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2016/07/30

ポケモンGOは(原作観点)リアリティが乏しすぎる

ポケモンGOフィーバー、ポケノミクスなどという言葉が出てきたかと思えば、一週間もしないでもう「あきた」という言葉が飛び交っている。
なんとも呆れた話である。

加熱するマスコミやらで伝えくるゲームシステムを見るにつけ、私のような古参のポケモンファン(といってもライトファンだが)には全く興味が湧かなかった。
それはポケモンというゲーム・アニメの世界観に乏しかったかったからである。
キャラが現れるのはただの前提条件であり、十分条件ではない。

ゲーム業界でも冷たい視点しかなかったようでこのフィーバーを「予見できなかった」と伝えられている。
私も様々な思考か業界に近いのか同感で「こんなのがヒットするものなのか?」であった。

なぜか。このゲームには「リアリティ」が弱いのである。
もちろん、ポケモンというゲーム世界観でのリアリティの話である。
ゲーム世界の再現度といっても良い。
それがあって「リアルの世界(これは本当の現実世界)」での再現となる。

「ポケモンをリアルの世界で出来るなんて興奮!」みたいな発言を見ると「おいおい、おまえ本当にポケモンやってたのか?」「ポケモンが好きなのか?」と思わざるを得ない。

昔はゲームの「移植」という概念があったが、その移植レベル(アレンジレベル)が低いという言い方も出来る。
たとえば数十年前だが、アーケードゲームがゲーム機やPCに「移植」されるが、たいがいは再現性が低く「クソゲー化」する事例が多発していた。
もっともこれはハードウェアのゲーム性能の差からくるものでそもそも「移植」するほうが間違っているという話ではある。
最初はアーケードの人気作品として売れるのだが、そのギャップに直面してあっという間に売れなくなる。本で言えば重版がない、それどころか在庫の山ということだ。
そういう事例がだぶってしか見えないのである。

さて、いくつかのポイントを挙げて具体的に説明をしていこうと思う。

生息地域

ポケモンを入手する方法のうち、いわゆる「野良ポケモン」を捕まえる、が基本の一つだ。

ゲームやアニメ中において街中で闊歩しているのはほぼ人に属している(飼われている)ポケモンだけである。つまり、いないわけではないが「ゲット」してはいけないのである。

ポケモン、ポケットモンスターと言うが、これはリアル世界でいうところの「人間以外の動物」に等しい位置づけである。
もう少し言えば人間と同程度(それ以上の場合もあり)の知能を持つ者も多く、強制的にゲットするだけではなく、共感して自ら進んで仲間になる、という描写もたびたびある。
ただし知能はあるが言語は人間とは異なっている、という設定だ。(人間語を喋れるのはかなりレアケースだ)

ただ、人間社会で自立して生活するのは困難ではあるようで(読み書きはできなかったり言語による意思疎通の問題が大きいようだ)、町の周辺の草原山林やら町と町の間の山中、大きな池や湖、川や海等、街中でも廃墟等、人が住んでいないところで生息しており、人が多く住むところで野生(人に属さない)で生息しているポケモンはほぼ描かれていない。

GOでは街中で捕まえられ、むしろ地方にはいないという。
まったく逆である。

銀座や秋葉原のど真ん中とか、そんなところに野良ポケモンがいるわけがない。
一方で村レベルで農村や山が近い地方の道であれば舗装道路でも「ひょっこり顔を出す」可能性は十分ある、と考えられる。
なぜならリアルに野良動物、狸やらイタチやら鹿や猪が顔を出すからである。
ちょっと山の方の道なら熊さえもありえる。

ゲーム的リアリティでいうのなら、銀座や秋葉原なんぞではポッポやキャタピラーぐらいしかいない、という方が筋が通っている。銀座でもスズメや蛾の幼虫くらいはいるだろう。

私はこの点で大きな違和感を持ったのである。
地方格差という問題ではなくて、原作世界観との相違という問題である。

もちろんポケモンを探して(私有地である)山林に入り込んだり里山をうろうろされたら、それはそれで問題だが、ビル群や住宅密集地に多く出現させるのは違和感しか感じない。

活動時間

通常の動物は夜行性のものが多いが、ポケモンは昼行性のものが多い。
この辺は種別はよるのだが、少なくとも「ポケモンバトル」という観点からは夜行性のものは扱いづらい、ということもあろう。
日が落ちたら行動を停止するものが殆どである。
ところが夜間なのに「ゲット」する行動をすら“許して”問題を起こしているようだ。

ゲームシステムとして夜になったら「レーダー」の反応を止めるべきである。
少なくとも日がとっぷりと暮れているのに明らかに昼行動のポケモンが元気に跳ね回っているような描写はおかしい。

レーダーシステム

そもそも「レーダー」システムの存在自体が疑問である。
最近のゲームやアニメは知らないのだが、私の知る限りレーダーシステムはない。

レーダー頼りにうろうろすること自体がポケモンの世界観では違和感がある。
ARである以上は人間は認知できないので、たとえばポケモンが近くにきたら”気配”の代わりにバイブなどで教え、ゲットするシステムにすべきである。
この「レーダー頼りにうろうろする」ことを強要する自体が「歩きスマホ」を助長しているという深刻な問題にもなっている。

ジムリーダーシステム

ゲームやアニメもだが、ジムリーダーというのは「ボスキャラ」である。
各エリア(ステージ毎)の総仕上げなので、クリアできないと意味がない。
ところがこれもうまく再現できていないようだ。

現実はボスキャラではなく単に「異常に強い神キャラ」になってしまっているようだ。

俗に「ガチ勢」という、大人レベルの財力や知識を動員し時間を含め総てをゲームにつぎ込む人たちがトップを占める、という現象が漏れなくこのゲームでも起きている。
ジムリーダーをこういう人たちの「隔離施設」にするのも一つの考えではある。
一方でそれはポケモンゲームの到達満足度を満たすための重要なポイントである、ジムリーダーシステムを事実上「捨てる」ことでもある。

ジムリーダーもNPC、つまりプレイヤーの誰かではなくシステム側で用意した仮想人間にすべきである。
そうして日本もしくは世界各地にジムリーダーを配してリアルで旅行でもしながら倒していくのがゲームの世界観としては正しい。

とりあえず日本なら各都道府県に一つ程度配置して現地に行ってバトルをして勝ち、フラグを立ててコンプリートを目指す、というのが筋である。

どうしてこうなった

理由はごく簡単である。
このゲームは任天堂が作ったものではない。

グーグル傘下の米国ゲーム会社であり、その会社が作った“イングレス”というゲームのポケモンアレンジバージョンに過ぎないからだ。
(だから「なんで日本のポケモンなのに米国が先なんだ?」という疑問(報道)は全く的をはずしている。)
ポケモンというキャラ使用権(IP)を購入して使っているだけ。
ポケモンの世界観よりも、従来ゲームシステムを重視し踏襲したに過ぎない。

だからゲームをやり込むほどにポケモンの世界観との違いに気づいていくだろう。
ゲームシステムのつらさも相まって違和感が増幅していくだろう。

それにしても昔の任天堂なら「武士はくわねど高楊枝」でおそらく頑として拒否するレベルと私は思うのだが、最近は特に「背に腹は代えられない」という判断のようだ。
任天堂の自分たちの作り出したキャラへの愛は半端ではなかった。
十年単位で生き残るキャラというのは世界レベルで見ても数えるほどしかいない。
先輩方の作り出した資産を食いつぶすことのないように祈るばかりである。

配慮が足りない

これは世界観の問題とは異なるがあえていいたいことがある。
たとえば時速10km/h以上で移動していたら強制的にプレイ中止にすべきである。
歩数カウンターは止まるらしいので技術的に問題はないのは明白である。
また歩数カウントで言えば、時速ではなく、上下動などもジャイロで検出して歩いているのか横に移動しているだけなのかの配慮も欲しいところだ。
グーグルのようなベンチャー企業のスピンオフ企業だからこういう細かい配慮が実に欠けている。
こういう配慮、思慮の深さが「ゲームの奥深さ」につながるのだ。
元からイングレスを作った人たちは旧来型ゲームとは発想が違うのでそこが良いところでもあるとはいえる。しかし経験の浅さ故に奥深さがないのも現実だ。
まあ、そういう深さよりも新しさを連発した方が良い、という理屈もある。

ゲームは文化という時代もあったが、すでに金を稼ぐ分野の一つになってしまったということなのかもしれない。

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