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2019/12/22

「プログラミング教育」加熱に冷や水を浴びせる

最初に私の立場を説明しておく。
私がコンピューターというものに出会い、プログラムを趣味として始めてからも数十年になるだろうか。
いわゆる「マイコン世代」「8ビットパソコン世代」である。
会社の都合で回路技術者とされる期間が多かったが、ソフトウェア技術者としてプログラムコードを書いたこともあった。
自宅サーバーを構築してWebプログラミングをしたり、ワンチップマイコンのプログラムを書くなど、今もなお趣味としてやっている。
昨今の義務教育に関する流れには、嬉しい面もあれば、訝しむ思いもある。

年収700万(笑)

将来有望職だとか勘違いしている人が出ているようだ。

プログラミング教育を義務化する、そういう以前にプログラマー養成専門学校は多数存在する。
もう何十年も前からだ。
ハイテク産業としてそこそこ希望者もおり、コンピューターサイエンスそのものなどにはさほど興味は無いが、プログラムを作る職業に就きたいという人には良い選択肢なのだろう。

その行く末はどうなのか。そういう選択肢をとった友人もいるが、多かれ少なかれ「IT土方」と揶揄される、人月産業の歯車の一部となり、いわゆるブラック職場に陥っているところも少なくない。

比較的楽しそうなゲームプログラミングにおいても、ゲームが巨大化し細分化が進むことで、ただプログラムコードを書くだけに陥る傾向が強い。
いわゆる「面白いところ」はディレクターとかそういう一部のトップ(リーダー層)しか味わえない。

そういう暗い現実が続いた中からプログラミングを花形職業として初任給で年収700万という言葉が出てくるのは救いではある。
しかしこの言葉を真に受けては間違いの元だ。

「野球を習得すれば年収10億も夢ではない」と同じだから。
10億はともかく、年収を億単位を貰う人は「日本のプロ野球界では珍しくは無い」
しかし日本国全体でみればごく希少であり、ほんの一部の、才能があり、かつ尋常ではない努力をした人達だ。
野球を覚えて草野球チームで目立つ程度では程遠いというのは言うまでも無い。
義務教育で覚えたり、そこいらのプログラミング教室(塾)で学んだ程度ではお話にならない。

プログラミングで言えば、最低でも大学で専攻、大学院で博士号ぐらいの力が無ければ話にならない。
プログラムを組むというスキルというのは前提のひとつであって、その周囲のコンピューターサイエンスと呼ばれる見識、知識、思考能力が合わさって初めて「高給を取れるプログラマー(技術者)」になれる前提をひとつ得ることができる。

こういうのをすっ飛ばして高給を取れる優秀な人が現れるのはどの世界でも存在する。
それを俗に「天才」と呼ぶ。

そういう人を見倣ってはいけない。
多くの人は凡才なのだから。

天才は放っておいても突出する。彼を潰すことさえしなければ良い。
政治や教育というのは平均的な凡才をどこまで押し上げられるか、というのが1つのお題目である。

プログラム教育熱で一山当てようとする人達

インターネットビジネスで一山当てようとする人達もいる。それとどうしても同じに見えてくる。
儲けようとする人を騙して儲けようとする人達はここ数年でよく見かけるようになった。
全部が詐欺とは言わないし、法律上は詐欺として立件できないが、どう見ても詐欺という案件も明るみに出たりしている。
著作権的にグレー、または道義的にアウトだろうというものも見受けられる。

かくいう私も「おいしい話」を色々探したこともあるが、当り前だがおいしい話などあるわけもない。
冷静になって考えれば当り前のことだ。
日本国は資本主義、資本主義経済を標榜している以上は、グレーゾーン、レッドゾーンに踏み込まなければおいしい話などはないのは当然だ。
それはインターネット社会になろうがどうだろうが同じ話だ。

そこにプログラム教育熱が加わってきているようにしか見えない。
どんな課目にも王道はないように、プログラム習得にも王道はない。

プログラミング教育の機会均等

昔から比べればプログラミングを覚えるのは実に容易だ。今は本当に恵まれた社会になった。
パソコンがあり、ネットに接続できる環境があればほぼ金もかからない。
必要なのは地道な努力だけだ。

昔はパソコンは高かった。数十万も珍しくは無い。今なら数万円程度のパソコンで十分だ。
昔はネット接続などなかった。高額な専門書籍しか情報手段はなかった。今はネット接続も月々数千円で繋ぎ放題だろう。
それでかなりの情報を得ることができる。
専門書(解説書)があった方が習得は早くなると思うが、オンラインで直接一次情報にあたることすら可能だ。
コンピューター言語も昔は数万円。今はプロユースでも無料でダウンロードし放題だ。

何が言いたいかと言えば、義務化以前に経済格差も含めて、既に教育の機会は(ほぼ)均等だといえるだろう。
いかに経済が苦しい家庭でもネット接続やスマフォ所持は必須と見なされている。
そこをどう配分するか程度の問題ですむ。
PC用ネット回線がなくてもスマフォのテザリングでなんとかなると思う。

プログラミング教育科目化の意味はあるか

義務教育カリキュラムでやろうとしている内容を私が端から見ると「ただのお遊び」にしか思えない。

体育で様々なスポーツをやるが、その程度と考えればよいのだろう。
部活でやっている人達レベルかみても、授業でやるレベルは「ただのお遊び」と同じことだろう。
ましてやそれを職業とする(金を取れるプロレベル)にははるか遠い。

それでも体育ではルールを覚えたり簡単な基礎を一通りはやる。
そのことにより、後にそのスポーツへの親近感を持ち、観戦などをしたときにより楽しめるようになる。
選手を増やすという意味では微妙だが、観戦側(興味を持ってくれる人)を増やすという意味でスポーツ産業に寄与していることは言えるだろう。また選手へのリスペクトなども自分がやった体験からより強くなる。

プログラミング教育の科目化が「IT産業(AI?)を担う層を増やす」みたいなことをいうのは、私から見れば「なんという脳天気」。
私には産業を担う人材増加ににおいては、さほど影響するとは思えない。
論理的思考を醸成する、みたいな話も、正直、うーんである。
それを求めるなら、もっと他にやるべき事、国語、英語、数学、理科などを含めてカリキュラムや教育基本構造の見直しすべきことは山ほどある。

しかしプログラマーという職業に対する見え方、プログラム(ソフトウェア)によって現代社会がどれだけ支えられているのかという見識、そういうものを少しはもって貰えるかもしれないという期待はしている。
結果としてプログラムという職能、職業として持つ人の給与向上に僅かでも反映してくれれば幸いである。

逆にいえばせいぜいその程度しか期待は持てない。

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