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2015/07/21

動物よけ電気柵に感電死亡

リンク: 動物よけ電気柵に感電 2人死亡、警察が実況見分:@niftyニュース.

不可思議な“事件”である。

最初は子供らは川の中で遊んでいたわけであろう。
つまり当初は川には電流が流れてはいなかったということになる。
大人すら感電で入れない川に、子供らがその川を渡って向こう岸まで行けるわけが無い。

向こう岸の崖の上にあじさいがあり、電気柵があったと。
あじさいに興味があったのが(まだ花は残っているだろう)、崖があれば登りたくなる子供のよくある心理か。
その状況からは子供らが崖を登って、電気柵を掴んでしまい、感電して川まで転落したと考えるのが妥当に思える。

ある程度高電圧でしびれた経験のある人なら分かるが(まあそんなにいないと思うが)電気の流れている電線をうっかり掴んでしまうとしびれて離すことは大変困難である。
手の構造(?)上、電気を触ってしまうと握る方向に指等が動いてしまうらしい。どうしてもそういうところに手を突っ込まざるを得ない場合は、手の平ではなく甲の方から入れるのがセオリーと教えられるぐらいである。(まあそう突っ込まないが)

そうでなくてもバランスを崩したり落ちそうになって「藁をもつかむ」状況なら無意識に線をむしろ強く掴んでも不思議でも無い。
子供がぶら下がっても大丈夫なほど電線どおしを結ぶなんて普通はしないからはずれてしまっても不思議では無い。

つまり子供達がひっぱったことによって電線が外れ川に落ちてしまった、ということになり、それにより川に電流が流れてしまったということになる。

崖のあたりか、あじさいのある場所までか、それは持ち主の私有地だろうから「不法侵入」でありそこに勝手に侵入して起きた“事故”の責任まで取らされるのだろうか。
自宅の庭の通常は足を踏み入れない場所の防犯用“落とし穴”に、勝手に入ってきた輩が落ちて怪我をしたとしてその責任まで取る必要があるのかというレベルではある。

ただ、風雨にさらされて線が外れ川に落ちたり、敷地外にむき出しの電線がいくことも想定されれば、その時のための漏電防止策を取っていなかったことが過失として問題視されるだろう。

感電で死傷するレベルというのは電圧と言うよりむしろ電流量である。
例えば静電気は数千ボルトになるが、電流が極めて微少なので瞬間の痛みを感じる程度でおわる。
一方、数十ボルトでも十分に電流が流れれば死に至るとされている。

それを防ぐのが漏電防止装置であり、それを含む電気柵用の電源機器であろう。
漏電装置を切って直結していたという報道もあり、また、100V電源そのままつないでいたという報道もある。それらの「やってはいけない行為」も過失として入るのかもしれない。
漏電というのは感電事故もそうだが、発火→火災の原因となる。

直接の引き金を引いたのは柵の設置者ではないといえるが、危険な“状況”を作り上げていたことの責任は免れないように思える。
その意味での「過失致死障害」なのだろう。
どの程度の責任が生じるのか、事件の詳細を含めて結末を知りたい案件である。

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2015/07/20

計画白紙撤回はただの「逃げ」ではないのか

新国立競技場計画の「白紙撤回」を評価する声もあるが、私は正直全く評価できない。

様々な“事実”がマスコミやネットで整理されつつあり、それらを論理的に組み立てていけば最終的に「安倍総理の責任問題」と結論づけられてしまう。
官邸もバカでは無いのでそれが見え始めたことは察知していただろう。
そこでそれらを“霧散”させるために白紙撤回したに過ぎない、としか私には見えない。

ぐちゃぐちゃと周囲から責められて、理詰めでもどうも分が悪いので「ああわかったよ、最初からやりゃあいいんだろ(バーン)」とちゃぶ台返ししただけのことである。
それでもまた後から「間に合わなかったのは総理のせいだ」とされないように「ちゃぶ台返ししても間に合うんだよな」と念押しをすることだけは忘れなかった、というだけだ。

そして結果としての結論先送りである。
安保法案で揺らいでいる今だけは批判を避けたいという策略であろう。
こんなやり方が評価できるとは到底思えない。

私は官房長官のいうように「外野が白紙撤回を云々するのは無責任」だと思っていたので黙っていた。
そして同じく長官のいうように「きちんと計画を遂行していく」べきであると考えていた。
意図するところは若干違和感はあったが、言葉通りで言えば同感であったと言える。

珍しく政府官邸と同感だったのにそれを向こうからひっくり返すとは思わなく、とても不愉快である。

計画遂行とは、例えば現在不明確である予算の確保を明確化することである。
ゼネコンに手付金を払ったり、デザイン事務所に監修料を払ったりし始めているのである。
もうあらかたは決まっていないとおかしいのに、ほぼハテナだらけではダメに決まっている。

マスコミで何度かオリンピック招致映像で流されたように安倍総理は「確固たる財源」を主張していた。
これはIOCが最近懸念している「最近の開催国で、財源不足で設備などがグダグダ」であることへの払拭であって、メイン会場のデザインよりも遙かに重要な“公約”であったはずだ。
IOC会長に「会場のデザイン変えたいんですけど」と打診したら「いいんじゃね?」ぐらいの反応であったわけで金がかかりすぎてグダグダになるよりしっかりとやれという主旨だったようだ。

つまり計画の中には予算財源の確保も当然喫緊の課題として存在しており、仮にその中で2500億がきちんと確保できるのであればなんら問題ない。
ネーミングライツとかクジの積み立てとかふざけたことを言っているから叩かれるのだ。
その辺はせいぜい最後の数合わせの段階の代物だ。

運営計画で赤字を出さないことも当然で、建設費が高くなれば修繕費が高くなるのは至極当然なのでそこでのバランスも必須条件である。
ネーミングライツの収入は年契約なのでむしろ運営計画に盛り込むべき事だ。
それすら「どうみても怪しい」の声が噴出したのだからまずいのだ。

そういった計画遂行の中で「ああ、これはダメだから見直すね」と(未だに誰だがわからんが)計画主体者が計画を見直すのも計画遂行の一つである。
1位案ではダメだから2位案でも6位案でも技術的見積もりをして妥当な案に変えるのも良いだろう。
まあ、それをやるなら案出しからやっても大差ないというのならそれでも良かろう。
じゃあ、今まで何をやっていたんだという感が大いに残るが。

秋にはコンペをやるようだがそれまでには最低限、「事業責任者は誰か」「事業予算の確保」「運営計画」ぐらいはきちんと揃えるべきである。
これはコンペをやる云々よりもはるかに重要なことである。

これらは秋までと言わず今すぐの話に私は思える。
曖昧なまま「白紙撤回だから追求終わり」とはなんとも納得がいかない。
また秋には大騒ぎの茶番が繰り返されるのだろうか。

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