« インボイス制度の2大問題点+1 | トップページ | 【続】「博多女子中が入試願書出し忘れ生徒三人が受験できず」にみる締め切り日への認識 »

2024/03/02

「博多女子中が入試願書出し忘れ生徒三人が受験できず」にみる締め切り日への認識

この事件の話よりも、驚いたのはこの記事に対するヤフーニュースのコメントである。

受験申請を受け取る高校側への配慮を求める、または批判の類や教育委員会まで話を拡げる声がかなりあり、それに賛同マークも多い。
どうみても問題はこの中学校にあるとしか思えないのだが、それに対する擁護も驚くほど多い。

顛末の詳細は分からないのだが、記事によれば
・私立博多女子中学校で、(学校がとりまとめていたとおぼしき)ある高校への三人分の入試願書を出し忘れ、受験不能となった
・願書締め切りは2月16日正午で、学校は20日と勘違いし、16日午後2時半ごろに願書を提出、不受理。
もちろん大分熱心に掛け合ったようだが不受理は変わらなかった(私からしてみれば当たり前)。

こんなもの、中学校が悪いに決まっている。「教師は過剰労働」とかどんな理由があろうとダメだ。
実行難易度なんかゼロに近いだろう。単純に日程管理ができていない、という一言で終わる。

こういうのを擁護する連中が多いのは、いかに「締め切り」に対して甘い考えを持っている連中が多いのか、ということに尽きる。

まず、締め切りを「20日と勘違い」がお話にならない。
およそ勘違いなどと言うものが存在しえるような管理をしているのが問題である。
「記憶で仕事をするな、記録で仕事をしろ」というのはよく言われることだが、「願書締め切り」の日付をどのように記録、管理していたのかが重大なポイントとなる。
しかし、これすら本来なら大した問題では無い。

日程上重要なのは願書締め切り日では無く、願書受付開始日である。その上で締め切り日である。
この記事すら、そもそもいつからこの願書受付を始めていたのかすら書かれていないことが、如何にこの事件を調査した人、記事を書いた人も含めての意識がおかしいとしか言いようが無い。
中学校としては、生徒からの願書の締め切りは、どんなに遅くともこの開始日迄(実際は事前チェックや纏め作業の余裕を考えても数日早めになるだろう)に設定するのが当然である。

そして、中学校が纏めて高校へ願書を出すのは、受付開始日とするのが基本である。
当たり前だが、そうすれば間に合わなかったなんてことはまず起きえない。
数日程度”勘違い”しても大事故にはならない。そのための締め切り日までの猶予なのだから。

そもそもこのようなことは”年中行事”なのだから各高校のおおよその日程は分かっているのではないのか。
もちろん厳密なカレンダーは毎年異なるだろうが、実際問題として”シーズン”前から提出スケジューリングは始まる前から分かっているだろう。(高校側も配慮してスケジュールは大分前から発表しているのでは無いのか)

仮に多忙や人繰りでスケジューリング不可能なら、受験願書の提出代行を担うべきでは無い。
(私立で、しかもこの中学の場合、これらも含めて受験サポートをするということを売りにしている様子もある。それならば「人繰りができない」などというのは無しだろう。いくら金がかかっても人手を調達すべきである。万全を期す必要があるのだから行政書士などのこれらの業務遂行に慣れた責任を持てるプロを雇うぐらいの覚悟はすべきであろう。)

実際には学校が申請書を配布し始めた時点で、受付開始日になっているのかもしれない。
それならば例えば半月前を中学校としての締め切り日に設定するという考えもある。
例えば提出日に開始日と受付日の、例えば中間あたりに中学校としての締め切り日を設定するという考え方もあろう。
その中学側の締め切り日を設定して受験票を集め、速やかに確認し、提出するべきである。
仮に日程的にキツいのであれば、受験票なんか毎年ほぼ同じなんだから、希望する生徒には事前に去年のものを参考として配っておけばすぐに出せるだろう。

その上で中学校としての締め切り日に間に合わなかった場合には、各自で受験願書を提出するように、というルールにしても良いだろう。
この辺は中学校としての配慮可能な範囲で決めれば良い。二度手間になっても学校で取り纏めるべきと考えるのならそれもありだろう。

最悪なのは、締め切りを厳格に運用しないことにより、生徒のうち誰かが提出が遅れたせいで取り纏めが遅れ、願書提出が間に合わないという事態である。これは、遅れた生徒、巻き添えを食った生徒、学校側と、三者とも不幸である。

それが「日程管理」というものである。
まあ、およそ日程管理、スケジューリングなんて呼べるものが存在していなかったのかもしれないが。

きちんとこのような日程管理をしていれば仮に生徒が出すのが遅れても間に合うかもしれないし、そのせいで間に合わなかったのは”生徒にも一端の責任がある”になるからである。(一番ショックなのは、例えば生徒側は1月には願書を中学校に出しており、そこから半月も経っているのにこんな顛末になってしまったことである。)

問題なのは「締め切り日に出しさえすれば良いだろう」という感覚を持つこと(持っていたと思われること)である。

私は業務上締め切りを設定して依頼するものが多いが、呆れるほど日程を守る人が少ない。
はっきり言って、忙しいとか暇な奴とか、そんなのは関係ない。
いくら忙しくても締め切りを守る人はきちんと守る。忙しいのに前日中にはキチンと出してくれる人もいる。
一方でどうみても暇にしか見えないのに締め切り日を守らないという”常習犯”もいる。

結局、締め切り日を守れない奴、ギリギリで出す奴らは、「自分の中での締め切り日」を設定できない奴なのである。
そして守れなくても平然として「まあいいだろう」後段が遅延をきたしても「なんとかしてくれや」とか当り前の様に言う。

ヤフーのコメントを見てもそういう空気で書いている輩が蔓延していることに愕然と、また辟易とする。

 

|

« インボイス制度の2大問題点+1 | トップページ | 【続】「博多女子中が入試願書出し忘れ生徒三人が受験できず」にみる締め切り日への認識 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« インボイス制度の2大問題点+1 | トップページ | 【続】「博多女子中が入試願書出し忘れ生徒三人が受験できず」にみる締め切り日への認識 »