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2016/12/25

IR法の本来の問題

IR法案ほどわかりにくかった話はない。

「ギャンブル依存症」は筋が違う。
これを民主党蓮舫党首が殊更言ったからさらに話がずれている。

依存症対策は本筋で言えば「パチンコ」問題である。
賭博を遊戯とすり替える論理、手法、制度、それを見過ごす体制。
私には反吐が出るほど「汚いやり方」がまかり通っているわけだが、それ故に野放しになり、ギャンブル依存症を生む。

IRで言えば「日本人は入れない」「入場料をバカらしいほど高くする」等々の対策は立てられる。簡単な話である。

では本当は何が問題だったのか。

唯一納得がいったのは、民主党の玉木議員が言ったことである。
(彼は超党派議員連盟でIR推進を委員会審議していた一員である。)

「民間がやることになる賭博運営を、どうやって合法とするのか」
という法律上の立て付けである。

競輪・競馬・競艇などはすべて「公営ギャンブル」である。だから合法である。
パチンコは(論議はあるが、理屈上は)「遊戯」だから合法である。

民間(非公営)が主催するものはすべからく「賭博」であり有罪行為である。

この相反する法的問題について、どうやって整合性を取るのかが、この法案の大きな課題だった、ということである。
素人目に考えても整合性は難しいのは理解できる。
実際に長らく委員会での審議が続き、暗礁に乗り上げて論議が進まなかったことも多かったようだ。もちろんそこは現在をもっても解決できていない。

ところが“突如として”IR法案を国会で審議し通そうという話が持ち上がったから「驚いた」そうである。

一部報道では「民主党にも推進議員がいたはずであり、なぜ反対するのか」というものもあった。
その答えは「この法案における重要課題を解決していないのに、いきなりそれをぶっ飛ばして可決しようとした。」である。
そりゃあ、誰でも反対するわな、である。
自分が真剣に論じてずっと手がけていれば怒るのは当然である。
むしろよく知っている推進議員だからこその反対論である。

可決はしたが、これは「“賭博”の法的整合性問題の解決が抜けた欠陥法である」ということはきちんと認識していないとダメなようだ。
(どうも安倍政権下では欠陥法が多いように感じる。そのツケはあとで露見するのが常だからヒドい話である)

IRを作って民間企業がカジノ経営をしたら、現状は「違法」であることは変わりないのである。
違憲立法ならまだしも、違法立法である。一体どうするつもりなのだろうか。

一つの離れ業としてはカジノ部分だけ「第三セクター」的に半官半民にして“公営”と言い張るというやり方もある。
これは管轄官庁の天下り先確保としても最適だし、ズブズブに収益が役員報酬に垂れ流しでもどうせバクチカネだから批判も少ない。
政策的には“最低”なやり方だが、行政府にとってはおいしいことこの上ないからやりかねない。

抹消議員ならともかく蓮舫議員と党首選を戦った玉木議員が問題視していることである。
それがなぜ蓮舫議員に伝わらず、党首討論における視点に繋がらなかったのか。
この点を突き詰めれば、法的整合性という明確な問題であるから「ギャンブル依存症」なんかよりよっぽど“きつい”論点になったはずである。
ここは民主党の大きな問題である。

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2016/12/24

「この世界の片隅に」

2009年頃に出版された漫画です。
そして映画化され、一部で大絶賛されております。

大手では映画化できずに、クラウドファンディングで映画化されたそうです。
だから最初は上映される映画館もごく一部だったようです。
それでも口コミで拡がり、上映される映画館も拡がっていったそうです。

私も漫画を読んでみました。

この作品の特筆すべきところは、本当の意味での“戦争の恐ろしさ”です。
主人公の幼少の頃、つまり戦争前からのごく普通の田舎風景から始まります。
ごく普通の人にとって、戦争は「いつの間にか始まり、空襲や物資不足などの“被害”に遭い、いつの間にか終わった」ことが淡々と描かれています。

これこそが何よりも恐ろしいことだ、と私は思います。

空襲や戦争による物資不足は“天災”ではありません。天災でなければ“人災”です。
しかし戦争を“人災”ということは一般的にはされません。
この歪みこそが戦争の恐ろしさというもの、と私は感じます。

作者あとがきによれば「戦時の生活がだらだら続く様子を描くことにしました」とあります。
空襲の惨事を描いた作品は多くありますが、これは戦時のごく普通の生活がだらだら続く様子が描かれたからこそ希有な作品であるといえます。

特に主人公は広島生まれであり、嫁に行った呉での生活が描かれています。
当然原爆の話は不可避ですが、直撃の惨事ではなく、その後でジワジワと迫る死や病気、いや体の不調が描かれています。
これは“数字には出てきにくい”レベルの話である、というのが重要なところでしょう。

数字に出てくるものだけで語られがちですが、実際はそうではないのです。
統計の数字は重要ですが、それは物事の一部を語っているにすぎない、そのことを改めて肝に銘じなくてはなりません。

最近「戦争の時の雰囲気に似てきている」と指摘する方もいらっしゃいます。
「戦争法案」がどうこうでは私はないと思います。
「九条改正」がいわれるからということでもないと思います。
そんな短絡的な話ではないと思います。

「ものごとがいつの間にか決まり、それが知らされない、マスコミが正しく伝えない、知らされても国民の反応も薄い」というのが空恐ろしいのではないでしょうか。

「シールズ」の「デモ」程度で過剰反応する人がいるというのもおかしな話です。
逆に見ないフリをしている人達も気持ち悪いです。

「他にどうしょうもないから先に進むために・・・」という論理がちらつくのも恐ろしいです。
それが戦争を始めた「根本的な理屈」だったのではと私は考えています。
いわゆる知識人の中でも官僚出身者にこの理屈を振りかざす人がいたりします。

“論理的には”正しいと思っているから質が悪いのです。
もっと恐ろしい言い方に「これを言っても一般の人には判らない論理だから・・・」と“説明”を拒むに至っては「なんだこいつは」と思わざるを得ません。
こういう考えをしている人もいるのです。官僚から飛び出した人だからまだまっとうな人と思われますが、じゃあ、官僚の内部はと思うと空恐ろしいものです。

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2016/12/23

「それは素晴らしいアイデアに思えました」

私も同じように思ったことがありました。

リンク: 「『死ぬくらいなら辞めれば』ができない理由」 Twitterに投稿された漫画に反響 - ITmedia ニュース.

周りが見えなくなるんです。本当に見えなくなるんです。

私が“助かった”のは体の、肉体的な弱さのおかげでした。
肉体が先に根を上げてくれたのです。

なんの物語だったでしょうか。
これ以上無理をしたら死にかねない。それでも共に闘おうとするものに言い放ちます。
「俺がいないと・・・」
「うぬぼれるな。お前なんかいなくても俺たちで闘える」
「お前一人がいたって勝負に影響なんかしない」
言葉は乱暴だが素晴らしい仲間達ですね。
でもこんなのは幻想世界の美辞麗句です。

「会社の命運がかっている仕事(プロジェクト)」
こんな言葉が出ている場合は要注意です。
冷静に“戦力”分析してみてください。

会社の命運がかかっているなら、会社が全勢力・精力を傾けて取り組んでいるはずです。
なのにあなたを含めてほんの一部の人間に仕事が偏っていないでしょうか。
せめて雑務など他の間接部門がサポートしてくれているでしょうか。

私の経験ではほとんどが「安っぽい鼓舞」です。
それどころか“いつものように”足を引っ張る人達すらいます。

こんな状態で“頑張る”なんてムダです。
死んだらそれこそ“犬死に”です。

よく「周りの人達も頑張っているから」と言います。
本当にそうでしょうか?
同じ部、特に同じグループの中の人達は多分そうでしょう。
でも、他の部署の人は?特に上層部は?
その言葉を盲信せず、冷静に観察してみてください。

あなたが死ぬほど頑張って、本当に全員が同じほど頑張っていて、それで給料がそこそこなんておかしな話です。
もし、本当にそうならそもそも会社がやっていることは確実に間違っています。

目の前に真っ暗になる前に、そんなごく単純なことに気がつくのが一番です。
私は一度真っ暗になって、“幸いにも”物理的に倒れて、ベッドの上で気づきました。

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2016/12/19

「やめられない理由 原子力発電所」

検索フレーズランキングに「やめない理由 原子力発電」が挙がっている。
やめない理由というよりやめられない理由というほうがしっくりくる。

原発の長所短所とは

長所短所を考えるだけでも、やめられない理由はわかる。
長所というのは「燃料代が安い」「燃料が備蓄だけでかなり持つ」だろう。
(燃料が準国産という理屈は私には理解できない)
他にはというと「原爆に転用可能」ぐらいだ。
個人的には原爆で相手を威嚇するような姿勢は醜いと思うのでやめた方が良いと思うが、まあ、これをメリットとする声は確かにある。

短所というのは「建設に金が掛かる」「安全設備にも金が掛かる(建設後も強化される)」「運営管理に金が掛かる」「燃料廃棄が面倒で高い(現状は目処が立っていない)」「廃炉(発電所の原状回復)のコストが高い」等がある。

短所を隠す政治的システムや電気料金体系

さて、短所だらけなのだが、様々な政治的システムで覆い隠したり回避してきた。
私には理解できないのだが「それは政治的問題」という言葉で片付けたりもしている」
私は所詮は“発電事業”なのだから事業者として解決できない問題を政治が負担するという理屈はよほどの正当な理由がないとおかしい。

ともあれ、一方で長所2つをことさら強調してきたのである。
発電コストが安いからやめられないなんていうのは“ライスサイクルコスト”という言葉を知らない無識者である。

問題なのは、原発をやめるとこの政治的システムが崩壊して短所で挙げた様々なコストが原発所有者に降りかかってしまうのだ。
もしくは税金が投入されるか、である。
今、役人や政府、事業者が画策しているのはそのコストを電気代にどうやって組み込んでごまかすかである。

電力自由化もその一環としてうまく作られているようにも見える。
「システムとしてなんか歪んでいるな」というところは精査してみるとその可能性が高い。
“一般化”して新規電気事業者への負担にすれば“(彼らの観点で)公平な競争”になり自分達の負担は一切ないようにしようとしている。

それらが済めば原発はやめるかもしれない。
もちろんその負担は全国民が知らぬままかぶることになる。
その一つがこの記事の一つ前の話である。

減価償却

まず、建設に金が掛かったと言うことは減価償却費も高いはずであるが、これは60年ローンを前提としていたようで安いということになっていた。(原子炉は60年使うという前提)
60年ローン前提なのに、例えば30年でやめろといわれたら困るだろう。
ものはないのにローンだけ継続か、一括返済を迫られるということである。
会計上かなりの問題である。

燃料廃棄問題

実は現在の日本では廃棄処理として引き取ってさえ貰えていないというのが実態だ。
多少詳しい人は「六ヶ所村に・・・」というが、あれは一時預かりである。
しかも再処理でまた燃料になるからという前提がある。
仮に「再処理は不可能」「ただのゴミ」とみなされたら突き返される。そういう約束なのだ。
「もんじゅ」は明らかに失敗したのに、更に続けようとするのはこの事情がある。
もちろん「原発やめた」となれば、これも同様だから突き返される。
事業者は処理できない廃棄物を抱えて身動きが取れなくなるのである。

もっと言えば“あれ”は会計上「廃棄物」どころか「資産」扱いなのだそうだ。
つまり、「原発やめた」で資産から負債に転換してしまうという会社として恐ろしいことになるのだ。

廃炉問題

数年前、廃炉の積立金もろくに積み立てていないと言うことが露見した。
本来は発電コストに含めて積み立てるのが当然なのだがやっていなかった。
ふざけた話である。
そして現在、廃炉コストを新電力販売事業者を含めた「全国民で負担」することが検討されている。
廃炉コストは電気代の一部というスキームに組み込まないと会社の経営に悪影響を及ぼすレベルということでもある。

再稼働はひとつでもしないと“電気料金”に組み込めない

原発は発電をしているからこそ、そのコストを電気料金に転嫁することが可能である。
原理的には原発事業であるべきだが、ぎりぎり全体にかぶせられるのが発電をしているということである。
発電をしていなければ電気事業とは関係なくなるので「自己完結で勝手にやってくれ」となり、上記のとてつもないコストを所持者である各事業者がかぶることになる。(もちろん当然の結末であるが、現実として潰れかねない)

コスト先送りの結果

これらは、昔の世代が建てて利用していた原発というコストのツケを、今の世代が払うという図式になっているのだ。
今の“年金破綻”と図式は同じである。(別に世代間対立を煽る話ではないので勘違いされぬよう)
本来は享受者が払うべきコストをずっと先送りにしてきたのだ。
そしてその“謝罪と精算”を先送りしている現政権も問題である。

考えてみれば事故がなくとも、廃炉の期限が来たら露呈する問題だったとも言える。
もっとも60年が近づいたらもっと伸ばすという算段があったようだ。
どこかで正しい見識で諦めればまだしも、老朽化による事故が起きるまで続いていたのだろうか。
恐ろしい話である。

まずはこの図式を直視しなければならない。
原発を段階的になくす、というのは、単に発電所の稼働数を徐々に減らすというだけではない。
これらの莫大なコストを一括で払うのではなく、短くても今後の十数年の“ローン”で払っていこうという算段なのだと思われる。
よく言えば「ソフトランディング」である。

“原発即時撤廃”を現実として日本が取れないという国家レベルの問題である。
きちんとその時々で“決算”していれば即時撤廃でも障害はもっと少なかった。
ドイツは撤廃が速かったが、これはあたりまえのことをきちんとやっていたのだろう。

例えば、最悪でも数兆の税金を突っ込めば解決するのなら、一国のトップ判断でできることである。
しかしやらないのはトップがよほどヘタレなのか、数兆なんかで済まない話だからである。
単純にこれは政治・政策的な問題である。
他の国はできても日本ではできないという理由である。

更に現状悪化させようとする現在の官僚と政府の問題

様々な過去に組み立てられたシステムの負債があるのは今言っても仕方ない。
しかし、更に原発関連費用を不明瞭にするシステム設計は大問題である。

過去のものは仕方がないので精算していき、今から設計するシステムは極力、透明性を持って原則論でやるべきだ。
しかし明らかに逆行しているやり方を進めているのは、今の官僚はもちろん、それを看破できない政府(内閣や総理大臣)の問題である。

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2016/12/18

原子力事業のツケを国民に転嫁へ

リンク: 原子力事業の弊害さらに増大、政府と東京電力の責任を国民に転嫁へ (1/2) - スマートジャパン.

一部マスコミでも取り上げられたが、原発事故費用を国民に押しつける方策が出された。

問題なのはこの方策が、経済産業省の内部で勝手に決まり、閣議決定されることである(福島の復興というオブラートに隠してやるらしい)。
内部というのは非公開という意味である。(ラジオで河野太郎衆院議員が言っていた)

 合わせて22兆円になるが、賠償費用は新電力にも0.24兆円を負担させる方針だ。この点に関して、委員会が策定した骨子案では次のように説明している。

  • 賠償に係る資金は、事故事業者と原子力事業者の負担金から充当されるという原則は変えない。ただし、賠償制度は2011年に機構法(原子力損害賠償・廃炉等支援機構法)で追加措置。福島事故への対応に関しては準備不足。この制度不備を反省しつつ、電力の全需要家から公平回収する仕組みを検討する。

全くおかしな日本語である。国語のテストであれば×であろう。
こんな日本語を日本省庁のトップである経産相のエリート官僚が書いていると思うと、日本の教育程度の低さを大きく危惧してしまう。

「事故事業者と原子力事業者の準備不足」の準備不足であり、負担が少なかったことが制度不備であるから、不足とならないようにこの両事業者による負担(適切な積み立て、もしくは保険でも良い)を行う、とするのが正しく論理的な日本語である。
「電力の全需要家」が唐突に出てきており、意味不明である。
そして原発の発電コストとして加算されるのがごく自然な形である。

賠償制度の不備を言うのであれば、それを5年近くも放置してきた、経済産業省や行政の長たる安倍政権の責任である。
その点では税金投入という文脈であればまだしも、全需要家はおかしい。
なお、税金投入時には記事にあるように国民への謝罪は大前提である。

国民の負担増加は福島第一原子力発電所の事故費用にとどまらない。原子力発電所の廃炉費用に関しては、電力会社(原子力事業者)が電気料金で回収する制度になっている(図2)。従来は運転開始から60年以上で廃炉する規定を設けていたが、福島の事故後に原則40年以上に短縮した。そのために発電設備の資産償却と廃炉に必要な解体引当金が不足する。

これも同じく託送料金という形で国民全体の負担にしようとしているらしい。
そもそも予定通りでも不足しているという実態が露見したが、そこはきちんと分別されるのだろうか。

私が原発再稼働反対なのは、これらのスキームがこのようにまだきちんと決まっていないままだったことも1つである。
やっと出てきてこのような“結論”とは呆れるしかない。

問題なのはただでさえ高い託送料金が、このような本来の主旨ではないコストを転嫁されて高くなることである。
託送というのはコストカットしやすい部分であり、ジリジリと設備(メンテナンス)品質を落し、送電ストップなどの事故に繋がる。
それは社会負担となるのである。

うがった見方をすれば、これによって「やっぱり停電が多くなったじゃないか、発送電分離は間違いだったんだよ」とか言い出す輩が出てくることがおきやすくなる。
発送電分離というのは日本では初めての試みであり、諸外国でもマイナス面も認められているのだから、マイナス要素は極力排除してスタートすべきである。
それなのに外部責任問題を突っ込んでくること自体の神経を疑うのである。

私は原発という発電方式自体をさほど否定はしていない。
将来性に関して、いわゆる再生可能エネルギーより劣るが、化石燃料よりはましと思っているのだ。
日本という自然災害が障害になりやすく、燃料自体も結局外国頼み、日本全体の地表を見れば工業国よりは農業国、自然環境に敏感な方、科学的リテラシーは低いが意識は高い、等々の特性を持つ日本ではコスト的に見合わないのではないか、と思っているだけなのである。

しかし、このような奇妙奇天烈な制度を設計して理念的、論理的に全体をぶち壊すようなことをすれば、原発自体を大きく恨まざるを得ないのだ。
そもそも原発関係にはおかしな制度がたくさんあり、それが私の原発に対するマイナス評価を顕著にしている要因なのである。

今回の件で、さらにマイナス評価を更に高める、醜態の上塗りをするのかという感しか無い。

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2016/12/17

年金改定法案でおかしな報道・論議

賃金連動の“賃金”って何?

年金カット法案とか本質をつかない議論や報道には辟易する。
今回の顛末の意味を理解しているマスコミがあったのだろうか。
私自身もなにをいっているのかすら殆ど理解できず、ごく一部のまっとうな“識者”や“ジャーナリスト”の意見の断片を集めてようやく理解ができた。

一言で言えば「賃金連動型」である。
物価条項もあるが、物価よりも賃金の支配が大きい。

問題なのはその“賃金”って何?ってことである。
賃金に関する指標は様々なものがあり、その時々の議論に応じた都合の良い数字が示される。
“本当の”賃金でみれば下がるというのはほぼ確実であろう。
「大手企業の(労働組合に所属するいわゆる正社員のみの)平均賃金(よく都合の良い数字としてでてくるのはこの数字)」または「国家公務員の平均賃金」であればおそらく下がることはないだろう。
つまり“賃金”なるものの指標を実際にどこに置くかによって上がるか下がるかが変わるのだ。
だからこの観点で言うのなら、指標をどうするかという議論は非常に重要なのにも関わらず、一切その話が出てこない。

本当は「賃金」連動ではない

結論を先に言うと「賃金」ではなく、直接的には「年金保険料の総収入」のようだ。
ただこの年金保険料は賃金に連動するから、間接的には賃金連動であるという理屈のようだ。
この辺も一部の議員含めておかしなことを言う人もいるので混乱するのだ。

年金方式の根本がいつの間にか変わっている

そもそもこの話の前提としては、一つ押さえておかないといけない話がある。
今回の改正以前に、年金に関する国民への説明があまりに足りず、“勘違い”している人が多数いるようだ。

過去の年金は積み立て方式といって、自分の代わりに年金が積み立て貯金・運用をしてくれていてそれを定年=満期になったら今度はそれを崩す形で月々のお金を貰う方式(少なくとも制度としては)だった。
この話が前提だと、年金の運用で損した得したと一喜一憂しなければならない。

ところがいつの間にかこの方式を転換した。(識者に言わせれば「常識」らしいが私のような一般人にはいつの間にかなのである)
なぜ転換となったかと言えば、過去には僅かな支払いで、とてもそれでは積み上がっていない額の年金を支払う時代になってしまったからだ。
年金初期では月々100円程度の掛け金でという時代もあったそうだ。
いくらインフレ・高度成長の時と時代が違うと言っても、いくら高金利時代があったとしても、それはいくらなんでも足りなくなるのは明白である。
常識に考えて、月々最低限暮らせるお金の、数分の1程度は金額を積み立てないと足りなくなるだろう。
つまり“破綻すべくして破綻した”といえる。
これを民間でやったら“詐欺”である。
ではなぜ“詐欺”にならない、訴えられないかと言えば、払えているからである。

今の年金方式

いつのまにやら「年金を徴収して、それを受給者に分配する。不足すれば税金を投入する」という方式に変えたのである。
この説明をきちんと受けたことのある(そういう覚えがある)人はどれだけいるのだろうか。
一般的な年金の説明では上記の積み立て方式をなんとなく行う人が多いので、なんとなくおかしいなと重いながらも、そう思い込んでいるだけではないのだろうか。

本来は徴収と分配はトントンでなければならない。
しかし前述のように老人が“増え”て、労働者が“減った”ので破綻寸前である。
でも、この方式は税金部分が耐えきれなくならない限りは破綻のしようがない。
そしてこの税金部分を「福祉のための消費税」と言葉の上でごまかしたのである。

さらに将来的に更に厳しくなるので消費税は上げなくてはならない、と言っているのである。
根本のごまかしを言わないでいるから、そこから発展した理屈を理解できないために殆どの人が「なんとなく納得して(ごまかされて)」いるだけである。

そもそも年金は年金で解決する問題であり、年金は“福祉”ではない。
もし税金で賄うのは何ら問題は無く、福祉だというのなら掛け金(保険料)も税金と同様に強制徴集にすべきである。

税金投入によるごまかしの限界

ところが、税金投入自体も耐えられなくなってきている。
老人が増えすぎたから、とごまかす人もいるが、その人がきちんと国に貯金をしていたらそれに見合う額が貯金残高としてあるはずではないか。

そして頼みの綱だったはずの消費税も景気への悪影響が見過ごせないと流石に判って二度も見送りしている。
一回目は“景気条項”があったので見送ってもなんら問題は無かったが、安倍政権では二回目はわざわざ見栄を張ってその条項を外したので解散選挙までして(何十億というお金を浪費してまで)見送りを正当化するという失態をしている。

消費税に関しては、多分次は安倍政権末期の“上げ逃げ”があるだろう。
「安倍政権下では景気が上向いたが、安倍政権が終わってからはまた景気が下がった」という話を作るには最適な手法である。

徴収分はどうなっているのか

そうなれば本来は徴集分に手をつけなければならない。
実は年金という一括りでいうが、国民年金と厚生年金の2つがある。
後者はいわゆる会社員(源泉徴収される人々)のためのものであり、それ故にきちんと収支が収まっている。
つまり仮に厚生年金だけなら何ら問題は無い。
(ただし徴収額は年々上がっており、賃金上昇率を上回る。つまり可処分所得は減っているのが実態なのだ。国民感覚で賃金が上がっていないのはこれも原因だろう)

問題なのは国民年金の方なのだ。
未納率が高いという問題もあるし、いわゆる扶養者、配偶者の扱いもある。
“その他”扱いなので扱いが難しいという本質的なところもある。
ともあれ、将来受給者となる人に対して、徴収している額や人数が明らかに足りないという問題があるのだ。
根本的な問題はここなのだが、当然、とても難しい問題なので“先送り”である。

では支出を減らそうということ

ではどうするかといえば「入ってくるお金が下がったら、出すお金も減らす」というシンプルな話である。
政治的に(税金的問題で)下げると決めれば反感が凄く出る。
だから賃金に責任転嫁をすると同時に“自動的に下がる”ようにするのである。

年金徴収額は税金と同じように、給与(賃金)が上がれば徴収額が上がり、下がれば徴収額が下がる。
これが「賃金連動」という意味合いである。

本当は賃金連動でさえないのだが、判りやすくするために賃金連動という言葉を使ってさらに判りづらくしている。

さて、そういう深慮はせずに、知らんぷりしてストレートに捉えてやるのも手である。

いくら総理大臣や各大臣が「賃金が上がった」などと言い張っても、その年の「年金が下がった」らそれは「賃金が下がった」といってやればよい。
ただし「賃金が上がった」と吹聴している安倍総理はもう嘘はつけないねえ、ざまあ、というのは間違っている。
これが実施されるのは3~4年後である。つまり安倍総理はもういないのだ。
実はこれも「時限爆弾」なのである。

ちなみに10年ほど遡って今回の方式で試算すると年金額は毎年下がる一方なんだそうだ。
つまり「賃金が上がっている」というのは大嘘で論理的整合がとれていないのである。

ちなみに現在の“積立金”は?

年金基金運用団体が株で儲けたの損したの論議も、もはや馬鹿馬鹿しい状態なのだ。
その積立金で賄っていた時代ならまだ問題とすべきだが、もはや年間支払総額の半分にも満たない。
いってみれば収入を断たれたら、半年待たずに貯金が尽きてアウトという状態なのだ。
この現実も知っていないと今回の論議の意味が分からないだろう。

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2016/12/15

バグならば・切ってしまえ・高速起動(Windows10)

Windows10にしてから嫌な問題が二つ解消できなくて困っていた。
一つはRAMディスク(電机本舗)が上手く動かない(よく“ディスクが壊れる”)
一つはネットワークディスクが接続できないと警告が出る(しばらくすると自動接続される)

正確には移行後はたまにしか問題なかったのだが、なんとかアニバーサリーの後から頻発するようになっていた。

RAMディスクの件で調べてみると、どうやらWindows8でも起きていた問題で高速起動をすると駄目らしい。(うちのWindows8/8.1環境ではまったく問題なかったのだが。)

そこで高速起動をとめてみようとした。。。が、嫌がらせのように判りづらい。
1.探して「高速スタートアップを有効にする」にチェックが入っているのを発見。
しかしグレーアウトして変えられない。なんの嫌がらせか。
ボタンなのか説明書きなのかわかりづらい文章をクリックすると画面が変わる(赤矢印)
1
2.チェックを変えられるようになったのでクリックして外す
2
3.これだけでは決定にはならないので注意。下の方の「変更の保存」を押すこと。
3
これでやっと適用される。
このキャプチャではウィンドウを小さくしているから気にならないだろうが、“普通の大きさ”だとえらく空白がある下なので気がつかない。というか一度見落としてウィンドウを閉じてしまった。

さて「高速スタートアップ」ではないのはどの程度遅いのか。
起動時にクルクル回るのが、高速では0.8回転ぐらい、高速をやめると1.8回転ぐらいである。
実際問題として殆どどうでもいい。もしこれが5回ぐらいなら悩みどころだが。

この設定にしてからはRAMディスク問題も、ウザイ警告も出なくなった。
めでたしめでたし。

ちなみにこれ以外も高速スタートアップに起因する問題はいくつかあるようだ。
バグフィックスするまでは当分切っておいた方がよさそうである。(まあ、いつまで経っても治りそうもないが)

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2016/12/14

Kindleで青空文庫(2)

なんだ。Kindleストアで青空文庫“販売”しているのか。¥0で。
まあ、応用の利く話だし、前回の記事はそのままにしておこう。。

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2016/12/11

Kindleで青空文庫

タイトルの目的で色々検索してみてみると、いろんなツールやWebアプリなどの環境が整っているようで良いことだと思う。
私はあまりツール(アプリ)とか入れたくないという感があるので参考にしながら色々試してみた。
Windows/Linux/Mac等に依存したくないという部分もある。AndroidやiPad/iPhoneでもできたらなお良い。

やってみたら簡単な話である。

まずは基本的な事項を改めておさえておこう。

Kindle側としては、Amazonのサービスとして「Kindleパーソナル・ドキュメントサービス」というものがある。
これは電子ブック形式はもちろん、*.pdfや*.doc/*.docx(MS-Wordのファイルのこと)やら*.txt(テキストファイル)、*.html、画像ファイル(*.bmp、*.png他)等を添付して、とあるアドレスにメールで送ると変換してクラウドに入れてくれ、自動的にKindleと同期してくれるというものである。
これを使えばKindleとPCをUSB接続しなくてもKindleにファイルを転送できる、と考えても良い。
このシステム自体は理解するのにそれなりにややこしいところもあるが、Kindleを使う上で基本的な事項のひとつなので把握しておくと今回に限らず便利なものである。

青空文庫側としては、青空文庫のサイトで、通常ルビ入りテキスト(*.txt)もしくはHTMLファイル(*.html)をファイルとしてダウンロードできるようになっている。

それならば、まずは単純に*.htmlファイルをダウンロードしてそのドキュメントサービスを使ってやったらどうであろうか。

ファイルをダウンロードしてそれを添付してメールを送るだけである。
(なお、ヘルプには変換の時は題名を「変換」と書けとある。必須かは各自で確認して欲しい。私は礼儀として入れるようにする)

結果として問題は特にない。
Kindle上では題名の場所にはファイル名(拡張子なし)、作者名の場所はメールアドレスが表示されるのは少々嫌な感じだが、送信前にファイル名を「題名・作者名」とかにしておけばまあ問題は無い。

ルビ付だから行間がおかしくなるかと思いきや、問題ない(昔のWebブラウザの縦書きはこの辺がおかしくなりがちだった)。
これで良い、と思ったらこれで話は終わりである。

しかし表示は横書きである。
青空文庫リーダーは多くは縦書きである。
昔の文学作品が多い青空文庫愛好者はここに拘る人は多い。
どうして横書きかと言えば、Webは英文文化、HTMLは横書き前提で作成されているからだ。
実際、このHTMLファイルをWebブラウザで表示すると横書きになるのだから当然である。

それならHTMLレベルで縦書きにしてやればいけるのではないか。
最近のブラウザは縦書き表示対応がそこそこできている。(既にCSS3としては定義されているものだ)
要はHTMLファイルをちょこっと編集して縦書き指定してからならどうだろうか。

やり方は簡単である。
例えば、ファイルをテキストエディタで開いて
<body>
と書いてあるところを探して
<body style="-webkit-writing-mode:vertical-rl;">
と書き換えてやれば良いだけのことである。
(心配性の人は送る前にChromeで表示させてやると確認できる。なおFirefoxでは縦書きにはなるが表示がおかしい、IEでは文字は回転するがこれでは縦書きにならないと思う。Safariはwebkitなのでうまくいくはずだ)

ただし、ページ送りは右下タップなどの左から右ページ送り状態である。
私は違和感がないのだが、嫌な人はこのやり方では解決しようない。
ここまで読んでくれて申し訳ないのだが他を当たって欲しい。
これは電子書籍の仕様を理解しファイルを作る話になってしまうからだ。

ちなみに縦書きで左から右というのが良いという人はvertical-rlをvertical-lrにするという選択肢もある。
これを“日本語の縦書き”としてアリだナシだは置いといて、こちらの方が違和感がないひとならやってみたら良いと思う。

最後に手順をまとめよう。
①青空文庫からHTMLファイルをダウンロードする
②ファイル内の<body>を<body style="-webkit-writing-mode:vertical-rl;">に書き換えて保存する。
③ファイル名がKindle上での本の題名となるので好きに変える
④Kindleパーソナルドキュメントサービスの指定されたアドレスにそのファイルを添付してメールを送る(題名は「変換」とする)
あとはしばらく待てばKindleに反映される(当然だがKindleはネットに繋がった状態にする)

(補足)
-webkitというのはブラウザ固有拡張の書き方であり、CSSの規格上は
<body style="writing-mode:vertical-rl;">
が適当だ。しかし現実としてこれでは縦書きになってくれない。
変換サービスのレンダリングエンジンとしてwebkitを使っているからなのかも知れない。

将来的には-webkitは不要になる筈である。
定型的にやるの(スクリプトとして処理するとか)なら
<body style="-webkit-writing-mode:vertical-rl; writing-mode:vertical-rl;">
とした方が適当かも知れない。別にこちらでも問題なく縦書きになる。

(補足2)
CSSで定義すれば基本フォントをボールド(太字)にしたり細工が色々できる。
定義が長くなるのなら、HTMLファイル中に<style></style>で括って書けば良いだけだ。
(CSSスタイルシートを別のファイルで用意しても単に「変換できないファイル」と認識されて受け付けてくれないので注意)
なお、この辺りのCSSとしては
http://netbuffalo.doorblog.jp/archives/4241501.html
が参考になるだろう。

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2016/12/10

風邪の流行:「体調管理」とは個人の問題だけなのか

「体調管理」は個々の問題だけなのか

インフルエンザや風邪が例年のように流行っているようだ。
よく個々の「体調管理」とかいう言葉で片付けられる。
まあ、マスコミが言う場合は生活環境全般(もちろん会社など)も入る。
しかし会社がいうのを聞くと「無責任極まりない発言」と感じてしまう。
もちろん個人の“体調管理”もあるが、環境の整備ができていない(責任を果たしていない)のに個人の責任に押しつけている面も多分にあるからだ。
要は会社側が何もしていない例が殆どではないか。

なぜ風邪をひくのか

大雑把に言えばインフルエンザや風邪(というか多くの感染症)は

その人の免疫力<病原菌の感染力

となったときに発症すると考えられる。
菌(ウィルス)はどこにでも存在しているし体内に入ってくる。
それを免疫力で無効化するから健康でいられる。
しかし物理的に濃度が高かったり、活性力が高ければ感染しやすくなる。

免疫力は個々人に依存することは多い。そこは個人の問題である。
しかし感染力を“制御”するのは会社側の“労働環境”によるものだからだ。
具体的に言えば“湿度制御”である。

湿度管理の重要さ

濃度については換気?とか思うが、もちろんそれもあるが両方とも湿度に大きく関わっていることが知られている。
インフルエンザウィルスは湿度が低いほど活性化してしまい、逆に高ければかなり不活性化してしまう。これは感染力に関係する。
また、空中を浮遊するものも湿度が高いと水分がウィルスの周りに付着し、重くなって落ちやすくなる。

湿度が低いと喉の粘膜などが炎症傾向になり、免疫力が低下する。
これは誰しも経験することだろう。(免疫力までは体感ないだろうが)
繰り返すが、あるなしのデジタル的な話ではなく、ある閾値を超えると発症がみられるものであって、その発症の軽重も当然ある。

労働環境として湿度管理はされているのか

検索してみると、湿度の管理というのが会社でされているかについての調査があった。

冬季のオフィス環境における低湿度の実態と対策について

ポイントは二つ
・湿度管理は努力義務だがある。40~70%と数値も提示されている
・湿度管理はほとんどの事務所で実施されていない様子
ということである。
ここで「事務所」となるが、職場と言っても屋外や工場などば別の話となるのだろう。

温度管理をきちんとしている会社は多いと思うが(流石に寒い暑いは労働環境として判りやすいからだろう)、湿度管理も法律で決まっていることを知らない人は多いようだ。
実際に私の勤務している会社でも、過去に一度“湿度管理”について上司に問うたが「いや、湿度は管理に入っていないのでは」「少なくともやっていないなあ」という回答だった。
付け加えるのならば、その上司は会社の中で部門の“労働安全衛生”の“委員”であり、むしろ詳しくなければならない立場の方、である。

念のため法文も確認しておこう。
事務所衛生基準規則
第五条三項
3  事業者は、空気調和設備を設けている場合は、室の気温が十七度以上二十八度以下及び相対湿度が四十パーセント以上七十パーセント以下になるように努めなければならない。

冷え性も湿度の問題=労働環境では

もう一つ、湿度が低いと起こる問題がある。
それは“冷え性”である。
湿度が低いと皮膚から水分が蒸発しやすくなる。
冬場は洗濯物が乾きやすい、干し物を作るのに適している等からも容易に理解できるだろう。
水分が蒸発すると気化熱を奪う、つまり皮膚の温度を下げてしまう。アルコール消毒で一気に奪うと冷たく感じるのと同じ事である。
温度自体が低かったり、床が気温に比較し温度が低いということもあるが、湿度が低いから冷えるという側面もあるのではないか。
手先が冷えたり、多くの女性で足が冷えるというのはこれが空気にさらされる皮膚で起きるからだ。
多少寒くてもズボンをはくような工場では冷え性が起こりづらく、スカート着用とされる事務系では起こりやすいのはこのせいと考えるのが妥当と思われる。
そしてこの“冷え性”も体に負荷が掛かるから、免疫力の低下を招く。

冬の脱水症

また、水分が蒸発するということは冬場でも脱水症状になりやすくなっている。
当人には汗をかいたような自覚は無いのだが、思う以上に体から水分が奪われているのだ。
水分が奪われることは様々な疾患の要因となるし、自覚がわかりやすいものでは粘膜・粘液の分泌低下を招き、炎症を起こすなど、免疫力の低下につながる。

湿度の低下は様々な側面で体の抵抗力を奪ってしまう。
またウィルスを元気にしてしまう。
これがインフルエンザや風邪が流行するメカニズムの一つではなかろうか。

労働環境軽視

個々人でできることはあるが、会社側もやることがある。
法令で努力義務とされており、軽視する傾向ではあるのだが、しかし努力もしていないのは法令違反ともいえる。
(努力としているのはやらなくてもいい、という意味ではない。どんなに頑張ってもすべての場所で40%というのは結構難しい。空気の循環も考えないといけないからだ。だから努力義務としているととらえるべきではないのか。)

日本ではこういう労働環境というのは軽視されていると言わざるを得ない。
高度成長時代は人間軽視とならざるを得ないが、真の「先進国」成熟国になるには人間軽視論理は払拭される必要がある。
「働き方改革」などという論議も結構だが、今ある法令をまずは徹底することも重要ではないのか。
その改革で大きな課題とされる労働時間が典型例だ。無給時間外労働(いわゆる「サービス残業」)等は“奴隷禁止”という法令すら想定しない悪事である。不正会計という側面もある。
そのくらいの意識でやっていかないとダメだろう。
時間制限やらインターバルやら細かい点をいくら見直しても従わなくては無意味だろう。

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