「Windows 95の夢はもう帰らない」から思うこと
元麻布春男の週刊PCホットライン Windows 95の夢はもう帰らない
今日はこの記事を受けて。
まずはWindows95の革新といえた事項を今一度振り返ってみたいと思う。
・640kbyteの呪縛(制約)からの開放
DOSの呪縛からの開放なのだが。
DOSを拡張してまずこの呪縛から開放させるという手順もあったはずだがそれはMicrosoftはやらなかった。
EMSなどの手法を使ってデータ領域をバンク切り替えのような手法を用いて拡張するだけにとどまった。
既にWindows3.1の時点でこの制約から事実上動作アプリケーションの限界が決まってしまっていた。
DOSレベルでドライバをいれないと動作しないアプリケーションがあるなど同時に動作させるアプリケーションの制限がでてしまっていた。
うまく伝えられないが要するにユーザーはいらいらしていたのだ。
この制約からネットへの接続も面倒だった。いや、使い物にならないといっても過言ではなかったかもしれない。
ネット関連のプログラムは膨大なメモリを消費するのである。
(ここでのネットはインターネットやLANを指す)
・PnPの導入
色々と問題のあった(今もあるか)Plug and Playであるが、この導入自体は楽になるための先鞭である。
ハードを差し込むだけであとはソフトが自動判定して設定・ソフト導入をしてくれる。
それまではユーザーがハードウェア資源、
つまり導入しようとするハードウェアの仕様条件を把握して既にあるハードウェアと衝突しないように把握し必要ならば変更をしてやる必要があった。
そもそもこれは面倒だし、素人には難しすぎる。
・ネットワークへの対応
PnP的な対応を含めてネットワークへの対応は非常に充実し、簡単になった。隔世の感がある。
LANを組んでネットワークドライブをお互いに共有するぐらいは非常に楽にできるようになった。
無論、セキュリティに難はあるが、まずは何よりもつながらなくては話にならない。
このOSの登場と同時にネットワーク関連のハードウェアも劇的に下落した。もう何分の1になったとかそういうレベルである。
売れれば安くなる、安くなれば売れるのスパイラルで凄まじかった。
わたしもその流れで初めて買った部類である。
このころに同時にネットワークゲームの面白さというものを知ったのである。
以上の三項目が大きい。
スタートメニューが初めてお目見えとかエキスプローラという概念とかGUIがどうのとかそんなのはどうでもよかった。
特にネットワーク対応は大きかった。DOS/Windows3.1で相当な努力をしないと実現が困難だった対応以上のことが簡単にできる。
これならば誰にでも薦められると喜んだものだ。
いうまでもなくネットワークへの対応は生活を一転させるほどの魅力を持つ。
当時はインフラもさほどなかったが、夢は既に見えていた。
今となっては(携帯電話でのそれを含め)ネットワークがない生活に戻れない人が殆どではないだろうか。
これ以降のWindowsがあまり盛り上がらないのも、いかにVistaが革新的とか宣伝してみても、
所詮は既存の技術のちょっとした改良に過ぎないのが見えてしまうのからである。
それゆえにむしろなんで既存のOSにアプリケーションとして出してくれないの?
とかそれはアプリケーションの役割であってOSがやるべきこと、統合する意味がないのでは?とか批判されるようになってしまうことになる。
必要なのは生活を変えてくれる、なにか、である。
もうすこし下がれば作業スタイルを開放、確信してくれるなにか、である。
革新に欠けていることを示している例としては、記事で例にあげられている3Dタスク切り替えが好例である。
3Dメニューの類はいまさら目新しいものでもない。ゲームではよくある手段である。何をいまさらである。
何よりもタスク切り替えという概念をそのままに3D表示化しただけというのが可笑しいというか微笑ましい。
そこには何のメリットも便利さの向上もない。
仮にこの手法を特許申請してみれば、これは単なる組み合わせ技術であり新規性がないので特許として認められず、申請を却下する、
といったレベルの内容であるのだろう。
組み合わせて1+1=2以上の何かを生み出さなければ新規性があるとは言わない。
3D表示にしたという意味が見えてこないのだ。(むしろマシンによっては表示が重いとかデメリットばかりがあげつらわれかねない)
もっとも、ビルゲイツも、PCというカテゴリーには飽きているのだろうと思う。
相次ぐセキュリティ問題でもうやめたいとさえ思っているのかもしれない。
メインストリームとしては残して置かねばならないがそこにはもうさしたる発展がないと考えているのではないだろうか。
Vistaは遅れに遅れているし、さしたる凄さもない。別にそれでもかまわないのであろう。
まぁ、なんにせよ、今はネットワークをどう使っていくか、それにつきるのだろうな。
そこでいかに金儲けが出来るのか、なにが面白いのか。
Windowsがそれの一部として役割を担っていくが、それだけでもない。
そんな感じなのだろうかな。
ユーザーもPCに飽きている。PCは面倒でもう使いたくないと一度使ってみてやめていった人も頻出して久しい。
会社では使わざるを得ないが家ではいらないという人も多い。もはやPC=先進で踊る人はいない。
やっとPCの存在意義、意味、なにをするのか、なにができるのか。それが問われているのだろう。
PCが若かったころは過ぎ、いま、その曲がり角にきているのかもしれない。
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