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2018/03/31

朝まで生テレビ 原発・エネルギー問題

今回の「朝まで生テレビ」話題はいわゆる原発問題、そしてエネルギー問題である。

多くのパネラーの中で私の意見に一番違いのが国際政治学者の三浦瑠麗氏であった。
つい原発vs再生可能エネルギー論争になりそうになるとたびたび割って入って「vs論争ではないんだ」ということを強調していた。まったく同意である。

再生可能エネルギー推進は待ったなし

いわゆる「再生可能エネルギー」の割合をどんどん増やすことをやっていかないとダメだろう、というだけの話である。(いわゆるというのは本来の訳なら「持続可能エネルギー」のはずなのだが、日本では意味がズレているからだ)

原発の存在自体を重要視する意味なんかなにもないのだから、原発ゼロかどうかなんかちっちゃい話である。その存続論争をしていること自体が時間の無駄なのだ。

これは世界的潮流であり、少なくとも先進国であるはずの日本がこのままでは乗り遅れることになりかねない、という懸念すらある、という問題なのだ。

中国は原発建設を続けているのも事実だが、一方で再生可能エネルギーの割合を「2050年迄に8割」と言っているのも事実だ。
この目標は至極当然で、中国が原発を増やせばあっというまに核燃料が枯渇する、ともいわれており、また2050年をみればいわゆる化石燃料は貴重品になるとみるのも自然だろう。
これは別に原発反対で言っているのでは無く、そもそも核燃料サイクルが強く進められていた大きな要因で、核燃料も海外依存であり中長期的は入手不能になると見ていたからである。、

これも世界的な話で、特に日本では核燃料や化石燃料は100%海外依存だから、2050年あたりにはほぼ100%にでもしないと大変な事になる。そうなれば経済成長もへったくれもない。
まだ化石燃料を考慮しているのも論外だし、原発も燃料資源があるかすら怪しいとみるのが、責任をもってリスクマネジメントをしていると考えないとおかしい。

もはや原発ゼロ論争なんか無意味で、現状の再生可能エネルギーの評論も越えて選択肢がないのだ。
論議があるとすれば、再生可能エネルギーのうち、それをどういう配分にするか、である。

ベースロードとして地熱や洋上風力、流水水力を分類したり変動として太陽光や風力、調整としてダム水力(揚水を含む)など、これらをどうバランスを取るかという論議である。
この発電方式はこういう欠点があるからどうのこうのという議論をする自体が問題だ。

こういう長所短所があるからどうやって組み合わせて、長所を引き出していくか、という議論をする時代になっているのだ。そのひとつがスマートグリッドとかいう話に過ぎない。

それなのに2030年ですら25%程度とかあり得ない低比率である。
そもそも日本は再生可能エネルギー大国(世界でもトップクラスといわれる)なのだから、50%ぐらいは最低ラインと設定してもなんらおかしくはない。

ところで日本はなんの利権があるのかいまだに“水素”を言う人がいる。
現状では水素生産は化石燃料の副産物であるのが現実であり、クリーン生産が見えていない。
一つの考えとしては、太陽電池発電による不安定発電を利用して充電ならぬ充水素(水素充填で良いか)するという道はある。電線を引くのも大変な超僻地に太陽電池利用の(圧縮)水素生産工場を建設してタンクローリーで輸送するも考えだろう。
いわれているのは自動車全体をみても”エネルギーミックス”が行われて、電気自動車と水素自動車が使い分けされるのではという考えはあるようだ。

FIT(固定価格買取制度)論議

太陽光発電は世界的には10年前には考えられないほどに下落している。
これを掴んで「ならFITをやめようか?」などと感情的に反論する人がいた。
これには苦笑するしかない

「世界的には」であって「日本では」もっと高いのだ。
そうすると「じゃあダメじゃないか、ウソじゃないのか」などという。全く酷くて笑ってしまう。。

もちろん説明をしていて「日本では建設配電までの許認可があまりにも長く、コストがかかる」と言う。
それを受けるのなら「じゃあそこを改善すべきだ」という論になるのが当然なのだが、そこで「じゃあコストが安いわけじゃないだろう」という。もはや「こいつらなんだ?」というレベルと言わざるを得ない。(そこには議員も加担しているのだから話にならない)

言うまでも無いが、本来の市場価格原理がきちんと働くのであればこんな論議すら不毛で、あと数回価格改定をすればほとんど意味が無くなる。(原発での怪しげな価格すら下回る)

しかし問題は価格がどうこうというよりも、買取保証があるかどうかなのである。

電力各社は徐々に買い取り拒否の姿勢を強めていることが伝えられている。
安いから買うという正常な市場原理ではなく、安定性がどうこうと難癖をつけたり、容量がなくて補強が必要だから金を出せとか、専用に幹線まで引っ張る配線の金を出せとか言い始めている。

また、高コスト圧力は他のも行われていて、例えば架設設備をJISで定めるとか、定期点検を義務づけるとか、充電設備も持って安定供給を義務づけるような言い方になってきているのだ。
そもそも建設における環境アセスメント等の審査基準で締め付けるという観点もある。

ここが正常化されるための決め手は確実な発送電分離であるが、まったく動きが聞こえてこない。
仮に制度は発効されても、有名無実化されているのではという懸念もある。

原発の、安全以前の問題

原発大国のフランスですら、長期的には再生可能エネルギーの目標比率は高い。
これはフランスが核燃料がヤバイと考えており、数十年オーダーではもたないと考えているからとしても不思議ではない。
本格的に確保がヤバくなってきたら償却分の燃料を在庫確保して尽きたら店じまい、と考えるのが普通の事業マネジメントだろう。(この辺が計画的にできるのは原発の特徴)

米国や欧州各国では原発オワコン論が強く新設事業はもうないと言われるが、これは原発の安全コストはもちろん、設備の償却年数まで燃料が確保できるかが怪しいと考え出しても不思議ではない。

いうまでもなく原発事業は初期投資(設備)が高くその減価償却はとても重要になる。
燃料が高騰する(確保できない)リスクが見えてくると事業として成立しなくなる。
日本ではこういうリスクマネジメントがいい加減で脳天気な事業者が多いようだが、米国では極めてシビアなので(いい加減にやると即株主訴訟である)そこで事業不成立が連発しても不思議ではない。

だからこその核燃料サイクルだ、とか言う脳天気な人もいるようだが、その数十年で実現できるという見込みは全くない。
そんな夢物語に賭けて大金を投じたり事業にしがみつく方がはるかに無責任としか言いようが無い。

もっとヤバイのは原発輸出事業である。
運営責任まであると言うことは燃料確保不能に対する責任すらとらされなけないのではないのか。
逆にそこを補償してくれるのなら、別に構わないけど?という姿勢だろう。
事故補償だけで考えているとしたらとんでもない脳天気、国家でやるのなら無責任極まりない。

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