送迎バスにまたも園児置き去り
この手の話が出ると、「超ローテク(精神論)」が行政側から出て、「超ハイテク(コストの見合わないハイテク機器)」がマスコミ(評論家)から出てくる。
精神論というのは「徹底する」「ダブルチェック」「チェックリスト」などである。
ハイテク論というのは、今回の件で言えばバス内にレーダー感知システムを入れてとかである。
義務化でもしない限り、こんな高い機器をつける訳が無いし、誤動作が酷くて切ったりしてしまうのがオチになったりする。
バスのシステムでできること
今回のバスで言えば、レーダーなんかつけなくてもいくらでも防げる。
単純に考えて見よう。
やるべきことは、少なくとも運転手を、運転終了後に強制的に最後部座席まで行かせれば良いだけだ。
最後部座席まで往復して園児に気がつかないような人間であれば、自動車を運転する資格が無い。
仕掛けは簡単だ。後部座席の一番奥の壁にスイッチ(押しボタン)をつける。公共交通バスの降りますボタンみたいなものでも良い。なんならそのバスの鍵で動作(非接触でも良い)するものでも良い。
車庫(駐車場)に置き、サイドブレーキをかけ、ギアをパーキングにいれ、エンジンを切り、車を離れる前に、最後にそのスイッチを押さなければならない。
押さないでそのままにすると数分後にはけたたましい警報音が鳴るようにしておく。
エンジンが入っていたり、ギアをパーキングから外したり、サイドブレーキを解除したら、それを押したことはキャンセルされる。
これによって「事前に押しておく」ということはできない。もちろん園児がイタズラで押しても何の意味も無い。
出席システムですべきこと
様々な論が飛び交って評価のややこしい出席システムであるが、どうやらこのシステムには簡単に防げた致命的な欠陥がある。
「8時」というひとつの区切りがあって、5分前に園内の先生方がチェックしたときには「出席になっていないから欠席・・・でいいか」という認識をしてしまい、そのままにしてしまったという。
その数分後にバス送迎側で出席登録をしているのだという。
再度チェック、もしくは定時後にチェックしていれば今回の事故は防げたのにというのは一理あるが、実はここにシステム的な問題が見えてくる。
私はこの顛末を聞いたときに「先生はなんでこんな認識をしてしまったのだろう」と不思議に思った。
このシステムの欠陥とは「出席」と「未登録」という2つの状態しかないのでは?ということである。
すべきなのは「出席」「欠席(休み)」「未登録」の3つの状態を持たせねばならない、ということである。
こんな簡単なことになぜなっていないのか。こんな仕組みを選ぶことにコストなんか皆無なのに。
安易に「出席が確認できたら登録」で良しとしてしまったのが大間違いである。
これでは「未登録」と「欠席」の区別がつかない。
未登録とは不確定状態であり、「欠席」とは欠席していることが確認され、確定していることである。そしてその時に「欠席」を登録する。
これは大きな違いであることはちょっと考えれば判ることでは無いのか。
そしてすべきなのは、決められた定時までに園児全員を確定させることである、という方向で行動すべきとすればよい。
ここで重要なのはそうすべき、というだけで必ずしも定時に確定する必然は無い。
親御さんとの連絡が取れず確認できないとか、バスが遅れてとかは十分にあり得る話であり、園内の人間の誰の責任でも無い。
その代わり、未登録は全て確定するまでは忘れずに確認を続けるということである。
今回の事故を一概に非難できるか
実はこの2つは普通の企業や工場の安全管理に置換えてみると決して他人事では無い。
バスはハードウェア、設備や施設そのものやそこにある安全設備と呼ばれるものに置換えられる。
本来あるべき機能を果たしていない、ちょっとした工夫で大幅に安全確保できるのに僅かなコストをケチってなされていない。
運用や注意を徹底すれば問題ないと言って放置されている。
細心の注意を払っていれば問題ないというのは、常にタイトロープで綱渡りをさせているようなものである。
ちょっと気が緩んだら事故が起きる、そもそもそれではダメだということに気がつくべきである。
常にF1レーサーレベルの注意深さを求めてはそもそもおかしいのであって、せいぜい普通自動車の運転レベルの注意で問題なく業務ができるようでなくてはならない。
何かしらの事故が起きる背景には、突き詰めるとこういう背景が浮かび上がってくる。
出席ボタンの話はソフトウェアの問題だ。ルールや手順自体が不適切、ミスを誘発しかねないものになっていることがある。
極論話でよくあるのが、よく押すボタンと緊急ボタンを同じ大きさ、似たような色で横に並べて置いて良いのかという問題だ。
注意深くしていれば間違えないだろう、それで良いのか。なにかの拍子に間違えて緊急ボタンを押してしまった人を責めて良いのか。
ソフトウェアそのもの、ITシステムでもよくある話だ。
お金が無いからソフトウェアの改修はできないといって運用でごまかしている話はないだろうか。
ちょっと手直しすればミスは防げるのに、それを直せる担当者は忙しいと言って逃げ続ける。
もうそのソフトウェアを修正できる人がいないからといってそのまま使い続けられてしまうシステム。
なんでそうなっているのか、基本が判っていないのでそのまま言われるとおり使っているだけの人間だらけになってしまった職場。
本来ならこうすべきと思っても、変えるとあちこちに不具合が頻発して責任を取らされるような職場。
絡まったひものようにグチャグチャになっており、もうどうしようもなくなっているのだ。
もちろんそれを落ち着いて再構成しようとしてももはや不可能な状態に陥っていないのだろうか。
これを直せるのはトップの決断しか無い。
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