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2018/02/04

東名高速“殺人事件”

この事件についての送検が行われるという報道があった。
当初からの報道通り、道交法だけの事故として処理されるようで、私は全く理解出来ない。
その後の報道や各種サイトも読んでみたが、「殺人事件でも処理すべきだ」という観点の記事もあるが思った以上に少ない。
その一方で道交法限界論の方がむしろ多く、多少の落胆をせざるを得ない。(しかもその論には対しては理解を示すことは出来ない)
通勤に自動車を使わざるを得ず、毎日運転を余儀なくされているドライバーの一人として憤りを納められないので記事を書きたいと思う。

最初に私の観点を述べておくと、私はそんなに自動車の運転は好きでは無い。
「運転自体、面倒臭いし疲れるのであまりやりたくない」というのもあるのだが、もうひとつの大きな理由として交通行政や交通法規の問題とそれを解決しようとしない姿勢にウンザリしているから、ということもある。

なぜ道交法だけで裁こうとするのか

危険運転か否かで論議している時点でズレているのでは無いのか。
検察やら警察やら、自分達で「運転によって死に至らしめたわけではない」と言っているのだから、道交法で裁こうとすることがそもそも間違っているという考えにならないのか。
ごく単純に刑法(殺人か過失致死かで裁くべきものでは無いのか。

今回の案件の事実関係を改めて見直すと
(a)危険な運転行為(著しい進路妨害や急停止等)によって無理矢理被害者の車を停止させた(加害者。被害者共に停車状態)。
(b)その後、加害者が車から降りてきて、被害者を車から引きずり出した
(c)後続車がぶつかって被害者が死亡した
両方の車は停車し、しかも加害者と被害者は車中にいないのだからどうみてもこの“事件”は“交通事故”では無い。

(b)がなければ、つまり後続車がぶつかった時に被害者が自動車の中にいた場合、現在の自動車の安全性能から考えて死に至ることはまずない。
事実、被害者の車に同乗していた子供(未成年者)二人は重傷にもなっていない。一方で、自動車から出された/出てしまった二人は死に至ってしまった。

両者とも“運転席にいる状態”で後続車が衝突したのであればそれは交通事故だろうが、今回の事件は違う。

加害者を死に至らしめた重要な要因は(b)の行為ではないのか、と考えるべきである。
逆に言えば(b)がなければ私も道交法の範囲内でしか処罰はできないと思う。

中には(b)は同乗者(家族)の証言であるから“引きずり出した”という行為について信憑性の問題が、という話も有るが、それならばその点も含めて提訴すべきでは無いのか。
親を失った未成年の子供の現場証言を疑い無視するというのもかなり気の毒な話では無いのか。

この行為がたまたま運転者と同一であったから“交通事故”で処理しようとしているようだが、仮に同乗者が行ったらどうなのか。運転者が裁かれるのか、それとも同乗者が裁かれるのか。
道交法において運転への影響が認められない同乗者が裁かれることはありえない。
加害者を引きずり出したのが運転者なら道交法、同乗者なら刑法であればそれこそおかしな話では無いのか。

今回の案件を“道交法の限界”または“想定外”と語る専門家も多いように見えるが、その“限界”はこれが運転の延長であると無理に考えようとするからもではないのか。
両者が停車し、車外に出た状態において起きた事故(事件)なのだから“道交法”で裁けるわけがない。

加害者も危険状態だから殺人(過失致死等)は問えないのか

この論点はよく語られたが、私には全く理解出来ない。
仮に、落下すれば険しい山中の不安定な吊り橋(落ちれば死は確実)で、もみ合いになって一方が転落して死亡したとしよう。
「両方とも死の危険があったのだから、落した人は無罪放免」になるのか。
(一方的に絡んできた方が死んだ場合なら「過失」「情状酌量」などで「執行猶予」がつくとしても)有罪は免れないのでは無いのか。
逆に周囲の聞き取りから絡んだ方が落したら「情状酌量」はもちろん「過失」すら疑わしいとされても仕方ないのではないのか。

このような刑法による処罰も問われないとおかしいのではないのか。
一人の人間に複数の罪状で起訴されることになんら問題は無いはずなのだが、なぜそういう議論にならないのだろうか。

これは邪推だが、当初は交通事故で処理されたため、現場検証などは交通課による範囲でしか行われておらず、傷害・殺人事件としての検証や捜査がされていないためではないのか、と思ってしまう。
そうだとすれば「道交法の限界」ではなくて、警察のセクショナリズムの限界となる。

なお、この場合は以下のような関係となる。
(1)刑法…死亡した二名を殺意もしくは過失による致死
(2)道交法…危険運転により、被害者の車の破損と同乗者の二名への傷害を誘発

交通事故観点の論議

今回の事例で言えば、関係するのは三台の車の運転行為である。
(A)高速道路の追い越し車線において故意に停車したこと(加害者の運転)
(B)同じくその車にあわせて停車したこと(被害者の運転)
(C)停車している車に衝突したこと(後続車の運転)
この三者について過失配分を考えることになる。

この観点であまりハッキリとした見解がテレビなどであまり語られないのが私としては大いに不満である。

(B)については安全確保の行為として認められないとおかしい。
停車の事前に前方の低速走行を回避するため追い越そうとしても妨害されたという。
その状態で停止されたら、後続車として停止せざるを得ない(それ以上は車を相手にぶつけるしかない)。
あえて可能性を言えば、まだ速度がある内に最悪でも第一車線、路側帯に寄って自ら停車すべきだったか、という程度の選択肢しか無い。それも第一車線の状況や前方車の妨害行為次第となる。

(C)についても回避出来たかというとかなり難しいのではと考えられる。
前方車の減速、最悪で急ブレーキへの対応ならともかく、完全に停車しているものに対しての制動距離を考慮して車間をあけることは現実としてありえない。
そもそも、高速道路においては停車するのなら路側帯に寄る、または退避地に入るべきだし、ましてや追い越し車線で停車しているなど万が一にも想定していない。
高速道路は最低速度が規定されているぐらいであり、停車禁止なのだから。
特に夜は認識出来るのは後方の車幅ライトだけであり、特に今回の様な比較的大型の車ではライトが高い位置にあるために車はまだ遠方にあると錯覚しやすい(これは一般道や敷地内等の低速走行時ですら起きがちな事故要因)。
なお、今回の案件においては過失は問われなかったという報道もある(この辺はあまりハッキリ報道されていないのが困る)。

そうすると (A)の行為にほぼ100%の過失があるという配分にしないと交通秩序が崩壊する。

つまり、前項の(a)だけでも「危険運転過失傷害」に問うべきである。
その上で更に刑法で殺人罪もしくは過失致死傷(恫喝も行っていたらしくこの点も看過出来ない)も問うべきでは無いのか。

蛇足ながら、これはあくまで高速道路という特殊状況だからであり、一般道では停止車が過失を問われることはほぼゼロで、ぶつかった方がほぼ100%過失となるので勘違いなさらぬよう。

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