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2017/07/17

「ゲームは一日一時間」よりゲームへの“取り組み方”を考えよう

あるテレビ番組で「ゲームは一日一時間」という話が出ていました。
ゲームは有害では無く、この程度だとむしろ益があるという話です。

まあ、正確な情報はなくて、出演者のコメントもつっこみどころ満載だったのは残念です。
それをみて「ゲームはもう何十年もやっていて未だにやっている」人間からの感想です。

そもそも「ゲーム自体の是非」を論じるのはナンセンスであり、考えるべきは「遊ぶゲームの選択」「ゲームへの取り組み方(向き合い方)」の問題です。

「ゲームは一日一時間」というのは日本では何十年も前から言われている言葉でしょうか。
海外の研究でも統計的に裏付けられているという話がテレビ番組では紹介されていました。

この言葉は、当時ハドソンというソフトウェア(ゲーム)会社の広報である「高橋名人」がイベントで言ったのが最初と言われていて、当人は別に根拠無く言ったようです。
最近高橋名人当人がメディアに出て「ぶっちゃけ話」を言う機会があり、その中で当人の発言に拠ります。
高橋氏自体はゲームはさほど上手くなく、会社の仕事として“名人を演じていた”訳で、そんなにゲームが好きでも無かったようです。
ハドソンは札幌にある会社ですしゲーム“も”やっていた会社ですから、いわゆる地元就職だったのかも知れません。

なんで一時間かというと、高橋名人の発言は、いわゆる親へのリップサービスと明かしています。
ゲームイベントというのは小さい子供が集まり、いわゆる“保護者”も同伴となります。
当時は「コンピューターゲームって何?」「くだらない」という親世代ですから(今では60~70代になっています)当然良い印象などは全くなく、連れて行く親はほぼ不承不承なのは容易に想像がつきます。
その中で「ゲーム界のカリスマ」(親もその程度の認識は出来る)が「ゲームは一日一時間」と言えば親も子供も納得出来るラインだったのでしょう。
子供はもっとやりたいでしょうが、親はそもそもさせたくないですから、まあ、妥協点です。
でもそれはゲーム会社として、どっぷり業務としてやっている現場のものとしての感覚だったのかも知れません。
ちなみに「一時間」発言は独断だったそうで、会社の幹部から怒られたそうです。
ゲーム会社としてはゲーム漬けにした方が利益が取れますから。
それでも別に撤回することもなかったのは会社としても妥協点だったのかも知れません。
当時はまだ「普及期」でしたからゼロよりも普及する方が全体メリットと判断も出来ます。

さて、私の意見、本論に移ります。

まず集中力が続く時間は一日(連続して)一時間程度、という人間の特性からも的確と思います。
学校の授業も一コマ一時間程度ですから、子供も擦り込まれている周期とも言えます。

ただ私は一時間という時間で計る、縛るものでも無いという考えです。
問題なのはどういうゲームか、そのゲームで何をしているか、ということです。

どんなことでも共通ですが「ダラダラとやっているだけならムダ(有害)」ということです。

もう少し具体的にいえば「常に目標を設定してそれをクリア出来たかを常に意識出来るか」が重要です。

具体的には「ゲーム日記」(ログ)をつける(親の立場では書かせる)と良いと考えます。
プレイ前に目標を書き、ゲーム中や終わったら記録をつけます。
感想文ではありません。事実を残していくのです。
学校の授業ではなぜか感想文偏重で、淡々と正確な事実(過程)を残していくという考えが皆無です。
しかし社会では後者の方が重要なのは言うまでもありません。

その目標は当然「一般社会において有用か」は全く関係ありません。ゲーム世界での目標です。
例えば格闘ゲームなら「今日は10人抜きまで達成する」「○○という必殺技を完璧に出せるようにする」等です。
RPGなら「○○イベントをクリアする」等です。

これを文字で明確化します。もちろん時間制限を設定した上で適切な量を考えることが必要です。
要するに「計画」です。
もしできなかったら何が原因だったかをよく考え文字にします。これが「検証」です。
少なくともどこまでは出来たかをきちんと文字に起こすことです。
「メモをこまめに取る」という社会人として当然の習慣づけです。
子供が親の言うことをメモ取りをしたらさすがに気持ち悪いですから、「メモ取り習慣」はこういうゲームという遊びの中でやるのが適当では無いかと思います。

その中で「今回の目標では二時間させて欲しい」となるかもしれません。
そこで親との交渉になると良い方向です。これは会社ではよく起きる上司との交渉に似ています。
親も「内容は良く分からないが説得力があるので許す」か「どうも取り繕っているだけなので却下」かという判断を迫られます。親も会社の上司としてありがちな判断を迫られるのです。
ここで「分からないからともかく却下」「時間が無いから却下」等は上司として最低なのは言うまでもありません。

更に進めれば“攻略本”(今時なら攻略サイト)を作らせるのも良いと考えます。
その“資料”として上記の日記(記録)が必要となります。
これによって人に説明をする、物事をまとめる、という社会でも重要なスキルに繋がります。
親に意欲があるのならその攻略本通りにやってみて本当にできるかをチェックするのも良いでしょう。
きっと「これを書かなかったら無理だよ」とかいうやり取りも生じると思います。
子供からしたら「いやそこは自分で考えて欲しかったから」という反論があるかもしれません。
“前提条件”を最初に設定しなかったのが原因かも知れません。
そこに正解は無いので大いに話し合えばとても有意義な経験になると考えます。

そしてここまで真剣にやると疲れるので一時間ぐらいで切り上げたくなる、とも言えます。
まあ、学生時代の持久力・集中力というのは半端ないので一時間なんかあっという間かもしれません。
私自身、読書に没頭すると半日ぐらいはあっという間に過ぎて昼になり、親から怒られてようやく気がついて食事をし、またいつの間にか夕食なんて時期もありました。
今なんて一時間も続かないで疲れを感じてしまうのに、と思ってしまいます。

せっかく子供が「ゲームをやりたい」という意欲を示しているのですから、それをうまく利用して今から社会(業務)で必要なスキル習得をさせることは良いことでは無いでしょうか。
いや、将来の仕事では無く生活の中でも普通に役立ちます。
つまりはゲームにおいてもPDCAやらタスク管理やらマニュアル作成やら業務報告やらの要素を今から実践させる良い機会なのです。

このことはゲームだけでは無く勉強のやり方(姿勢)にも繋がってきます。
勉強だってダラダラやったら意味がありません。
勉強では実際に文字で起こさなくても、ゲームできっちりやる姿勢(習慣・考え方)を身につければ、なんとなく自然に勉強でも同じような思考(姿勢)でやってしまうでしょう。
子供はそこらへんを使い分けるほど器用では無いからです。

仮に勉強で「勉強日記」をつけさせようとしても、ただでさえ勉強が嫌なのにやるわけがありません。
しかし親が「ゲーム日記」を要求すれば、子供もゲームやりたさでやるでしょう。
なによりもそうやることでゲームの上達(クリア)も早くなります。
その効果をやっている本人が実感することがなによりも重要です。
ゲームが人より早く上手くなれば何よりも嬉しいことです。
子供社会の自尊心の問題ですらあるのでなによりものインセンティブになるのです。

最後にゲームの“質”というものにも言及しておきます。
“質”なんか分からない、そんなものは個人の好き嫌いだけだろうという人は多いと思います。
私の思う“良くない(ろくでもない)ゲーム”“有害ですらあるゲーム”というのは今まで述べたことが実行出来ないものです。
運だけのゲーム、金をかけないと進めないゲーム、ただ同じ事を延々と繰り返すだけのゲーム。
要するに「ゲームで何も上達・進歩しない(求めない)」というゲームでは“記録”ができない、もしくは意味が無いのです。

無思考でダラダラと続けさせる、プレイヤーの努力を求めずただ時間やお金を搾取しつづけるゲーム、が氾濫している(特にスマフォが普及してから環境が悪化した)のも事実です。
最近はゲーム中にも露骨に広告が出ることが“許容”され、プレイヤー時間の搾取=ゲーム会社の収益になっているのも悪化の要因です。
それらを判別するのも上記の「ゲーム日記」の考え方なのです。

こういうゲームへの“堕落”は成人でも陥りやすいものですから、子供ならなおさらです。
いや、正直言えば私もいくつかハマりました。しかしやっぱり空しいだけなのです。
ゲーム慣れしているが故に、気がつくのが比較的早かっただろうことは、まだ幸いでした。

急激な成長期にある貴重な子供の時間をこんな“クソゲーム”に浪費させてはならないはずです。
一部の会社の利益のための食い物にしては絶対ダメです。

良いゲームを選び、良い遊び方をする。ただそれだけのことです。
ゲーム自体が悪いものでは無く、悪いゲーム、悪い遊び方も、また存在するだけなのです。

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そういえば学生は夏休みになっているのかもしれません。
学生にはぜひとも「日記」をつけさせると良いのではと思います。
学校の要求する日記は「楽しかった」やらの感想文が多いようです。

そうではなく、なにをやったのか淡々と事実のみを書く日記をつけると良いのではと思います。
ただテレビを見ていたというのなら、なんの番組を見たのか、その番組が何を言っていたのか、そういうことで良いのです。
日記というのは「日々の記録」なのですから。
文章力がまだないのならキーワードの羅列だけでも良いのです。

特に親が仕事で子供をみれない家庭では有用だと思います。
繰り返しますが感想やらの要求は無用です。(あっても構わないですが)
淡々と事実が、どれだけの量と質で書かれているかが重要です。

これを読んでいるのが子供(学生)だったら是非自発的にやってみてください。
私自身、高校生になってからですが、あるビジネス書をヒントに日割りメモ帳に「ただ事実を残す」日記をつけるようにしました。とても有用なことだったと振り返ります。
これは様々なメリットがあります。
備忘録にももちろんなりますし、振り返りにもなります。
バタバタと忙殺されて「オレは一ヶ月何をしていたんだ」と思っても、これを読むと思ったよりいろんなことをしていろんな経験ができたことを実感できるのです。
心が不安定なときほど重要で精神的にも随分と助けになりました。

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