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2016/08/19

問題点が多すぎる環境省の「COOL CHOICE」

環境省の「COOL CHOICE」が酷い。
「家庭ででききる節電アクション」なるものがあるのだが、酷い。
https://funtoshare.env.go.jp/setsuden/home/

賛同できる部分もあるが、あちこちに技術的・科学的に問題が散見される。
これではとてもではないが「賛同」しかねる。
7つのポイントで分類しているのでそれに沿って指摘していこう。

環境省にはもっと真面目に取り組んでほしいものだ。

①こまめにスイッチオフ!

◎エアコン:「冷房・暖房は必要な時だけつけよう」
「外出する場合は早めに切る、長時間使わないときはプラグを抜く。」
長時間というのは長期不在(数日レベル以上)という前提だろう。
それならまあ、これは良い。
問題は「必要な時だけつける」くだりである。
暑くなったら、寒くなったらこまめにつけたり消したりするのは非効率である。
まず起動時に消費電力が高くなる。また、希望温度との温度差が大きくなってから、人間の都合でオンオフされるのが一番困る。

エアコンの気持ちになってみよう。
必要な時だけ呼ばれて常に全力で動けと言われたらそれが一番つらい。
楽なのは常に普通に電気をいれておいてもらい、温度をエアコンが自分で監視して、自分のペースで冷暖房することだ。それがトータルで消費電力量が少なくて済む。
昔は全力で動くか、止まるしか能がなかったが、今は違うのだ。

◎テレビ:見ないテレビはこまめに消す
まあ、当り前だ。だらだらつけているのはそれ自体がムダ。

「リモコン待ち状態でも消費するので消すときは主電源から」はミスリードといえる。
確かに消費するが、テレビによっては「待機消費電力」は0.1W以下である。
通常使用時で50Wとすれば500倍の開きがある。一日8時間使うとしても、一分短くすれば良いだけの話だ。
主電源でなくても例えばトイレに立つだけでもリモコンで切る習慣がつけばその方がはるかに効果が高い。

ただし昨今の傾向として待機消費電力がだらだらと上がっている。
設計技術力低下に伴う設計性能の低い製品やコストダウン機種が増えているせいなのだろう。
特に海外メーカーは特に、各社はもっと真面目に取り組んでほしいものである。
もちろん買う方ももっと気を遣うべきである。
まあ、リモコンで切るだけでも高い効果があると考えよう。

また、主電源を切るデメリットとして電子番組表が消えてしまうことが挙げられる。
テレビに録画機能がついているものもあるが、番組表がないと録画ができない機種が殆どだ。
せっかく録画予約をしていても主電源を切ってしまったら予約録画されない。

夜中だけ主電源を切った場合は、主電源を入れた後にリモコンで電源を切った時、電子番組表を取得するために電気を食ってしまう。
それは夜中に節約した電気代を軽く帳消しにしてしまう。
ざっくり計算すれば50時間程度で釣り合う、つまり約4日以上待機状態を続けるなら主電源を切った方が得になる、といえる。

要するに主電源を切るとメリットが殆ど無いばかりかつまらない面倒(気を遣うこと)が増えるのである。

②待機電力を削減!

どういう数字なのか意味不明だが、待機時消費電力量は全体の6%という。
家庭内で使う電気機器で、なおかつ「待機時消費電力」という考えがあるものは少ない。
そしてコンセントを抜いて良いものは意外と数が少ない。

まずエアコンは切れない。
コンセントは高い位置にあるものが多く頻繁な抜き差しは危険である。

テレビはどうか。一日サイクルで考え、8時間使ったとして
50W×8+0.1w×(24-8)=400Wh+1.6Wh
1.6Wh÷(400Wh+1.6Wh)=0.3%と6%には程遠い。

仮に24時間365日、ずっと待機時としよう。
0.1×24×365=876Wh=0.875kWh

一方で例示しているのは285kWhであり、言葉通り全くの桁違いだ。

むしろ多いのはレコーダーかもしれない(環境省の「ビデオデッキ」とはレトロな言い方だ・・・)
これは時計などの表示をさせていると数W程度食っているので、本当にそれを時計として使っている以外は消しておいた方が良い。

また『「オートOFF機能」を使う』は「待機時消費電力を減らす対策」」としてはおかしいが、テレビ(一部レコーダーもある)の「無信号オフ」「無操作オフ」等は入れておいて損は無いだろう。これは後述のゲーム機問題にも繋がる。

ところで合わない数字のカラクリだが大きいのはエアコンと思われる。
また「電気便座」や「電気ポッド」を待機状態と勘定しているのだと思われる。
そうでもないとこの大きな差は説明できない。
節約が困難なものを入れて大きく数字を見せ、誤差レベルのいいところの節約を迫るのはまったく理にかなっていない。
ミスリードであると断罪せざるを得ない。

③エアコンで節電!

◎「カーテンで窓からの熱の出入りを防ごう」
確かにその通りであり、一定の効果はある。
ただし夏に、より大きな効果があるのは、家の中のカーテンよりも、外の“カーテン”である。

ひところ流行った「グリーンカーテン」がその一つであるが、あれは植物であるが故に面倒だ。
ある程度の敷地があって、地面があって、勝手に生えて勝手に枯れて勝手に土に帰る、そして落ちた種が翌年又芽を出す、のなら良いのだが、集合住宅や狭い住居では面倒この上ない。
というか私自身やってみて「これは無理だわ」と諦めた。

もっと簡単な手段がある。
外に日よけをつけるのだ。
日傘や帽子だけでもかなりの暑さ対策になるのと同じ話である。
日陰に入るだけでもひんやりするではないか。

実際に実験したが、昔からの「すだれ」は思った以上に効果がある。
それでも直射日光が気になるのなら、レジャーシートやビニールカーテン等を外につるす。
背の高い物干し台などを流用しても良いだろう。
窓はもちろんのこと、壁に直射日光を当てないで何かで遮るというのは非常に効果がある。

実際に測ってみたのだが、アルミサッシのフレーム(枠)に直射日光が当たるとかなり高熱になる(触ってみただけでも判るだろう)。
夏場で朝8時前ですら直射日光が当たると50℃以上もなる。
それが直射日光を遮るだけで35℃にもならない。(この時、室内は27℃、外気は32℃程度)
室内カーテンでもこれを緩和できるが、50℃の“物体”が室内にあることには変わりはない。
もっと根本的に押さえた方が効率的だ。

根本的対策としては断熱住宅仕様にすることだ。
窓を二重ガラス+断熱フレームにするととても効果がある。
可能なら二重窓にすると更に良い。
壁や屋根から伝わってくる冬の冷気や夏の熱気を断熱加工で遮るのが効果が高い。

④冷蔵庫で節電!

◎『設定温度はできるだけ夏は「中」、冬は「弱」に設定しましょう。』

意味が分からない。
確かに消費電力は下がるのかも知れないが、それが「節電」なのか?
「ただし食品の傷みにはご注意下さい」などと逃げを打っているのが無責任である。

設定温度をするのは本来は食品に合わせて温度設定を変えるものである。
つまり中に入れるもの、実情では詰め込み具合に応じて設定するものである。

冷蔵庫というのは購入時に電力を最も考慮すべき家電である。
大きいほどに消費電力が低いという事実を知らない人が意外と多い。
逆に言えば小さいほど消費電力が高い傾向にある。
(缶クーラーレベルになるとまた話は別だが)

でかいほどに断熱をしっかりできるし、効率よく設計しやすいのかもしれない。
また、同じ量を保管するとして、詰め込み状態になりにくいのでその点でも効率的だろう。
ただし、これは閉めっぱなしの想定であって、大きいと扉も大きいので開けたときに外部に流出する冷気が多くなり、実測でどうなのかは微妙だ。

⑤照明で節電!

◎「蛍光ランプは頻繁に点滅させると寿命が縮む」
昔聞いた話では「一回つけるとだいたい5分相当くらい寿命が減る」らしい。

こまめといったってパチパチやって遊ぶものでもなければまあ問題ないだろう。
退室時には電気を消す、これは既に習慣化している人も多いのではないか。

リモコン機能の待機消費電力の削減が書かれているが、待機時1Wという。
驚くほど高い電力だ。
いい加減な設計のものが多いのだな、と悪い意味で感心してしまう。
こういうところにきっちりと「規制・指導・誘導」をすべきなのではないだろうか。

「省エネ型の」と書いているが、調光機能のある照明は確かに効果が高い。
60Wの照明で、10%落とせれば6Wも落ちる。
明るさというのは意外と順応してしまうので、こういう微妙に落すことは効果が高い。

つけた瞬間はぱっと明るくするが、じわじわと明るさを落す機能をつけた照明器具もある。
LED照明は、実は蛍光灯型よりもいうほど省エネでもないのだが、こういった機能が充実している。

また調色機能が可能なものは、これも省エネに繋がる。
暖色と寒色という言葉がある。
人間は周囲の色によって体感温度が変わる、要は勘違いするのである。
つまり夏場は寒色、冬場は暖色にすれば冷暖房を弱めにできる。
また、暖色は眠気を誘う。夜早く寝て朝早く起きれば根本的に照明時間を減らせる。

これは早寝早起きは「朝チャレ」として推奨されているが、なかなかできないのが実情である。
なぜならなかなか夜寝付けないからだろう。自然に眠くなればこれほど楽なものは無い。

⑥テレビで節電!

この部分は突っ込みどころが多すぎて閉口する。
どれだけ無知なのだろうか。
ブラウン管時代の古い“言い伝えを伝承”しているのだろうか。

主電源OFFについては既に述べたので省略する。

「ゲームが終わったら」はその通りだが忘れ対策として「無信号オフ」を薦めるべきだ。
ゲーム機を切ったら信号がなくなるのでしばらくするとテレビも切れる。
少なくともずっと電源が入ったままということは避けられる。

それにしてもなぜか日本のテレビというのは信号がなくなると画面が真っ暗なままなのが不思議だ。
パソコンのモニターや海外のテレビは「無信号です」表示が出るものも多い。
(モニターだと無信号表示は一瞬ですぐに電源が切れるものが多い)
おそらく慣習なのだと思うが、つまらない慣習だと思う。

画面掃除についても、ブラウン管やプラズマなら画面が帯電して(静電気が発生して)ホコリを吸い付けるからこまめな掃除は重要だろう。
液晶は普通に窓ガラスよりも汚れない。
よほどホコリっぽい部屋にあるのならともかく、軽くなでるだけで十分だ。
一週間なんて私にはまったく考えられない。

音量については事実無根としか言いようが無い。
想像で書いたのだろうか。
もっとも私自身も自信は持てなかったので実際に測ってみた。
ほぼ無音状態と、ご近所迷惑レベルまで上げてみたが、電力計数値の違いは測定不能レベルである。(テレビ自体の消費電力はだいたい100W以下程度)
「必要以上に大きくしない」レベルで省エネに有為な効果があるとは思えない。
ちなみにシャープと東芝のテレビの2台で測ってみての結果である。
他の会社のものは違いがあるのだろうか。到底そうは思えない。

なお、とても効果があるのが「画面を明るくしすぎないように」である。
これは電力計で測っても十分に違いが分かる。
たいがいは周囲の明るさに適応して画面の明るさを制御する仕掛けがついている(初期設定でそうなっている)のだが、ちょっと体で影になるレベルでも、電力計で数W変わる。

テレビに直射日光を当てるなどは省エネの観点でも論外である。
照明をちょっと落したり、カーテンをかけて部屋の明るさを落すだけでも、テレビにとっては省エネ効果が高いといえる。

⑦他にもこんなところで節電!

◎炊飯器の保温
私は保温機能を使ったことはない。(一時間程度なら別である)
だいたい乾燥するし、糠臭さが強まる。
上等の炊飯器なら大丈夫なのかもしれないがうちのは比較的安物である。
食味の問題で御飯専用のトレイを買ってきてそれに入れて冷凍している。
思ったよりもおいしさを保っている。すくなくとも保温よりはおいしい。

◎電気ポット
「保温を控えましょう」ってそれなら電気ポットの意味が無いのでは?
意味不明である。

私はもはや電気ポットは使っていない。
少なくとも電気ポットの水を一日に一度以上足すぐらい使うのでもないと不要と思う。
では何かといえば、私が使っているのは電気ケトルである。
コップ一杯程度なら一分もあれば沸騰までいく。
衛生面でも良いし、ムダが少ないのではと思う。
一時的な暮らしで電子レンジが既にあるのなら、電子レンジで湯を沸かしても良いだろう。
沸騰よりも80度くらいのお湯の方がたいがいの飲み物はおいしい。

◎食器洗浄機
乾燥機能は控える、と書いているが、確かに私自身乾燥機能は使っていない。
洗浄直後はかなり高温になっているので、扉を開けていればすぐに乾燥する。
乾燥機はただの電気のムダではないかとすら思っている。

なぜこれらが問題なのか

問題なのはミスリード、事実無根、論理的、科学的、統計的に不可解、論旨のすり替えが目立つことである。
環境省などどうでもいい役所とは言えないからこその苦言である。

一つは原発に大きく関わる官庁であることである。
原発は放射性物質という健康被害が大きい特定危険物を扱う一方で、二酸化炭素排出という点で優良面も持つ。
環境省マターである面もあり、非科学的・非論理的な言動は致命的ですらある。

今回の話は「たかが省エネ」なのでぶっちゃけどうでもいいことである。
しかし、原発論議においてこのようないい加減な論理展開や説明、ミスリードを行うことはまったく許容できないし、受け入れられない。

これから環境問題というのは、少なくとも小さくはならない。
このようないい加減なことでは困るのである。

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2016/08/18

原発規制委員会や安全基準のとらえかたについて

前から書こうと思っていたのだが、つい書けずにいたことを書く。
この一つ前の記事の続きで書いたのだが、本題が変わってしまったので別記事にした。

それは、そもそも「規制委員会」や「安全基準」に関する考え方(とらえかた)である。

これらはもちろん重要な存在(要素)であるが、すべてを決めるようなものではない。
別の言い方をすれば「必要条件ではあるが、十分条件ではない」ということだ。

普通に人として話していても勘違いをしている人も多い。
そもそも多くのマスコミやコメンテーターも浅いので仕方ないのかも知れない。
さらに政治家にもおかしな考えの人も多くて閉口する。

根本は社会的に常識な話なのになぜ原発問題になるとねじ曲がるのだろうか。
非論理的・非科学的である。

規制委員会というのは責任が無い

元々規制委員会には何の権力もないし、何の責任(能力)も無いと言うことである。

最悪でまた福島原発レベルの事故が起きたとしても、せいぜいが全員が退任となって総入れ替え程度だろう。
元々なんらかの専門職があって集められた人達だから、クビを切られてもさほど痛くないだろう(国(役所)も職を斡旋してくれるだろう)。

そういえばリーマンショックにおける「格付け問題」にも似ている。
格付けの不確かさがリーマンショックの要因となったという「責任問題」をリーマンブラザーズに問うたのである。
それに対して彼らはなんと言ったのか。
「我々はただ一企業でしかない。私たちが私企業として基準で格付けをしただけである」

彼らからしてみれば、勝手に自分達の格付けを“神格化”しておきながら、間違っているということになったら手のひらを返して「責任問題」、ともすれば犯罪者扱いというのは不当である、と憤っても不思議ではない。
私もむしろこの点に関してはリーマンブラザーズの論理には同意せざるを得ない。

残るのは、たかが一つの営利的私企業の「特定の格付け」によって社会・経済が壊滅的なほどの影響を起こしたという事実である。
そしてひところではないにしろ、まだ格付け会社のランクを盲信している人もいて驚く。

規制委員会も現状でさえも、このようなことを既に言っている。
それに対してマスコミは「おかしい」「無責任」という論調をいう人もある。
私はその論調はどうかと思うが、まあ、不勉強なマスコミやコメンテーターはしょうがないだろう。

問題なのは、発する言葉に責任ある立場でありながら“神格化”している人がいることだ。

そもそも安全基準とは何か

そもそも安全基準というのは「安全とするにはこのレベルが(最低限)必要ですよ」ということでしかない。
まあ、一般社会の常識と言っても良いだろう。。
車の安全基準、電気製品の安全基準、ガス製品の安全基準、おもちゃの安全基準等々、世の中には色々な安全基準がある。
建物にも建築基準というのがあるし、危険物を扱う設備にも特定の基準がある。

発売・販売するには安全基準を満たしてそれを届け出をしないとアウトである。
そして安全マークという“お墨付き”を商品に明示する(車はマークがなかったかも知れないが)。

安全基準を満たさないこと自体も問題になるし、事故でも起こしたら会社に出荷停止や回収指示などの制裁がかかって大損害になるし、不買などの社会的制裁も受け、下手をすれば大赤字、倒産である。

では一方で基準を満たせば“安全”だろうか。

いうまでもなく車の事故は日々起きている。いわゆる整備不良や運転手の問題もあるが車自体の問題もゼロでは無いはずだ(なぜか日本ではほぼ運転手の責任に転嫁されるが)。
電気製品原因とみられる発火事故も、製品安全設計以外の問題要因が多いにしても、起きているのは事実だ。

つまり安全基準を満たしていることは、安全である必要条件の一つであって、十分条件ではないのだ。

「(規制委員会の)安全基準を満たしていれば問題ないと判断し再稼働」という言葉・考え自体がどれだけ愚かしいことか。

高い社会的立場にいながら、強い口調で繰り返し言っている人がいるから大問題なのだ。
それが、言うまでも無いが安倍総理である。

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原発安全基準の地震規模予測問題

川内に続き、伊方でも原発稼働が始まった。
みんなフクシマ原発事故の惨状を忘れてしまったのだろうか。
マスコミの扱いも小さい。
関心が少ないか、もう原発関係はやって欲しくないのだろうか。
そのことが私は一番悲しいし憤りを感じる。

まったく原発問題は片付いていないし、なんの反省もされていない。
「廃炉ビジネス」なる新たな産業が出来たと喜んでいる連中が発生したのが腹立たしい。
問題なのはそれが“新技術”と称して税金にタカり始めているのが大問題なのだ。

そして原因を追及し問題を解決しなければまた同じ事は起こる。
感情論ではない。ごく当然のことである。

これから書く話の発端はテレビで取り上げられていたことだが、なんの感情も湧かなかった。
言ってみれば「諦観」である。ああ、やっぱりその程度だったかというところである。

想定地震の基本的考え方問題

私は知らなかったのだが、「原発安全設計の想定地震」というのは“その場所”での最大想定なのだそうだ。

てっきりせめて日本の、可能ならば世界で最大の地震(当然記録のある、になるが)を想定しての話だと思っていた。
「これで大丈夫?」というシステムでも通っていて不思議に思っていたのだが、これを聞いて「なるほど」と思わざるを得ない。

そもそも「設備が活断層の直下」であるかどうかで揉めているのも私には奇妙に思えていた。
論点がそこなのか?
直下でなくても、少なくとも周辺数百メートルぐらいはヒドい惨状になるのでは?
直感的(科学常識的)にそうなることは想像に難くない。

そして4ヶ月前に“現実が”熊本で起きてしまった。
多くの人はテレビ映像でだがその惨状を目の辺りにしているはずだ。
断層による直下型地震。
熊本市内も酷かったが、震源の上にあった町は想像を絶する惨状であった。

原発であれば、施設全体の下レベルならアウトではないのか。
あの地域と原発の敷地内を取り替えて、その惨状を想像してみれば良い。
私には背筋が凍る思いだ。そういう想像力がないのか。
もっと心配をするのなら敷地内付近に活断層があったらアウトではないのか。

地震学は未だ浅い

地震学というのはまだ日が浅い。
別に否定しているわけではない。
そもそも地震を学問・科学の対象にするのは難しいのは容易に想像がつく。

科学の一つという観点でも、科学の根本である、実験や事実測定が圧倒的に足りない。
なにせ地中深く、掘りづらい固い岩盤の下、何万℃のマグマの動きが関係している。
表面的に見えるものでも断層といった過去の結果、火山の動き、年に数cm程度も動かないプレートの動き等から推定するのである。
震源も遠洋レベルの深い海底であることも多い。
現場に行って調べると簡単に言えても途方もない機材や人力等々、要するにお金が必要である。

最近の測定技術や解析能力の向上によってようやく実現することがある。
未だに日々進歩している。
まだまだこれからの学問であると言うことだ。

巨大地震となると数十年に一度のレベルであるから、研究者が一生に数度程度である。
場合によっては“古文書”を探るような話になる。
東日本大震災では千年も前に同様な記録があったことが大きく話題になった。
つまり千年に一度の大地震が、フクシマ原発事故の要因になったというレベルなのだ。

科学のもう一つの根本である「モデルづくり」もまだブラックボックス部分が多い。
まだまだ様々な仮説を立てて実証している段階だろう。

地震警報というのは科学的知見で地震を予知して鳴らしているのではない。
考え方は火災報知器と同じ話で、ある程度の火災(ぼやともいうが)になって始めて警告が鳴る。
震源から「あの場所」に揺れが届く(伝わる)までは秒単位のタイムラグがあり、一方、電気・電波なら一瞬なので、震源(近く)で発生した地震を検出し、その情報を瞬時に警報として届けるという考えである。

実際は地震の揺れではなく震源から電波(電気的パルス)が飛んでくるためそれを察知する方が一般のようである。
また、誰かの承認を得てから発するわけでもなく、機械的に瞬時に発する仕掛けになっている。
先の「東京震度7の誤報」も、「雷を誤検出したから」というのはそのためと考えられる。

地震想定方法の科学的誤り発見

このようなまだ日が浅い学問であるから、予知という自体が難しいし、日々覆ったりする。
それはある意味当然のことだ。

そこで今回の熊本地震の話になる。

日本全地域で地震予想がされる昨今、当然ながら熊本でも行われていた。
様々な学者が様々な方法(仮説)で行われていたのだろう。
その中で「活断層の規模から最大地震規模を予想する」方法があるそうだ。
残念ながら、その予想よりも大きな地震が起きてしまった。
最大で震度7という驚くべき震度を記録したのは記憶に新しい。

では他の地震で当たったことはないの?と思うかも知れない。
残念ながらこの考え方ができてからの初めての大きな直下型地震が熊本地震ということとらしい。
このことからも地震学、特にこの方法が未熟であるといえる。
厳しくいえばこの方法自体が「仮説」でしかなく、最初の実証で「失敗」したという言い方にもなる。
おそらく計算手法自体か係数が修正されるのが科学として当然であろう。

問題なのは、現在の「科学的見地に基づいた原発安全基準」の「最大地震予測」がこの方法と同じ考えで行われているらしいことだ。
繰り返しになるが、その地域で最大起こりえると予測する地震に耐えられれば基準クリアである。
その基準自体があの熊本地震で正確さを実証できなかった(過小評価となった)のである。

このことが元規制委員会でこの地震関係の責任者であった方から「問題では無いか」という提言がなされたという。
もちろん規制委員会でも論議されたらしいが「現状で問題なし」ということらしい。
何が問題ないのか非科学的な理由としか私には全く理解できないがそういう結論らしい。
なんなのだろうか。

話がそれるが、実はこの地震予想というやつは他の災害予測と同じく色々と経済的に問題があるそうだ。
うっかり大きな値を出すとその辺りの時価が下がってしまって“損害問題”になるという。
それはそうだ。
例えば「最大で震度7が起こりえる」なんて予想を出したら誰がそこに住むだろうか。
当然ながら公表される値は「控えめ」になるだろう。

この点からしても、正確な値を出せば出せすほど、良いというものでもない。
社会から必ずしも歓迎されるものでも無い。
むしろ少なめに出る方を信じたくなってしまう。
これは科学者としてはとてもつらいジレンマであると察する。

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2016/08/11

Windows10:「スタート」がまた変わって混乱

Windows8になってスタートメニューがなくなった問題を受けてか、Windows10では“元に戻った”
私は8で変えるのは別に構わないと思ったが、元に戻したことに腹が立っている。
だったら最初からやるな、である。

タッチパネルやらスマホやらへの展開を考えたというのなら、デフォルトは変えずに、拡張機能で全画面スタート&デカアイコンにすればよかっだけだ。
もちろんタッチパネルモデルPC/タブレットにはOEM向けデフォルトで全画面スタートにしておけば良いだけである。

そしてWindows10でまた中途半端でいい加減な対応をされたことに激怒している。

「全画面表示のスタート画面を使う」

元に戻すことに批判が来ることを回避するためなのか、設定-パーソナル設定-スタート-全画面表示のスタート画面を使う、によって全画面表示が出来るようになっている。
これが実に滑稽だ。私の場合の実画面を出す。

Png

初期状態から不要なアプリを削っているのだが、こんな風に左に思いっきり寄せられていて全画面を全然使っていない。
この下にさらに二画面分くらいのアプリがあって探すのにえらくスクロールするようになる。
横がスカスカだがもちろんこのディスプレイは4Kではなくて普通のFullHDである。

Windows10をクリーンインストールすればアプリも少ないのでこういうアラが出なかったのだろうが、Windows8.1からのアップデートで既にたくさんアプリが登録されていたからこういう滑稽なものになるのだろう。

いちおう解説しておくと、アイコン3つ分ぐらいで1「グループ」になっている。
Windows8.1の時点で、ある程度「グループ」になっていたのだからそれを継承すれば良いものの、全く無視されて無造作に一つのグループに放り込まれた、ということだ。
あれだけ8.1からのアップグレードを強要しながら、手抜きにもほどがある話だ。

なお、アイコンを右の空き地にもっていくとドラッグ&ドロップできる。
MS的にはそれでいいじゃないかというふざけた了見なのだろう。
一個一個仕分け作業をやれということらしい。
せめてまとめて選択できればまだしも、それもできない。
本当に間抜けな作業である。

「全画面表示のスタート画面を使う」の場合「設定はどこ?」

この画面に切替えるともう一つ罠がある。
それは「設定」が見当たらなくなってしまうと言うことである。

設定というのはWindows8からの概念で、コントロールパネルのことではなく、一部の設定を全く別の「設定」という画面を呼び出して行うものである。
「この設定変更はどっち?」と迷うふざけた状況が発生し、Windows8が嫌われた要因のひとつではなかろうか。
これがWindows8で嫌われたいい加減な発想であり、レガシー仕様との調和がされていないという根本的な問題である。

さて、Windows10のデフォルトでスタートメニューを出すと一目瞭然に「設定」という項目がある。
ところが「全画面スタート」になると当然ながらスタートメニューがでなくなってしまうので「設定」を呼び出すことが出来なくなる。

もちろん解決方法はあって、全画面状態になってから左下の方の「すべてのアプリ」から「設定」を探せば良い。
なんと、「設定」はアプリだったのだ(失笑)。
しかもこの「すべてのアプリ」ボタン自体が俗に言う「ハンバーガーボタン」類似であってそれであると気づくのは、これまた難しい。
いわゆる「アイコン化で余計わけがわからない」現象である。
それが判って探そうと思っても、アルファベット&あいうえお順なので「せ」までたどり着くのは大変だ。

「設定」を見つけたら右クリックをして「スタート画面にピン留めする」にすれば良い。
つか「はじめっからそうしておけ!!!!」である。

くだらないアプリの押し売りを置きまくる暇があったら、「設定」ぐらい最初からピン留めして(置いて)おけ、ということである。
なにがWindows10でユーザービリティの向上だ。
所詮は机上で考えたユーザービリティだということが、こういうところで簡単にメッキが剥がれているのだ。

最初だけだから良いではないか、という発想なのか?

両方とも最低限ではあるが対応策はあるし不可能ではないだけ救いはある。
しかし心証が非常に悪い。

この事例は些細な、ほんの氷山の一角なのだと思う。
実はもっと深刻な話もあるのだが、それは別の機会に書く。
正直、私の“PC離れ”が進んでいたからWindows10に移れた、というのも正直なところだ。

昔からといえばそうなのだが、最近のMicrosoftはどんどん劣化している。
Windows10は「最後のアップグレード」としたのはある意味正解だ。
私は正直もう付き合いきれないと思い始めていたからである。
最後だから付き合ってやろう、と思っただけなのである。

無償なのも確かに条件である。
仮に通常の有償アップグレードならば、8.1のサポートが切れるまで変えるつもりは一切なかったからである。

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2016/08/07

河野太郎氏「国務大臣退任」から見える二つのコト

リンク: 国務大臣退任 | 衆議院議員 河野太郎公式サイト.

13:30 臨時閣議。「私儀 都合によりこの度辞職させていただきたく云々」と書かれた辞職願が席上におかれている。

別に都合悪くもないし、辞職させていただきたくもないんだけれどなと思いながら、筆で署名する。字がかすれた。

丸川大臣が、「大塚でするんですか、丸川ですか」と叫ぶ。「戸籍の名前でお願いします」と。

次に各大臣が花押を記す文書(名前忘れた)が回ってくる。これも練習のほうが上手にかけた。

隣の席の高木大臣が、練習用の紙のほうが滑るからうまくかけるんだよねと慰めてくれる。

J-CASTニュースで取り上げられていたので見たのだが、面白い慣習である。

二つの重要な事が書かれている。

内閣改造は解任ではなく実は“辞職強要”

強要ではないのでは?と思う人は大分社会に汚されている。
用意した紙に“署名しろ”と持ってくるのは強要である。
「承知しかねるので署名できない」とできるのなら強要ではないが、書かなければエラいことになる(書かない人がとても不利益を被る)のは明白なので、これを強要という。

別に内閣の任命権は内閣総理大臣にあるのだから解任をすることはなんら問題は無い。
なんら問題は無いのになぜか“解任”としない不思議である。

まあ、河野太郎氏も「大人の対応」をしたわけでこの不条理さも特に問題とされずに継続されていくのだろう。

自民党議員が“夫婦別姓”は不整合問題では無いか。

自民党は夫婦別姓反対だったはずなのだが、丸川珠代議員は別姓だったようだ。
それなのに別姓での議員立候補や議員活動を許している。
まあ、ご都合主義である。

現状では丸川と称するのはよく言えば旧姓、通名、悪く言えば偽名である。
丸川氏が叫んだ(大声で質問した?)のは正に世の中の夫婦別姓問題の典型的な事例であると言える。

これから「一億総活躍」つまり「女性活躍」するにあたっての基本的障壁の一つであり、解決すべき問題である。
この問題は典型的な事例にしか過ぎないのだが「選択的夫婦別姓」を半ば強めでも推し進めるべきではないのか。

女性が上位職進出(確かこれも推進項目の目玉だったはず)していくと、当然ながら対外的にも出て行くし、せっかく旧名で覚えられた名前が変わると面倒だ。

名前が変わると「結婚したんですか?」とプライバシーを探られることになる。
「結婚?めでたいからいいことじゃないか」などと言うのは日本の旧社会に毒されている。
そういうのを嫌う人も少なからずいるのだ。
結婚というから例として不適当なら、離婚だったらまずいということは誰にも判るだろう。

それを回避するために会社として「通名」を許容する場合もあろう。
では、社外とのやり取り、例えば契約書などにはどちらの名前を記入すべきか。
法的正確性(実効性)を求められる証書発行などはどちらにすべきか。
とても面倒な話になる。
これがまさに、丸川氏の叫びと同一の問題である。

「家族の在り方の問題」などと綺麗事を言う人が多いが、実社会で実害が起きているのだ。この点を見て見ぬ振りをするのが問題である。

挙げ句の果てには「家族崩壊云々」とか言う人すらいて頭の程度を疑う。
それなら殆どの国で「選択的夫婦別姓」であることをどう考えているのか。
夫婦別姓問題はそういう問題では無く、これから女性社会進出、一億総活躍というのなら、社会的障害を取り除くための議論である、という論点でやってほしいものである。
(もちろん昭和時代の旧来型の家庭が良いというのなら構わない。ただしそれで済むような平均(統計的には中央値による)家庭所得(可処分所得)を、最低限維持する政策を進めて実現していないとダメだ。現在は激減しているから問題なのだ)

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