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2017/02/25

85%引き国有地売却問題

安倍総理が国会の答弁で

「安倍晋三小学校というこの寄付を募る紙を見まして私も驚愕いたしました。」
(中略)
「名前を使わないこということでお断りしているのに、使ったということについては大変これは遺憾であり残念であるという強い抗議をし、先方からは申し訳ないという謝罪があったところであります」

という発言があった。私はこの発言に驚いた。

一言で言えば「え?それで済むのか」ということ。

仮に私が何かしら寄付活動をして「これは安倍総理からも賛同をいただいております」などという文章を添えたとしよう。
見つかって抗議を受けてから「申し訳ない」といえば済むのだろうか。

これを放置していれば日本中で「安倍晋三詐欺」が横行しそうな話では無いのか。

国会では安倍総理が追求されている形になっているが、むしろ安倍総理が“被害者”の可能性もある。
誰かが安倍総理の威光を借りてなにかしらやった可能性もある。

仮に安倍総理を始めとしてて国会議員の関与疑惑が全くないとしても「行政の決定プロセスの不明さ」は確実だ。
これは豊洲移転問題と同じ構造である。
徹底的にやっていただきたいと思う。

まずは大阪財務局の問題がある。
大阪府なのか財務省なのかは分からないが、財務省のトップである財務大臣は“知らん”という感じの報道である。
別に財務大臣に疑惑が向けられているわけではなくて、管轄する財務局がやった不透明な行政が問題なのだから、自ら行政プロセスを明快に説明すべきでは無いのか。

それにしてもこの発端は朝日新聞の“スクープ”で、しばらくは各マスコミも殆ど取り上げていなかった。
マスコミの報道も、国会で騒ぎだしたあたりからようやくで、未だに的を射ていない感がある。

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2017/02/19

ふるさと納税は何が問題なのか

リンク: ふるさと納税の返礼品過熱に高市氏「問題意識」|ニフティニュース.

歪んだ制度であり即刻廃止すべき、という論もあるが私も全く賛成である。

この制度の根本的な問題は「寄附」と「納税」という制度が場所によって都合の良い使い方をされていることである。

お金を出す一般人と、納税されるべき自治体にとっては「納税」とみなし、別の自治体に移動すると「寄附」に化けるというおかしな構図なのである。

なぜこんな“二枚舌”制度であるかと言えば、どちらかで話をすると現行法(制度)との整合性がとれなくなるからであろう。

寄附であるならば

寄附であると言うのなら、ほぼ全額が所在地の住民税などから還付されるということはあり得ない。特例としてもこの制度は余りにも異常である。

普通に考えれば、所得からその額を引いてみなし所得を出し、確定申告などで払いすぎを還付が精一杯である。(日本では寄附の定義が厳しく、それすら認められないことが多い)
例えば所得税10%であれば5万円寄附しても還付されるのは5千円程度であろう。

他自治体という公的なものへの寄附であるとは言え、他の寄附行為との差があまりにも大きく不公平極まりない。

なお、寄附という行為であるのならば、その自治体がどのような返礼を行おうがある程度は勝手である。
ただし、寄付金額とほぼ同じ価値の商品が返礼として出される場合、「売買」と見なされる(それが主体)レベルであれば、そもそもその寄附行為自体を控除(還付)対象とすべきでは無いと判断するのが常識的である。
これは通常の寄附行為との判断の兼ね合いである。

納税であるならば

納税であるというのならば、その額とほぼ同額の“返礼”という名の物品供与を行う事自体が異常である。
当り前だが、通常の納税でそれと同じ相当の品が個々人に戻ってくるだろうか。
そんなことをすればまっとうに自治体サービスなど出来るわけが無い。

使途指定が出来るというのも、一見良いようだが、納税とすれば不適切である。
これも純粋な寄附であれば構わないが、「何々に使ってくれ」と一般住民が納税に対して指定できるだろうか。当然不可である。
これの要望などは選挙などで議員や首長を選ぶときや、通常時に議員に対して働きかけるべきことである。
つまりこのような不公正な制度を作っているのは、地方自治行政の仕組み自体を壊している行為であると言える。

まともな形にすべき

ごく単純なことで、「寄附」なのか「納税」なのかハッキリすれば良い。
言葉通り「ふるさと」に「納税」したいという意思を否定するものでは無いし、そのような制度は構わないと思う。「こころのふるさと」があっても否定したくはない。

納税であるのならば、通常の納税扱いと同じにすべきである。
納税は国民の義務であり、返礼を伴うものでは無い。
せいぜいが「納税証明書」、度重なる高額納税に対しては「感謝状」が自治体として精一杯の形では無いのか。

一方で寄附一般に対する制度の見直しを進めるのも一つの考えである。
今回の問題は高額すぎる返礼品である。
どこまでを「返礼」しても寄附行為とみなすのか、という観点でガイドラインを作ることとなる。
当り前だが、一般団体(NGO等)に対する寄附行為にもそれを適用するものになる。
どこまでが「売買」でどこからが「返礼」なのか、という観点になる。
例えば緑地保護団体が、森林運営もやっていて収穫物を「返礼」した場合どうなるのか、どこまでがその団体の支援でそこまでが返礼を含めた「売買」かはややこしい。

なお税金控除額の対象(限度)額ややり方も一般の寄附と同等にするのが当然である。

今回を機に世界でも厳しいとされる寄附制度の緩和(振興)とするのも良いだろう。
寄付先は自治体だからある程度は緩めでも、“審査免除”でも良いかもしれないが、せいぜいその程度の差が許容範囲となろう。

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2017/02/18

なぜ簡単なパスワードではダメなのか

リンク: 「なぜパスワードを記憶するべきではないのか」を簡単に説明したムービー - GIGAZINE.

こういう記事はたくさん出る。
「簡単なパスワードは使うな」という事に対してはもっと単純な話もある。

仮に大量のIDリストが手に入り、あるサイトに「なりすまし」で入れれば「おいしい」ことが分かっているとしよう。
もちろん犯罪に手を染めること云々は置いておく。

こういう場合、あるIDに対してパスワード探しをするだろうか。
私ならそうはしない。どう考えても効率が悪い。
同一IDに対して何度も当てずっぽうでパスワードを変えてログインを試みる自体が無駄が多い。さらに何度もやれば場合によってはそのIDがロックされ、場合によっては“目を付けられる”可能性が高いからだ。
ある程度まともなサイトであればこういうことへの監視ぐらいはやっているだろう。

特定サイトや会社のシステムに侵入するのならパスワードを探すことに執心するが、どれかのIDで侵入できれば良い、となればその必然は無い。

普通に考えれば、まずは各々のIDに対して、この記事にもある「よく使われるパスワードランキング」の一番目でログインを試みると良さそうだろう。
一定数は“アタリ”となる可能性は高い。少なくとも一つのIDに固執するよりは速そうだ。
また、同一IPアドレスから大量のIDをとっかえひっかえ入り込もうとする。
このことにまで気を回しているサイトは先にあげた行為よりは確実に少ない。

最初の“一回り”では足りないのであれば、次は二番目でやってみる。
これを順繰りにやってみるのが“効率の良い”方法では無いのか。

つまり「パスワードをできるだけ難しくする」というのは、実は相対的な問題である、ともいえる。
人よりも簡単なパスワードを使えば、それだけ“あなたのものが盗まれる確率が高くなる”ということなのだ。
逆に私の観点で言えば、あなたが簡単なパスワードを使ってくれれば「僅かとはいえリスクが減ってラッキー」である。

もっと単純に考えて見よう。
自転車置き場にずらっと自転車が並んでいるとしよう。(どれも自転車は同じものとする)
真っ先に盗まれるのは“カギの付いていない自転車”である。
横にカギが付いていないのがあるのに、カギと格闘する盗人がいるとしたら滑稽でしかない。
4桁のチェーンロックと3桁のチェーンロックがあれば、3桁のが先に狙われる。
ワイヤを簡単に切れるようなチェーンロックがあればそれが先に狙われる。
カギと格闘する前に、一通り見て回って楽そうなのを選ぶのは当然の理である。

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2017/02/11

電気料金に上乗せする賠償費用、2020年度から標準家庭で年間252円に - スマートジャパン

リンク: 電気料金に上乗せする賠償費用、2020年度から標準家庭で年間252円に - スマートジャパン.

興味深い数字が出てきた。

一般負担金の総額は原子力事業者11社(沖縄電力を除く電力会社9社、日本原子力発電、日本原燃)で2015年度に1630億円である。このうち原子力発電所を保有していない日本原燃の30億円を除いた1600億円を、事故の賠償費用に備えて必要な年間の積立金と位置づけた。

低い見積もりである。原発開始からの総電力で逆算しても3.8兆円。明らかに賠償金や除染費用に足りないし、これからの事故設備の廃炉費用や処分費用を考えれば数倍レベルで足りない。

設備容量1kWあたりに必要な一般負担金の単価を1070円と算定した(図1)

そもそもなぜ原発と関係ない発電方式で発電した電力にまで負担を求めるのか。
全く理解できない。
原発事業全体で負担すれば良いだけである。
この計算で言えば1kWh辺りでは1070/24/365=0.12円/kWhとなる。
発電コストを0.何円か高く見積もれば余裕では無いのか。
その上で普通に電力代に上乗せすれば良いだけだ。

原発事業というのは闇だらけである。

様々な名目で税金がつぎ込まれるなど、名目は一般的なものから徴収された金が原発に流れている。
今回も“賠償補填金”などでは無くて「一般負担金」名目であることが非常に問題である。
本当に原発はコストが安いのか、ますます疑いを深めざるを得ない。

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2017/02/06

働き方改革はカイゼンではできない

リンク: 木村岳史の極言暴論! - (2/4)またも愚かなカイゼン、噴飯モノの働き方改革の行方:ITpro.

働き方改革への「文句」は以前の記事に書いたが、この記事には全く賛同する。
私自身は「カイゼン」はさほど否定しない。ただし、カイゼンは下からできるが、改革は上からやるものである。

「残業は極力減らそう」「有給休暇の消化率を高めよう」と従業員に呼びかける。長時間労働是正に向けた会社の仕組みづくりの話にならず、現場の従業員の“努力”に期待する。つまり働き方改革ですら、現場丸投げで愚かな極みのカイゼンが顔を出す

その通り。カイゼンではできないのに、カイゼンでやろうとする。
そこが根本的な問題なのに、もう何度も何度も繰り返している。
最低でも社長直轄の部隊で、社長の命と同様な強権を持ってある部門が断行する、というのが条件になろう。
もしくは担当レベルの話から聞いて、それを最後は社長が断行すれば良い。
(社長=幹部と読み替えても良い)

本来、業務を効率化するはずの基幹系システムが、利用部門の個別要求に対応してきた結果、複雑怪奇な業務プロセスを抱え込んでしまい、逆に非効率の温床と成り果てているところも多い。

これもカイゼンでやってしまった結末として当然だろう。
個々人が非論理的に個別最適化をしてしまえば、当然このようになる。
個別最適化がかならずしも全体としての効率運用ではない。

例えば決済・承認システムが分かりやすい。
システムで決済に必要な要件を定義しているのに、それ以上の要求をして「持ってこないと承認しない」と言い出す人が出てくる。
システムに不備がありそれを修正できないことを予見しているのか、それがすべてであるときちんと会社の運用としてきちんと定義していないのが根本的な問題である。

例えば途中で「○○部の部長にも承認をもらうべきだ」と言い出す人が出てくる。システム上、途中で承認者を増やすことが出来ないと、いったん紙に印刷して捺印欄を作って承認をもらって…なんてプロセスが発生する。
これは「誰が承認者を決定するか」という要件定義の不備である。たとえば部内の“中間”承認者は部内の受付者が決定できるとか、他の部署に回付することも可能な仕掛けにしておけば良い。
書類の発案者がすべて決めて良いのか、発案者の上長が再定義できるのか、各部門で決めるのか、そういう会社としての意思決定のひとつである。

たいがいが、発案者がすべての合議・承認者を決めるシステムが多い。
考えてみればおかしな話である。他部門の中間の承認者なんか分かるはずがない。
そう言うと「各部門に確認を取るべきである」という“正論”を振りかざす人が実に多い。
これが「無駄な業務」であることに気がついていないのである。

システムは運用してみてしばらくは随時更新していかないといけない(もちろんそれは全体的な観点でそれをするかは確認する必要がある)のに、予算がないとか、そういう理由で行われない。その一方でどんどん無駄=損失がおきていることには気づかないふりである。

実例で、流石に最近は修正されたが、システムを作ったものの不備が多く、結局関連資料を印刷して決済システムに入力し、そのシステムが発行する番号をその資料の表紙に記入して回覧する(ハンコを押すと同時にシステム上も次に回す)、なんて意味不明のシステムも長らく存在した。(よく言えば、書類のトレースシステムである)

現場に「早く帰れ」とプレッシャーがかかった結果、長時間労働の実態は“地下に潜る”。

長時間労働の規制やらをするのならば、必ずこの点を対処しなくてはいけない。
“密告”システムも作るべきである。言葉を換えればホットラインともいわれる。
そして犯罪行為であると断罪して厳罰に処すべきである。

例えば日曜日や休暇日にメールを見ることを要求をする管理職も問題だが、社員がメールサーバーに接続したりしていないことをITシステム部できちんと監視しておくべきである(これはコンプライアンスの観点である)。
例えば休暇日に会社のネットに断続的にでも繋いでいるとしたら、むしろ接続できないように対処すべきである(自動的にでよい)。
出張時に接続が必要ならば、出張届と共に行動計画を出させて管理すべきである。
いうまでもなく個人の端末(ケータイスマフォ含む)への社用メール連絡は不可である。
これは会社機密漏洩の疑いで処罰すべきである。

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2017/02/04

高齢者事故の報道が無意味に多いのではないか。

最近、高齢者の交通事故報道がやたらと目に付く。
しかも毎回傾向が似ているので参考にならない。

そもそも交通事故報道というのはどういう意味があるのだろうか。
「あ~あ」と感じることではないだろう。
それは自分が類型の事故を起こさないように参考にして注意することではないだろうか。

もっと問題なのは、特にこの傾向になってからの報道の多くは事故原因の報道が無いと言うことである。
「こういうことがありました」「事故原因については調査中です」というパターンだ。

私にしてみれば「おいおい」である。
交通事故報道なんか緊急性は皆無なのだから、きちんと顛末もある程度判明したものについて報道すべきではないのか。
(一年前のバス事故のような社会的重大性の高いものは別である。追って原因も報道するだろうからまずは一報は重要だろう)

ところでなぜ高齢者の事故報道が多いのだろうか。
コメンテーター曰く「高齢者の比率が増えたから事故が増えた」というのを良く聞く。
確か全体は年々減っている。高齢者だけ増えるということはあるのだろうか。
それなら公式統計を調べれば良い。

政府統計窓口http://www.e-stat.go.jp/から「交通事故」で検索すれば良い。
Photo

このデータが良さそうだ。
中を調べれば全年齢層つまり高齢者層を含めて減っていることがわかる。
では比率として増えているのか。それも減っている。
高齢者への啓蒙という意味ではその意義を見いだせない。

比率というのは難しいのだが、免許保持者の10万人あたりで、違反行為をしての事故傾向をグラフにしてみるとこうなる(資料中ではグラフはない)

Photo_2

高齢化すると確かにじりじりと「信号無視」が増えており認知低下が懸念されるが、他の事故分類はさほど目立った差違は出てこない。

むしろすべての分類に対して、若年層の多さが非常に目が付く。。
仮に交通事故への啓蒙、対策をするのなら、やはりここではないのか。

未成年ならともかく、20~25、30歳以下でも結構多いのは不思議でもある。
これをみると高齢者の言う「自分達の運転技術(予見能力)は高い」というのはあながち間違いではないのかも知れない。
信号無視というのは、認知もあるが、青から赤の変わり目で「大丈夫だろう」が悪化したものが考えられる。(右折待ちで観察していると既に赤で停車できる距離なのに通過する、元気そうな高齢運転者をよく見かける)

自動運転は対策にはならないのに

ところで不可思議なのはこの手の話題で、テレビで特集が組まれると「高齢者事故防止」-[自動ブレーキ]-[自動運転]のコンボで話が展開することである。

酷いものでは停車状態からの逆走発進の話題なのに、それには有効に作用しない自動ブレーキの話になることもある。
歩道に突っ込んだとか、ガードレールに突っ込んだとか、それにも自動ブレーキが対策となるレベルはかなり高いところにある。

かなり高度になるまでは、誤動作を懸念して自動ブレーキよりも人が踏むアクセルが優先されるからである。
論理的に歩道、つまり白線や僅かな段差を検出してブレーキをかけるという判断は非常に難しいことである。
もしくは“人間を検出”してそこには突っ込まないという実に高度な判断が必要である。

論理的に難しく、技術的に実現がまだまだであることにたいして、それがあたかも解決策になるような(錯覚させるような)報道をすることは問題ですらあるのではないのか。

「免許」の本来の姿に戻すだけで良いのではないのか

若者の事故が多いのも免許制度の問題は無いのか。
交通量が非常に少ない地方(ド田舎)で“合宿免許”と称して免許を取らしておいて、都会の自動車の密集したところで運転すれば、そりゃあ事故を起こす確率は高くなる。
“住民票”から半径50km以内等の制限をすべきではないのだろうか。

以前にも書いたが、運転技能や運転に必要な判断能力・認知能力に不足が生じたならば、運転免許更新は不可、というごく単純な理屈ではないのか。
運転というのは、認知・判断・操作(技能)を常に繰り返す所作である。
それのどれが欠けても運転に支障をきたす。
だからそれをきちんと判断する免許更新にすれば良いだけでは無いのか。
それが欠けたのは結果的には年齢のせいかもしれない。それだけのことである。

自動車側でカバーできるのならそれもありだろう。
障碍者の中には一般車両は運転できなくとも、特殊な補助機構をもった自動車で運転する人もいる。
将来、自動(補助)運転車があればそれを認めるという判断もありであろう。
しかし実際はまだなのだからそれを議論に持ってくるのはおかしい。

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2017/02/01

働き方改革:なぜ紙はなくならないのか

古くはOA化、ちょっと前はIT化、これからはAI化にでもなるのだろうか(笑)
まったく紙がなくならない。
なぜだろうか。

働き方改革(笑)とでもいうべき論議がされている。

構造改革と共に流行言葉になっている一方で、形骸化した空論の繰り返しで私は半ば辟易としている。

どこに問題があるかと言えば、単純に経営トップの判断、断行である。

そもそも「改善は下から、改革は上から」である。
下の個々人では少しずつ合議を取って変えていけるのが“改善”である。
一方で改革、大きな構造的な変化は、上から大号令で断行的にやるしか無いのである。
これが現実である。

改革はかならず損する人も得する人も出てきてしまう。
自分より上の格の人間が反対し得る改革が成立するなどと、会社論理的にあり得ないのである。

その現実を無視して「各人の頑張りで改革を成し遂げよう」なんてトンチンカンな号令をかけるからうまく行くわけが無いのである。

リンク: 働き方改革、「必要」は83.3% | マイナビニュース.

「収益確保のためには労働時間の削減とともに生産性を上げる必要がある」と回答した人は88.3%。IT化によって生産性が上がると思う業務には、「資料の作成」(25.6%)、「ハンコ文化」(24.6%)、「経費精算」(21.0%)、「勤怠管理」(20.8%)、「冗長な稟議フロー」(19.7%)など紙が介在するものが多く挙げられた。

どれも、上から大号令で変えるしか無い、システムを投資して作るしかないのである。
いずれも個々人の努力ではどうしようもなく、システムを作らないと出来ないことである。

「ハンコ文化」「稟議フロー」などは典型的であって、上長が承認したという証拠を残すには会社としてどういうシステムであればよいのか、“認証システム”をどうすればよいのかという話が本質である。
仮に優秀なプログラマーである1従業員が素晴らしいシステムを作っても、それによって通した稟議書が“有効”であるとトップが認めなければ何の意味もないのである。

「稟議フロー」に関しては会社で議論に加わったことがある。
最終承認までに時間がかかりすぎるので短縮したいという主旨もその一つだった。
すでに電子承認は導入されていたのだが、一人一人順に確認をしていたので時間がかかるのだ。
稟議には「承認」と「合議」がある。承認だけみれば短いので承認を回す一方、たくさんの「合議者」に一斉に合議を求めるシステムにしたら良いのでは?と提案したのである。
あとから聞いた話では、その提案(ほかにもあったが)を認めるかどうかを同様の人たちに聞いたそうで、「合議者」の中からそれに反対する声が出て、その提案は却下されたそうである。
やはりと思った。どうせ「あの人が合議したから私も押して大丈夫だろう」という判断でハンコを押している”無能な”人がいることは予想していた。
さらにあほらしいと思ったのは表向きは”システムの都合上できない”ということになったらしいのだ。常識で考えてそんなことがあるわけがないが、まあ、そんなものである。

つまり下層の人間の提案などどうせ簡単に蹴られるのだ。これを社長が言えばしぶしぶでも、というか意見を聞かずにそういうシステムになって終わりだろう。

経費精算は経理部だし、勤怠管理は総務部の管轄である。それ以外の人間はトップ以外が何を言っても何も変わらない。

つまり、「紙をなくならないのは単純にトップの問題」なのだ。

よく「AIが仕事を奪う」というが、これも滑稽な理屈である。
会社(トップ)が経営判断で、投資(AIを導入)することによって、仕事を奪う(人を減らす)のである。
AIの導入、AI化と言っても良いと思うが、OA化やIT化と理屈は全く同じなのである。
個人的にはOA化やIT化もろくにできない経営者が、AI化などできるのだろうかと高を括っている。

AIの学習やトレーニング、管理やその妥当性の確認などでいつまで経ってもAI化のメリットなど享受できないのではないか、と思っている。
PCが会社に入りつつあったころの昔、Excel(当時は1-2-3もあったか)の表計算が信用できなくてソロバン(電卓)で検算していたなどという笑い話もあったが、AI化でもそれを笑えないのではと思うのである。
PCが業務に本格的に使えるようになって実はもう20~30年は経っているのだ。
ストレージやメモリや処理速度が桁違いに増えているのに、いまだハンコを押して書類を回しているのである。

いまだにWordやExcelをメリットがあるレベルまでしっかり使えている人がどこまでいるのか。単なる清書ツールになっているだけではないだろうか。

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