ネットでの論議って?
リンク: CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下).
なかなか滑稽な話が載っていたのでリンクしておこう。
一部で物議をおこしている(つうか失笑されているか)オーマイニュースに関するお話である。
これを読むと、一般人というのはいかにネットに対してのアレルギーというかリテラシーがないというか耐性がないというか、を感じさせられる。
ネットというのはある程度覆面性があり、言いたい放題であり、自由な雰囲気があるからこそ面白く活発化するのではないかと思う。
反面、この記事で匿名性に対して文句を言っている人たちは、あくまで現実の世界の投射をネットに求めているのではないか、と思い当たる。
記事にもかかれているとおり、ネットにある程度慣れ親しんでいると多少のノイズとか罵倒とか、そんなもんはまったく感じなくなってくる。
無意識的に排除するようになる。にちゃんねる風に言えば脳内あぼーんという奴である。
しかし、それは現実にのみ生きている人にはなかなかできないようである。
他の皆が全員紳士的であって、理路整然と自らが纏めた意見だけをいってそれを列記していけば論議として自然と成立する、そうでなくてはおかしい、と頑なに信じているわけである。
まぁ、大人の会社の会議ではそういうのが通常なのだろう。
ところが現実の会議でもそういうのだけでは限界に来ているということを感じてはないのか、私は疑問に思う。
いわゆるブレーンストーミングという技法である。
VE手法でも重要な事柄として取り上げられる。
それは「制約をはじめっから考えない」「思いつきでいいからどんどん発言する」「纏めるのは後回し、ともかく勢いでいいから出せ」「網羅的にどんどん発展させろ」
まぁそんな感じである。
纏めようとしたり体系付けようとしたり整理しようとしたとたん、そこで思考は停止するのである。
しかし紋きり型の会議を好む人はそれを嫌うらしい。
確かに纏めるのが大変なので会議進行役は大変である。
言い放つほうが言うだけで涼しい顔をしている、纏める身にもなってみろ、と、一度でもこの手の進行役を経験したならばそう思うだろう。
私自身も経験があるからわかる。
それでも言いたい放題のスタイルというのは結果的に収穫が大きい。
ただの会議の体裁だけを繕いたいのなら、大人で無難な意見だけを並べて毎回似たような議事録を作成して回覧すればいいのだろう。
それにきっと慣れきってしまっているのだろうし当たり前だときっと思っている。
私も、それになれると楽なのは理解できる。
ただし、気持ちの上で凄くつまらなさを感じるんだけど。
匿名・実名をことさらに言うのは、言いたい放題を押さえつけたい、という気持ちが滲んでいるように、私には見える。
実名だと言葉を選んで慎重に発言する。支離滅裂でもいいから自分の体験を吐き出すというようなことはやらなくなる。
そこを狙っているのだろう。
自分の発言に責任をもて、というのは一見正論に聞こえるし、多くの人を納得させるような言葉に聞こえるのだが、実はそれは論議を抑えつけるための方便である、ともいえる。
というのはそれ自体がブレーンストーミング技法でそもそも否定されているやりかたなのである。
匿名拒絶姿勢の本質は、実は別にネットだから云々ではなく、現実世界での生活や仕事スタイル自体が異なるところから来ているのではないか、と推察するわけである。
さて、記事中の最後の偏差値云々については失礼ながら思わず失笑してしまった。
理論的な文章がかけない奴は何もしゃべるな、ということである。
つまり学の無い人間はしゃべるな、ひいては選挙権など与えるな、というに等しい。
こんな人間が社会記事を書いているかと失笑してしまう。
せいぜい実害のあまり無い芸能記事か家庭記事にとどめておいて欲しい。
ただし、書く側も誤字脱字や論旨のはっきりしないいい加減な文章はなかなか真意が相手に伝わらないだろう、ということは覚悟する必要はあるが。
そんなことを言いつつこの文章も書きっぱなしである。
勢いだけで書いたのが正直なところであるが、まぁご容赦願いたい。
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