著作権法・・・保護50年/70年の長さを考える
著作権法第57条、
「著作者の死後五十年又は著作物の公表後五十年若しくは創作後
五十年の期間の終期を計算するときは、著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは
創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する」
WikiPeidaより引用。
この50年の見直し論議がおきている。さらに70年に延長せよと。まず、なぜ50年なのか、
という疑問があるのだが。。
そもそも著作権は本来は著作者の権利として存在しその創意工夫発想に対して敬意を払い、正しい報酬を得られるようにすること。
そのために無断に使ってただ乗り儲けをする輩を排除するのが目的なのであろう。
要は著作者の保護であってその著作者が死んでしまえば本来はそれが失効するのが本来の筋であろうか。
ただし著作物は金を生むもの。
その権利金が収入として一家を支えているケースもあろう。
権利者たる親が不慮に死亡したから権利を剥奪し一家の収入が途切れるというのも酷な話だ。
一方で権利は資産でもあるからそれは遺産という形で遺産相続の資格を持つ者に受け継がれるという理屈もありえる。
そのために著作者の死後も継続されるという規定にしているのだろうか。
子供が育ち、自立するのは世間一般ではいわゆる大学卒業後で22歳程度である。
下種な言い方だが子作り直後に死んでしまっても、その子が自立するまでは23年しか必要がない。
50年となるとその子がまた子を産んで自立する年齢までも十分可能な年数であろう。
著作者から見れば孫が成人するまで十分な可能な年数となっているのである。
今度は70年となると曾孫までか(笑)。
既に権利は直系の一部の子孫のみに受け継がれる状況になるのではないだろうか。それが果たして正当な姿なのか。
70年といえば孫でもそうだが既に顔を見るよしもない、写真、いや遺影さえも怪しい人に養われるような状況といえる。
さて70年前に存命していた自分の先祖の名前をすべて記憶している人が、どれくらいいるのだろうか。私には無理だ。
およそ人間にとってそれくらい70年というのははるか前のことなのである。
無論、
著作者の家庭であればその人のおかげで収入を得ているのだからそこは毎日か毎月かは弔っているのだとは思うが。
(ちなみに実家では、私が生まれる前に死去していた祖父、
子供のころ死去した祖母の遺影さえもすでに祀っていない)
死後50年というとすでに普通は家族、家庭の中で`風化'している存在である。せいぜいがお盆にのみ思い出す存在ではないか。
その収入、遺産を当てに生きているのは下手すれば屑といわれかねない(無論、親の遺産をもとに資産運用して生きているのは別問題である)。
それ以外に誰が金が欲しがっているのかというと、
その著作物を利用し収入を得ている会社企業であるとみえてくる。
著作者が死亡して即座に権利が消失してしまえば、それまでの投資すら回収できない例もでてこよう。
その保護も当然考慮すべきなのであろう。
それでも50年は長すぎるのではないか。例えば新入社員(22歳)が入って定年(60歳)を迎える年数は、38年である。
つまり会社が一世代以上代替わりして十分おつりがくる。それだけの年数を、
既に死亡した著作者が生んだ権利を行使して収入を得ているのは長すぎるのではなかろうか。
新たな著作物を生む、
儲けを探すという気力をむしろ剥奪する環境を作りだしかねないのではないか。
人間というのは元来、怠け者である。何もしないで金が入ってくればなにもしない。
逆に金がなければ頭を絞って汗水流して働く。そこから創造が生まれてくるケースもある。
ゼロにしろとはいえないが、
既に過剰な保護をさらに過剰にしてどうするのだろうか。
延長の論議では海外の例を出しているが、米国はすでに捻じ曲がっている。
「ミッキーマウス保護法」最近では「チャップリン保護法」なるいわれ方もしている。著作権の延長を、
著作権が切れそうになると延長を繰り返している、といわれている。こんなのを参考・お手本にしてはいけない。
むしろ日本が論理性を持って是正するべきではないか。
年数の妥当性、メリット・デメリットを正しく検討し、論議し考えるべきであろう。
ベルヌ条約、という言葉がでてくるが、相互にというのなら、日本が米国に倣うべきというのなら、米国も日本に倣うべきである。
米国がやっているから日本もやらねばならない、という論理なら従属国の発想でしかない。
条約に準じてというのは実は自分らに都合よく引用しているだけのことなのではないか。
これらの問題は社会の活力に関しての問題とつながってくる。
素晴らしい作品を生み出した人間に敬意を表し老後も含めて十分な生活をしてもらうのにまったく反対する余地もない。
しかし既にその人が歴史上の人物になっているのにその遺産を、納得のいかない法律の保護のもとに、
ただ管財し生活している人がいると思うとどこか納得がいかない。
50年とか70年というのはその不満感をさらに増すだけのものに過ぎないのではなかろうか。
法律はそもそも社会の保持、公正公平のために存在する側面も持つ。
法律そのもののの根幹から捻じ曲げるような法律にしてはいけない。
もう一点。根本精神から違うが、割と類似しているものに特許権がある。
技術分野において優れた創作物(新規性・先進性がある)と認められるもので登録制度によっている。
性格上単純な比較はできないが、創作して(正確には出願・登録してから)
20年しか権利を独占できない。
20年というと仮に40歳で創作・登録したとしても定年(60歳)まで持たないのである。
例えば特許で一定の収入を保とうと思えば、普通は常に発明をしつづけないといけない。
それは孫どころか子供にすら無関係なほどに短い。(無論、大もうけをして資産を築くことは可能あろうが)
社会的影響や根本が違うのだから同じ年数にしろとは思わない。
しかしながら実生活において、あまりに不公平感がでてしまうのはいかがなものか、と思う。
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