« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »

2023/11/24

タクシー・バスドライバーが足りない問題

単純に給料が悪い。拘束時間や労働負荷に比べて割に合わないってことです。
残業規制が拍車をかけているもあるかもだけど、本質的な話でも無いでしょう。
コスパ的には変わらないのだから。

まあ、給料は所詮は金の話だから上げれば済むだけの話。
まだ余裕があるから「上げる余裕がない」なんて言っているだけで、本当に逼迫すればなり手が出てくるまで上げるしか無い。

公的に必要なら公的資金(税金)を突っ込むしか無い。
運賃の上げても対応するしか無い。それで対応できる区間もあるかもしれないが、そもそも無理ゲー路線もいくらだってあるだろう。
だったら廃線、廃業するしか無い。
それが自由経済の結論。

もう一つの観点として、その仕事に見合う金額を下げるという発想も当然ある。
業務負荷を下げれば欲しい賃金も下がる。要するに運転手の負荷低減である。

そもそも運転手になりたくないという理由において「接客が嫌」「客とのトラブルが嫌」「客の不始末まで責任を取らされるのが嫌」などの運転以外の要因によるものが指摘されている。それが嫌というより、これらの業務負荷が賃金に見合わないというのである。

これを解消することでいくらかでもなり手がでてくるのであれば対応策を考えるべきだろう。

あえて発想を極端に持っていこう。しかしこれは実現は充分に可能である。

キーワードは「完全自動運転」だ。ご承知の通りこれはまだ実現の目処すら怪しい夢物語である。
だから自動運転の実現を待つなんて夢物語を言うつもりは無い。

しかしいずれは実現するとされている技術である。
その時にリアルな現場はどうなっているだろうか。
運転は自動で行われるが、接客や金銭の授受、運行管理(遅延対応)、社内治安管理、交通事故への対応等々はどうするのだろうか。
おそらくは社内の監視カメラやビデオ通話、支払システムなどの構築が必要である。事故があったら本部から即座に駆けつける態勢も必要だろう。これらは今の技術でもできる話だ。
実は今までこれらを全部運転手に丸投げしていただけのことである。

何が言いたいか薄々分かっていただけていると思う。

運転手を乗客から完全隔離し、運転のみをさせる。それを前提とした運転手募集すれば良い。
要するに完全自動運転時代までの代行である。

運転以外の一切は「自動運転時代想定」で行う。つまり全部本部の方で引き受ける。

もちろん運転手は自動運転時代には真っ先にお払い箱になるわけだが、それでも構わないという人も少なくないだろう。
自動運転の歩みは実態として非常に遅いから「自分はそろそろお払い箱かな」ということは少し注視していれば何年も前から予想がつく。
新たな感染症でコロナ禍の悪夢再来、そしてお払い箱の方がはるかに現実味がある。

運転席は物理的に不透明・防音壁で隔離するのも良いだろう。そこには自動運転装置が入っているとみなす。
タクシーなら透明だが完全防音で隔離しても良いだろう。もし後方・側方確認がカメラ映像でも可であれば不透明でも良い。
そうすれば「運転手に二種いらないんじゃね?」という話にもなる。
なお「運転手が見えないのは気持ち悪い」なんて抽象論、感情論はどうでもいい。

もちろん生死に関わるようなトラブルが起きたら労働者以前に人として救護に行きたいという心情は働くだろう。
別にそれまで止めろというつもりはない。そういう事態に備えて事前訓練をやりたいなら止める理由も無い。
それは人間として心情・道徳心の話であって、強制はないし、対応不足で責任問題という話ではない。
タクシーなら普通に同乗者と同じレベル、バスで言えば加えて同乗している乗客と同じレベルで十分だ。

もちろん交通事故においては一般の運転手と同程度の対応はもちろん運転免許所持者としてのレベルは必要だろう。
この辺の論議は完全自動運転の時にも出てくる話だが、実際に人間が運転していた以上は同程度の責任は必要と考える。
ただし、バス運行という責任においては本部の誰かがきちんと一緒に対応すべきである、とする。

以上は極論であって、互いにある程度現実的な譲歩で現実解を導き出すということになろう。
また、このことは「自動運転時代が全てを救う」みたいなお花畑論から現実に引き戻す議論になろう。
自動運転が実現しても、タクシーやバスへの適用は他に課題がいくらでもあることはちょっと考えれば分かることだ。
比喩では無く”準備”を今から着手、実行してノウハウをためておくことが無駄であるとは思えない。

何をすべきなのか、一つずつやるべきことはいくらでもあろう。さもなくば未来など無いのは当然の話だろう。

 

| | コメント (0)

2023/11/23

インボイス制度の問題点

いわゆる「インボイス制度」だが、正式名称は「適格請求書等保存方式」という。

まずこのような俗称が先に立って正式名称を殆ど目にしないのが問題なのだろう。

私自身は「インボイス制度」から受ける本来あるべき姿、この言葉の印象からくる制度であれば問題は無いが、「適格請求書等保存方式」においては多くの問題を持っているから反対、ということになる。
この点で多くの国民が騙されているようだし、ネット記事やニュースのコメントを見ていると騙されている人がいると感じている。

2種類の税率への対応という嘘

この制度は軽減税率導入に伴い、この2種類の税率をキチンと明記すること、というのが本来の主旨のはずである。
よってこの点にのみ徹底をすればなんら問題は無いはずだ。

別にこの法律改正が無くとも、請求書や支払明細書等には税率が2つあれば税率を明記している。
そうしないと成り立たないのは自明だからだ。

その要件を明示して法律改正をしただけならなんら問題は無いし、反対も起きないだろう。
しかし、そうではないから大問題、大反対、大反発、怒りが噴出しているのだ。

引き合いに出される「欧州はインボイス制度で・・・」とか都合の良いときだけ欧州などを引き合いに出すが、その欧州だってこの程度で終始しているだろう。
日本の「適格請求書等保存方式」反対とは話が違うのだ。

その問題点について明確にしていきたいと思う。

消費税とはそもそも何だろう

国民が消費者が払っている、というのはまず嘘である。あなたは消費税を納税したことがあるだろうか。そんな国民は一人もいない。
「いやいやお店で払っているでは無いか」というかもしれないが、納税はしていない。消費税相当分を商品の対価の一部として払っているだけだ。

これを「お客様からお預かりした・・・」などという摩訶不思議な言葉でごまかした。これが自民党竹下政権下で導入された消費税で使われた言い方である。財務省が撒き散らした洗脳にすぎない。
概念、思想的にはそうだと言い張れるかもしれないが、法律的、制度的にはそんなものは存在していない。過去にこれらの点が争点となったが、裁判所において審議され、この考えを否定されている。(従って免税業者等における益税などというものは存在しないとされた)

では消費税の実態とはなんなのか。
財務省のホームページにおいて消費税という言葉は実は言葉を潜めている。どうやらこっそりと「付加価値税」という言葉に置換えられている傾向がある。

欧州の消費税税率は・・・等という言葉も出るが、欧州には消費税は存在しない。そこでいわれているのは付加価値税である。
なぜ付加価値税といわなかったのか。これは付加価値税というのは新たな法人税であって、企業に対する新しい負担として猛反発を食らったらしい。自民党政権下において法人税をどんどん下げて消費税を上げているのは周知の事実であろう。
法人税を下げることは自民党の利権そのものなのだから、それに反することはできない。

それを国民が負担する消費税という言葉にすり替えたのだ。

ところが消費税、つまりものを買ったら税金を負担する、と単純な話では、事業者にとってはおかしな話になる。

例えば1100円のものを売るために880円で仕入れました。という事例で考えてみよう。
1100円のうち100円が消費税だが、預かったのだからこれを事業者として納税(支出)せよという。
一方で仕入れた880円のうち80円は消費税だが、80円という消費税分も支出している。
これはどう考えてもおかしな話では無いか。仕入れ先の納税もみれば二重取りだろうと。
しかしこれは売上税と考えれば売った分の税支払なのだから問題ないとも言える。

実際の消費税税制ではどうなっているか。
納税すべき100円から80円を引いた20円納めれば良い。
引いた80円を控除や還付と言う表現を使う。

この考え方は付加価値税と言われるものに近い。事業者が付加価値をつけた分に課税するという考え方だ。
1100円から880円を引くと220円となる。差額220円が事業者の付加価値分という。
220円の1/11が消費税分となるので20円納めれば良い。
これが「欧州でもやっているでかはないか」といっている付加価値税の考え方である。
ちなみに消費税の計算において1/11のような計算方法も認められている。

考え方の違うが実態の違う二つのやり方を混同しているから話がおかしくなるし、財務省他はわざと消費税導入以後、未だに混乱させてきており、今回も混乱させていると言える。

適格者登録番号

納税事業者に対しては財務省からこの番号が割り当てられる。逆に言うと納税しない事業者、免税事業者に対してはあり当てられない。
「適格者」というのは尊大な言い方でイラッとするが、要するに「納税事業者番号」である。
免税事業者は「非適格者」であるような言い方で、財務省のエリート意識が見え隠れする、と嫌みも言いたくもなる。

この番号が実質的に効いてくるのは先に書いた還付の問題である。

今回導入されたこの制度では、この番号を利用して極悪なことをしている。
仕入れにおいてこの番号のある請求書(取引の証明書)のみ還付ができる。
番号が無ければ還付が受けられない。この差は非常に大きく極悪にも程がある。

先に説明したように本来は仕入れ先がどうであろうが、売買した書類があれば、取引先がどうであろうが関係ない。
そして欧州を始め導入されている付加価値税の考え方でも関係ない。

しかし、今回の制度においてはこのような区別、そして差別に繋がるようなことをしているのが大問題であるといえる。
こんな番号の存在自体が大問題なのである。

インボイス制度廃止等とは言わない。適格者登録番号さえ廃止してくれれば良いぐらいの話だ。

そして消費税制度のためだけに導入されたこの番号により、大混乱と無駄な支出が行われた。
少なくともITシステムの改変を余儀なくされただろう。支払に感知るもの、取引先管理に関するものはすぐに思いあたる。
無駄なコストを負担させられ、担当者も余計な作業が継続していく。激怒ものである。

帳簿主義と請求書主義

自分が帳簿を持っていて、それに従って売り買いをつけて支払もする、というのが帳簿方式である。
なので月末締めとかそういう商慣習が一般的になっていたりする。
日本においては特に大企業やそれに繋がる中小企業などは帳簿方式で管理しているのが殆どだろう。
戦国や江戸時代の商人が帳簿の束を持っているイメージ絵があるが、そういう感じである。
電子化して即日決済すらできる世の中になっても相変わらず月末締で何ヶ月も後に支払うとかいう慣習が続いている。

一方でインボイス制度が基本としているのはインボイスの意味である、請求書を基本とする方式である。
請求書が売手から来て、それに応じて支払をする。
これは欧米では一般的であるようだ。
だから「インボイス制度」における請求書基準は当たり前だろう。

今回のインボイス制度による混乱はこういった背景もある。
帳簿方式でやってきていたのでいきなり請求書方式にしろといわれたって大混乱して当然だ。
「コペルニクス的転回」つまり天地が逆になってしまう話である。
いくら「地球が回っている」が科学的に正しいと言われたって、色々な仕組みが「天が回っている」のを前提に組まれているのだから、それを修正していくのはとんでもなく大変なのである。

さすがにこの点については財務省は譲歩しているらしく「売手が発行する請求書ではなくて買手が発行する支払明細等でも可とする」という見解を出している。
「え?そもそもインボイス(請求書)でなくてもいいのかよ」という話なのだかが、そこは拘らないらしい。笑えないジョークである。
まあ、大企業の圧力には屈したのか、本丸は適格者登録番号であって他はどうでもいいようだ、という雰囲気を感じる。

そもそもインボイス制度を本来の意味でやるのなら、何十年かけてこの「帳簿方式から請求書方式への転換」を推進していくべきである。
税制優遇措置や電子化も含めて何十年単位で推進すべき転換であるのにまったく手を打ってこなかった。
その転換を前提にインボイス制度を導入すれば混乱はかなり抑えられたはずである。

そして日本では中小企業や個人事業者が弱いのもこの発想が悪因である。
買手である大企業が全体の流れを支配しやすいのが帳簿方式、売手である個人中小が流れを支配しやすいのが請求書方式となるのが自然だ。

また、請求書方式が主流である海外各社が日本企業、日本を特異と感じてしまうのもこの点もあるのではなかろうか。法人税を下げる理由お一つとして「海外各社が日本に来るのを促進する」と主張しており、一方で法人税下げの弊害・不満が充満しているのだから、無視することはできない。
この観点からも本来やるべきことをスルーして、改悪を守ろうとするから悪法と言わざるを得ないのだ。

計算方法の厳密化

請求書(や支払明細)における消費税の算出などにおいて、いままでは結構ラフな話であった。
ところが今回からは個別の請求書基準になるため、厳格に指定されてしまった。

これがITシステムの変更を含め、様々なところに問題が波及し、大混乱をきたしている。
システムの変更が必要と言うことは当然コストがかかる。

せっかく過去にシステム化したのだが、たまにしか使わない部分については後回しとなり、予算や時間の関係で間に合わない、最悪なのは変更される見通しが現状立っていないという部分が出てきてしまった。
結果だけ言えば、過去にITシステム化したのに、また十数年前同様に手作業になってしまった、というものすら出てきてしまったのだ。
単体の手作業というだけなら、例えばエクセルプログラムなり、他の簡易システムで処理するのだが、全体の統合的経費処理のために従来システムと数字をリンクしなければならない部分があり、その部分の数字を手打ちしなければならないのかという絶望的な泥沼に嵌まりかけている。

随分と生々しい話を書いてしまったが、こういった泥沼になるというのは私のところだけでは無いはずだ。
恨み辛みがネットでは氾濫しているが、抜け出ることのできない地獄になっているのだから。

これもおかしな話だ。
付加価値税の考え方であれば、個別の請求書の消費税の算出などは関係なく、事業全体で得られた額と支払った額の差分で見れば良いだけであるべきだろう。
消費税だけ単体でやり取りしているわけでは無いのに、なぜ殊更消費税ばかりを重視するのか理解できない。
消費税重視の考え方であれば本体価格で考えれば良いだけだ。全くおかしな話だ。

要は財務省が救えねえバカ

財務省の弊害、ぶっ潰せ、という話は最近あちこちで噴出している。

この件もまさに財務省のど真ん中の話であり、極悪行政機関・財務省の典型例と言って良い事件だ。
救えないのは、本当のバカなのか、無能なのか、利権漁りクズ野郎なのか、いずれにしても擁護しようが無いという点にある。

いよいよ本当に財務省を解体、破棄しない限り日本は潰れるというのが目に見えてきている。
それが無理なら税務官吏を財務省以外にしてくれ。

一番現実味があるのは、各種保険料(少なくとも年金)も含め、一括して徴収業務を行う内閣府傘下とする歳入庁構想であろう。
これなら省庁再編の範疇である。
金の入りと出を両方とも管理する省にするから権力が強大になってしまう。強大化するのはごく自然だから、分離するのが自然である。

| | コメント (0)

制度設計が最悪なインボイス制度への怒り 

インボイス制度、これは俗称で「適格請求書等保存方式」という。
もう、この時点で財務省の悪意が見えてくる。
難解そうな印象を与えるが、これは正に名の通り難解至極な制度となっている。

本来の「インボイス」という言葉をねじ曲げてしまっているからだ。
「適格請求書、いわゆるインボイス」という言い方も完全におかしい。

本来の「インボイス制度」であればなんら問題は無い。
「欧州はインボイス制度が当たり前で本来の姿だ」としたり顔で言う人もいるが、欧州等と同じようなインボイス制度なら私も怒らない。

しかし今回施行された「インボイス制度=適格請求書等保存方式」は悪法である。
制度の趣旨、向かう方向については異論は無いが、制度がどうしようもなく悪設計で杜撰であるということだ。

適格者登録番番号の悪

賛同者がよく言う「欧州はインボイス制度が普通にある」という。
では「適格者登録番号」というのはその欧州各国にあるのか。否であろう。
この番号登録制度が確実に事務手続きの増加と混乱を招いている。そしてこれからも継続的なトラブル要因になる。

そもそも請求書の”真贋”を判定するのにこのような番号を持って行う、と言うこと自体がナンセンスである。
税務署がちょっとだけ楽をするために、現場は労力を費やさねばならない。これほど腹が立つことは無い。
番号など無くとも取引先に連絡して請求書の真贋を確かめれば良いだけである。

これは免税事業者いじめである。そして自らは手を下さず、現場、各企業にいじめをするように仕向けた。それが一般的な見方であろう。私もそうとしか思えない。

免税事業者の課税事業者への移行問題

免税事業者を全て課税事業者に移行させることは今回の制度ではやらなかった。
財務省は自ら悪人になることから逃げたのだ。だからこそ関わった国民の怒りは収まらない。

公正取引委員会まで動員して行政は必死に否定しているようだが、免税事業者いじめをせざるを得ないのは取引先の事業者である。

これは税務署の資料において問題点となるケース、ならないケースを解説しているように見せて、その実は全くの「当たり前」のことしか書いていないという実態にも現れている。本当に判断に困るケースをあえて避けているのだ。
なぜならそこを追求し見解を書いてしまえばこの制度設計を自ら破綻させかねないからである。

本当の実務者にならないと分からない微妙なところなので、そこの説明を逃げても殆どの人は見過ごしてしまう。仮に私が言葉を尽くして説明しても伝わらないだろう。多分関係ない人はもういいやと読むのをやめるのは容易に予想がつく。ここが汚いやり口なのだ。

ごく簡単な言い方をすれば、別に悪意を持っている訳でもないが、結果・実態として実務者が免税事業者を追い込むしかないように仕向けている制度になっているということだ。

免税事業者の取扱がおかしい

適格請求書がないと、その分の税控除ができず、自分が損をする。この制度はそうなっているのが根源になる。
言い方を変えれば、この制度に準じないと脱税となるから遵守するのではなく、控除(納税減額)措置のために行うという動機になる。

免税事業者という本来の趣旨から言えば、免税事業者からであろうがなかろうが、仕入れをした以上はその分の消費税相当分は控除(減額)されるべきなのである。
これは「多くの欧州で行われているという付加価値税制度」である。
ここも欧州の「付加価値税制度」と日本の「消費税制度」を都合の良いところだけ使い分けて詭弁を弄している点である。

もうすこし言及すれば欧州には「消費税」などは存在しない。あるのはそれに近い「付加価値税」でしかない。
よく「一般国民(消費者)からお預かりした・・・」という詭弁に騙される人が多い。
当然ながら欧州の「付加価値税」にはそんな意識や前提は無い。
付加価値税という名の通り、売った額から仕入れなどにかかった額を差し引いた額、その事業者が創った付加価値であり、それに対して納税額を計算しているだけなのだ。

益税という虚構(個人事業主いじめ)

そもそも免税事業者が消費税額を払わないことを益税という表現を使う自体が物事を知らないとしか言いようが無い。
こういう話の文脈で「益税」という単語を出して事業者否定をし始めただけで「ああ、こいつの言うことはダメ」と決めつけることが可能なくらいだ。
益税というのは財務省が植え付けた「国民からお預かりした・・・」という虚構にまんまと騙されているから生まれる発想なのだろう。
「財務省の回し者」いや、財務省すら今は嘘がばれてそういう言い方は取下げたので残党レベルの人間に過ぎない。

なぜ免税事業者というのが存在するのか。現在は消費税制度における免税事業者は年商一千万以下となっている。
一つは取引が少額で事業規模が小さいため、納税処理負荷を軽減するという発想である。
もう一つは、低所得者世帯と同義であり、保護のために免税しようという発想である。

年商一千万以下というのは、どう計算しても個人事業か、家族でやっているか、良くてバイト一人雇えるかどうか、程度である。
要するに実質一人である。そんなところからむしり取るのは問題では無いのか、そういう発想になる。

これはスタートアップ事業の保護(今の多くの大企業だって最初は売上すら殆ど無い状態で一人や数人から細々と始めている)という観点もあるし、特化したスペシャリストが個人事業としてやっている形態もある。
今回社会問題として捉えられるのはこうした側面もある、ということによる。

免税事業者なんだから免税なんだよという当たり前がない

話を元に戻す。
本来は免税事業者であろう課税事業者であろうが、そこから仕入れた分の消費税は売った分の消費税から差し引けるべきである。
しかし今回のインボイス制度からは課税事業者しか差し引くことができない。
これが今回のインボイス制度の悪法(悪制度)たる根本なのだ。

これを「当たり前じゃん、今までできた方がおかしいんだ」という発想自体が財務省の仕掛けた罠に嵌まっているのだ。
そしてこの部分が「増税になる」部分である。

先ほどの繰り返しになるが、欧州の消費税(付加価値税)においてはそもそも「消費税をお預かり・・・」などという発想はない。
どこから仕入れようが「自らが付加価値をつけた分への課税」なのだから仕入れ先がどう納税していようが関係ないのだ。
だから混乱や問題は起きない。

じゃあ免税事業者は取り得とか益税享受でいいのか、とかいうのは、その発想から間違っている。
これも先ほど書いたとおり「極小規模事業者保護」に相当するから消費税相当は納税免除でいいよということでしかない。
低額所得者に対して「納税もしていない貧民が」「働かないほうが得だよな」と揶揄する人ももちろんいるので、それと同じレベルなんだろうな、としか言いようが無い。
殆どの人は「低所得者は納税が軽い、なくても構わない」と考えているのだから。

財務省には選択肢があった。この「極小規模事業者保護」は消費税に関しての優遇措置はやめます、とすれば混乱は少なかった。
つまり「免税事業者はなしです」とすれば良かった。
最悪なのは業務負担を増やす悪因のひとつである「事業者登録番号」である。本来はこんなものに必要となったのは財務省の逃げのせいである。

しかし自らへの批判を嫌がり、逃げた。そしてこの”嫌な行為”を当事者に押しつけるよう一般国民に分からないように巧妙に制度に仕組んだ。
さらに様々な経過措置などと言う批判からの逃げすら打っている。
こういうものは事業者に配慮した良い(ありがたい)制度だとうっかり思ってしまいがちだが、とんでもない。
これによって現実として現場を混乱させ、手作業を増加させている。もちろん双方にとってだ。
制度が煩雑だし経過措置中は手作業で処理するしか無い(よほど恵まれてないと経過措置対応のITシステム改修なんかできないからね)。

経過措置なんか財務省のアリバイ工作、批判回避措置であり、実態を知る人には怒りしか生まない。しかし怒りはトップに届かない。
よく制度を知るように”嵌められた”人はこのことに気づく。しかし多くの国民は気がつかない。
このことに絶望する人は少なくないのではなかろうか。
私はこのことに大きな懸念を抱くと共に、私自身も大きく消沈している。

日本を壊しかねない悪法(悪制度)

実際「私が何に怒っているのか理解できない」同僚(部下/上司含む)はいくらでもいる。
そして自分が関係してしばらく経つと、その巧妙さとともに、罠にはめられたことに気づき、怒る。

こういうやり方が本当に汚いやり方である。

もっと不味いことがある。

私の勤務先でも起きていることだが、責任の押し付け合いが酷くなりつつある、ということだ。

日頃のこのことに関する鬱憤がつい強い口調に出てしまう。
また、実作業の押し付け合いも起きてしまっている。

つい最近も(彼らが悪いわけでも無いが)言い合いになってしまった。
彼らも「結局は財務省が悪い」というのはよく分かっている。こちらももちろん分かっている。
私は会社では極めて穏便な方だ。それでもそうなってしまう。

そしてこんなことは日本各地で起こっているだろう。取引先とも決して良好な関係ばかりではない。
社内の(表面上はとはいえ)普段良好な関係同士ですら、こんなに嫌悪になってしまうのだ。

これこそが「この制度が日本を壊しかねない」と感じている根本にあるのだ。

| | コメント (0)

« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »