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2018/03/31

朝まで生テレビ 原発・エネルギー問題

今回の「朝まで生テレビ」話題はいわゆる原発問題、そしてエネルギー問題である。

多くのパネラーの中で私の意見に一番違いのが国際政治学者の三浦瑠麗氏であった。
つい原発vs再生可能エネルギー論争になりそうになるとたびたび割って入って「vs論争ではないんだ」ということを強調していた。まったく同意である。

再生可能エネルギー推進は待ったなし

いわゆる「再生可能エネルギー」の割合をどんどん増やすことをやっていかないとダメだろう、というだけの話である。(いわゆるというのは本来の訳なら「持続可能エネルギー」のはずなのだが、日本では意味がズレているからだ)

原発の存在自体を重要視する意味なんかなにもないのだから、原発ゼロかどうかなんかちっちゃい話である。その存続論争をしていること自体が時間の無駄なのだ。

これは世界的潮流であり、少なくとも先進国であるはずの日本がこのままでは乗り遅れることになりかねない、という懸念すらある、という問題なのだ。

中国は原発建設を続けているのも事実だが、一方で再生可能エネルギーの割合を「2050年迄に8割」と言っているのも事実だ。
この目標は至極当然で、中国が原発を増やせばあっというまに核燃料が枯渇する、ともいわれており、また2050年をみればいわゆる化石燃料は貴重品になるとみるのも自然だろう。
これは別に原発反対で言っているのでは無く、そもそも核燃料サイクルが強く進められていた大きな要因で、核燃料も海外依存であり中長期的は入手不能になると見ていたからである。、

これも世界的な話で、特に日本では核燃料や化石燃料は100%海外依存だから、2050年あたりにはほぼ100%にでもしないと大変な事になる。そうなれば経済成長もへったくれもない。
まだ化石燃料を考慮しているのも論外だし、原発も燃料資源があるかすら怪しいとみるのが、責任をもってリスクマネジメントをしていると考えないとおかしい。

もはや原発ゼロ論争なんか無意味で、現状の再生可能エネルギーの評論も越えて選択肢がないのだ。
論議があるとすれば、再生可能エネルギーのうち、それをどういう配分にするか、である。

ベースロードとして地熱や洋上風力、流水水力を分類したり変動として太陽光や風力、調整としてダム水力(揚水を含む)など、これらをどうバランスを取るかという論議である。
この発電方式はこういう欠点があるからどうのこうのという議論をする自体が問題だ。

こういう長所短所があるからどうやって組み合わせて、長所を引き出していくか、という議論をする時代になっているのだ。そのひとつがスマートグリッドとかいう話に過ぎない。

それなのに2030年ですら25%程度とかあり得ない低比率である。
そもそも日本は再生可能エネルギー大国(世界でもトップクラスといわれる)なのだから、50%ぐらいは最低ラインと設定してもなんらおかしくはない。

ところで日本はなんの利権があるのかいまだに“水素”を言う人がいる。
現状では水素生産は化石燃料の副産物であるのが現実であり、クリーン生産が見えていない。
一つの考えとしては、太陽電池発電による不安定発電を利用して充電ならぬ充水素(水素充填で良いか)するという道はある。電線を引くのも大変な超僻地に太陽電池利用の(圧縮)水素生産工場を建設してタンクローリーで輸送するも考えだろう。
いわれているのは自動車全体をみても”エネルギーミックス”が行われて、電気自動車と水素自動車が使い分けされるのではという考えはあるようだ。

FIT(固定価格買取制度)論議

太陽光発電は世界的には10年前には考えられないほどに下落している。
これを掴んで「ならFITをやめようか?」などと感情的に反論する人がいた。
これには苦笑するしかない

「世界的には」であって「日本では」もっと高いのだ。
そうすると「じゃあダメじゃないか、ウソじゃないのか」などという。全く酷くて笑ってしまう。。

もちろん説明をしていて「日本では建設配電までの許認可があまりにも長く、コストがかかる」と言う。
それを受けるのなら「じゃあそこを改善すべきだ」という論になるのが当然なのだが、そこで「じゃあコストが安いわけじゃないだろう」という。もはや「こいつらなんだ?」というレベルと言わざるを得ない。(そこには議員も加担しているのだから話にならない)

言うまでも無いが、本来の市場価格原理がきちんと働くのであればこんな論議すら不毛で、あと数回価格改定をすればほとんど意味が無くなる。(原発での怪しげな価格すら下回る)

しかし問題は価格がどうこうというよりも、買取保証があるかどうかなのである。

電力各社は徐々に買い取り拒否の姿勢を強めていることが伝えられている。
安いから買うという正常な市場原理ではなく、安定性がどうこうと難癖をつけたり、容量がなくて補強が必要だから金を出せとか、専用に幹線まで引っ張る配線の金を出せとか言い始めている。

また、高コスト圧力は他のも行われていて、例えば架設設備をJISで定めるとか、定期点検を義務づけるとか、充電設備も持って安定供給を義務づけるような言い方になってきているのだ。
そもそも建設における環境アセスメント等の審査基準で締め付けるという観点もある。

ここが正常化されるための決め手は確実な発送電分離であるが、まったく動きが聞こえてこない。
仮に制度は発効されても、有名無実化されているのではという懸念もある。

原発の、安全以前の問題

原発大国のフランスですら、長期的には再生可能エネルギーの目標比率は高い。
これはフランスが核燃料がヤバイと考えており、数十年オーダーではもたないと考えているからとしても不思議ではない。
本格的に確保がヤバくなってきたら償却分の燃料を在庫確保して尽きたら店じまい、と考えるのが普通の事業マネジメントだろう。(この辺が計画的にできるのは原発の特徴)

米国や欧州各国では原発オワコン論が強く新設事業はもうないと言われるが、これは原発の安全コストはもちろん、設備の償却年数まで燃料が確保できるかが怪しいと考え出しても不思議ではない。

いうまでもなく原発事業は初期投資(設備)が高くその減価償却はとても重要になる。
燃料が高騰する(確保できない)リスクが見えてくると事業として成立しなくなる。
日本ではこういうリスクマネジメントがいい加減で脳天気な事業者が多いようだが、米国では極めてシビアなので(いい加減にやると即株主訴訟である)そこで事業不成立が連発しても不思議ではない。

だからこその核燃料サイクルだ、とか言う脳天気な人もいるようだが、その数十年で実現できるという見込みは全くない。
そんな夢物語に賭けて大金を投じたり事業にしがみつく方がはるかに無責任としか言いようが無い。

もっとヤバイのは原発輸出事業である。
運営責任まであると言うことは燃料確保不能に対する責任すらとらされなけないのではないのか。
逆にそこを補償してくれるのなら、別に構わないけど?という姿勢だろう。
事故補償だけで考えているとしたらとんでもない脳天気、国家でやるのなら無責任極まりない。

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原発/安全基準に適合すれば安全というウソはやめてほしい

安全基準では事故発生を防げない

原発再開やら推進に関係して「世界最高水準の安全基準」を言い出す人がいる。
特に政治家は役人に“洗脳”されただけだろうが、まあ頭が悪いと考えた方が良い。
もとより世界最高水準かどうかすら怪しいのだが、その論議は今回は置いておく。

そもそも安全基準では事故は防げないのだ。

このことは規制委員会でも言っていることではあるが、それを持ち出して「委員会は無責任」論を言い出す人すらいて呆れてしまう。
世の中のすべからく「安全基準」となんてものはせいぜいが
・事故が起こる確率を抑制する(確率ゼロなんてありえない)
・事故が起きたときの過酷さを下げる(簡単に言えば死ぬか怪我で済むかという話)
・事故が起きたときの原因解明を円滑にして再発防止に役立てる
と言った程度だ。

そう考えるともとより事故が起こると大変な原発にはあまりそぐわない考えなのだが、それでも「大爆発」ではなく「放射能漏れ」「蒸気漏れ」程度で済むといった効果は期待ができる。

安全基準の例

世の中すべからく、と言ったので事例を挙げてみよう。

例えば自動車の安全基準。
比較的、乗員(運転者や同乗者)の安全確保が大きいが、ある程度は“ぶつけた相手”の安全性も問われる。
しかしながら、これがあっても交通事故がゼロになっていないのは自明だろう。
これによって死亡事故が減って重傷で済んだり、重傷が軽傷で済んだりする。
もちろんそもそも事故にならないですんだものもあるだろうが、一部なのは普通に想像できる。

例えば家電やらスマホやらの電気用品にも安全基準がある。
これによって、機械に触っただけで感電したり(絶縁性)、発火・炎上したり(難燃性等)といった事故を抑制する効果がある。
それでもこれらの事故がゼロになっているわけがない。
家電の場合でも、中にホコリが溜まったり、虫が入ったりによって、それが回路ショートさせて発火したりという事故がおきる。機械側に問題がほぼなくても事故が起きるのだから。
もちろんこういうことも予期して安全性は考えられているが、際限がない。

安全基準だけで安全を論議するのはナンセンス

自動車では運転に免許がいるし、歩行者などの周辺の人々を含めての交通安全教育がされている。
原発だって同じ話というだけだ。

設備で働く人々の運用マニュアルやら人材確保や教育はもちろんのこと、周辺環境にあたる、万一事故が起きたときの避難計画なども含めての安全確保である。
これが地元住民への協力という意味になる。

普通の発電所の事故ではごく限定された範囲の住民だけで済む話だが、福島原発の事故で、周辺数十km、いや百kmを超えるような地域でも問題の影響が出たのは事実である。
事故直後は最悪で関東圏全域すら避難対象という可能性すら検討されたことを忘れてはならない。

昨今ようやく“周辺住民”が地元自治体のみではないという見解が見られるようになった。
いわゆる協力金の問題もあるだろうが、立地の自治体の同意のみで良いと言ったそういう卑近な考えが問題では無いのか。

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2018/03/27

森友問題・佐川氏証人喚問を受けて

なにがなにやらわからない答弁だったが、とりあえず確実なのは

即座に佐川氏を懲戒免職処分にすべき

ということだろう。
今回の答弁で「全て自分の責任である」と佐川氏自身が認めているのだから、「自己都合退職」で許されるわけがなく、疑問の余地なく懲戒免職処分にしないとおかしい。

マスコミや野党もそこも突っ込むべきではないのか。

もちろん、これで“幕引き”であるわけもない。
佐川氏からは何も聞けなかったので他の人から順に聞いていくしかない。
面倒だがやっていくしかない、というだけのことだろう。

別に喋らないのは佐川氏の“自由”だがその代償はきちんと払って貰わねばならない。
退職金はゼロは当然、今後、懲戒免職処分された人間を再雇用したり講演などに呼ぶような団体・会社は猛バッシングが当然の結末でなければおかしい。

懲戒免職は相当しない、別にそこまでの責任はないという論もあるかも知れないが、国会答弁においても「かなり不適切な回答を繰り返していた」「質問の意図を全く捉えずに答えていた」という、犯罪ではないが役人としては極めて問題があったことを自ら説明した。
別にうがった見方ではなく、偽証発言だったというよりはマシという意図と思われる、わざわざ詭弁を弄しての発言である。

政治家官邸の関与はなかったとの発言

佐川氏が「関与がない」といったから「なかった」なんて理屈はまったくおかしい。
政府や一部自民党もそう思っているようだが、頭が悪いのだろうか。

佐川氏の発言を聞いていれば、最初は威勢良く「関与はない」という断言調で述べている一方で、所々の説明で「佐川氏自身の認識」にすぎないことを自ら言っている。「私はそう聞いた」または「“勉強した”範囲」という類の前提条件をつけて、そういう意味で申し上げていると言っている。

また「私が国会にいるときは官邸の秘書官が課長と調整をしている」という発言すらあった。
これは本来の質問と全く関係ない回答として述べたのだが、私はこの発言は驚くべき事だと思う。
官邸の指示の中にはあえて局長を通さずに課長クラスに“相談”をした、つまり関与をすることがあるということを示唆している。
この場合は「佐川氏が知らない」という体裁になる。
そもそも指示関与自体が「問題ある行動」だから「佐川氏にはあえて知らせない」という本来はあってはならないことをやっていても不思議ではない。

要するに証人喚問で佐川氏がウソがつけない状態だったという前提をつけても、この一連の発言は

「佐川氏は関与がないと思っていた」だけ

ということが述べられたに過ぎない。まあ、ある意味佐川氏の雑感でしかない。

ちなみに「そう思っていた」という発言は、例えそれが真実であるか否かとは関係なく、当人が本当にそう思っていたとすれば偽証ではないそうだ。(これは弁護士で内閣参与の方が言っておられたことである)

佐川氏の発言においては、他の答弁でも様々な詭弁を弄しており、こういう前提条件を巧みにずらしている発言の意図をずらすというスタイルをとっており、この条件は決して除外してはならない。

総じて言えば野党の言うように

単に疑惑が深まっただけ

という証人喚問だったに過ぎない。
それにしてもいつまでこんな話を引っ張るのだろうか。
ひとつの証人喚問やら招致に関して自民党がごねて時間を浪費するのはいい加減うんざりだ。
与党や内閣も真相究明をするといっているのだから、ちゃんとやって欲しいものだ。

証人喚問と一般人

「一般人は証人喚問するものじゃない」みたいに言う人もいるが、法的根拠はもちろん、ルールの類は一切ないそうだ。

ではなぜそんな“ルール”があるかといえば、そりゃあ一般人をいきなり国会に連れて行って多くの議員の前で話をするだけでも大変なことだ。その上ウソついたら犯罪者では、その精神的プレッシャーたるや尋常ではないだろう。

意味を考えれば“今”一般人かどうかではなく、国会に立てるような経験のある人かどうか、という意味合いであると考えられる。
だから通常業務として国会に呼ばれて答弁をできるような、局長クラスの経験者を呼ぶのになんら問題は無いということである。

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2018/03/25

前川氏講演照会・マスコミで言われない池田議員の問題

リンク: 前川氏講演照会の池田議員「地元の懸念届けるのは当然」:朝日新聞デジタル.

池田佳隆衆院議員の対応は非常に問題である。
マスコミではあまり指摘されないいくつかの問題がある。
別に議員の道徳観に問題があるとかそんな思想的な話ではない。

地元からの懸念

まず最初に愛知県民には申し訳なく思う。
衆議院議員(愛知三区)と伝えられたので「こんな奴を当選させた愛知県民は・・・」と思ってしまったのだがとんでもない思い違いだった。

この議員は“地元”愛知三区では落選しており、比例代表(東海地区)で当選、いわゆる“比例復活”。
つまり愛知県民は彼を“落選”させているのだ。
(ちなみに今回3期目だが、2期目も落選しており比例選出)

また愛知の教育現場、この案件のおける県教育委員会や校長の対応、メールのやり取りに対して毅然とした対応をしており、問題は感じられない。
つまり愛知県民は全く問題ない対応・選択をしていたということだからだ。

話を元に戻そう。
「地元からの懸念」というが、比例代表による当選なのだから、「愛知三区(地元)の懸念」に対しては過剰に対応するのは基本姿勢としておかしい。
基本姿勢としては「自民党として」「国民全体に対して」ギリギリ絞っても「東海地区の利益のため」に行うべきである。

この議員のホームページでも「愛知三区」とデカデカと書いてあるが、これもおかしいのは論議するまでもない。

こんな基本的なリテラシー欠如がある人間が「教育」を語るというのは疑問しか感じない。

感想を申し上げた

これもおかしい。あれだけ長いメールであれば単純に「長すぎる」というのが感想として適切である。
一般議員ならともかく、教育行政関係者であり、現場を理解していれば「こんな長いメールに対応するのは大変だろう」と考えて「長すぎるんじゃない?」と感想を言うのが常識的である。

一方的な説明だけで逃げたので推定するしかないが、更に質問量を増やすような感想を述べたとしか思えないわけで、明らかに疑念を持ってしまう。
こんな感覚の人間が教育行政に携わっているのかと思うと目の前が暗くなる。

昨今取り上げられている「教育現場のブラック業態」に対して、行政側の感度が極めて悪いというのも、この程度の感覚(センス)しかない議員が与党の上位にいるのが悪因であるといわざるを得ない。

連絡が取れない状態で申し訳ない

記事にはないが、一週間も音信不通だった理由は明確に語ってもいないし、伝えられていないようだ。

どんな理由があるにしろ、今は通常国会(常会)の真最中である。
国会への登院は任意であるとしても、会期中は国会に詰めているのが常識である。
最低限、秘書を一人は置いて問題(問い合わせ)があれば即時に国会に戻る姿勢が必要である。数時間のタイムラグは仕方ないにしろ一週間はありえない。

「地元の声」には土日でも対応するくせに、国民の声には答えようとしていない。
先の「比例代表での当選」を考えても明らかにおかしい。
これでは「逃げた」としか捉えようがない。

この問題は誰が悪いのか

この議員が悪いのは言うまでも無い。
「法令に基づいた」というが、どの法令なのか明確にしていない。
「地元からの懸念」程度であれだけの質問量を浴びせるというのは明らかにおかしい。
前川氏が言っているように「特定」がありすぎる。
特に公平さが重要な教育において、明らかに不公平に接する態度がおかしい。

比例区の議員であるのだから、責任は愛知県民ではなく自民党にある。
簡単に言えば比例区の順位設定に問題があると言うことだ。

さすがに伊吹元大臣などは苦言を呈しているようだが、現文科大臣は擁護発言しかしておらず、酷いものだ。

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2018/03/21

佐川氏・証人喚問でゼロ回答なら退職金もゼロでないとおかしい

佐川氏の退職扱いは、退職のニュースが流れた時点で気になっていた。
検索しても出てこないのでどうなっているんだろうと思っていたら、昨日国会で回答があったようだ。

リンク: 佐川氏退職金5000万円=懲戒で不支給も-財務省.

「自己都合退職」で「ほぼ規定の満額」とのこと。(とりあえずまだ支給はされていない)

引責辞任でもほぼ満額であると言うことで、まず驚きがある。
特に佐川氏が自ら語った理由であれば、「免職」扱いであってもおかしくないし、降格の上、退職勧告辺りかも知れない(当然退職金は大幅減額となる)。
特にトップの引責辞任であれば自ら減額を申し出るのが世間の常識である。

それでも「特に犯罪行為でもないのだから自己都合退職でも問題ないだろう」という論があるかも知れない。

そこで次の問題となるのは、証人喚問である。

ニュースから自民党筋などの意見として「刑事訴追のおそれがあるので証言拒否」を連発して逃げればいいんだろう」というのがあがっているようだ。
とんでもない話である。
連発すれば退職金ゼロと判断すべきである。

「刑事訴追のおそれがある」というのは「発言によって自分が有罪になりかねない」ということであり「自分が犯罪行為に関わっている」という自覚発言である。
「犯罪に関わった人間」は模範となるべき上級官僚においては論議するまでもなく懲戒免職対象ではないのか。つまりは退職金はゼロとなる。

ひとつやふたつ程度なら減給程度で良いかもしれないが、連発するようであればそれだけの犯罪行為に関わっていることを自白していることになるのだから。

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2018/03/17

前川氏講演へ文科省“調査”:大臣対応も問題

一般報道でもおかしい点が指摘されているが、私が引っ掛かった点について言及されているものがなかったので書いてみたいと思う。

それは国交大臣の対応である。

大臣は「法令に基づき適正に行った」と主張している。

どうも最近この言葉で片付ける風潮が酷いようで呆れている。
この言葉が出てきたら「それはなんの法令か」を追求しないとおかしい。
その上で適正かどうかを判断する必要がある。マスコミがいい加減で伝えていないだけかも知れないが。

ただ、少なくともNHKのWeb記事では言及しているものを見つけた。
ただし再度探したがどうしても見つからないので法名などがうろ覚えなので割愛する。

ともあれポイントとしては「調査ができる」のは「国土交通大臣」であるということである。
文面的には「国土交通大臣が~」と、大臣が「調査」の主語になっている。
つまり一介の役人(部署)が調査できる、とは書いていないのだ。

大臣は「表現に不適切だから担当(?)に注意した」ような記事になっている。
つまり大臣ではなく、特定の部署または担当が行ったということであり、「法令に基づき適正に行った」とは言えないのだ。
このような「虚偽答弁(発言)」を普通に伝えてしまう記者などにも問題がある。

揚げ足をとられないように蛇足しておくと、外部に出す文書の類は大臣が自ら作文するわけはほぼない。そんなことは官僚・会社問わず普通に組織で働いた経験があれば誰でも判ることだろう。
それでも「大臣名の発信」という形式が可能なのは、大臣自らもしくは権限委譲をされた上位者が内容を確認(承認・合意など色々な言葉はあるが)した上で発信する形式になっているからである。
仮に「見ないでハンコを押した」としても、ハンコを押した時点で責任は生じるわけで、押した人の責任になる。
内部でお叱りなどをするかも知れないが、少なくとも外部に出す話ではない。

仮に「法令に基づき適正に行った」のであれば、大臣の言う「表現が不適切だった」というのは、大臣自身が「(私が)不適切な表現で行ってしまった」という表現をしなくてはならない。
最低でも対外的にはそう言うべきだ。

「一部の局が行った」「大臣は知らない」という主張ならば「法令に基づき適正に行った」とは言えない。法令上は大臣がやらなければならないのだから。

メールの中身も問題であり、調査したこと自体も問題であるが、このように大臣が「適正に行った」と主張したこと自体も問題なのだ。

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2018/03/04

蔓延するインチキ裁量労働制が問題

最初に申しあげておくと、本来の主旨の裁量労働制なら賛成である。
安倍総理が言うような「バラ色の職場」になるからだ。
しかし、実態としてあまりにインチキが横行しているから反対せざるを得ないのだ。
もとより日本の職場はインチキが横行しやすい文化が蔓延している。
安倍総理はそのインチキに目をつぶって強行しようとするから問題なのだ。

ただし、騙す会社(雇用)側も悪いが、騙されてしまう社員(雇用)側の問題もゼロとは言えない。
そもそも「裁量労働制」とはなんなのか、なぜかマスコミでも余り語られない。
(まあ、マスコミにとっては“ブーメラン”になるからかも知れないが。)
なので、その辺のごくごく基本的な話だけ書いておく。

なぜ「定額」が許容されるのか

それは会社側がその社員の労働時間を把握することができない、もしくは、把握しないと決めたからである。
時間把握しないから残業代を計算できない。よって「みなし」で払う、とせざるを得ないという理由に立っているのである。

逆に言えば、労働時間を管理していたり、管理しようとしたりしていれば「裁量労働制ではない」。裁量労働にする基本的理由が消滅するからだ。

出退勤時間が決められているというのは論外だが、当然のことながら、「おまえ、○○日の○時に会社にいなかったよな」とか上司が言うようでは、明らかに“アウト”である。
もちろん、朝礼・昼礼・夕礼や定例会議の類もアウト。
定時報告やらメールを送って○分位内に返さなくてはならない、とかいうルールもアウトである。
なんらかの時間的拘束を行っていれば「裁量」を妨げているのでアウトなのである。
可能なのは、全員が参加可能な時間を示し合わせてから行うことぐらいだろうか。

ノルマを課すことも時間の拘束に繋がるのでアウトである。
どうみても1時間かかるノルマ仕事を毎日として課していれば、それは毎日1時間の拘束を課しているためそれは「裁量労働」とはいえない。

偽装「裁量労働制」

社員には「裁量労働制」と言っている一方で、届け出は通常労働という会社もあるそうだ。
裁量労働制と言われて運用が始まったのだが、どうもおかしいと社員がいぶかしんで労働基準監督署に確認したら通常労働だったという事例もあるそうだから、自分の勤務先がそういう実態なら確かめた方が良いかもしれない。

もちろん裁量労働制と届けていても、上記のような実態であれば運用面で虚偽申請であって問題だから、やっぱり確認してみた方が良い。

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「裁量労働制撤回」は初めから織り込み済み?

それにしても安倍政権は人のことを真面目に聞かない政権である。
野党は「裁量労働制の拡大をするな」といっているだけなのに、「裁量労働制すべての法案を削除する」としたのである。

いうまでもないが、裁量労働制というのは現行も存在する制度であって、運用が必ずしもうまく行っておらず、様々な問題を生んでいる。

今回の法案では、規制を強めると同時に対象を拡大をするという内容である。(これは与党議員自身が言っていたことである)
野党も規制は評価するが、現行では規制自体も正常に運用されていない現状で、拡大は許されないというのが論点である。
運用できないのは監督庁の人手不足であり、制度を変えてなんとかなる問題では無い。(これも与党議員自身が言っていたことである)
規制については与野党共に賛成(まともな議論番組では与野党共にこのような発言をしている)なのに、総理は「全部削除しろ」と指示したのだから酷いものである。

その一方で「裁量労働制の拡大」の一種である「高度プロフェッショナル制度」は廃止しないという。
当然野党もこれも撤回の動きをしているが、マスコミでは「今の勢いに乗って」みたいな報道が多くてがっかりする。
論理的に「裁量労働制の拡大」を撤回するのなら「高度プロフェッショナル制度」も撤回はしごく自然な論理である。しかし非論理的な行動をとっている。

もしかしたら「裁量労働制」を撤回したのだからせめて「高度プロフェッショナル制度」は通して欲しい、というシナリオを狙ったのではないかという疑念もわいてくる。
最初から狙いは「高度プロフェッショナル制度」であり、裁量労働制の拡大はどうでもよかったのだ。
今回の「裁量労働制の拡大」は「職種」であり、一方で金額要件だけである「高度プロフェッショナル制度」を実現した方が適用範囲ははるかに拡がる。
しかも、本当はやりたくなかった「裁量労働制の規制強化」についても、「これを潰したのは野党だ」という論理にしたいのかもしれない。
そうであれば「ここまでずさんな醜態」を世間に晒し、異例の撤回をした理由として理解できる。

高度プロフェッショナル制度の法文の問題

高度プロフェッショナル制度に関する法案を知りたいのだが、ネットで検索してもなぜか法案がみつからない。
まだ自民党にしか回していないらしいので未公開なのかも知れない。

報道ではなく、厚生労働省なり公官庁のソースが欲しいのだがなぜか出てこない。(概要はあったがこんなものは都合の良いことしか書いていないゴミなので除外する)

やはり問題となるのは“給与制限”に関するもので、平成27年に提出されたものしかないのでこれを俎上に挙げる。
当然、今回提出されるものとは違っている可能性はある(改悪されている可能性も高い)。

労働契約により使用者から支払われると見込まれる賃金の額を1年間当たりの賃金の額に換算した額が基準年間平均給与額(厚生労働省において作成する毎月勤労統計における毎月きまつて支給する給与の額を基礎として厚生労働省令で定めるところにより算定した労働者1人当たりの給与の平均額をいう。)の3倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること。

文章を読む仕事をしていれば誰でも怪しいところは一発で判る。
まあ、一言で言えば「アウト」だ。

それは「基準年間平均給与額」という怪しげなものである。
これをキーワードに検索しても、この関連の記事しか出てこない。
この法案のために作られた“新定義の言葉”であることが極めて濃厚である。
つまりは、この制度のために“数字をでっち上げる”ことが可能であると言うことである。
汎用の数字である場合、他のものでは不利な数字となるためなかなか捏造は難しくなってしまう。そのため、この制度専用の“数字”を作ろうとしているのではないかと疑念を持つのが普通の感覚であろう。
そもそも「三倍」自体が根拠が不明なのだから、もっと「旧来からある公明正大な数字」を使って算定すべきである。

厚労省以外が公表しているようなこれに相当する数字があると良い。
内閣府でも良いだろう。内閣にとって「国民の平均給与が上がった」はプラス評価であり、逆はマイナス評価である。
内閣(政権)の評価として、意味不明の数字を振り回して「景気が良くなった」などと言ってみても「平均給与」が上がらねば景気対策が成功したとはとても言えない。
だから下げる数字は出しづらい論理が働くと考えられる。
なお、厚労省は「下がったので対策予算下さい」論理が成り立つのでこの件に限らずともダメなのである。

さて、気になる点はもうひとつある。

括弧付きで長々と意味をとりづらい言葉を並べている部分である。
特に怪しいのは「・・・を基礎として厚生労働省令で定めるところにより算定した・・・」である。
役所言葉で「基礎とした」は「参考にして」ぐらいの言葉と考えた方が良い。
「確かに数字はそうであるが、それらを基礎にして算定した結果・・・」とか言ってねじ曲げても不思議ではない。
また「省令で定める」も怪しい。「省令」とは厚労省が作って発行するものであり、要は「俺様ルール」であり、全く縛りにならない。

役人や役所をもっと信用しろといっても、特に昨今の厚労大臣や役人の国会答弁を見ていれば「それは無理だろう」と言わざるを得ない。
言葉の定義を都合良いようにとったり、意味不明の答弁を繰り返したりして言い逃れを続けていたのである。
残念ながらこんな人達を信用できるわけがない。

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