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2018/02/18

裁量労働制拡大がダメな理由

なぜ裁量労働制拡大がダメなのか

裁量労働制は自由にできるから良いのでは無いか、という短絡的思考をする人も多いようだ。
野党が反対しているのを見て短絡的に批判をする人もいる。

これに関連して“捏造資料”に問題もニュースで大騒ぎになっている。
私は総理を攻撃するのは少々可哀相だという感覚でいる。
捏造(ミスリード)はとりわけ最近の公官庁資料ではひどくなっていて、総理自ら“引っ掛かってしまった”感があるのだ。
もちろんこれをやったのは官庁であり、総理大臣は形式上彼らの長であるから自業自得である。
とはいえ、最近の行動をみると“ざまあ”と言われても仕方ないかもしれない。

そもそも裁量労働制とは

まず、みなし残業という制度があってこれが問題視されることもある。
もちろん「みなす」時間の算定に問題があるのも議論の対象だが、今回は割愛する。

それ以前に、そもそもなぜみなし残業という制度になるのか。
それは時間で拘束できない/しないからである。
つまり勤務時間管理をしない、労働者への時間拘束をしないというのが前提にある。
時間管理ができない以上、基本的には「残業」というものは計算しようがないというだけなのだ。
(ただし深夜労働など「深夜に行った」という事実は証明しやすいからか算定される)

ある見方で言えば、「みなし残業」と「勤務時間の無拘束」とはセットである。

まともに運用されていない実態

ところがである、勤務時間管理、時間拘束をしながら「裁量労働制」と言い張って「みなし残業」を実施している企業が、なんと全体の4割もあるというのである。

例えば「裁量労働制」であるのに「午前9時出社」であるというもの。

ここまで露骨なものは別として、例えば「任意で朝礼を行う」(出席は任意)としておきながら使用者側がわざと重要事項の伝達をするという手法も容易に思いつく。

わざと重要会議を朝早く行い、出席させるというのもある。これも任意だが出ないと業務の進行に“支障が出る”、“業績評価に不利に働く”等に繋がるように仕向けておく。

通常の会社でも重要会議を夜遅くに行うという手法をとって特に管理職を縛るということも行われる。
こういう“慣習”が根強い会社で裁量労働制を行えばどうなるのか容易に想像がつく。
実際に私の勤務先では一時的にフレックス労働制度が導入されたが、重要な会議はたいてい朝に行われるという慣習は続いた。酷いときには「フレックスだから」(早出(残業)申請の手間がないから負担がなく良いだろうという意味らしい)といって早朝に行うというまったくはき違えた事例もあった。
もちろんフレックスの“常識”では会議等は原則として“コアタイム”に行うものである。

おかしな制度を拡大するのか

このような実態がおきるのは、単純に考えてまともに制度が機能していないからだということになる。

制度の問題なのか、運用の問題なのかは判らない。
会議や打ち合わせ(朝礼なども含む)においての出席をどうするのか(これによりどこまで縛るのか)という問題もある。
これは法律と言うよりガイドラインレベルの話かも知れない。
この論議もここでは割愛する。

どうであれ「まともに本来の主旨で運用されていない制度で、対象範囲を拡大しようとしている」という点では異論を挟みようがないはずなのだ。
もちろん、どんな良い制度であったとしてもだ。

しかしここを論点としないで、今の国会では「捏造」問題で荒れているようだ。

調査データの「捏造」問題

ぶっちゃけて言えば、こういう官僚の「捏造」は日常茶飯事である。

昨今、特に酷いのか、私が気づくようなレベルアップしたためなのか「公式資料」のウソ捏造がとても気になる。

捏造の言葉が過ぎるのなら「ミスリード」と言っても良いし「結論ありきでデータを積み上げているだけ」とも見える。

例えば「原発関連」が酷いのが言うまでも無いだろう。

このミスリードに繋がっているのが「エネルギー政策」である。
日本は世界的に見て自然エネルギーの「エネルギーミックス」目標は最下位レベルである。
二割程度とは普通の感覚を持っていれば耳を疑う、怒りすら感じるレベルである。
例えば中国などは八割をぶち上げているし、あの原発大国フランスですら五割程度を目標としている。

普通にデータを積み上げれば、日本は自然エネルギー大国であり、世界でも羨まれるレベルである。
いうまでもなく化石エネルギーは最貧国であり、核燃料も海外頼みである。
そうなれば普通に考えれば自然エネルギー十割を目指す、ぐらいでも良いぐらいである。
これらを踏まえて外国人が普通に思い至るのは「原発をここまで維持したいのは原爆が欲しいから?」であろう。

他にも疑わしいのが年金関連である。
年金が危ない、とはよく言われるが、これも大分いい加減に見える。
ざっくりと収支を検証したり、普通に考えれば危ないのはあくまで「国民年金」であり、「厚生年金」は殆ど問題ない。
厚生年金は収支をみるとほぼ均衡しており問題がない。

ちなみに「ざっくり」というのはこれらの数字について調べようとすると、驚くべきことに「表を紙に出力したものをスキャンしたもの」が公式のサイトに掲載されているのだ。
ちなみにこれをOCRで認識しようとしても誤認識だらけで使い物にならないほど品質が悪い。
これではデータを提供したというアリバイづくりでしか見えない。

こういうのが官庁関係には蔓延しているのだ。
先に「省エネ性能カタログ」について論評したがこれも同じ話だ。

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2018/02/16

ひさびさのヒット「キラキラ☆プリキュアアラモード」

リンク: 「キラキラ☆プリキュアアラモード」が大成功を収めた5つの理由 (2/4) - ねとらぼ.

なるほど。自分的にも久々に見ていたシリーズだったが、世間でも大成功だったらしい。
初回作「ふたりは~」からかならず数回程度はチェックしているのだが、初回作、二作目以降は結局は最後までみないでスルー状態が続いていた。
マジカルは半分程度までは見ていたが、途中でつまらなくなってしまった。

今回作が良かったのは、久しぶりにみな“キャラが立っていた”ことだったと思う。
初回、二作目あたりは「ふたりは~」とついていた通りそのふたりが対称的な二人だったからこそ面白かった。(三作目も「ふたりは~」だったがマンネリ感が勝っていた)

それ以降は「なんでこんなに人数がいるんだ」「キャラの差がよく分からない」というのが致命的だったのではないだろうか。
「戦隊もの」もそうだし「RPG」のパーティなどは正にキャラが違う、役割が違い、それぞれがスペシャリストだからこそ、多人数で組んでいる意味がある。

今回はその原点に返ったという感じがある。
トップのいちかは純粋無垢で裏表がなく、ぐいぐいとチームを引っ張っていく。
テンプレ通りのキャラだ。
他のキャラも同様にキャラ分けされており、セーラームーンレベルのきちんとした“棲み分け”である。
これくらいはっきりと色分けされてこそ「君は誰派か?」という話題が面白いのである。

コンテンツ力の強さも確かにあります。
久しぶりにポップで可愛らしい、線の柔らかさや色使いを見たような気がして、卓越したできばえです。
キャラデザ自体もプリキュアは初回からツンツンとした感じのものが多かったですが、プリキュアの前作のおジャ魔女シリーズのような可愛らしいタッチでとても好みです。

深夜アニメの多くは凄いんだけどギスギスした絵柄が多いので辟易としてきます。
このポップな感じがなぜかさらに強く出る戦闘シーンもよくわからないんだけど凄いです。
「食い物で闘うなよ」とツッコミをいれたくもなりますが、それを超越します。
冷静に見ると異様に複雑でややこしい動きですし、色使いも良い意味で理解を超越して画面が展開します。
普通に肉弾戦の方が楽じゃないかというほど難易度が高いのではと思います。

そして今回の作品の卓越したものは確かに「ぶれない個性」を前面に押し出し、曲げる必要はない、お互いに認め合えばいい、ということで突っ切っています。
これが実に気持ちよいし、いまどきの世相を反映して素晴らしいんじゃないでしょうか。

かなり心理的にディープな描写をするアニメでも意外とないですし、ましてや“まだ純粋な子供”にそういう態度をさせるというのはなかなかないでしょう。
「大人の態度として相手を尊重する」という感じになってしまうからです。

少々驚くぐらい感心したのが敵からプリキュア側に寝返った後の「ビブリー」の扱い(描写)です。
ここまで「敵だった頃の言動とぶれない」キャラは珍しいのではと思います。
それでも、そういう行動も認め「ああだけど彼女も楽しんでいるんだよ」というかのように受け入れます。
誰かに「もっと楽しそうにしなよ」とか言わせがちです。でもそれはしません。
そこが素晴らしいです。
「こういうときはもっと楽しそうな顔をするもんだよ」とか言いがちです。
でも当人は楽しいし、無理に笑おうとすれば変な顔になってしまう人だっているのです。
それが苦痛な人だっているのです。

これもお約束なのですが「今日は○○の回」という話がちょくちょくあります。
べたですが、これはやっぱり必要だと思います。

新しい試みをたくさんやったという一方で“温故知新”、昔からの良いパターンというのを改めて整理して丹念に当てはめていったことも成功の要因ではないでしょうか。

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2018/02/10

プロダクトプレイスメント

リンク: 『君の名は。』の大ヒットで、プロダクトプレイスメントは日本にも浸透するか - コミュニケーションとマーケティングとオレとオマエと男と女と酒.

プロダクトプレイスメントってなんぞや、と思ってこの記事を読んだわけです。
要するに話中に実在の企業名や製品名を出すことのようです。

この記事中には「君の名は。」の話が出ていますが、サントリーが話中に出ていたとのことですが、私がTV放映で見た時は特定企業名もしくは製品名が出ていたことにすら全く気がつきませんでした。
言われてみればこの記事にあるショットは確かに印象にあります。
それはボトルの描写になんか違和感があったなあ、と思い出しますが、この作品自体にあちこち違和感があって「この作品の変な芸風のひとつ」と認識していてその中に埋もれてしまったのかも知れません。

作品中に作品を出すという考えを私が最初に聞いたのは、某ゲーム機用の某格闘ゲームでのことです。
「ペプシマン参戦!」というもので、当時ペプシのCMで頻繁に登場していたペプシマンを有名格闘ゲームの格闘家の1キャラとして出そうという試みでした。
私的には「いいぞ、もっとやれ」って感じでしたし、ゲーム雑誌の受けや私の周囲のゲーマーの反応も良い方だったと思います。

その後もゲームにはちょくちょく実名企業が街中の看板で出てくるようなものがあったように思います。
特に無料ソシャゲなら邪魔なバナー広告出すならもっとこういうのをやればいいのにと思うのですがね。

企業名前面で思い出すのが、アニメ作品「Tiger & Bunny」でしょうか。
広告としては苦笑するほど露骨でした。
設定としては近未来あたりで「ヒーローによる救出劇や重大事件解決等をエンターテイメントとして魅せる」企業とその“従業員”の物語です。
企業はコンテンツ収入だけでは経営できないので広告収入も求めるというリアルな設定です。
ヒーロー達はデカデカと企業ロゴの入ったコスチュームを着る(まあ、昨今のプロスポーツ選手と感覚は同じでしょう)わけでこれが余りにも露骨で笑えるレベルに昇華しています。
作品自体もよく出来ており面白かった(素晴らしいと言っても良いレベル)ので特に批判もなかったのではと思います(深夜番組発ですが映画化もされたので評判も良かったと思われます)。

ここまで露骨でうまくいくのは珍しい例で、よほどうまくやらないと反感を買うだけでしょう。

基本的には私はこの方向は賛成で、記事中にもある「ネイティブアド」であればどんどんやれば良いと思います。
ただし、スポンサー圧力で作品がおかしくなるのという懸念はあります。

記事中では「特に日本人は、芸術作品などに商業的なニュアンスが結びつくことを嫌う傾向がある」とありますが、私はちょっとズレがあると思います。
日本企業はスポンサーだからといって作品中で目立つような映像処理を要求したり、作品自体に口を出すような(例えば作品名を連呼するなど)ことをやりがちなのが問題なのではと思っています(過去にも苦笑する事例がありましたから)。
昨今始まったことではなく、作品中に広告を出さなくとも、スポンサーだからと言ってスタッフやキャストならともかく、脚本、挙げ句の果てにできあがった作品にすら口を出す事例も聞きます。
そういうスポンサー側の姿勢が制作側から嫌悪されているのではないでしょうか。

普通に街の自動販売機がコカコーラだったりダイドーだったりする分にはなんら問題なく、わざわざ不自然なカット割りで避けたりせず、ごく自然なカットで映せば良いのです。
ただ、それが難しい、というのは理解できます。
劇中でいかに自然に“登場”させるか、それをいかにうまくスポンサードに結びつけるか。
そこのノウハウを日本の作品側も、スポンサー側の企業側も積み重ねていく必要があるのでしょう。

現在(2108年2月)放映している作品では「弱虫ペダル GRANDE ROAD」ですが、レース会場の広告看板がそうですし、CMもコラボCMを作っています。
問題なのは今回のストーリー運びが不自然で作品として薄いのです。
今作は3クール目なので前作と差が際立ってしまうと言うのもあります。
ほんの数分の出来事(レース)を何話も使ってやっているわけで「昔の週間ジャンプアニメかよ」とツッコんでしまいたくなる感じです。

もうひとつの試みとしてCM自体を面白くするという試みもあると思います。
深夜アニメでは「ろんぐらいだぁす」での一迅社のCMは毎週違っていて面白いものでした。
またアニメを連載している雑誌の宣伝も多いですが、そのアニメキャラとして雑誌や他作品の紹介も良いものです。
アニメじゃなくてもソフトバンクやauのCMは作品として面白いものを作っていてこれだけは見てもいいというものがあるでしょう。少し前なら大和ハウスのCM(役所広司さんが良かった)は面白かった。
家電業界でもパナソニックのシニア向けシリーズや町の電器屋さんシリーズは面白い。

高いギャラの有名人を使って抽象的で意味不明のCMを作るのではなく、商品同様にCMでもお客さんが欲しいものを提供するという観点が必要なのではないでしょうか。

健康商品だけは好調と言われますが、これらはよくみれば多くのCMはきちんと商品説明をしており、テレビショッピングになっている長時間CMも珍しくありません。
「詳しくはWebで」が(揶揄する意味合いも含めて)流行りましたが、これに反感を持つ人も珍しくないのではと思います。

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2018/02/04

東名高速“殺人事件”

この事件についての送検が行われるという報道があった。
当初からの報道通り、道交法だけの事故として処理されるようで、私は全く理解出来ない。
その後の報道や各種サイトも読んでみたが、「殺人事件でも処理すべきだ」という観点の記事もあるが思った以上に少ない。
その一方で道交法限界論の方がむしろ多く、多少の落胆をせざるを得ない。(しかもその論には対しては理解を示すことは出来ない)
通勤に自動車を使わざるを得ず、毎日運転を余儀なくされているドライバーの一人として憤りを納められないので記事を書きたいと思う。

最初に私の観点を述べておくと、私はそんなに自動車の運転は好きでは無い。
「運転自体、面倒臭いし疲れるのであまりやりたくない」というのもあるのだが、もうひとつの大きな理由として交通行政や交通法規の問題とそれを解決しようとしない姿勢にウンザリしているから、ということもある。

なぜ道交法だけで裁こうとするのか

危険運転か否かで論議している時点でズレているのでは無いのか。
検察やら警察やら、自分達で「運転によって死に至らしめたわけではない」と言っているのだから、道交法で裁こうとすることがそもそも間違っているという考えにならないのか。
ごく単純に刑法(殺人か過失致死かで裁くべきものでは無いのか。

今回の案件の事実関係を改めて見直すと
(a)危険な運転行為(著しい進路妨害や急停止等)によって無理矢理被害者の車を停止させた(加害者。被害者共に停車状態)。
(b)その後、加害者が車から降りてきて、被害者を車から引きずり出した
(c)後続車がぶつかって被害者が死亡した
両方の車は停車し、しかも加害者と被害者は車中にいないのだからどうみてもこの“事件”は“交通事故”では無い。

(b)がなければ、つまり後続車がぶつかった時に被害者が自動車の中にいた場合、現在の自動車の安全性能から考えて死に至ることはまずない。
事実、被害者の車に同乗していた子供(未成年者)二人は重傷にもなっていない。一方で、自動車から出された/出てしまった二人は死に至ってしまった。

両者とも“運転席にいる状態”で後続車が衝突したのであればそれは交通事故だろうが、今回の事件は違う。

加害者を死に至らしめた重要な要因は(b)の行為ではないのか、と考えるべきである。
逆に言えば(b)がなければ私も道交法の範囲内でしか処罰はできないと思う。

中には(b)は同乗者(家族)の証言であるから“引きずり出した”という行為について信憑性の問題が、という話も有るが、それならばその点も含めて提訴すべきでは無いのか。
親を失った未成年の子供の現場証言を疑い無視するというのもかなり気の毒な話では無いのか。

この行為がたまたま運転者と同一であったから“交通事故”で処理しようとしているようだが、仮に同乗者が行ったらどうなのか。運転者が裁かれるのか、それとも同乗者が裁かれるのか。
道交法において運転への影響が認められない同乗者が裁かれることはありえない。
加害者を引きずり出したのが運転者なら道交法、同乗者なら刑法であればそれこそおかしな話では無いのか。

今回の案件を“道交法の限界”または“想定外”と語る専門家も多いように見えるが、その“限界”はこれが運転の延長であると無理に考えようとするからもではないのか。
両者が停車し、車外に出た状態において起きた事故(事件)なのだから“道交法”で裁けるわけがない。

加害者も危険状態だから殺人(過失致死等)は問えないのか

この論点はよく語られたが、私には全く理解出来ない。
仮に、落下すれば険しい山中の不安定な吊り橋(落ちれば死は確実)で、もみ合いになって一方が転落して死亡したとしよう。
「両方とも死の危険があったのだから、落した人は無罪放免」になるのか。
(一方的に絡んできた方が死んだ場合なら「過失」「情状酌量」などで「執行猶予」がつくとしても)有罪は免れないのでは無いのか。
逆に周囲の聞き取りから絡んだ方が落したら「情状酌量」はもちろん「過失」すら疑わしいとされても仕方ないのではないのか。

このような刑法による処罰も問われないとおかしいのではないのか。
一人の人間に複数の罪状で起訴されることになんら問題は無いはずなのだが、なぜそういう議論にならないのだろうか。

これは邪推だが、当初は交通事故で処理されたため、現場検証などは交通課による範囲でしか行われておらず、傷害・殺人事件としての検証や捜査がされていないためではないのか、と思ってしまう。
そうだとすれば「道交法の限界」ではなくて、警察のセクショナリズムの限界となる。

なお、この場合は以下のような関係となる。
(1)刑法…死亡した二名を殺意もしくは過失による致死
(2)道交法…危険運転により、被害者の車の破損と同乗者の二名への傷害を誘発

交通事故観点の論議

今回の事例で言えば、関係するのは三台の車の運転行為である。
(A)高速道路の追い越し車線において故意に停車したこと(加害者の運転)
(B)同じくその車にあわせて停車したこと(被害者の運転)
(C)停車している車に衝突したこと(後続車の運転)
この三者について過失配分を考えることになる。

この観点であまりハッキリとした見解がテレビなどであまり語られないのが私としては大いに不満である。

(B)については安全確保の行為として認められないとおかしい。
停車の事前に前方の低速走行を回避するため追い越そうとしても妨害されたという。
その状態で停止されたら、後続車として停止せざるを得ない(それ以上は車を相手にぶつけるしかない)。
あえて可能性を言えば、まだ速度がある内に最悪でも第一車線、路側帯に寄って自ら停車すべきだったか、という程度の選択肢しか無い。それも第一車線の状況や前方車の妨害行為次第となる。

(C)についても回避出来たかというとかなり難しいのではと考えられる。
前方車の減速、最悪で急ブレーキへの対応ならともかく、完全に停車しているものに対しての制動距離を考慮して車間をあけることは現実としてありえない。
そもそも、高速道路においては停車するのなら路側帯に寄る、または退避地に入るべきだし、ましてや追い越し車線で停車しているなど万が一にも想定していない。
高速道路は最低速度が規定されているぐらいであり、停車禁止なのだから。
特に夜は認識出来るのは後方の車幅ライトだけであり、特に今回の様な比較的大型の車ではライトが高い位置にあるために車はまだ遠方にあると錯覚しやすい(これは一般道や敷地内等の低速走行時ですら起きがちな事故要因)。
なお、今回の案件においては過失は問われなかったという報道もある(この辺はあまりハッキリ報道されていないのが困る)。

そうすると (A)の行為にほぼ100%の過失があるという配分にしないと交通秩序が崩壊する。

つまり、前項の(a)だけでも「危険運転過失傷害」に問うべきである。
その上で更に刑法で殺人罪もしくは過失致死傷(恫喝も行っていたらしくこの点も看過出来ない)も問うべきでは無いのか。

蛇足ながら、これはあくまで高速道路という特殊状況だからであり、一般道では停止車が過失を問われることはほぼゼロで、ぶつかった方がほぼ100%過失となるので勘違いなさらぬよう。

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2018/02/01

またもWindows10大型アップデートで不具合

今度は「windows fall creators update」とか言うそうだ。
日本(韓国もだっけ?)では今は受験シーズン真っ只中というのに、「fall」とは喧嘩売っているのかと思うのだが、いかがなものか。
秋ならfallも分かるのに今はもう冬なのにである。
英語の単語としてもfallはあまり良い意味は無いと思うのになぜにfallなのだろうか。

まあ、それはともかく、大型アップデートで予想通り、またも不具合発生した。
もう、いい加減にして欲しい。

まず、アップデート自体にも不具合があった。
「再起動して更新」をすると更新があっという間に終わったのだ。
そんな速いのかといぶかしみ半分で作業をしたのち、寝る前に電源をオフすると更新が始まった。
やっぱり不具合だったかと思いながら、それでも勝手にさせておいて寝たわけでそれはどうでも良い。
腹が立つのは翌日電源を入れると延々と更新で待たされたことだ。
さらにログインすると今度はまたアプリケーションのアップデートとかほざいて待たされた。
まあ、前回も同じ感じだったと事を思い出したが、この改善しなさっぷりは酷い。

再起動をして時間がかかりそうだったらちょっと外に出かけようかと思ったが、そうはさせまいと「再起動で更新」に不具合を仕込んで嫌がらせでもしたかったのだろうかと思わざるを得ない。

それはさておき、解決に無駄な時間をとられた不具合の本論に行く。

前回と同じく、ネットワークデバイスが反応しなくなるという症状。
ググってみたら自分のブログが出てきて「ああ、そうだ、前回もネットワークだっけ」と思い出したほど最近は記憶力がなくなっていたのだが。
ちなみに前回はネットワークドライブが認識出来ないという不具合やRAMDISKが時々おかしくなるという症状もでていて、これに苦心したのでそちらは忘れていたのかもしれない。

で、前回はドライバを更新すると治ったのだが、今回はダメ。
更新して再起動すると治っているのだが、また翌日起動する(電源を切ってから再度起動する)だとダメということが分かった。
つまり、電源オフから起動するとダメで、再起動すると治るので、Windowsの問題であることは疑問の余地は無い。(ググると同様の症状の方がおられるようだ)

こういう障害ということはまさか高速起動絡み?とようやく思いあたった。
前回、ネットワークドライブ繋がらずなどの解決策として高速起動は切っていたので「まさか勝手にまたONにしてないよな」と意識の外にあったのだが、他に手がないので確認すると勝手にONになっていた。
「ふざけんなよ」と悪態をつきながら高速起動を切って確認をすると治っていた。

ちなみに「ネットワークドライバ」の「電力管理」のうち、「Wake ON LAN」等を切ると治ったという症例も見かけてやってみたのだが、これは効果が無かった。
現在は切っているのでもしかしたらこれとの合わせ技で治ったのかも知れない。
(こんなクダラナイ不具合には付き合いきれないので確認は省略する)

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