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2018/04/29

過去の選挙結果をグラフ化する

「民主党への政権交代時、別に自民党の支持が減ったわけではない」という話を聞く。

本当か確認したことはなかったので過去の数字をグラフにしてみた。
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確かに自民党+公明党の数字は殆ど変わらず、その他の得票数が増えたことが見て取れる。
(グラフから読み取れるとは思うが、第45回が政権交代時の選挙)

自民1強時代が続いているというが、一方で得票数だけ見ると自民+公明<その他なのが実態。
マスコミや評論家は「野党がだらしない」というが、正直その言葉も響かない。

小選挙区導入時には「小選挙区で二大政党を実現する」などという美辞麗句も見られたが、それが全くウソであったことが見て取れる。
単純に「民意を汲み取れる選挙制度か」を今一度見直す必要はないのか。

選挙制度に問題ないのなら、この状況を打破するには「野合」をするしかない。

公文書データ保存の問題

ちなみに5回分しかないのは総務省のデータにこれしか残っていなかったから。
公文書の保存(廃棄)は問題になっているが、こんなところでも状況が酷いことが判る。

もっと言えばこのデータの提供方法が酷い。
第44回などはPDFデータであり、45回からはExcelデータになっているという点は改善されているが、これもデータの再利用よりも印刷いたときの体裁を考慮しているとしか見えないものだ。

厳密に言えばデータはある。5回を超える分はPDFでまとめられており、読み物(報告書)としては体裁が整えられているが、利用可能なデータとしては悪化している。とても拾う気にならない。

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2018/04/15

総理が幼稚な回答しかできないと社会のモラルが落ちる

リンク: 安倍首相が「逃げの答弁」をつづける事情 | プレジデントオンライン.

最近”知識人”たちもこの記事にある読売新聞側の説が多い。
まったく理解できない。

この記事で言う毎日新聞の説に賛同する、というか、論理的にそう言わざるを得ない。

政府や今でもっとも脚光を浴びている柳瀬元秘書官の問題で言えば、具体的でかつ論証のできる理由により、はっきりと反論していない、ということが問題なのだ。
嘘つきかどうかは、かなり言論が荒くなっているが、あまりに逃げ回答、幼稚な逃げ口上ばかりでは野党がキレてしまうのも理解できる。

最近は特に答弁が全くかみ合っていない。
質問に対して回答側が逃げやゴマカシの答弁ばかりでウンザリする。

記録の問題

こういう論を言うとすぐに『法的には問題ない』とかいうが、そういう問題では無い。
記録や証拠というのは「法的に何年だから云々」ではない。
問題が起きて、実証や反論するために残すものである、というのが基本だ。

法的に云々というのはそれによって直接問われない、というラインを示すものであって、反論しなくても良いという理由にはならない。

官邸への入出力記録

それにしても驚くのが、官邸への入出力記録において、たった数年前の記録さえ残していないという”事実”だ(これすら事実かどうかは知らないが、官邸側がそう説明しているのだから仕方ない)。

もっと驚くのが「残っているかも知れない」などという曖昧さを残していることだ。
これは”記録の管理がずさんである”と自ら言っているに等しい。

誰かのメモに残している、というのであれば、これは入出力記録ではない。

秘書官の名刺管理

普通の会社員なら、まず名刺管理から徹底される。
賛否両論あるが日本の社交文化は名刺から入る。まずは部屋に通され挨拶をしながら名刺交換である。
まさかトップ官僚であり、さらに今回は秘書として会っているのだからそれをやっていないわけが無い。
名刺交換しないのは皇族か、せいぜいは総理大臣や大臣クラスまでだろう。
それでも秘書(お付きの人)が代行する。
特に政治家の秘書というのは名刺を配る(名前を売りまくる)のが仕事とすらいえるだろう。

そしてその次が名刺管理である。
この辺は人によるかも知れないが、私は会った日付、場合によっては案件などを名刺にしっかり記録するように教わった。人によってはあった人の特徴なども記録すると良い、という人もいる。
これは名刺とは人脈を示すものであり財産である、という考えに基づく。

ここで重要なのは二度同じ人と名刺を交わすことは失礼であるという考えである。
まあ、数十年ぶりですっかり容姿が変わって会社すら変わっていても、過去自分のあった人であれば覚えているのが良いのはいうまでもない。
この辺は才能も必要だとは思うが、官邸に詰めているような秘書官というレベルの人がその能力に不足があると言うことになり、まったくがっかりだし、そんな人間を選んだ官邸(総理大臣の見識)には大いに落胆せざるを得ない。

更に言えば“首相案件”かどうかは別として、国家戦略特区に関わりのある人物(少なくとも県職員)の訪問に対して記憶が薄いということは考えづらい。加計学園かどうかは別としても県職員で学校新設の関する案件でというのなら国家戦略特区であることは明確である。いわゆる数多の案件に比べて際立った案件だ。

秘書官の業務管理

普通の会社であれば業務日報なりを提出させられるし、つけている。
そうでなくても、手帳にいちいちメモをしている。特に官僚のメモ魔ぶりは世間でも有名だ。
私もメモはあまり得意ではないが、面会やら直属以外の上司に呼ばれたときは「なんのことで呼ばれたか」と日付ぐらいは記録するようにしている。

これは正に今回のように「あの日に誰と会ったか」を問われたときの自衛策である。
突き詰めて言えば、個人メモというのは自衛のためにやることである。
いうまでもなく、官僚ではイロハのイであり、例えば新入社員で上司が何か話そうとしたらすかさず手帳を取り出して書き始めなくてはまずそこから叱責されるだろう。

つまり、この程度の“習慣”がなかったというだけで官僚失格であり、そういう人間を総理大臣ともあろうものが「信頼している」などと言うことが信じられない。

「記憶の限り」が通用するわけがない

「記憶の限り」と言うが、そういう発言自体でアウトと感じたのだが違うのか。
先の項で書いたように記録を残すのが基本であり、残していない時点でアウトとしか私には思えない。
ワイドショーで誰かが言っていたが「アリバイがない時点で嫌疑濃厚」と言っていたが全く同感である。

証拠物件としてはまずは官邸入出記録である。
ここで県庁他の方々の記録がなければ、この証拠も出てこない。
続いてその日の業務記録やメモなどで他の人としか会っていないということが実証されればこれもアリバイ成立であるが、全くそういう話も出てこない。

たった数年前の出来事でも証拠を出せないのだからアウトとしか言いようがない。
いうまでもなくその実証責任は当事者達でしかできない。

官邸は「会っていないことを証明」しなければならない。
できないのであれば、証拠のある県側の言い分を認めざるを得ない。
「文書化された証拠」に対して「記憶」では勝負にならない。
しかも「記憶の限りでは」なんて言い分が通るわけがない。

いわゆる加計学園問題自体などはどっかに飛んでいて、もはや政治家・秘書(官僚)として最低限やらねばならないことをやっていたかどうかという、低レベルな話まで落ちているのだ。
そして法的云々ではなくて、その業務を遂行するにあたって最低限の資質があったのかと言う低レベルな話にまで落ちているのだ。

「ウソつき」と国会の場ではどっちが侮辱なのか判らないが、ウソでなければ「幼稚な答弁」とでも言って罵倒して欲しい。
「ぼくが言うからそうなんだもん」なんて幼稚園児でも通用しない。

「ウソをついているのか実証しろ」とか総理は言ったらしいが、それも幼稚だ。
「ウソをついていないことを実証する責任」は総理を始め官邸にある。

今回の件は“悪魔の証明”ではなく、理論的には証明できる案件である。
そして証明できるだけの証拠を残していなかった官邸や秘書官に責任(問題)がある。
野党は親切にも「証拠を出せ」と言っているようだが、本来は証拠を出して潔白を証明するのは官邸自身の仕事である。

繰り返すが「法的に残す規定にない」に対しては「だから何だ?」である。
問題を起こしたときに自らの落ち度がない(または軽減されるべき)ことを証明するために証拠(記録)を残すのだ。規定がどうこうなんか関係ない。
規定よりも早く捨てていればそのことも含めて問題となるだけのことだ。
その根本が判っていないのだから論外である。

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