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2005/09/24

栃木・馬頭の備中沢の環境問題

http://www005.upp.so-net.ne.jp/kankyomk/batoukouryu.html
栃木・馬頭の備中沢の環境問題

まさかすぐ近所(というものの数十kmは優に離れているが)でこんなことが起きているとは思わなかった。
馬頭の町は何度も通ったことはあるが残念ながら備中沢は知らず行ったことがない。
電車から縁遠く、自動車で無いといけない。自動車であればどこかに行く時の通過ポイントとはなる、そんな印象を私は馬頭には感じている。
馬頭は馬で有名で馬刺しなどが名物である。道の駅で購入した地元の日本酒もおいしかった。

それはさておき・・・・・
相変わらずの建設推進側の虚言・言い分である。ここの問題に限らず定型的ともいえる嘘の言い訳や騙しにはうんざりする。
この手のサイトや新聞雑誌記事、テレビ番組を日頃興味深く見ていると典型的なパターンがみえてくる。

明確な3点だけ指摘しておく。

1つ目。
処分場はゴムシートを敷いて埋め立てる「管理型」と呼ばれるものであるという。
どこが管理なのか全く不明なのだがゴムシートなどまったくの気休めにしかなっていない。
記事中でも指摘されている件に加えて、発熱問題もある。
例えば建築廃棄物のみをいれるといいながら、それが事実であれば起こりえない発熱による発煙がみられる例がいくつもある。
散々追求していくと最後の言い訳で「どうしても除去できない付着物が・・」という言い逃れをする始末である例もあった。
化学反応というものは予期できないもので、廃棄物というのはおよそ管理し得ない様々な物が混在している (だから埋め立てという大雑把な方法で処理しようとするのだ)。
その様々な物質がお互いに反応しあって様々な物質が生成される。それがとんでもない有害物質である可能性だってある。
そのうち、塩化ビニルを低温で燃焼させるという割と容易に生成されるのがダイオキシンであるだけなのだ。
いわゆる有機化合物には人体の影響についてまだ判らない物が多く、非常に微量で悪影響を起こすことは知られている。 それらを俗に環境ホルモンという。
ホルモンは元々人体内で生成され非常に微小であるが重要な情報伝達物質であるとされる。 環境ホルモンによりそれらが阻害されたり入れ替わって誤った情報となるために体のあちこちに変調を引き起こすとも云われている。 いまだに真の原因が不明なアトピー性皮膚炎などはその一例ともされる。

無害なものだけを投棄したとしても、それらが反応しあって有害になる可能性は十分にあるのだ。
こんなことは化学を少しでも理解しているものなら当然知っていることだ。
最も卑近な例を挙げよう。
塩。どこの家庭にもある塩である。人間にとって摂取が必要なほどのものである。しかしこれを分解するとナトリウムと塩素になる。 塩素はご存知のとおり強烈な刺激臭を持ち殺菌作用も持つが皮膚を侵したり吸引すると大変危険な物質である。

雨水によって溶かされたり生成された新たな化合物がゴムを腐食して目に見えない穴をあけたり、大気中に揮発して分散したり、 風によって運ばれたりする可能性もあります。
例え一見ゴムシートに異常がないように見えても拡散する恐れはいくらでもあるのです。
ゴムシートなんて拡散ルートのひとつをかろうじて抑えているだけで他にも抜け道はいくらでもあるのですよ。
それ以前に記事中にあるように穴があいていてもこれは穴ではないと言い張るようなずさんな管理をしているわけですからもう呆れるしかないのですが。

2つ目。
貴重な動植物は他所へ移せばよい、という大嘘。
生物学を少しでも齧り、もしくは自然にいる生き物を飼ったり育てたりした経験のある人なら絶対そんな意見には賛同できないだろう。
(ここでいう生き物とは犬猫のような家畜類、人間に改良され強化された植物は除く)
植物で云えば温度・湿度という要素が非常に微妙に絡んでいる。
高原植物で顕著に表れるが、標高によって生息してる植物のテリトリーのようなものがある。
日照時間や水雨量も大きな要素だ。土の質も様々だ。これらはほんの代表的な要素の例にしか過ぎない。
例えばその植物の上にある木々が別の種類に変わっただけでもその植物が枯れてしまうことさえありえる。 仮に移して根付いたとしても次の世代が生まれないことだって珍しくはない。
移せばうまくいくなどという意見は全くありえない。
代替地があるかどうかなどというそんな単純な話ではありえない。

特に希少動物と呼ばれる種類はなぜゆえに希少動物なのか。
その生活・繁殖条件が非常に限定されるがゆえに希少であるということなのである。 つまり移してまた繁殖しうる可能性が非常に低いと考えるのが自然である。(うまくいえけばそれは偶然)
仮に移すとしたらどんな莫大な金がかかるのか。おそらく山ごと移すぐらいは最低必要だと思われる。それでも私は不満だが。
しかし、おそらく行政は非常に安易に考えているに違いない。
虫や鳥達を捕まえてどこかに移送して離せばいい、その程度ではないのだろうか。

3つ目。
安全は県が「何か被害を被ることがあれば100%保証する」という点。
ここの過去の事例。例えば水俣病。栃木なら割と近くの足尾銅山。
これらを思い出したらよい。惨状が起きてから原因追求、責任の実証、相手に認めさせるまでの膨大な時間と費用と労力。 そして補償されるまでどれだけかかったのか。
それまでどれだけの被害が拡散していったか。
仮になんかしらの病状が発症したとする。しかし、それをすぐさま県側が投棄処理場の建設に伴って起きたものであると認定するとは限らない、 という点を考えておかねばならない。
なんかしらの被害を被ってもその因果関係を実証しなければならない、それは決して容易なことではないと考えるべきである。
そもそも行政側が調査してくれるのか、まともな調査になるのか、おそらく簡単に認めるわけはないだろう。
このような杜撰な推進をしているのだから、同レベルで被害調査をしてもらったとして満足行くとは到底思えない。 普通に考えて行政有利である調査結果をだしてくるに決まっている。
一つ目で述べたように一体どんな有害物質が飛散するか未知数なのだ。つまりどんな異常が起きるのか予想できないのだ。 それを処分場と結びつけることはただでさえ難しいのだ。

おそらく行政側もそこまで読んだ上で「100%保証」などという言葉を出しているのではないかと推察する。 どうせ簡単には立証できやしないと。よしんば立証できたらば保証はするけど、というレベルで。
仮に保証といってもその原資は税金なんだよね。役人どもの自分の懐が痛むわけでもないし、 おそらく立証される頃は担当が変わっているだろうね。だからいくらでも無責任にいえる。誰がババを引くか、そんなレベルだろう。
ババを引いた時の担当責任者は「その時の状況については既に担当者が違っており資料についても調査してみないと(以下略)」 って感じで自分には責任がない、そんなこと俺に追及されてもしらんがな、ってな感じだろう。
この手の追求番組を見ているともうパターン化しているといってもおかしくない見飽きた風景になるだろう。

簡単につっこみをいれてもこれだけアラが出る。
でもそれを追求してもなににもならないんだよね。それはわかってる。所詮は只の評論家。

おそらく馬頭の町はこれで決定的に過疎化は進むだろうね。
廃棄物処理場の町として生き残っていく。でもそれだけのことかもしれない。
どうせ過疎化で沈没寸前の町。
なんかあったら人間は逃げ出せばいい。動植物とは違って人間なんてどこでも住めるから。
自然も別にここだけでもない。
他にもいくらでも蛍の飛ぶような自然はあるからね。温泉地だっていくらでもある。
希少動物だってなくなってもどうってことない。所詮は生物学者の自己満足だよね。

写真や記事をみると素晴らしい自然があり観光地になりえると思うんだけどね。
もったいないよね。
まあ、それで金はなかなか取れないから廃棄物処理場のほうがいいのかもね。
そこまでいえば部外者の言うことではないよね。

埋め立て式の山間廃棄物処理場なんてそのうち一杯になって、受け入れられなくなっておしまい。 夢の島みたいな宅地造成を兼ねた埋立地じゃないんだよね。そこに気が付いていないのかな。まさかね。
一杯になったらどうするんだろうね。簡単には土に戻らない危険な廃棄物という爆弾を抱えてただずっと暮らすだけだよ。
その頃には自分は生きていないからいいのかね。
一杯になったら土地ごと放棄して逃げるのかね。。。。。。

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