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2017/11/25

「小学校のプログラミング必修化」はただの問題すり替えでは?

私は一時期はプロのプログラマであり、今は事務職でアマとしてプログラムで遊んでいます。
というか、趣味の1つがプログラムであり、中学生の頃からその魅力に取り憑かれ、今に至るまで長くやっている趣味であると言えます。
なので「小学生にプログラミング」なんて話を聞くと人よりは興味を持ってしまいます。

四半世紀前などは「プログラムが出来るようになる人は興味を持った人の100人に一人」なんて言われており、凄く高嶺みたいにいわれていた時代もありました。
当時のPCなんてものは、ちゃちなものでも安めのものでも十万円前後(モニタは別)であり、そこそこのものを買えば数十万円ですから、相当の決心が必要です。
そんな金をかけて使えるのはBASICというちゃちな言語が通常であり、それ以上を望むと何万円単位でさらにハードルが高くなります。
しかもそれで出来ることと言ったら…今となっては恥ずかしくて言えないレベルです。

今では例えばラズベリーパイでSDメモリ込み、キーボード、マウスをつけても1万程度でいけるでしょう。モニタは液晶テレビで良いのです。
これでC言語はもちろん、Perl、PHP、Python、JavaScriptやJavaやら色々な言語が使えます。
もっとPCらしい、WindowsPCですら数万円程度です。

こんな社会環境が整っているのに、なんでわざわざ学校で教える必要があるんだろう。
私は不思議でなりません、と言いたい感じなのです。

小学校で教えることには私は疑問があります。
別に初等教育でやっていく必要を感じないからです。
せいぜい「自動車の運転が出来る」レベルのスキルであると考えているからです。
運転だって趣味にしている人もいますし、運転のプロも存在します。
じゃあ、自動車の運転を初等教育でやりますか?ということです。

反対する大きな理由は、小学校の現実があるのです。

日本の小学校教師というのは過酷な職業です。
英語教育でも悩まされ、今度はプログラミングが加わります。
これらがなくても大変なのに、この2つが教師をさらに苦しめることになります。

大変な要因の1つが一クラス一人担当という制度です。
全教科を一人で教え、しかも生活指導も含み、休日返上での指導、生徒や親への対応とまるでブラック企業です。
しかも生徒全員に“平等に接しろ”とか無理ゲーです。
まあ、これは小学校の教師という職業の選択上、ある程度の覚悟はあるのだとは思いますが。

もうひとつが部活動の存在です。
上記だけでも酷いのに、更にこれに部活動の指導や部員達という担当生徒が増えます。
文化部ならまだしも、運動部だと休日の練習や他校交流試合、大会などがあり、生徒を乗せて自分で運転して移動したり等、とんでもない負荷がかかります。
時々痛ましい交通事故が報道され、教師を非難する声も出ますが、どんな理由がつけられていても私はその教師を責める気にはなれません。
この点は諸外国では「コーチ」「監督」などの専任者がいるのが普通であり、担任教師が兼任するようなことは少ないようです。

よく、教師は夏休みやら休みが多い、と言われるようですが、長期休みは部活顧問を持っているとまずゼロ状態のようです。
顧問がなくても様々な研修・勉強会などで休みが無いのが普通のようです。
さらに教育委員会やら文科省やらの“調査協力”やら事務仕事がごまんとあるそうです。

長々と書きましたが、要するに小学校の現場に「英語」やら「IT」やらをぶっこむのなら、まずはこういうブラック同然の現状を解消しろ、という話です。

例えば私は「学校の部活動なんて廃止すべき派」です。
諸外国では専任者と書きましたが、そもそも地元のスポーツクラブでプロ指導者が指導するのが通常なので、学校の部活は中途半端とされます。
(日本でも「高校野球ー甲子園ープロ野球」という“キャリアパス”は特殊な例であり、他のプロもしくはそれに準じた社会人アマ(=兼任プロ)は部活経由なんて殆ど見られないのも現実です。多くの日本人は「甲子園・夏の高校野球」に美徳を感じているようですが、私には奇異な虐待にしか見えません)

もっと腹立たしいのは以下のような経産省の発想です。

リンク: いよいよ来る、小学校からプログラミング必修化.

このような動きには、もちろん理由がある。経済産業省が2016年6月に発表したところによると、IT系人材(IT企業及びユーザ企業情報システム部門に所属する人材)は、現在の人材数は90万人に対し、約17万人不足している。今後2019年をピークに人材供給は減少傾向となり、より一層不足数が拡大する予定だ。社会がIT人材を求めており、人材育成は急務となっているのだ。

「たかが」二割足りない程度で、しかも全労働人口からすれば微々たる問題に対して、学校教育で対応するというのは、私の感覚では反対をせざるを得ません。

ブラックブラックと言ってきましたが、奇しくも「(日本の)IT産業はブラック企業比率が非常に高い」という現実があります。
「新3K」や「IT土方」という言葉も現在のIT系企業の問題点を指摘しています。
これらの問題点は「人日算定」「人海戦術」で解決しようとする企業の体質が根っこにあるからであり、それを経産省が追認しているかのような発言に聞こえてしまうこともあります。

そもそも、IT企業や情シス部門配属のような「プロ」を育成するのを目的として、小学校で可能な教育のような中途半端な「ままごと」を導入して意味があるのだろうか。
必要なのはこれらの業種が“魅力ある業種”にすることが必要では無いのか。
高給でカッコイイ仕事ならなにもせずとも人が集まる。昔はそう“勘違い”されていたが、現在ではブラック業種の代表格と“バレて”しまっている。

もし“素養”があるとすれば、「物事を客観的に分析し、要素に分解し、再構築する能力」であると私は考えています。
もう少し卑近に言うと「様々な要望を収集し、分析し、集約調整し、まとめ上げる能力」とも言えます。
何事にも共通して必要な能力なのです。
他の事柄と違うのは、再構築する時点で、コンピューターに適合したルールで行うかどうかだけです。

やるべき事は、これらを高める教育を全般に亘って行うことです。
ところが、よく分析し考えることより、ただ覚えて今をしのぐことばかりを覚えてしまうような教育になっているのではないでしょうか。
例えば「英語を長く勉強しているのに、何も話せない、本も読めない」という現象も、このひとつにすぎないと私は考えています。それを「幼少期に生の英語を聞いていないからだ」と誤った判断をして間違ったことをやっているのではと懸念しています。

もちろん、プログラムという“もの”を知って、世の中の多くの機器は“魔法”ではなくて、ある“からくり”で動いていることを理解することは重要だと思っています。
それこそが教育の意義であるはずです。

例えば太陽は、太古の昔は“神”でしたが、現在では単なるガス惑星であり、核融合によって大量の熱(光)が発せられているということを学校で学ぶことができています。
例えば皆既日食は、今ではたまたま月が太陽を隠しているだけと学校で学んで知っています。

「ああ、たいがいのものは、これの延長線上(応用)に過ぎないんだ」と、少なくとも感覚で捉えることが出来れば十分な成功と私は思います。

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