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2016/11/19

高齢者事故問題に思う、運転免許更新のそもそも論

年齢で測って良いのか

年齢によっての免許返上やらが何度もテレビで取り上げられている。
御高齢の住職が返上したのをなにやら美談かなにかに祭り上げているのを見ると違和感を感じる。
なんでこんな感情論に持っていくのだろうか。マスコミのミスリードである。

私は年齢を基軸で論じるのは基本的な誤りだと思う。

そもそも運転免許証は「運転するに足りる、身体能力、判断能力、技能、知識を持ち合わせている」ことへの免許証ではないのか。
免許発行においては過大とも言えるほどの実技・学習をさせられる。
それに払うお金は数十万に及ぶほどであり、更に大型車や特殊車には更にお金が掛かる。

それらのスキルを持続しているかを確認するのが「運転免許更新」の筈である。
しかし殆どが書類だけで更新をしており視力検査だけパスすれば後は寝ていても再発行される。
免許更新と言うよりは再発行手続きのようなものだ。

本来論で言えば、この更新手続きできちんとスキルを確認すべきである。

その原則の上で、例えば50代までは書類審査だけでパスするとかの例外扱いにすれば良い。
簡単なテストをやって疑わしき結果であれば、きちんとした試験をやるという考えもある。
(せいぜいが重大事故や違反、小さくとも繰り返した等では再教習を課せられる程度である)

日本では試験というと“落すための試験”が横行しているので(学校の入試とかはそうだ)試験アレルギーの人もいるだろうが、普通に運転している人でふざけていなければ100%パスするような試験で良い。

当り前だが、これに通っても事故は起こす可能性はあるレベルである。
だって免許を取得した普通の若者・壮年だって事故は起こすのだから。運転免許なんてそんなものである。
落ちるのは「このまま運転を続ければ確実に事故を起こしかねない」レベルの人だけである。
できるのはそういった人達による事故確率を減らすことだけである。

「判らなかった、覚えていない」はむしろ重罪

事故を起こした時に「何をしていたか覚えていない」という言葉が出る。
おそらく本人は免罪符のように言っているのだろうが、むしろ逆であると言う風に私は感じるし、そういう空気になって欲しい。

完全に周囲の状況を把握していてなお回避手段がなく事故に至った、のであればまだ改善の余地がある。
覚えていないでは、何も対処ができない。
認知障害の疑いがある言葉ともとれる。

この対策には超簡単な認知症確認をすれば良い。

テレビでも良くやっている、ごく簡単な記憶テストや空間把握テストである。
例えば「今、あなたが行きたい場所を言ってください」と質問して言わせる。
その後にいくつか全く関連のない(ダミーの)質問をしてから「ところで、さっきどこに行きたいと言いましたか?」と聞く。

「え?こんな簡単なテスト?」と思うかも知れない。
悲しいことだが、認知症というのはそういうことすらできなくなる。
親戚にいるから良くわかるが、今さっき自分で言ったこともすっかり忘れているのだ。

その場の対応はそこそこできるのだが、別のことを考えるとさっき何を考えていたかも判らなくなる。
もっというと、こういうテストをすると分かっていても対応ができなくなる。
だからこそ、一般生活でも支障をきたすのだから。

これは一つの症状だから他のも専門的見地からいくつか簡単なテストを考えれば良い。

認知能力の低下

人間は加齢のよって認知能力がどんどん落ちていく。
「一年が速いなあ」というのは様々な事柄に流されて過ぎていき、起きたことも忘れていることが多いからである。
周囲の状況を把握できずに過ぎていく、それに慣れていくと、認知しないことに慣れてしまう。

認知症というのは色々あるようで、今起きていることは認知できるし通常に会話できるのだが、過去の記憶を引き出せなかったり、今自分がどこにいるのかも判らなくなることもある。
一方でさらに過去のことは覚えていたりと記憶の時系列がおかしくなったりする。
記憶がまだらになるというのがある意味厄介でもある。

運転で言えば、交通標識を見ても何を示しているのかが判らない、自分がどこにいてどこに行くべきか判らない、もっといえば自分が直進すべきか右折すべきかも判らなくなる。二つ並んでいるペダルのうち、どちらがアクセルでブレーキかも判らなくなる。
「ブレーキとアクセルを間違えて踏んだ」というが、そもそもどちらがブレーキかすら判らなくなっている(認知できなくなっている)可能性もあり、判らないなら踏むべきではないという判断(過去の経験則)も引き出せなくなっているという可能性もある。

もっというとどちらかが判らなくなったのでちょっと踏んで確かめようとしたのだが、結果としてアクセルを踏み込んでしまった可能性もある。
これは次に書く「筋力の低下」も関係している。

筋力(筋肉制御能力)の低下

ブレーキとアクセルの踏み間違いに関しては筋力の低下を指摘する声もあるようだ。
ブレーキとアクセルには“段差”があるわけだが、ブレーキまで足が上がらずアクセルを踏んでしまう、という懸念である。
自動車を運転したことのない人に補足すると、ブレーキの方がより運転手側にある。
アクセルの位置で足を横にずらしてもブレーキの根元にぶつかるだけで踏めない。
アクセルの位置に足があった場合、足を自分の方に引き上げてから踏まないとブレーキは踏めない。

つまり自動車は本質的にブレーキよりアクセルを踏みやすい構造になっているのだ。
ユーザーインタフェース的には本質的な問題なのだが、今から変更する方が混乱を招くのでできないのだろう。
そしてその差をわかりやすくと言う意図か、その段差は結構ある。
私でも長時間の運転で疲れてくるとと違和感を感じる段差である。

事故の原因に急加速があるが、その原因は「自分の足なのにちょっとだけ動かすことが難しくなる」というところにあるらしい。
自分ではちょっとだけアクセルを踏んだつもりが実際には足が動いていない。
そこでもうちょっとだけ動かしたつもりなのに実際にはかなり踏み込んでしまっている。
微妙な調整ができなくなってしまっているのだ。

これも私でも長時間運転で足に疲労が溜まっていると、稀にヒヤッとする経験は確かにある。
疲れて足の感覚がおかしくなっているのだ。
もちろん次には修正ができるのだが、これは疲労が原因であるだけだからであり、筋力の低下や制御能力(感覚=センサー能力の低下)が原因であれば修正は難しい。

これは試験場で確認できると思う。
フットペダルを微妙に加減する動作をさせれば良いのだ。
カーレースゲーム用で数万円で売っている程度のものでも十分であろう。
そのペダルの重さのばらつきはあるが、もちろんそれは問題では無く、その重さも含めて感覚で掴み、ペダルの踏みしろを調整できなければならない。
実技でやるなら、免許試験でもやったSクランク運転(過度の徐行は禁止)や加減速運転をしてもらえば良い。

視野狭窄

加齢によって視野が狭まっていく、というのも運転には大きなデメリットである。
運転というのはいくつもの方向を見続けないといけないので、ある一方を見ていても他の方向も“視野に入っていること”が重要である。

スマフォ運転、ケイタイ運転が問題なのはそれに集中すると他の視野が極端に狭くなるためとされている。
例えばバックミラーに目をやってもそれに集中はしないので他のところも割と見えている。
ところが集中すると他が見えなくなる。
ごく当り前のことである。
これは目というセンサーが捉えているかではなく、それを脳が処理できているかという問題なのだろう。

加齢によって視野が狭くなると言うのは科学的(医学的)にデータがあるようだし、実際に測れば判ることであろう。眼科としては基本的な測定の一つであると思う。

また白内障にかかる率もぐんと上がる(日本の高齢者はほぼ全数とも言われる)。
白内障というのは本人が気がつかない程度だし治療が必要ではないというものもあるだろう。
しかし視力とは別に見えづらいものがでてきてしまう。

視力はコントラストの高い、白地に黒文字を見るので白内障で見えなくなるものとは違う。
実際に視力は1.5あると判定された一方で白内障で手術したという人が親戚にいる。
常に曇りガラス越しに見ているようなもので、明るさや色の差が少ないものを認識したり、遠近感に支障もあるのではと思われる。

これらも科学的・医学的に計測できるものだから、疑わしい人は測定(検査)すべきではないのか。

反応速度の低下

誰でも10代後半をピークとして加齢と共に反応速度は低下していく。
トップアスリートもそうだし、プロ級ゲーマーもこのことを言う。
それでも持続できるのはそれをカバーする経験値でしかない。
スポーツやゲームは記憶や経験値によって“予測・予知”をして前もって行動することが可能である。
そして次に来るのは「判っていたが体が反応できなかった」である。
先読みをどんどん深めていくが、それよりも加齢による反応速度の低下が速くなると「引退」である。

実際の運転ではこういった“人並み外れた反応速度”が求められるわけはない。
経験で十分に補えるものも非常に多いし、むしろ知識やスキル向上も含めた経験を蓄えることは重要だと思う。
だからこれも“どんくさい人”でもできるようなもので良い。

これは特に地方では重要視する必要は無いと思う。
ただ狭い道などできちんと通行できるだけの反応速度、もしくは徐行できる判断力があれば良いのだと思う。

そもそも「免許センター」は機能しているのか?

各都道府県に一つ以上「免許センター」なるものが存在する。
免許取得は「自動車教習所」で行うと言うが、実際にはそのスキルを習得するだけであって、発行はこの「免許センター」で行うことになっている。
そして免許の更新についても「免許センター」で行うことになっている。
つまり、この「免許センター」に、更新して良いかの判断をもっときちんとやれ、設備や判断スキルを持て、というのが本筋ではないのか。

何十年か前から簡易化されてゴールド免許なら警察署でも免許更新できるようになった。
(これも手続きができるだけであって後日免許センターが発行・送付されるようだ)
これはこれで便利なのだが、各警察署ではいいところ視力検査を置くのが精一杯だろう。
当然、設備や判定員を置こうとすればカネも掛かる。
それなら一定以上の年齢であれば、その設備のある免許センターで更新とすれば良い。
元々免許センターでの更新だったのだから昔に戻っただけでもある。

免許センターにはここまで述べたような検査をきちんとやるべきである。
検査については年齢で切って良いだろうし、余裕でクリアした人には次は○年後で可などとすれば良い。
まずは必須条件ではなく、本人にスキル低下を認識させるという目的でも良いかもしれない。
教習所設備も併設しているから必要に応じて実車による実技確認をしても良いだろう。
(弾力措置として各自動車教習所での事前確認ができる、としても良いだろう。免許発行スキルについてその教習所を“信用”しているのだから更新についても信用するのが当然である)
当然ながら免許更新時の価格も上がるだろう。時間もかかる。
また更新年もより短期にする必要もある事も指摘されている。

これのコストを払ってもなお、免許を維持する必要があれば、維持すれば良い。
もういらない、となれば返上(というか更新しないで失効)などを個々で判断すれば良い。
これは老人いじめとかではなく、安全を維持するために必要なコストである。
基本は受益者負担ではあろうが、全額本人負担ではなく、一定額は車社会全体(免許保持者)で払う=一般の更新費用の上昇、社会コストとして全体で払う=税金からの補助、等も検討して良いと思う。

最初にも言ったが「視力検査だけしてあとは殆ど何もしないで更新」という現状が間違っていたと考えるべきである。
サンデーならまだしも“盆暮れドライバー”や“ペーパーゴールド”事故も無視できない。

老齢だから運転してはいけないかのような論議ではなく、そもそも運転スキルが維持できているかどうかをきちんと判断し、それによって免許更新可能かどうかを判断すべきである。

免許の有効期限は、天下り連中を養うためではなく、更新時に再判断するためにあるのだ。

事故を起こせば死者を出してしまうような事柄であり、実際に死傷者を年間数千人規模で出している世界なのだからもう少しは免許更新を真剣にすべきだろうということである。

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2016/11/14

ポケモンGOの“浅さ”がまともになる日は来るのだろうか

「ポケモンGOをやっていたから」などと言い訳にならない供述をする交通事故の加害者が後を絶たないようだ。

移動速度の操作制限とか機能制限とか言い出すエセ識者がいるが私には納得しがたい。
そもそもスマフォなどという目視しないと操作できない機器を操作しながら、自動車運転をするという行為自体が大問題であり、免許剥奪ものの犯罪者なのである。
それをポケモンGOというゲームに転嫁するのは全く承知できない話である。

しかしその一方で、問題をおこすから移動速度の制限云々ではなく、ポケモンゲームとしての世界観的問題は否めない。
ゲームとしての、ポケモン世界の現実への投影という点でのリアリティの欠如である。

そもそも高速移動中(時速数十km以上)にポケモンを捕らえられること自体が全くリアリティがない。
高速どころか移動しながら捕らえることすらおかしな話である。(だんだんと距離を詰めているのは問題ないが)

捕まえる前に「バトルフェーズ」に移行し、やるかやられるか、捕まえるかで終了する。
その場から移動するということは「にげる」という行為であり、捕捉作業の“強制解除”が妥当である。
それが「ポケモンというゲームとしての基本仕様(リアリティ)」である。
ポケモンが“出現”して捕獲作業を始めた時点のポケモンの(仮想)位置から、例えば二十m以上離れたら即解除でもおかしくない。

もうひとつは移動中にポケモンをレーダーで捕捉できる範囲が広すぎるのも問題ではないのか。
これもゲームとしてのリアリティをおかしくしている。
たとえば広くともポケモンの半径100m以内に入らないとレーダーに映らない、ぐらいが妥当ではないのか。
またある程度の高速移動中は“レーダー”が正常に機能しない、という考え方もある。
レーダーというのは電波によるエコー反応を使って探索する。
場所を移動しながらでは原理的に正常動作は難しい。
ある程度補正ができるが、一人の人間が手に持って移動できるような装置ではほぼ動かないことが条件、というのはごく妥当な線だ。

もっといえばレーダー探索の結果が画面に表示されるまでに1秒ほどタイムラグがある、ぐらいがリアリティがある。
スキャンしながら段々と現れていく、というのもリアリティがある。

そもそもゲームもアニメでも“ポケモンレーダー”なんてものはない(最近のものはあるのだろうか?)。
さすがにポケモンGOというゲームで実際問題としてレーダーなしはきついだろうが、あまりに広範囲を探索できるのもどうかと思う。

ドラクエをイメージしてもらうのがわかりやすいと思うがポケモン世界では「そのマスに入ったら遭遇するかどうか」だけである(最近のエセ3D画面では違うか。最近作はやっていないので判らない)。
一部特殊なポケモン(イベント系)ではマップ上でそこになにかがいるのは確認できるので、それらであればもう少し長距離で反応しても良いかもしれない。(でかいポケモンはレーダーに映りやすいのは当然である)

そういうコンセプトで設計すれば高速移動は「あっという間に通り過ぎてしまうのでレーダーで検知できない」というのが当然の帰結である。

ポケストップも同じである。
「ポケストップの半径20m以内にいないとポケストップに対してリクエストもできないしアイテムを受け取れない」とすればよい。
当然ながらリクエストしてからアイテムが出るまで若干の時間は必要であろう。
その間はその範囲に居続けないとダメとすればよい。
結果として高速移動中はポケストップからアイテムを受け取ることはできない。

様々な設定や世界を構築(創造)して、現実として“見える断片”を映像化したゲーム、というのは自然と奥深くなる。
その断片の隙間からチラチラ見える“世界”にゲームとしてのリアリティや奥深さ・凄さを感じるものなのだ。
逆にご都合だけの紙ペラで辻褄の合わないような仕様を積み重ねたゲームはクソゲーである(残念ながらスマフォのゲームはこの類があまりに多くてウンザリする)。

ポケモンの世界を現実に投影した時のリアリティからすれば、そもそも自動車や電車等の移動中にこれらが「できる」自体がおかしなことではないのか。

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