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2017/01/15

豊洲問題はなぜわかりにくいのか

私は東京都民ではないので、まあ、豊洲問題はどうでもいい。
元々築地ブランド自体もあまり信奉していないし。

一度だけ築地市場外店舗街には行ってみたことはある。
まあ、異様な世界だ。
そういう意味では面白いが、また行ってみたいとも思わない。
古いからと言うのもあるがモノの鮮度があるのかもしれないが、どこも汚いし。

牛丼の吉野家一号店が築地というのは判る気がした。
なにせどこにいっても魚臭いから、昼飯ぐらいは獣肉が食いたくなるのだろう。

余談が長くなったが、今回の豊洲騒動は様々なわかりにくい問題をはらんでいる。
マスコミがあおるので世間一般を巻き込んで議論になっている。
いわゆる地方行政のいい加減さもあるし、マスコミ報道自身の問題もある。
いわゆる有識者や専門家の会議なるものの怪しさというのもある。
専門家の発する言葉は難解であるのにマスコミは咀嚼しないで垂れ流す。

豊洲問題はわかりにい“環境問題”もからんでいる。
原発の時もそうだが、健康被害にからむ環境問題というのはわかりにくい。
私は専門家とはとても言えないが、会社で“環境問題”には時々絡んでいるので、専門家と一般人のちょうど間みたいなものである。
解説するにはちょうど良い塩梅だと思う。

なぜ「基準値」の話がわかりにくのか

「基準値を超えた」というが一体“何の基準値”なのだろうか。

常識的にもわかるとおもうが、「工場」と「家庭」で基準値は違って当然だし、工場でも化学工場と食品工場で違っても当然だろう。
だから今回基準とすべき、基準値というのは「魚介類や野菜市場」として問題のない値を、そもそもの「基準値」として設定すべきなのが当然である。

法的基準はもちろんある。魚介類の市場用なんて法律でわざわざ決めているとは思わない。
通常はそれに上乗せして独自の基準値を設定するのが通常である。
いわゆる“マージンという尤度”を設定するのである。
それと比較してどうであるか、を議論に出すべきだし、当然報道もその立場で言うべきである。

報道で言うのならまず「根拠となる法的基準値こうで、それに余裕をもたせたこういう基準値を設定した」がそもそもの出発点である。
もしそれがないのなら、それ自体が大問題とすべきである。

しかし「専門会議では基準値を超えているが市場として使っても問題ない」という発言が出てくるから意味が全く理解できなくなるのだ。
一連の話を聞いていると「なにか理想的な基準値」を設定しておいて、それを越えたのだが「問題ない」というように言っているようなのだが理解できない。
専門者会議というのは本当に専門者がやっているのか?とすら疑問に思ってしまう。

私は現在の数値が市場として問題のない値なのかは判らない。
私が問題視しているのは「いったん決めた基準値」を「超えた」から問題だというだけの話である。
基準値というのは市場として使って問題ない値を論議して決めた値ではないのか。
それを目標として土壌対策などをしてきたのではないのか。

もし「超えたからと言って問題とは言えない」というのならば「ではどのような根拠で、どのような意図でその基準値を決めたのか」という基準を決めたときの論議過程のいい加減さが問題となるのだ。
これは市場問題全般の「論議の不透明さ」にも繋がっている。

なぜ値が前回と大きく異なったのか

大きく変わったので「暫定値」という言葉が出た。
まあ、判らなくもない。
継続的な調査において大きく違った値が出れば、何か間違いがあったのではと考えて仮置きするのはわからないでもない。

問題は値の変動と言うよりも、今までは「検出されず」だったのに値が出てきているということである。
検出されずと言うのは、通常は測定器の性能(測定限界)よりも低い含有量であり、存在を認められない、または自然界に通常存在しているのと同じ又はそれ以下である事を挿す。

例えばデジタル計量計を考えてみよう。
0.1g単位の測りでは、例えば0.13gのものを測った場合は0.1gと表示されるだろう。
では、0.03gのものを測ったら?
それは0.0gと表示され測れない。つまり何も測っていないのと同じである。これが測定限界である。

通常は環境測定値の基準よりも何桁も小さい値も測ることが出来る。(物質によっても変わるし、自然界に普通にある・混入しやすいものは難しくなる)
それが基準値にかかるほどに“増えた”ということが非常に不審感を持たざるを得ないのである。

少なくとも「前回以前」と「今回」の違いをきちんと精査すべきである。
どちらかにミスがあった、問題があったというのは間違いがない。
測定方法の定義上で、ぶれの余地があったのか。
測定者が変わったのか。測定装置が変わったのか、なにかしら変わったから変わったのだ。
すべて同じなのなら「暫定値表記」を外すべきである。

排水ポンプを動かし始めたという話が大分前にあったが影響している可能性もある。
例の地下空間に水があるために動かし始めた(そもそも市場運用開始後は動かす予定だった)ものである。
そうなれば今回の方が運用中の状態に近いのだから、今回のものが「正しい」値で、前回までのが「参考値」ということになる。

もちろん、前回までのものが昨今起きている「データ改竄」であったとすれば大事件であり論外である。
さすがにそれはないと信じたい。

なぜクロスチェックが必要なのか

今回の測定結果をみて、「クロスチェックが必要だ」という声が出たという。
ダブルチェックという言葉の方が判りやすいと思う。
複数の調査方法や測定者(会社)に依頼する等が必要であるということだ。
そもそも懸念がある場所なのだから初めからやれよ、と思うのだが、当事者達はそうではなかったようだ。

ただし測定限界以下だったのが数値が出てくるというのはさすがに検査方法の違いというのは考えづらい。
数値としては何倍かは違ったりはするかもしれないが、せいぜいそんなものだろう。
通常は基準値なんか下回って当然で、基準値ギリギリなどと言うのは“合格は運次第”なので通常の感覚では論外である。
例えば100点満点の認定試験で合格点は50点以上、というのなら、まあ満点を目標に、どんなに体調が悪くても70点ぐらいは取れるぐらいにきちんと勉強しておくものであろう。

難しいことは抜きに、一回は複数業者に調査させてみるというのは良いかもしれない。
もはや“信用問題”になりつつあるからだ(すでにになっている?)
それでどれだけばらつくのかというのを一度明確にするのは手であろう。
そもそもこういう環境測定の結果をどうやって捉えたら良いのか、おそらくはそこから分からない人が多いだろうからである。
普通にこれだけはばらつくものですよ、ということを示しておくのも良いことと思う。

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