を目指している(消費電力あたりのパワーというものさしもでてきている)。
これもパソコンだから許されているという欠点面を直視し、家電の様にどこにでもあるものに入れてもらえるように方向を変え始めている。

一方でメモリも必須な部品である。
CPUに依存せずおよそデジタル機器となればかならず必須である。
特徴としては互換性を守らなければならないことにある。これは弱点でも強みでもある。
端子の位置やパッケージ形状、電気的特性などかなりの部分において互換性があることが求められる。
明日から別のメーカーに置き換えられるという危険性が常にある。しかし逆に明日から別のメーカーになりかわることもできるという強みでもあるのだ。
本質はお互いにコピー品を作りあうようなものである。より精度の高いコピー品をより早い時期により安く、大量に作れることが売上を上げるための要素となる。
私自身が経験したことだが、あるメモリメーカーのデータシートをみたところ、なにか既視感を感じた。実はそれはある別メーカーのデータシートとうり2つだったのだ。(メーカー名や会社ロゴがすり替わっているようなもの)
たしかにスペックはほぼ同じであるからそれも良いかもしれない。データシートに著作権はないのかもしれない(よく知らないが)。しかしこういうことを堂々とやるというのは少々ショックを受けたのは否めない。
こういう世界であるのだ。
これには迅速な投資力。設備は実際には設備メーカーがいるからまあ改良はするかもしれない。
どちらかというと財閥系や銀行系など金を持っているところが勝つ。

もっともこれらは普及帯のメモリの世界である。
一方でより高度な(高速、つまりメモリ帯域のより広い)メモリの開発というものもある。
しかしこれは高価ゆえに市場が狭く売上という点では上位にあがることは無理だろう。
インフィニオンやエルピーダなどがこれらに属する。インフィニオンはキマンダという分社を行い、大量にでるメモリについてはそちらでがんがんやるという方針の様に見える。

このような状況であるから、日本がメモリ市場で上位に立つのはかなり難しいだろう。
基本が投資の世界だからこれは技術力とかでどうこうなるものではない。
焚きつけるとしたらばこれはもはや国家戦略か、銀行である。
一時期日本がメモリで上位に立ったのも国家戦略であったのではないか。
それによって銀行も動く。金がまわらないと技術というのは所詮動けないのだ。
しかし記事にもある日米半導体協定で潰されたに等しい。
国家レベルで一度潰されると無力感や脱力感、そして忌避感(タブー視)につながる。

そもそも自由貿易の世界、特に電気産業という純粋に技術力(とコスト力)が部品の選定基準になる世界において、輸入増を枠として求めるというのはどだい無理な話である。
使いづらくともなんとか無難なところを採用する。少しでもいいところをみつけてあげて採用する。
日本の部品のほうが良くて安いのは承知の上で海外品を枠だからという事で採用する。
これで不採用になった日本部品の落胆というのは計り知れない。
一方で採用された海外半導体は伸びない方がおかしい。売れれば金が入る。より一層研究開発に金が回る。設備投資もできる。
その分、日本に金が回らなくなり縮小する。
日本メーカーは売れなくなったはけ口を海外に出せるわけでもない。どん詰まりである。結果、リストラとせざるを得ない。
一度遅れた技術は取り戻すことは容易ではない。マラソンで立ち止まされたようなものだ。止まらなければ同じ速度で走っていれば良い。しかし差を詰めるには相手以上の速度で走らなければならないからだ。

それでもエルピーダというメモリメーカーを日立とNECのメモリ部門が統合して立ち上がった。
東芝もフラッシュメモリでは負けない、という決心をして巻き返しを謀っている。
ルネサスも三菱と日立のプロセッサ部門が統合して立ち上がった。
では国策としてこれらは一体どうなのか。無策ではないのか、としか伝わってこない。
エルピーダなどは台湾に工場を設立している(台湾との合弁であるが)
国を支える産業というのならせめて追い風を吹かせて欲しい。

メーカーに貪欲さが無い、と切り捨てるのは簡単だろう。
ではなんでその貪欲さがなくなったのか、それは無策による失望感である。
記事にある設計者の絶望感もそれにあると思う。
設計部門の解散も金のめぐりがなくなった故の会社としての決断だろう。
こういうものはまず営業部門が締め付けられる。すると単純に業務が厳しくなるというレベルではなく、量が出なくなる。量が出なくなるとコストが下げられなくなる。
例えば損をして得を取れ、という戦略もできなくなる。規模があるからこそできる営業戦略もあるからそれを使えない分だけ他者に負ける。
売れなければまず人減らし。設計もできなくなる。どんどん規模が縮小していく。
設計部門の解散いうのは最後の手段である。ものさえあれば売るところはまだなんとかなる。
もし革命的なものができれば営業がいなくても売れる。(まぁ、これは可能性論だが)
しかし設計部門の解散とは、新しいものができる可能性をゼロにすることである。つまり事業の解散に等しい。

さて、2006年の現状をもう一度見てみたいと思う。

そもそもたかが1億人程度の日本という国が半導体産業という全世界的にも普遍化しつつある産業においてトップ10を6つも占めている、というほうが極めて不自然である。
米国4、韓国2、日本2、欧州2という配分である。
トップ10でみるから韓国2ではあるが、韓国はこの2社集中でなおかつメモリ産業に偏重している。一方の日本全体としてみれば10の圏外メーカーがいくつもあるわけでバリエーションも考えてみればそんなに悪くも無いと思う。(日本はメーカーが半導体メーカーが多すぎるので数が分散してしまうのがこういう統計的数字を出したときに不利に働くことが多々ある。)
国力や産業としての集中度を考えると今が妥当なところではないだろうか。
例えばメモリでのサムスンは投資額が半端ではなく、膨大な生産量を誇っているので額は相当なものではあるが市場としてかなり不安定な状況に陥っており決して安泰ではない(*1)。
一方でインテルは完全支配状態に要る。

ま、他社はさておき、この辺で踏みとどまり、巻き返し、をすべき、という段階に来ているのだと思う。
今の状況ぐらいが妥当なところであるようにおもえるし世界シェアで25%という数字も悪くは無い。
かつてがあまりに強すぎたのだからそこまで無理をしてとりかえす必要も無い。
分散している半導体部門もエルピーダやルネサスの様に統合がまだ進む必然はあるかもしれない。
他にも吸収や合併が進むことは考えられる。

業界全体を見渡してみると、そろそろPCにも本質的な限界が表面化しつつある。
家電のデジタル化の方向が見えてきている。
次の転換期がそろそろきているのではないだろうか。

かつての圧倒的な強さを持つ日本というのは当然ながらありえない存在になる。
しかしそこからおちたからといって悲観する必要がそもそもあるのだろうか。
悲観して萎縮するほうが問題ではないだろうか、と思う。


そしてだからこそ問題なのは、家電のデジタル化、グローバル化が進んでいる状態なのにそれに逆行しているコピーワンス問題である。
この半導体問題と決して不可分な問題ではないのだ。
カスタムICをつくり、汎用化してコストを下げなければ国際的には決して勝てないからだ。
日本の決定的な弱点はそこにある。
デジタル化になれば家電のネットワーク化も避けられない。メーカーは必至になって妥協策を模索しているがこのままではどうやっても日本だけ特化した機器を作らざるを得ない。
それの端的なものがCPUでありインテルとAMDの強みに繋がっている。
インテルの究極はすべての(従来のハードで行っている)処理をCPUで行うことにあり、結果として自分がすべて支配することにあるからだ。しかし日本の団体はソフト処理は破られるといって決して認めない。

著作権保護については単純に米国や欧州など先進諸緒外国並にしてくれさえすればよいのだが。
世界各国で最も強力で複雑なものになっている。(著作権団体は先進などとうそぶいているがそっちは世界の進んでいる方向ではない(嘲))

同じ技術力と生産力等を持つメーカー同士で競えば、それに縛られないメーカーが国際的な生産量で優位にたつのは至極当然の結末である。
海外メーカーなどは日本をパッシングしても問題は無いが、国内メーカーはそうはいかない。
つまりこのことは足枷となり、国際競争力の低下につながるわけである。
国家の存亡に関わる事項であるといっても構わない。

決定的な要因ではないかもしれないが、因果関係はあることは私は断言する。
実施にPCの周辺機器をみているとそれを感じる。私の様に感じている人も多いのではないだろうか。

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(*1)
その膨大さはもはや信じがたいレベルまで来ていると云われる。
DRAMとフラッシュメモリが中心となるが、どちらもちょっと数が増えると値段が暴落するという「豊作貧乏」状態に陥っている。
この2つは生産工場は同一ラインで作れるそうで(フラッシュへの参入メーカーが多いのはDRAMと同一ラインで作れるからだそうである)、市場の数を見ながらどちらに振るかを考えているようだ。
この春に秋葉原で起きた「フラッシュメモリ暴落」と「DRAM暴落」はその現れといわれている。
つまり、たかが一社でラインをどちらに振るかで市場の値段が左右するほどの支配力をもっているということになる。

ただし支配力といっても現在でのフラッシュ・DRAM市場ではあまり意味は無い。普通は価格を左右する、というのは価格を決めることができるという意味にも取られかねないが、この場合は違う。
自分の意志で価格を決めておらず、市場が決めている。その要因として生産量があるだけのこと。

また他社を蹴落としている状態、他が入り込めない状況を作っているような場合で意味があるのであって、つまりはサムスンがいなくなると困るというような状況にある場合でもある。
現状はそれどころかサムスンがいなくなってくれれば他のメーカー達がよろこんでその空間になだれ込むだけで、すきあらば入り込もうと虎視眈々としている状況なのである。
これは上記でもあげたが、普及帯のDRAMやFlashにおいては本質が"コピー"部品であるからという面もある。

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