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2017/04/16

多くの日本人はなぜ勉強したのに“英語が下手”なのか?

あるテレビ番組でこういう話題選択肢があった。
その場ではこの話題は選ばれなかったが、英語授業改革のような話が昨今あり、日頃思っていたことなので書いてみたいと思う。

あなたは英語の勉強をしていましたか?

英語という教科があって、その教科の授業やテスト等があったことは事実でしょう。
しかし、それが“英語の勉強”だったかと言えば極めて疑わしいのではないでしょうか。

授業でやっていたことといえば、僅かな文章を読み上げて、その和訳を発表していただけ。
しかも予習という名の下に、事前に用意していた和訳を言うだけ。
授業で初めて文章を読んで、その意味を言おうとすると「予習不足」と否定されるぐらい。

これで英語が上手になるわけが無い。
日常の繰り返しが間違っているのだから、それをいくらやっても無駄なのは当然ではないでしょうか。

それでもやっと“日本語の排除”がうたわれているようで、「和訳の発表」というプロセスは無くなることは期待できるでしょう。
(どうやって「その文章を理解したか?」を問うのかについては興味があります。それが難しいから和訳で代用していたようですから)

本来やるべきは、英語の授業で初めて文章をスラスラ読んで、その内容についての説明ができること。
それでも単語を知らないとどうしようもないので、それはピックアップして覚えておくことは必要でしょうが。

英語を聞くことに必要なこと

一つは相手の英語らしい発音を聞き取れること。
英語の授業でも“カタカナ英語”ばかりなのでこのスキルも上がるわけが無いのは当然です。
そもそも教師の英語発音が、英語圏のはずの交換留学生に通じなかった、という“笑い話”は枚挙に暇がないようで、困ったレベルなのも事実です。

これは授業の“空気”の問題もあり、帰国子女などの“あるある”で、冷やかされるので英語の授業ではワザとカタカナ英語で喋る、というのがあるらしい。
そんなことでは喋る・聞くにおいては大きなマイナスとなっているのは否めないでしょう。

ただ、発音の聞き取りなんか、所詮は慣れの問題、訓練の問題なので、いわゆる“英語漬け”状態にすればよいだけではないでしょうか。
どうも「日本人が英語を聞き取れない」原因としてこれを重視しすぎるため、早期英語教育とかいう変な方向に行っている面があります。

本当に必要なのは「人が喋る速度で英文を理解できる」ことと考えます。
これが出来なければ、いくら聞き取れても理解できる道理が無いからです。

具体的に言えば、例えば英語の文章を上から下にざっと音読しただけで大体理解できるという力です。
丁寧で完璧な和訳を作成する作業は、全く無用であるどころか、むしろ害です。
要求される速度でなにかを行うことは、慣れであり、日頃の訓練の成果ですから。
日頃の授業でやっていなければ、出来るようになるわけが無い道理です。

勘違いしてならないのは、いわゆる日常会話で聞けるかどうかの話ではありません。
それは「英会話」というスキルです。
短い軽い文章で意思のやり取りをしながら理解することと、例えば誰かが講義で喋っているのを聞いて理解できるかどうかというのは異なります。
これが出来るようになるには、英語の文章を喋る程度の速度で読めるのを当り前にするのが先決でしょう。

文法が役に立っていない

文法という教科も本来の目的からズレて「文法という教科のための文法」に陥ってはいないでしょうか。

文法とは文章を解釈するための手法を体系的にまとめたものといえます。
“まとめサイト”を読んで手っ取り早く何かを解決するのと同じように、先人がまとめた英語の法則を知ることで手っ取り早く英語を使えるようになるために英語文法を読む(学ぶ)のではないでしょうか。

ただでさえ限られた時間で外国人が英語を出来るようにするには文法学習も使って効率よくやらなければなりません。
日本における英文法、とりわけ授業ではそういう捉え方が出来ているようには到底思えません。

英語というのは人間が使う言語なのだから、時に法則からワザと外したりする。それが定着してしまったりもします。
そういう例外的なものを無理筋で解説しようとするから複雑怪奇になってしまうのです。
いわゆる「建て増しを重ねた旅館」のような改築を重ねたせいで迷路のようになってしまっているともいえます。
その例外というのは「テストの設問」にしやすいものだから始末が悪いのです。
クイズで引っかけ問題を作りがちなのと同じ。
教師も「ここはテストに出すからな」とか言ってしまう。

ただの枝葉末節なことなのに、学習する人がそれが重要であると勘違いしてしまうという不幸が生じてしまうのです。
根幹がおろそかになって枝葉に注目してしまっては出来るようになる道理がありません。

文法という教科においては、日常的では(日本語の文法にも)ない専門用語が未説明(未定義)のまま乱発され、本筋をおろそかに、重箱の隅をつつくような特殊ケースを強調する。
こんなやり方をされて、ついていけるほうがおかしいのです。
こういう不条理なやり方にもついていけるかどうかをふるい落とす、という目的ならばそれも良いでしょう。
しかし、英語を学ぶという目的からは外れているのだから、それをいくらやっても英語を“上手”になる道理が無いのです。

そもそも文法は必要なのかという議論

そもそも文法なんか要らない。そういう極論を言う人がいます。
私はまったく支持できません。
無しで出来るのはせいぜい「英会話」レベルです。

四六時中英語漬けのネイティブはなくても喋っているのではないかと言う人もいます。
しかしそれが“嘘”なのは明白です。
ネイティブ、つまり24時間英語漬けで育っても、ある程度論理的・理性的に英語で意思疎通できるようになるのは、子供の知能発達もありますが、まあ、10年間程度はかかっているわけです。
つまり「なんとなくやっていれば」それほど不効率と言えます。

しかも、日本人に“国語の授業”があるように、英語ネイティブの子供だってその国の“国語”の授業があり、そこで読み書きや文法やらで“正しい英語”を学ぶのです。

移民の人は?という言う人もいます。
彼らにとっては“死活問題”なので、脳みそをフル回転して全力で英語を使えるようになろうとします。
“授業の一つとして”とか“会社外のスキルアップとして”なんて“安直”な姿勢ではありません。
場合によっては日雇い肉体労働者(当然賃金も最低レベル)から抜け出すためのものですからそれこそ生活がかかっており、必死さの度合いが違います。

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2017/04/11

マイコン世代が“IT弱者”に? “声で操作”の破壊力 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

リンク: マイコン世代が“IT弱者”に? “声で操作”の破壊力 (1/2) - ITmedia エンタープライズ.

最近、全く同感の経験をしていた。

“あの”野口悠紀雄氏がラジオの番組で、「最近はiPhone/Siriで文章を書いている」(朝の散歩中にだっけか?)という主旨の話をしていてちょっと驚いてしまったので、自分でもどんなものなのかやってみたのである。

私の場合はiPhoneではなくiPod touchだが、Siriは普通に使える。
同じように文字認識させてみると結構使えることに驚いてしまった。
ある程度の文章なら書く気になれる。150文字とかなら十分だろう。
どこまでいっても慣れないフリック入力と低レベルの漢字変換機能よりは、音声による入力の方が的確で速いことが多々ある。
Siriでの操作も、まあ、使えるフレーズをいくつか把握しておけば使えないことも無い。

ネットで反応の面白さを過剰には書いてしゃいでいるのは、どうかと思うが、昔のゴミ以下の音声認識に比べれば格段の良さである。
せめて「さっきの検索結果を表示して」ぐらいは理解して欲しかった。
まだ文脈を理解しているのではなくて、定型文の延長で多様性があるだけなのだろう。

それではと、Windows10の音声認識も使ってみた。

まず音声設定からしてまともに動作しない。どうもバグのようだ。
オーディオデバイス(マイク)は別アプリで使っていたので問題ないはずなのだが、デバイスを認識できないという。
トラブルシュートも変なところに飛ばされるだけ。どうしようも無いクズである。
ところが音声認識を開始するとなぜか動作する。ここから無茶苦茶だ。

ワードを起動して音声認識で色々と入力を試してみたが、全く実用にならない。
一昔のスキャナからのOCR認識よりも酷い。

Siriは辞書を活用しているとおぼしく、流石に固有名詞には弱い傾向があったが、普通に使う単語や言い回しの範囲ではとてもよく“ハマって”意図通りの入力となる。
Windowsではあり得ない日本語を平気で綴るところを見ると、多分、辞書や文脈推測をしていないとしか見えないレベルである。

更に笑うしか無いのは、半ページほど色々入れたところで音声認識機能がエラーを起こして再起動してくださいという。
酷い変換で呆れていたところに、もはや馬鹿馬鹿しくなってやめた。

Windowsでも音声操作ができると言うが、これも酷いものだ。

例えば「きんどるをきどうする」と喋ってもKindleを起動してくれない。
iTunesは大丈夫だが、soramadoは起動してくれない。
カタカナからのローマ字(英語の推定)は出来ないようだ。
MSが用意したアプリはどれも大丈夫だが、せこいMSのことだから多分両方用意しているのだろう。
それにしても分からないとなんでもBeingで検索しようとするのでうっとうしいことこの上ない。
「○○を起動する」といっているのだから勝手にWeb検索するのは不誠実な対応である。

昨今ではWindowsはシェアをAndroidに抜かれたそうだが、こんなものを見ると、さもありなんとしかいいようがない。

iPhone(iPod)ではGoogle検索アプリでも音声を使うが、Siriとさほど大差は感じない。
つまりAndroidでも似たようなレベルではある、Windowsは大きく水をあけられているということだ。

私は喋るよりキーボードの方が楽なので、音声入力してくれると言っても使う気になれない。
IT弱者という表現は面白いが、使いづらい音声認識の癖を知ってそれを“使いこなす”のがIT強者だとしたら噴飯物だしそんなものにはなりたくないと思ってしまう。
まあ、それが弱者の特徴なのかも知れないが(笑)

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